第53話:魔石とシェリィと余った魔力が、街を都市にできる力になる
星環暦1284年・恵雨月≪第8月≫10日・水曜――
アスタリア大商会・技術研究施設
研究室の中央には、これまで使ってきた熱変換試験装置と、その横に新しく取り付けられた余剰魔力回収用の試験機構が並んでいた。
エルマー・ザイデル(技術研究部長)は測定担当者と手順を確認し、ディートリヒ(熱供給事業部長)は熱変換設備側の状態を点検し、ヘルマン・ヴェーバー(安全監査室長)はシェリィの魔力使用回数と中止条件が記された試験記録を最後まで読み直している。
ケストラー魔導機器商会の技術者たちも回収機構の周囲に配置されていたが、誰の表情にも「今日中に完成させる」という焦りはなかった。
シェリィが事前に求めた試験手順は明確だった。
1回の実験を終えたら、その場で次を始めずに測定結果を分析し、原因と改善条件を確認してから次の試験へ進み、この日にシェリィが魔力を使う実験は必要があっても最大3回までとする。
シェリィ自身の限界を調べるためではない。
調べたいのは、シェリィの魔力を通した魔石の中で何が起き、その力を安全に設備へ利用できるかだった。
「第1試験の準備が完了しました」
エルマーの報告を受け、シェリィは装置の前へ進んだ。
「お願いします」
固定台に置かれた魔石へ意識を向けると、シェリィは自分の魔力を無理に押し込むのではなく、内部に存在する流れを探し、その流れに沿わせるようにごく僅かな魔力を送り込んだ。
以前よりも、その感覚は分かりやすくなっていた。
魔石の中には最初から力の流れが存在し、そこへ自分の魔力を合わせると、ばらついていた流れが少しずつ同じ方向へ整っていく。
測定担当者が記録を追いながら顔を上げた。
「内部の流れが安定しました」
別の研究員も測定結果を確かめる。
「前回と同じ傾向です。シェリィ様が魔力を流した後は、内部で確認できる魔力の方向が揃っています」
シェリィは小さく頷いたが、それだけで結論を出すことはしなかった。
魔石は熱変換設備へ移され、ディートリヒの指示で試験が開始された。
発熱量・魔力流入量・変換効率・残留反応の4項目が同時に記録される。
熱変換そのものは安定していた。
問題は、その後だった。
「余剰魔力回収を開始します」
ケストラーの技術者が試験機構を作動させると、回収側の測定器が反応し、熱へ変換されなかった魔力が確かに外側へ流れ始めた。
しかし、その反応が大きくなった直後、熱変換側の数値が揺れた。
「熱変換効率が低下しています」
「回収側も不安定です」
ディートリヒが即座に指示を出した。
「回収停止」
機構が切り離されると、しばらくして熱変換側の状態は安定した。
誰も実験を続けようとはしなかった。
ヘルマンが試験終了を宣言し、シェリィからも装置から離れるよう求める。
◇
1時間後――
アスタリア大商会・技術研究施設・分析室
第1試験の結果が机いっぱいに広げられていた。
エルマーとケストラーの技術者たちは、余剰魔力を回収し始めた時点から熱変換効率が低下するまでの記録を比較し、ディートリヒは熱源設備側から見た変化を確認している。
「余剰魔力そのものを取り出せないわけではありません」
エルマーが結論を口にした。
「問題は、回収側が強く引きすぎています。余っている魔力だけではなく、熱変換に向かっている流れまで持っていっている可能性があります」
シェリィは記録の一部を指で押さえた。
回収開始直後には熱変換の状態はほとんど変化していない。
回収量が増えてから、初めて不安定になっている。
「目的を取り違えていますね」
エルマーが顔を上げる。
「と申しますと?」
「私たちが必要としているのは、魔力を可能な限り多く取り出す装置ではありません」
シェリィは熱変換側の記録へ視線を落とした。
「熱供給に使われなかった分だけを回収する装置です」
余剰魔力は、熱供給の代わりとなるものではない。
熱を作るという本来の機能を壊してまで取り出せば、それは余剰ではなくなる。
「回収量を最大にするのではなく、熱変換へ影響を与えない範囲を探してください」
ケストラーの技術者が頷き、回収機構の調整に入った。
ヘルマンはシェリィの様子を確認してから尋ねる。
「疲労や違和感はありますか?」
「ございません」
「ならば、分析結果を反映した2回目までは許可します。ただし、その後も必ず分析を挟みます」
「はい」
誰も急がなかった。
1回目の失敗は、研究が前へ進んでいない証拠ではない。
実際に都市へ設置する前に、危険な条件を1つ排除できた。
シェリィにとって、それだけでも十分に意味のある結果だった。
◇
同日午後――
調整された回収機構を使い、第2試験が開始された。
シェリィは新しい魔石へ再び魔力を流し、内部の流れが整ったことを測定で確認してから、熱変換設備へ移す。
今回は熱変換が安定するまで待ち、その後に回収機構を低い状態から作動させた。
「余剰魔力、回収側へ流入しています」
「熱変換側、変化なし」
研究員の声が続く。
ディートリヒは測定器を凝視したまま、すぐには喜ばなかった。
「継続確認」
時間を置いても、大きな乱れは起こらない。
熱は熱として取り出され、その後にも残っている魔力だけが別の経路へ流れている。
エルマーが記録を確認した。
「分離できています」
ケストラーの技術者も回収機構から目を離さない。
「少なくとも、この条件では熱変換を阻害していません」
シェリィはその言葉を聞きながら、次に必要なものを考えていた。
余った魔力を装置のすぐ横で取り出せるだけなら、用途は限定される。
街を動かす力にするなら、必要な場所まで運ばなければならない。
「これを離れた場所へ流せますか?」
「短距離であれば試験できます」
「では、次はそれを確認しましょう」
ヘルマンが念を押した。
「その前に分析です」
シェリィは素直に頷いた。
「もちろんです」
◇
第2試験の分析を終えた後、この日最後となる3回目の実験が準備された。
熱変換設備から数メートル離れた場所には、試験用の照明魔道具が1基だけ置かれている。
照明魔道具には独立した動力源を入れず、熱変換設備から回収された余剰魔力だけを試験用供給線で届ける。
シェリィはその構成を見ながら、《アスタリア熱供給都市実験実証区画》の地下に確保した空間を思い浮かべていた。
まだそこに魔導動力供給線は存在しない。
技術そのものが成立していない以上、先に敷設する理由もなかった。
だが、本当に余剰魔力を安全に送れるのなら、その空間は単なる将来用の余白ではなくなる。
「第3試験を開始します」
シェリィが魔石へ魔力を流し、内部の流れを整える。
熱変換設備が始動し、十分に安定したことを確認した後、余剰魔力回収機構が作動した。
回収された魔力が試験用供給線へ入る。
最初の数秒、照明魔道具には何の変化もなかった。
研究員たちは測定器と照明を交互に見る。
やがて、照明魔道具の内部に小さな光が生まれた。
一度揺らぎ、弱くなる。
ケストラーの技術者が供給側を調整すると、光は再び戻り、今度は消えずに保たれた。
「末端到達を確認」
「照明魔道具、作動しています」
研究室の空気がわずかに緩んだ。
派手な光ではない。
街を照らすには程遠い。
だが、そこに使われている力は、熱を作った後に残った魔力だった。
シェリィは灯った照明を見ながら、喜びより先に条件を整理する。
確認できたのは数メートル。
動かしたのは照明魔道具1基。
長時間運転はしていない。
距離を伸ばした時の損失も、複数の設備へ分配した場合の挙動も分からない。
「今日はここまでにしましょう」
ヘルマンが言うより先に、シェリィが告げた。
安全監査室長がわずかに目を細めた。
「異論はありません」
シェリィは照明が消されるのを見届ける。
「次は距離による損失を調べ、その後に分配を試してください」
エルマーが頷く。
「複数の魔道具へ同時に送れるか、ですね」
「はい。ただし、1基ずつ増やしてください」
シェリィは静かに付け加えた。
「1つ灯ったからといって、街を動かせるようになったわけではありません」
それでも、可能性は見えた。
熱を供給しながら、使われずに残った魔力を別の用途へ回す。
もし安定供給まで確立できれば、住民自身が魔法を使えなくても照明魔道具や各種設備を利用できる街へ近づく。
能力を持つ者だけが便利になる仕組みではない。
誰が住んでも同じ設備を使えること。
シェリィが求めている都市には、それが必要だった。
◇
試験終了後、研究員たちが装置と使用した魔石の整理を始めた時だった。
保管棚の前を通りかかった研究員が、測定器の微かな変化に気づいて足を止めた。
その棚には、以前の熱変換実験で使用した魔石が、使用履歴ごとに分けて保管されている。
「エルマー部長」
研究員の声に、エルマーが振り返った。
「どうした?」
「この測定器ですが、先ほどから反応しています」
エルマーが棚の横へ移動し、数値を確認する。
「今日使った魔石か?」
「いいえ。以前の試験で使用したものです」
研究員は少し迷ってから、シェリィの方を見た。
「それと……シェリィ様が近くへ来られた時に反応が強くなりました」
シェリィが眉をわずかに寄せる。
「私が近づいた時ですか?」
「はい。ただ、まだ偶然の可能性があります」
ヘルマンがすぐに条件を限定した。
「魔力は流さないでください。近づくことだけで確認します」
シェリィは指示に従い、保管棚から距離を取った。
反応が弱まる。
ゆっくりと近づく。
測定器に、再び微かな反応が現れた。
研究員の表情から、先ほどまでの興奮が消える。
代わりに浮かんだのは、未知の現象を目の前にした慎重さだった。
「もう一度お願いします」
シェリィが再び距離を取ると反応は弱まり、近づくと同じように変化した。
エルマーは魔石へ触れず、記録だけを見る。
「何に反応しているのかは分かりません」
「使用済みだから起きているのか、以前シェリィ様の魔力を通したことが関係しているのか、それとも別の条件なのかも現時点では判断できません」
シェリィは保管棚に並ぶ魔石を見つめた。
今までなら、役目を終えた魔石として扱われていたものだった。
だが、何も残っていないはずのものが反応している。
「処分しないでください」
研究員たちがシェリィを見る。
「使用した魔石は、どの実験で使ったものか、熱変換を何回行ったか、私の魔力を通したものかが分かる状態で保管してください」
エルマーが頷いた。
「研究項目として追加します」
「お願いします。価値があると決める必要も、価値がないと決める必要もありません」
シェリィは微かな反応を示す魔石から視線を外さなかった。
「分からないなら、まず調べましょう」
答えはまだない。
だが、研究とは答えを知っているものだけを調べることではなかった。
◇
その日の夕刻――
アスタリア北方・《アスタリア熱供給都市実験実証区画》建設予定地
研究施設で小さな照明が灯った頃、実証区画では地下共同設備空間の工事が始まっていた。
グローヴァー建設商会の施工担当者たちは測量結果に基づいて最初の区画を掘り進め、熱供給管・戻り管・魔導通信設備・制御設備・安全遮断設備を収めるための空間と、人が内部へ入り点検・交換できる保守通路を確保していく。
その横には、まだ何も設置しない区画も残されていた。
将来の魔導動力供給線。
上水道。
下水道。
技術や設備が確定してから追加しても、完成した道路を大規模に掘り返さずに済むよう、最初から必要な空間と接続余地だけを残している。
数日前には、魔導動力用の空間が本当に使われるかどうかさえ分からなかった。
しかし今日、研究施設では余剰魔力によって1基の照明魔道具が点灯した。
まだ短い距離しか届かない。
街を動かす技術には遠い。
それでも、空けておいた場所へ何を通すのかが、少しだけ具体的になった。
◇
アスタリア支部派遣者住宅建設予定地
同じ頃、《アスタリア企業群》の派遣者を受け入れるための住宅工事も、第1期計画に沿って動き始めていた。
第1期に建設するのは、単身者用1LDK45戸・家族用集合住宅23戸・家族用一戸建て12戸の合計80戸で、これに第2期60戸を追加し、最終的には140戸を整備する。
125名の派遣者を収容するだけなら、交代時の家族構成まで考慮する必要はない。
だが、単身者の後任が家族を伴うこともあれば、家族で暮らしていた者の後任が単身で赴任することもある。
家族向け住宅から家族向け住宅への入れ替えだけを前提にした計画では、長く続く人事には対応できない。
だから余裕を持たせる。
住宅を人員表の数字に合わせるのではなく、人がそこで暮らし続けることを前提にする。
建物の基礎位置が示された土地を見ながら、施工担当者たちは次々と工程を確認していた。
研究施設では余った魔力の使い道を探し、地下ではその力をいつか運ぶための空間が造られ、地上ではそこで働く人と家族の住まいが建ち始めている。
それぞれは別の工事であり、別の研究だった。
だが、シェリィが目指しているものの中では、すべてが一つにつながっていた。
熱があるだけでは、街は都市にならない。
家があるだけでも、都市にはならない。
水・熱・通信・動力・交通・仕事・教育・医療・生活を支える設備が結びつき、人が安心して暮らし続けられて初めて、そこは都市になる。
そして今、そのための力が一つずつ揃い始めていた。
魔石。
シェリィの魔力。
熱へ変換した後にも残った余剰魔力。
まだどこまで使えるのかは誰にも分からない。
だが、研究施設で灯った小さな光は、何もなかった北方の街を、やがて本当の都市へ変える可能性を確かに照らしていた。
お読みいただきありがとうございます。
今回は、熱変換後に残る余剰魔力を実際に取り出し、短い距離ではありますが照明魔道具を作動させるところまで進みました。
一度で成功させるのではなく、1回ごとに結果を分析して次の条件を決めることで、熱供給という本来の目的を損なわずに余った魔力だけを利用する研究が始まっています。
さらに、以前使用した魔石がシェリィの近くで反応を示したことで、役目を終えたと思われていた魔石にも新たな研究の可能性が生まれました。
地下共同設備空間と派遣者住宅の建設も始まり、技術・設備・生活基盤が少しずつ一つの都市へつながっていきます。
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