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アスタリア大商会起業編 ~無知な母国を置き去りに、極寒の死地を熱で満たします~  作者: IORI


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5/100

第5話:熱導網と、最初の帳簿

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫18日――

アスタリア・領主館臨時実験室

「――止めてください」

シェリィの声に、実験室にいた者たちが一斉に顔を上げた。

数日前から運転を続けていた小型の熱供給試験設備。

黒い鉱石――仮称・魔導原石(まどうげんせき)に規定量の魔力を送り、そこで発生した熱を水へ移し、金属管を通して隣室まで運ぶ。

旧集会所。

診療所。

宿屋。

少しずつ用途を広げながら、実験を重ねてきた設備だった。

グラン・アルスターから派遣された魔導技術者が、計器を確認する。

「現在、出力は安定しておりますが」

「ええ。ですから止めます」

「……安定しているから?」

「はい」

シェリィは頷いた。

「動いているところだけを見ていても、維持費は分かりませんもの」

隣にいたレオンハルト大公が腕を組む。

「壊れてもいない設備を分解する気か?」

「もちろんですわ」

「迷いがないな」

「壊れてから初めて中を見る方が、よほど怖いと思いますけれど」

シェリィが技師たちを見る。

「魔力供給停止」

「熱源部を冷却」

「管内の水を抜いてください」

「温度が安全域まで下がったら、熱源部、熱交換部、弁、継ぎ手、計測器――全て開けます」

今までの実験では。

熱が発生すること。

運べること。

建物を暖められること。

そこまでは分かった。

だが。

社会基盤にするなら。

重要なのは、むしろその先だった。

何時間使えば傷むのか。

どこから劣化するのか。

何人いれば整備できるのか。

どれほどの頻度で交換が必要になるのか。

部品を何個備蓄すべきなのか。

それを知らなければ。

料金など決められない。

「安すぎれば」

シェリィは停止していく設備を見ながら言った。

「数年後、壊れた設備を直すお金がなくなります」

「高すぎれば」

「住民が使えません」

「ならば、その間をどう決める?」

レオンハルトが尋ねた。

シェリィは。

静かに微笑んだ。

「設備に聞きます」

「設備に?」

「あなたは、いくら掛ければ働き続けてくれるのですか、と」

◇

分解作業が始まって間もなく。

最初の声を上げたのは。

ヴァルモント公爵領から派遣されてきた金属加工職人だった。

「お嬢様」

作業台の上に。

小さな継ぎ手が置かれる。

「これを見てください」

シェリィが近づく。

一見。

何も変わっていない。

「こちらです」

職人が指で示す。

金属の縁。

本当に僅か。

歪んでいた。

「熱源炉ではないのですね」

「ええ」

職人は頷いた。

「炉の方は今のところ問題ありません」

「ですが、何度も熱くなって、冷えてを繰り返したせいでしょうな」

「継ぎ手の方が先に動いています」

隣では。

グラン・アルスターの魔導具技師が弁を分解していた。

「こちらにも微細な摩耗があります」

「魔力回路は?」

シェリィが尋ねる。

「正常です。ただ、機械部分が先に傷んでいます」

別の技術者も。

熱交換器の内部を確認する。

「薄い付着物があります」

「何でしょう?」

「魔導原石由来か、配管由来かはまだ分かりません」

シェリィが即座に記録係を見る。

「採取してください」

「はい」

「分析結果が出るまで原因を決めつけないように」

「承知しました」

次々と。

報告が上がる。

そして。

少し離れた机では。

グラン・アルスターの研究者が。

管から抜いた水の試料を見つめていた。

「……妙ですね」

その一言に。

シェリィが振り返る。

「何がです?」

研究者は。

昨日までの記録を広げた。

「この水です」

「水?」

「はい」

「最初に入れた時と、性質が違います」

レオンハルトも近づく。

「違う?」

「加熱履歴を確認してください」

記録上。

試験中。

水温は何度か100度を越えている。

それなのに。

通常なら予想されるほどの激しい沸騰や圧力上昇が起きていない。

「計器の故障では?」

シェリィが尋ねる。

「疑いました」

研究者が答える。

「別の計器でも測りました」

「結果は同じです」

「……」

「さらに」

別の試料を示す。

「冷却時の挙動も、最初の水とは異なります」

シェリィの表情が変わる。

「普通の水より、凍りにくくなっている?」

「その可能性があります」

研究者自身も。

信じられないという顔をしていた。

レオンハルトが試料瓶を見る。

「水ではなくなったのか?」

「それは」

研究者が言葉に詰まる。

シェリィは。

透明な液体を見つめた。

前世の知識が。

頭をよぎる。

水。

前世でいうH₂O。

その基本そのものが別物になったのか。

それとも。

魔力によって。

別の状態を取っているだけなのか。

「成分そのものを調べられますか?」

「時間をいただければ」

「お願いします」

そこで。

別の魔導技術者が口を開いた。

「シェリィ様」

「はい」

「ひょっとすると」

男は。

実験記録を指した。

「この変化が起き始めたのは」

「シェリィ様が最初に魔力を流された試験の後ではありませんか?」

室内が静かになる。

シェリィの右手が。

無意識に。

僅かに動いた。

「……私の魔力が原因?」

「断定はできません」

技師はすぐに答えた。

「魔導原石を介した魔力作用」

「温度」

「時間」

「複数の条件が重なった可能性もあります」

シェリィは。

少し考えた後。

首を縦に振った。

「では」

「私の魔力を使わずに再現してください」

「……え?」

「標準魔導具だけで」

シェリィは研究者たちを見る。

「同じ温度」

「同じ投入魔力量」

「同じ時間」

「条件を揃えてください」

「もし」

一度。

自分の手を見る。

「私にしか作れない液体なら」

「社会基盤には使えません」

誰も。

反論しなかった。

◇

4時間後――

実験室の空気には。

僅かな緊張が漂っていた。

新しい水。

新しい魔導原石。

シェリィの魔力は使わない。

標準化された試験用魔導具から。

一定量の魔力を供給する。

熱を加える。

一定時間維持。

そして。

冷却。

研究者が。

何度も計測器を見る。

「……再現しています」

シェリィが顔を上げた。

「本当に?」

「はい」

「沸騰挙動に変化」

「冷却後の状態も」

「先ほどの試料と近い」

もう1回。

別の試料。

同じ。

さらに。

条件を少し変える。

変化しない。

戻す。

再び。

性質が変わる。

「条件がございます」

研究者が言った。

「魔導原石」

「一定量以上の魔力」

「一定の温度」

「そして一定時間」

「全て揃った場合にだけ」

「水の魔導反応が変化します」

「水自体の基本構造は?」

「今の分析では」

研究者は慎重に答えた。

「大きく別の物質へ変わったとは考えにくいです」

シェリィは。

試料瓶を手に取った。

普通の水と。

見た目はほとんど変わらない。

しかし。

魔導反応は明らかに違う。

「では」

シェリィが呟く。

「水が」

「魔導的に別の状態へ移った……?」

研究者が頷く。

「私も、そう考えるのが一番近いと思います」

「仮に」

シェリィは紙へ書く。

魔導活性水相

「この状態を、こう呼びましょう」

レオンハルトが覗き込む。

「また堅い名前だな」

「研究上の仮称ですもの」

「実際に使う時も、その名前か?」

シェリィは。

透明な液体を見る。

目的は。

熱を受け取り。

運ぶこと。

「いいえ」

筆を動かす。

《魔導熱媒液(まどうねつばいえき)》

「実用上はこちらで」

レオンハルトが笑った。

「やはり色気はない」

「技術用語に色気を求めないでくださいませ」

周囲の技術者から。

小さな笑いが起きた。

だが。

シェリィの表情はすぐに戻る。

「重要事項です」

「この液体を」

「風呂や飲料や料理へ直接使うことは禁止します」

研究者が頷く。

「安全性がまだ分かりません」

「それだけではございません」

シェリィが言う。

「そもそも必要がありません」

熱を運ぶ液体。

それは。

密閉した管の中だけを循環させればいい。

建物へ到着したら。

熱交換器を通して。

水。

空気。

厨房設備。

必要なものへ。

熱だけを渡す。

「魔導熱媒液そのものは」

「人にも」

「食品にも」

「触れさせません」

レオンハルトが。

少し笑う。

「賢明だ」

「よく分からない液体で煮込んだスープなど」

シェリィが真顔で答えた。

「私もいただきたくありませんもの」

今度は。

研究者たちも。

声を出して笑った。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫19日――

アスタリア・領主館臨時実験室

翌日。

次に始まったのは。

耐久試験だった。

加熱。

運転。

停止。

冷却。

再起動。

それを。

通常より短い間隔で。

何度も繰り返す。

設備へ。

意図的に負荷を掛ける。

「これは寿命を測る試験ではございません」

シェリィが確認する。

「どこから傷み始めるのか」

「傾向を見るための試験です」

ヴァルモント公爵領から来た設備技師が頷く。

「短期間の試験だけで『何年使える』なんて言ったら」

「職人に笑われますよ」

「同感です」

シェリィは即答した。

だから。

分かったふりはしない。

試験設備を。

再び止める。

分解。

計測。

記録。

その作業の中で。

魔導原石についても。

1つの傾向が見え始めた。

「石そのものは」

研究者が。

取り外した原石を見せる。

「ほとんど減っておりません」

「では」

シェリィが尋ねる。

「なぜ出力が下がったのです?」

「内部の魔導反応です」

新品時を100とする。

同じ量の魔力を投入し。

どれだけ熱へ変換できるか。

使用を重ねるほど。

少しずつ。

効率が落ちている。

「燃え尽きるわけではない」

レオンハルトが言った。

「ええ」

研究者が答える。

「内部の魔導伝導構造が」

「徐々に変質している可能性があります」

試験値が。

並べられる。

100。

96。

91。

86。

そして。

80前後。

その辺りから。

単に出力が落ちるだけではなく。

同じ熱を得るために必要な魔力が増え。

出力のばらつきも。

大きくなり始めていた。

「使えなくなるわけではありません」

研究者が説明する。

「ただ」

「町全体の主熱源として使うには」

「制御が難しくなる可能性があります」

シェリィは。

数字を見つめる。

「では」

紙へ書く。

主熱源使用基準――新品時性能の80%以上。

「80%を下回った時点で」

「中央の主熱源から外します」

「捨てるのか?」

レオンハルトが尋ねる。

シェリィより先に。

アスタリアの農業担当者が口を開いた。

「それ」

「温室なら使えませんか?」

全員が。

彼を見る。

「中央の町全部を暖めるほど強くなくても」

「温室なら」

「そこまで高い出力はいらないでしょう?」

シェリィの目が。

僅かに輝いた。

「……なるほど」

別の職人が続ける。

「共同浴場の予熱にも使えるかもしれません」

「乾燥小屋なら?」

別の者も。

次々と。

案を出す。

シェリィは。

それを全部。

記録した。

「採用です」

「ただし」

80という数字を指す。

「これは廃棄基準ではございません」

「中央魔導熱供給所の」

「高信頼用途から外すための」

「暫定基準といたします」

低温用途へ。

さらに性能が落ちれば。

研究へ。

そして。

再活性化できないか。

調べる。

「性能が落ちたからといって」

シェリィが。

原石を見つめる。

「価値が0になるとは限りませんもの」

それは。

シェリィが思いついた答えではなかった。

研究者が劣化を見つけ。

農民が温室利用を提案し。

職人が別用途を考えた。

その意見を。

シェリィが。

1本の仕組みへまとめた。

それでいい。

むしろ。

その方がいい。

◇

午後。

机の上に。

今度は。

分解された部品と。

人員記録が並べられていた。

「熱源炉の通常確認」

「2人」

「継ぎ手交換」

「3人」

「弁の分解整備」

「2人と半日」

「熱交換器洗浄」

「……」

シェリィが。

次々と書き取る。

設備管理担当者が。

少し呆れたように言った。

「人の数まで全部取るんですか?」

「もちろんです」

「部品代だけ分かれば良いのでは?」

「修理してくださる方は」

シェリィが顔を上げる。

「無給で働いてくださるのですか?」

男は。

一瞬黙り。

「……嫌ですな」

「私も払わないつもりはございません」

周囲に。

小さな笑い。

人件費。

部品。

工具。

予備品。

検査。

交換。

事故対応。

これらを含めて。

初めて。

熱の本当の原価が見える。

そこへ。

ヴァルモント公爵領から派遣された設備管理官が。

数枚の紙を持ってやって来た。

「シェリィ様」

「はい?」

「点検の件なのですが」

「何か問題が?」

「毎日全部を調べるのは無理です」

あまりに率直だった。

シェリィは。

少しだけ笑った。

「でしょうね」

アスタリアの人口は。

約1,500人。

そこへ。

外部から。

技師や職人を補っている。

それでも。

人は限られる。

「ただ」

設備管理官が続ける。

「毎日、どこかを重点的に見ることならできます」

「どこかを?」

男は。

アスタリアの地図を広げた。

「この世界は6曜です」

指で。

地図を区切る。

「なら」

「曜日ごとに」

「巡回する区域を固定してはいかがでしょう」

シェリィが。

目を瞬く。

「曜日と区域を結びつける?」

「はい」

「今日は光曜だから中央施設」

「火曜なら商業区」

「風曜なら居住区」

「そう決めてしまえば」

「点検員も」

「住民も覚えやすい」

シェリィは。

地図を見る。

そして。

ゆっくり。

笑った。

「良いですね」

すぐには。

自分で決めない。

現場にいる職人へ聞く。

「巡回時間は?」

「商業区なら半日ほど」

「居住区は?」

「今なら回れます」

「将来広がれば?」

「区画を分割する必要があります」

「では」

シェリィは。

全員の意見を聞きながら。

表を作り始めた。

《六曜巡回保守制度》

光曜。

中央魔導熱供給所と主要計器。

火曜。

商業区、宿屋、共同炊事場。

風曜。

第1居住区。

水曜。

第2居住区と診療所。

土曜。

温室、工房、生産設備。

闇曜。

熱導幹線、還流管、予備設備。

そして。

その週に実施できなかった点検の補完。

「闇曜を」

設備管理官が言う。

「予備日にしておけば」

「故障対応で予定が崩れても戻せます」

「採用しましょう」

シェリィは頷いた。

さらに。

グラン・アルスターの研究者が。

魔導熱媒液の試料を持ち上げる。

「液体はどうします?」

「毎回止める必要は?」

「ありません」

研究者が首を横に振る。

「採取口があれば」

「流したまま少量だけ取れます」

「では」

シェリィが。

表へ書く。

常時監視。

温度。

圧力。

流量。

供給温度。

還流温度。

魔導活性度。

毎日確認。

漏れ。

異音。

弁。

計器。

目視できる異常。

そして。

各区域は6日間に1度。

割り当てられた曜日に重点巡回。

魔導熱媒液についても。

一定量を定期採取して。

活性度と不純物を確認する。

さらに。

30日。

つまり。

ちょうど5週間。

「……待ってください」

シェリィが。

暦を見る。

1か月は30日。

1週間は6日。

正確に。

5週間。

「でしたら」

「第5週を」

「月次詳細点検に使えます」

技術者たちが。

顔を見合わせる。

「第1から第4までは通常巡回」

「同じ曜日の第5回目だけ」

「より詳しく見る?」

設備管理官が確認する。

「ええ」

「例えば」

「第5火曜なら商業区の詳細検査」

「第5風曜なら第1居住区」

「分かりやすい」

職人が。

頷いた。

そして。

さらに。

「90日ごと」

シェリィは言う。

「3か月に1度」

「区画を順番に停止して」

「内部まで点検しましょう」

レオンハルトが尋ねる。

「全区域を一度に止める?」

「まさか」

シェリィは即答した。

「町全体を凍らせるつもりはございません」

区画ごと。

順番に。

片方を止める。

別の区画では。

供給を続ける。

将来的には。

複数炉。

複数経路。

予備系統。

止めずに直せる。

そんな構造にする。

「ただし」

シェリィは。

作った表の上へ。

大きく書いた。

暫定

「これが正しい周期とは」

「まだ決めません」

設備管理官が尋ねる。

「では?」

「90日運転します」

「その間の故障」

「摩耗」

「検査結果」

「作業時間」

「全部記録してください」

「点検が多すぎるなら延ばします」

「少なすぎるなら縮めます」

シェリィは。

皆を見る。

「設備を規則へ合わせるのではありません」

「規則を」

「設備へ合わせます」

誰かが。

静かに頷いた。

これは。

シェリィ1人が作った制度ではない。

技師。

職人。

設備管理官。

研究者。

全員が出した。

小さな答えを。

1つの仕組みにしただけだった。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫20日――

アスタリア・領主館会議室

翌日。

シェリィは。

新しい図面を壁へ掛けた。

中心に。

1つの施設。

その周囲へ。

無数の線が伸びている。

「今後」

シェリィは言った。

「建物ごとに個別の熱源設備を置く方式から」

「中央で熱を作り」

「町へ供給する方式へ移行します」

紙の中央。

正式名称。

《アスタリア中央魔導熱供給所》

ここに。

複数の。

魔導熱源炉(まどうねつげんろ)

将来的には。

1基止まっても供給を維持できるように。

複数化する。

そこで生み出した熱を。

中央魔導熱交換器(ちゅうおうまどうねつこうかんき)

を通して。

魔導熱媒液へ移す。

熱媒液は。

人の口には入らない。

風呂にも。

料理にも。

直接使わない。

密閉された管の中だけ。

町を巡る。

「これを」

シェリィが線を指す。

「主要道路沿いの」

熱導幹線(ねつどうかんせん)

へ送ります。

そこから。

熱導支線(ねつどうしせん)

へ分岐。

さらに。

各建物の。

引込熱導管(ひきこみねつどうかん)

へ。

建物内部では。

建物用熱交換器(たてものようねつこうかんき)

を使い。

必要な形へ。

熱だけを渡す。

家庭なら。

暖房。

給湯。

風呂。

飲食店なら。

厨房。

加熱板。

オーブン。

必要なら蒸気。

工房なら。

乾燥。

洗浄。

加工。

使用後。

熱を失った魔導熱媒液は。

還流熱導管(かんりゅうねつどうかん)

を通り。

中央供給所へ戻る。

再加熱。

再び。

町へ。

レオンハルトが。

図面を眺める。

「本当に血管のようだな」

「ええ」

シェリィも。

同じ図を見ていた。

中央から。

町へ。

町から。

中央へ。

熱が。

循環する。

「名前を」

シェリィは筆を取った。

図面の上へ。

書く。

《アスタリア魔導熱供給網》

そして。

その横へ。

通称――《熱導網(ねつどうもう)》

宿屋の主人が。

小さく呟いた。

「熱導網……」

「はい」

シェリィは。

町の地図を見る。

「アスタリア全体へ」

「熱を届けるための」

「生活基盤です」

◇

そこで。

グラン・アルスターの魔導具技師が。

新しい装置を持ち込んだ。

「シェリィ様」

「ご要望の試作品です」

机の上に。

小型の計器。

複数の針。

魔導文字。

「完成したのですか?」

「まだ試作品です」

技師は苦笑する。

「最初は」

「流れた熱媒液の量を測ればよいと思ったのですが」

レオンハルトが。

シェリィを見る。

「君が注文を増やした?」

「必要な注文ですわ」

シェリィは。

悪びれない。

数日前。

料金制度を検討した時。

シェリィが技師へ言った。

――欲しいのは、流れた液体の量ではありません。

――実際に使われた熱です。

そこで。

技師たちが。

作った。

供給側の温度。

還流側の温度。

流量。

3つを同時に測定し。

建物が実際に取り出した熱量を。

記録する魔導計器。

《魔導熱量計(まどうねつりょうけい)》

「これなら」

技師が説明する。

「熱媒液を多く流しただけでは」

「料金は増えません」

「供給時と戻り時の温度差」

「そして流量」

「そこから」

「使った熱量を算出できます」

シェリィは。

計器を見る。

そして。

微笑んだ。

「私が欲しかったものです」

「作ったのは彼らだぞ?」

レオンハルトが。

からかうように言う。

「もちろん存じております」

シェリィは。

技師たちへ向き直る。

「ありがとうございます」

技師は。

少し照れくさそうに。

頭を下げた。

◇

同じ日の午後。

料金についての会議が。

始まった。

だが。

シェリィは。

最初から。

金額を提示しなかった。

まず。

昨日の分解点検で得た。

数字。

熱源所運転員。

保守員。

巡回員。

魔導具技師。

部品。

弁。

継ぎ手。

交換工具。

熱媒液検査。

再活性化。

魔導原石。

緊急対応。

将来の設備交換。

それらを。

全部並べる。

商業ギルドから派遣された帳簿担当者が。

計算表を見る。

「これなら」

「設備更新費を除けば」

「もっと安くできます」

シェリィが。

顔を上げる。

「設備更新費を除けば?」

「はい」

「今すぐ必要な支出ではありませんから」

「では」

シェリィは尋ねる。

「5年後」

「炉を交換する必要が出た時は?」

帳簿担当者が。

止まる。

「その時に」

「その年の料金を上げますか?」

「……」

「急に」

「何倍にも?」

「……それは」

シェリィが。

新しい帳簿を開く。

「ですから」

「今から」

「少しずつ積み立てます」

表紙へ。

正式名称を書く。

《魔導熱供給特別勘定》

「熱料金は」

「領地の一般会計へ混ぜません」

運転費。

人件費。

維持修繕費。

部品交換費。

魔導熱量計保守費。

魔導熱媒液の検査・再活性化費。

そして。

設備更新積立金。

熱導網拡張積立金。

災害・事故予備積立金。

帳簿担当者が。

その項目を見る。

「随分」

「先の金まで考えるのですね」

「設備は」

シェリィが答える。

「完成した瞬間から」

「古くなり始めますもの」

レオンハルトが。

小さく笑った。

「夢のない答えだ」

「現実的と言ってくださいませ」

◇

料金制度そのものを決める時。

予想外の質問をしたのは。

北風亭の主人だった。

「シェリィ様」

「はい」

「うちなんですが」

少し困ったような顔。

「1階は宿と食堂ですよね」

「ええ」

「2階と3階は」

「私たち家族が暮らしています」

「そうですね」

「となると」

「全部」

「商売の料金になるんでしょうか?」

シェリィが。

止まった。

少し。

考える。

そして。

建物の図を描く。

1階。

店舗。

2階。

住居。

3階。

住居。

「……それでは不公平ですわね」

主人が。

顔を上げる。

「では」

「分けましょう」

「分ける?」

「1階には」

「商業用の魔導熱量計」

「2階以上には」

「家庭用の魔導熱量計を」

「別々に設置します」

「同じ建物なのに?」

「建物へ」

シェリィは答えた。

「料金を課すのではございません」

「誰が」

「何のために」

「どれだけ熱を使ったか」

「それを測ります」

商売へ使う熱。

生活に使う熱。

同じ所有者でも。

目的が違う。

さらに。

2階と3階が。

別々の世帯なら。

それぞれに。

家庭用熱量計。

「細かいな」

レオンハルトが言う。

宿屋の主人より先に。

シェリィが答えた。

「細かいから」

「公平になるのです」

そうして。

制度の名前も。

決まった。

《用途別従量熱料金制度》

一般家庭。

基準単価1.0。

商店。

宿屋。

飲食店。

工房。

その他の商業利用。

家庭用基準単価の。

約1.5倍。

診療所。

緊急避難施設。

生命維持に必要な公共施設。

利用者へ直接請求せず。

公費負担。

大規模温室。

大型工房。

将来の工場。

大量利用者については。

一律に1.5倍とはしない。

使用量。

時間帯。

必要温度。

設備負担。

供給安定性。

それらを見て。

個別契約。

「沢山使えば」

農業担当者が尋ねる。

「高くなるのでは?」

「場合によります」

シェリィが答える。

「大量でも」

「一定量を」

「安定して使っていただけるなら」

「供給所側の効率が良くなる場合もあります」

「反対に」

「短時間に極端な量を要求されれば」

「設備を大きくしなければなりません」

「ですから」

「たくさん使うから高い」

「ではございません」

「供給網へ」

「どれだけ負担を掛けるのか」

「それを見ます」

そして。

料金そのものについても。

大きく。

暫定

と記す。

「90日」

シェリィは言った。

「実際に動かします」

「点検人員」

「故障」

「部品交換」

「魔導原石の劣化」

「熱媒液の活性低下」

「利用量」

「全て集計します」

「安くできるなら?」

帳簿担当者が尋ねる。

「下げます」

「維持できなければ?」

「理由を説明して」

「見直します」

「住民が反対したら?」

レオンハルトが。

面白そうに尋ねる。

シェリィは。

少し考えた。

「説明します」

「それでも?」

「もう1度」

「説明いたします」

部屋に。

笑い声が広がった。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫21日――

アスタリア中央集落・北風亭

正式運用前の。

実証試験。

建物の入口に。

2つの魔導熱量計が。

取り付けられていた。

1階。

商業用。

2階と3階。

家庭用。

「本当に別なんですね」

宿屋の主人が。

何度も計器を見る。

「ええ」

シェリィが頷く。

「家庭用の熱を」

「1階へ流用しないでくださいませね」

「しませんよ!」

周囲から。

笑い声が起こる。

魔導熱媒液が。

熱導管を通る。

建物用熱交換器へ。

そこで。

熱だけが。

普通の水へ移される。

浴槽へ入るのは。

いつもの水。

魔導熱媒液は。

密閉管の向こう側。

厨房では。

別の熱交換器から。

加熱設備へ。

熱だけを渡す。

「供給温度正常!」

「流量正常!」

「還流側――正常!」

そして。

魔導熱量計が。

静かに数字を刻み始める。

シェリィは。

その数字を見る。

売ったのは。

液体ではない。

石でもない。

熱。

実際に。

使われた分だけ。

◇

夕刻。

北風亭の浴室には。

湯気が満ちていた。

「温かい!」

子供の声。

「走るな!」

大人の声。

笑い声。

宿屋の主人が。

目の前の光景を見る。

「冬に」

ぽつりと。

言う。

「毎日湯を出せるなんて」

今までは。

薪代が。

高すぎた。

だから。

客がいても。

湯を用意できない日がある。

「この料金なら」

主人が。

試算表を見る。

「商業料金でも」

「今までの薪代より安い」

「では」

シェリィが。

契約書を差し出す。

「正式利用を?」

男は。

迷わなかった。

「お願いします」

署名。

それが。

アスタリアで初めての。

商業用熱供給契約になった。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫23日――

アスタリア・簡易温室試験区画

小さな緑が。

土から。

顔を出している。

農民が。

しゃがみ込む。

「……育ってる」

外は。

雪。

それでも。

温室の土は。

凍っていない。

魔導熱媒液から。

熱交換器を通して。

必要な熱だけ。

温室へ。

魔導原石も。

新品ではない。

主熱源試験から外された。

性能80%以下の。

試験用原石。

それでも。

低温用途なら。

十分に役目を果たしている。

農業担当者が。

嬉しそうに言った。

「やっぱり使えます」

「ええ」

シェリィも。

微笑む。

「捨てなくて正解でしたわね」

「これも」

隣にいた研究者が言う。

「もう少しデータを集めます」

「お願いします」

その時。

シェリィの胸の奥が。

温かくなった。

最近。

少しずつ。

分かる。

魔力が。

動く前の感覚。

右手。

淡い黄金色。

ほんの僅か。

指先から。

手の甲へ。

流れる。

出す。

止める。

もう1度。

出す。

止める。

以前より。

自然になっている。

レオンハルトが。

気づく。

「また上達したか?」

「少しだけ」

「試してみるか?」

シェリィは。

温室を見る。

魔導原石。

熱媒液。

熱交換器。

職人。

研究者。

農民。

全てが。

自分の魔力なしで。

動いている。

「いいえ」

「必要ありませんわ」

自分が。

いなくても。

暖かい。

それが。

何より。

嬉しい。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫24日――

アスタリア・領主館執務室

深夜。

新しい帳簿。

その最初のページに。

数字がある。

商業用熱供給収入。

金額は。

小さい。

本当に。

小さい。

だが。

援助ではない。

借金でもない。

公爵家から渡された資金でもない。

アスタリアで。

作った熱を。

アスタリアの宿屋が使い。

その対価が。

支払われた。

シェリィは。

しばらく。

その数字を見つめていた。

「嬉しそうだな」

レオンハルトの声。

「そう見えます?」

「ああ」

「困りましたわね」

「隠す必要があるか?」

シェリィは。

小さく笑った。

「ありませんわね」

帳簿へ。

そっと。

手を置く。

「初めてです」

「アスタリア自身が」

「自分で生み出した収入です」

この金が。

運転員へ。

職人へ。

部品へ。

点検へ。

将来の設備へ。

回っていく。

ただ。

金庫へ貯めるのではない。

回す。

それが。

町を。

生かす。

机の横には。

さらに。

書類が積み上がっていた。

熱供給。

研究。

魔導原石。

魔導熱媒液。

温室。

設備。

調達。

倉庫。

契約。

人件費。

保守。

住民対応。

料金。

「……増えましたわね」

レオンハルトが。

積み上がった紙を見る。

「ようやく気づいたか」

「前から気づいておりました」

「では?」

「認めたくなかっただけです」

シェリィが。

白紙を1枚。

机の中央へ置く。

今まで。

領主館の中で。

必要な人間が。

必要な仕事を。

その都度。

処理してきた。

だが。

もう。

それでは。

回らない。

研究者は。

研究を。

設備担当者は。

設備を。

会計担当者は。

会計を。

商人は。

調達を。

それぞれが。

責任を持って。

動ける組織が必要になる。

「行政と」

シェリィは言った。

「商売も」

「分けなければなりません」

「領地のお金と」

「事業のお金を」

「同じ財布へ入れては」

「いけません」

レオンハルトが。

白紙を見る。

「なら」

「いよいよ」

「組織を作る?」

「ええ」

シェリィは。

白紙の一番上へ。

書いた。

事業組織

それだけ。

まだ。

名前は。

書かない。

「名前は?」

レオンハルトが尋ねる。

シェリィは。

少しだけ。

考える。

そして。

筆を置いた。

「明日」

「皆で決めます」

レオンハルトが。

驚いたように。

眉を上げる。

「君が決めないのか?」

「私だけの組織では」

シェリィは。

窓の外を見る。

町。

試験設備。

宿屋。

温室。

職人。

研究者。

商人。

住民。

「ありませんもの」

魔導熱媒液を。

最初に異常だと気づいたのは。

研究者。

配管の弱点を見つけたのは。

職人。

六曜で巡回する案を出したのは。

設備管理官。

魔導熱量計を作ったのは。

魔導具技師。

店舗と住居を分ける必要を教えたのは。

宿屋の主人。

劣化した原石を温室へ使えると。

気づいたのは。

農業担当者。

シェリィが。

全部を作ったわけではない。

「私は」

静かに言った。

「皆さんが見つけてくださったものを」

「つないだだけですわ」

レオンハルトは。

しばらく。

何も言わなかった。

やがて。

少しだけ。

笑う。

「それが」

「一番難しいのではないか?」

シェリィは。

答えなかった。

窓の外。

極寒の土地。

人口。

およそ1,500人。

何もない。

不毛の土地。

そう呼ばれてきた場所。

その町に。

今日も。

小さな熱が。

流れている。

熱源から。

管へ。

建物へ。

そして。

再び。

熱源へ。

循環する。

金も。

同じだ。

人も。

知識も。

同じかもしれない。

1人で。

抱え込めば。

そこで止まる。

つなぎ。

渡し。

戻し。

また。

次へ。

回す。

そのための。

器が。

必要になっていた。

シェリィは。

白紙へ書いた。

「事業組織」の文字を。

もう1度。

見つめる。

その下は。

まだ。

空白。

翌日。

そこには。

1つの名前が。

書かれることになる。

【第5話改稿について】

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第5話では、アスタリアの熱技術が「実験」から「社会インフラ」へ進み始めました。

今回大きかったのは、シェリィ1人がすべてを発見したわけではないことです。

魔導熱媒液の異常を見つけた研究者。

配管や継ぎ手の劣化を見抜いた職人。

六曜を利用した巡回保守を提案した設備管理担当者。

実際に使用した熱を測る魔導熱量計を作った技師。

店舗と住宅を分ける必要を教えてくれた宿屋の主人。

性能の落ちた魔導原石を温室へ利用できると考えた農業担当者。

シェリィの強みは、すべての専門家になることではありません。

異なる知識と発見をつなぎ、続けられる仕組みへ変えることです。

また、魔導原石は新品時性能の80%を下回ったからといって廃棄されません。

中央熱源という高い信頼性が必要な用途から外し、温室などの低温用途へ回し、さらに再活性化の可能性も研究していきます。

熱導網の点検についても、常時監視、毎日の運転確認、6曜ごとの重点巡回、第5週の月次詳細点検、90日ごとの区画別詳細点検という形で、実験結果を基にした暫定制度が作られました。

そして。

最後にシェリィが認めたのは、

もう、自分1人では管理できない。

ということ。

次回。

増え続けた人、技術、仕事、責任を1つに束ねるため。

アスタリアに、初めて本格的な事業組織が誕生します。

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