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アスタリア大商会起業編 ~無知な母国を置き去りに、極寒の死地を熱で満たします~  作者: IORI


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第47話:1社では造れない、だから企業群で造る

星環暦(せいかんれき)1284年・蒼潮月(そうちょうづき)≪第7月≫29日・土曜(どよう)――

アスタリア・アスタリア大商会本部・大会議室。

大会議室の中央には、昨日まで技術研究部で使われていた熱供給設備の図面ではなく、何も描かれていない大きな白紙が広げられていた。

その周囲にはシェリィ・ヴァルモント、アルノルト(総務財務部長)、エルマー(技術研究部長)、ディートリヒ(熱供給事業部長)、ヘルマン(安全監査室長)が座り、壁際には複数の業務用魔導通信機が並べられている。

《アスタリア企業群業務魔導回線》は、まだ完成していない。

ケストラー魔導機器商会による現地調査は進んでいるものの、本格的な敷設工事へ移る前の段階であり、この日の会議で使われているのは以前から存在する一般の業務用魔導通信だった。

通信機の向こうには、企業群を構成する各商会から選ばれた担当者たちが待機している。

アスタリアへ先行して入っているケストラー魔導機器商会の技術担当者は大会議室へ直接入り、それ以外の商会については王都側から参加する者と、すでに北方の調査へ同行している者に分かれていた。

誰を参加させるかをシェリィが指定したわけではない。

必要な技術と実務を理解している者を、それぞれの商会自身が選んでいる。

それが、この企業群の形だった。

シェリィは全員の接続確認が終わるまで待ち、机上の白紙へ視線を落とした。

「昨日、技術研究部で行った試験によって、現在の熱供給設備をそのまま大型化する案は採用しないことになりました」

通信機越しにも、紙を動かす音が聞こえた。

「理由をご説明いただけますか」

ケストラー魔導機器商会の技術責任者が尋ねた。

エルマーが答える。

「現在の設備は、一定量の魔力を入力すれば、おおむね想定範囲内の熱が得られることを前提に設計しています。しかし、今回確認された熱変換はその前提から外れています」

「最大出力が分からない?」

「それだけではありません」

ディートリヒが続けた。

「入力側の条件そのものが将来変化する可能性があります。今得られている数値だけを上限として設計すれば、設備が完成した時には設計条件そのものが古くなっている可能性があります」

短い沈黙が生じた。

シェリィはそこで言葉を加えた。

「ですから、大きな熱源炉を1基造れば解決するとは考えておりません」

ベルナート精製素材商会の担当者が問い返した。

「では、何を造るのでしょう」

シェリィは目の前の白紙へ筆を置いた。

中央に小さな四角を描く。

「まず熱源があります」

その横へ、もう一つ四角を描いた。

「熱交換」

そこから線を伸ばす。

「送熱するための幹線」

さらに枝を分ける。

「分岐」

その先へ複数の小さな四角を描いた。

「そして、実際に熱を使用する建物です」

筆を置き、全員を見る。

「熱源だけを造っても、人の家は暖まりません」

会議室が静かになった。

「熱を作ることと、熱を安全に届けることは別の仕事です」

シェリィは図を指した。

「熱源・熱交換・送熱管・分岐・温度調整・緊急遮断・監視・点検・修理。すべてがつながって初めて、人の暮らしで使える設備になります」

グローヴァー建設商会の担当者が、すぐに反応した。

「それなら建設側から条件があります」

「お願いいたします」

「地下へ熱導管を通すのであれば、配管だけでは足りません。点検できる場所と、故障した部分へ人間が入れる経路が必要です」

別の担当者が続ける。

「地面を全部掘り返さなければ接合部を交換できない構造では、最初は安くても維持費が高くなります」

「記録してください」

シェリィが言うと、ハインデル商業印刷・紙工商会の担当者が手元の試作帳票へ書き込んだ。

「設計変更事項として記録します。変更理由も必要ですね」

「お願いします」

ベルナート精製素材商会から声が入る。

「配管についても、熱源に近い部分と末端部分を同じ素材で統一できるとは限りません」

エルマーが顔を上げた。

「温度差ですか?」

「温度だけではありません。圧力・接合部への負荷・繰り返し加熱による膨張と収縮もあります。高性能な素材を全区間へ使えば安全側には寄せられますが、費用が無駄に上がる可能性もあります」

シェリィは頷いた。

「では、必要性能を区間ごとに確認してから素材を決めるべきですね」

「その方がよいと思います」

そこでラインフェルト運輸商会の担当者が口を挟んだ。

「素材が決まっても、大型部材を一度に全部送るのは避けたいですね」

「理由をお願いします」

「置き場所を取ります。それに、工事が始まっていない区画の部材まで先に運べば、道路と荷下ろし場を塞ぎます」

ヴァルデン倉庫商会の担当者が続いた。

「施工順が決まれば、こちらで保管区画を分けられます。第1工区・第2工区という形で搬入順に置けば、現場へ出す時も混乱しません」

「所有区分も分けてください」

クララの商会らしい指摘に、アルノルトが反応した。

「アスタリア大商会が購入済みの部材、各商会の所有物、試験用の貸与品を同じ扱いにはしない、ということですな」

「その通りです」

シェリィは会議室を見回した。

まだ設計図は完成していない。

それどころか、話を始めてから問題は増えている。

だが、不思議と不安は感じなかった。

一つの問題が出るたび、その問題を見る角度が増えている。

これまで技術研究部だけで見ていた時には、熱量・魔石・熱交換効率が中心だった。

今は違う。

素材。

施工。

輸送。

保管。

修理。

記録。

そして運用。

技術が、研究室から少しずつ町へ近づいている。

フォルスター車両製作商会の担当者が言った。

「保守についても、最初に考えておいた方がよいでしょう」

「車両ですか?」

ディートリヒが尋ねる。

「はい。完成後に配管や遮断装置を交換するなら、重い部品を現場まで運ぶ必要があります。狭い道路へ大型貨物車を入れられない場所も出てくるでしょう」

「専用車両が必要になる可能性がある?」

「あります。ただし、今すぐ新型を造る必要があるとは申し上げません。既存車両の改造で済むか、まず確認します」

シェリィはその言葉に小さく頷いた。

「その順番でお願いします」

必要だからと、すぐ新しい設備を作る。

それではいくら資金があっても足りない。

既存のものを使えるなら使う。

不足するところだけ新しくする。

それもまた、企業を持続させるための設計だった。

◇

会議が始まってしばらく経った頃、ケストラー魔導機器商会の技術責任者が、別の図面を机へ広げた。

それは熱供給設備の図面ではなかった。

《アスタリア企業群業務魔導回線》の現地調査図だった。

「一つ、確認していただきたいことがあります」

「何でしょう?」

シェリィが身を乗り出す。

「現在検討している通信回線の敷設候補ですが、この区画をご覧ください」

指先が地図上をなぞる。

技術研究部から、将来の支店予定区画へ向かう経路。

そこへディートリヒが熱供給設備の予定線を重ねた。

2本の線が近づいた。

そして、一部ではほとんど同じ経路を通っている。

「重なりますね」

シェリィが言った。

「はい」

技術責任者が答える。

「別々に工事を行うなら問題はありません。ただし、先に熱供給設備を施工し、その数週間後に通信工事で同じ道路を再び掘る可能性があります」

アルノルトが眉を寄せた。

「道路を2度止めることになりますな」

「工事費も増えます」

グローヴァー側から声が入る。

シェリィはしばらく地図を見た。

「でしたら、一度の工事で両方を施工することはできますか?」

「可能かどうかを、これから確認する必要があります」

ケストラー側は即答しなかった。

「熱の影響があります」

ベルナート側も加わった。

「通信設備に使われている素材が、熱供給管の近くで長期間どこまで耐えられるか確認が必要です」

「魔力的な干渉もあります」

ケストラー側が続ける。

「通信は魔力信号を扱います。熱源設備や熱導管の近くで、通信品質に影響が出ない保証はまだありません」

シェリィは頷いた。

「同じ場所へ入れることを前提にはしない方がよいですね」

「はい」

「ですが、最初から別々にする必要もない」

「その通りです」

シェリィは地図を見ながら考えた。

一度道路を掘って熱供給管を埋める。

埋め戻す。

数週間後に再び道路を掘る。

通信設備を入れる。

それは明らかに無駄だった。

だが、工事費を減らすためだけに危険な設備配置を選べば、後で支払う代償はさらに大きくなる。

「実際に試しましょう」

エルマーが顔を上げた。

「通信設備も、ですか?」

「はい」

シェリィは通信網の調査図と熱供給設備の図を並べた。

「同じ地下設備帯へ配置できるのか。どれだけ距離を離せばよいのか。熱が通信へ影響するのか。魔力的な干渉が起きるのか」

ヘルマンが加える。

「片方の設備を修理する際に、もう片方を止めずに作業できるかも確認する必要があります」

「それもお願いします」

ケストラーの技術責任者が少し考えたあと答えた。

「実物に近い状態を作れるなら確認できます」

そこでディートリヒが尋ねた。

「実物に近い状態、とはどの程度です?」

答えはすぐには返らなかった。

シェリィも考える。

配管だけを並べても、実際の負荷は分からない。

住宅と工房では必要な熱量が違う。

昼と夜でも変わる。

設備を動かしている時と止めている時でも条件は変わる。

通信についても、机上で信号を送るだけでは実際の保守環境までは再現できない。

シェリィは白紙へ視線を戻した。

そして、ゆっくり新しい枠を描いた。

「建物を造りましょう」

会議室が静かになった。

アルノルトが最初に反応した。

「建物、ですか?」

「はい。実験のための建物です」

「何棟ほどを想定されていますか?」

シェリィはすぐに数字を答えなかった。

未確定の数字を、話を進めるためだけに作る必要はない。

代わりに、必要な用途を書き始める。

住居。

病院。

店舗。

ホテル。

工房。

エルマーが文字を追った。

「小さな町を作るおつもりですか?」

「町そのものではありません」

シェリィは筆を置いた。

「ですが、実際の町に近い使い方ができなければ、実証にはならないと思います」

住居では、朝と夜に熱需要が増える。

病院では、供給停止そのものが重大な問題になり得る。

店舗には営業時間がある。

ホテルでは多数の部屋が同時に熱と給湯を求める。

工房では住宅より高い温度や、大きな熱量を必要とする可能性がある。

「同じ温度を、すべての建物へ送る必要はございません」

シェリィは言った。

「必要な熱が違うのであれば、建物ごとに調整できる仕組みが必要です」

ディートリヒがすぐに図へ書き込む。

「幹線から分岐した後に、建物単位の熱交換と流量調整を入れる」

「一棟で事故が起きた場合は?」

ヘルマンが問う。

「その建物だけ切り離せるようにしたいです」

「全区画を止めずに?」

「可能ならば」

エルマーが図を見る。

「熱源側も複数系統。建物側も個別遮断。かなり複雑になります」

シェリィは否定しなかった。

「複雑になることと、悪い設計であることは同じではありません」

ただし。

そう続けようとしたところで、グローヴァー側から声が入った。

「複雑にしすぎて、現場の職人が修理できない設備になるのも問題です」

シェリィの口が止まった。

一瞬だけ考え、それから頷く。

「おっしゃる通りです」

会議室にいる何人かがシェリィを見る。

「設計した者しか直せない設備では困ります。保守性も条件へ入れてください」

ハインデル側の担当者が記録へ追加した。

《保守手順・交換手順を含む設計》

その文字を見たシェリィは、少しだけ表情を緩めた。

自分一人で考えていたなら、今の指摘を同じ瞬間に出せたかは分からない。

これが、企業群を使う意味なのだろう。

1社では見落とす。

1部署では気づかない。

だが、違う責任を持つ者が同じ図面を見ると、問題の形そのものが変わる。

◇

午後――

アスタリア大商会・技術研究部・実証予定区画。

会議参加者のうち現地にいる者たちは、技術研究部の建物を出て、敷地の奥へ移動していた。

遠隔参加者との一般業務用魔導通信は継続され、現地側が携行する通信器を通して状況が伝えられている。

目の前には、まだ何も建っていない土地が広がっていた。

技術研究部から遠すぎず、それでいて既存の住宅や工房からは距離がある。

事故が起きれば、研究員・熱供給事業部・安全監査室がすぐ対応できる。

一方で、試験設備に異常が起きても既存市街へ直接影響しにくい。

ヘルマンが周囲を見回した。

「安全監査室としては、この位置なら検討できます」

「検討、ですか?」

シェリィが尋ねる。

「実際の配置を見なければ承認はできません」

返答は明確だった。

シェリィは頷いた。

「もちろんです」

グローヴァー側の担当者が地面へ杭を仮置きしていく。

「熱源設備をこちらへ置く場合、病院を想定した建物は近すぎない方がよいでしょう」

「安定供給が必要なのに?」

ディートリヒが尋ねた。

「近い方が熱損失は減ります。ただし、熱源設備そのものに事故が起きた場合の影響も考える必要があります」

「なるほど」

「それに、病院だけ熱源の近くへ置いて有利な条件にすると、末端側で供給が足りるか試せません」

シェリィが視線を上げた。

「では、一番条件の良い場所だけで試してはいけませんね」

「はい」

実証なのだから、成功しやすい配置だけを選んでも意味がない。

末端。

分岐。

異なる需要。

距離。

それらも含めて試さなければならない。

ラインフェルト側から通信が入る。

『工事用の搬入口も確保してください。大型部材を積んだ貨物車が入れなければ、建設時点で詰まります』

ヴァルデン側が続く。

『仮設保管場所も必要です。雨雪を避ける物と、屋外で構わない物を分けたいですね』

フォルスター側からも声が入った。

『完成後の保守車両が入れる経路も、建設用道路と分けて考えてください。工事が終わったら塞ぐ道路では困ります』

次々に条件が増えていく。

エルマーが苦笑した。

「朝より難しくなっていませんか?」

「なっていますね」

シェリィは素直に認めた。

アルノルトも隣で地図を見ている。

「予算も増えそうですな」

「……それも、そうでしょうね」

「会長」

「分かっております。必要性の確認なしに全部認めるつもりはありません」

アルノルトはそれ以上何も言わなかった。

シェリィは改めて実証予定地を見る。

問題が増えた。

必要な設備も増えた。

検討しなければならない条件も、朝より多い。

だが、それは計画が悪くなったという意味ではない。

シェリィは静かに言った。

「今ここで見つけられる問題は、街へ敷設した後に見つかる問題より、ずっと安く解決できます」

ヘルマンが頷く。

「事故になる前なら、なおさらです」

「はい」

シェリィは地図へ視線を落とした。

素材耐久性。

熱損失。

圧力と流量の偏り。

建物ごとの温度制御。

緊急遮断。

通信への熱影響。

魔力干渉。

点検経路。

故障時の隔離。

積雪時の保守。

部品交換。

将来増設。

そして、現在の素材が将来の熱源条件にどこまで耐えられるのか。

一つも、まだ完全には解決していない。

それでよかった。

解決していないことが分かっているなら、試せる。

分からないことを分かったつもりで街へ埋めてしまう方が、ずっと危険だった。

シェリィは地図の一角へ線を引いた。

技術研究部から近く、既存市街とは切り離せる範囲。

その中に、熱源設備・幹線・通信設備帯、そして住居・病院・店舗・ホテル・工房を配置する余地を残す。

「ここを、《アスタリア熱供給実証区画》といたします」

誰もすぐには答えなかった。

図面を見る。

現地を見る。

互いの担当範囲を見る。

やがてエルマーが尋ねた。

「まず、この範囲だけですか」

シェリィは、線で囲んだ小さな区画の外側へ目を向けた。

その先には、まだ何も描かれていない広い土地がある。

将来、住宅が増えるかもしれない。

工房が増えるかもしれない。

支店が並ぶかもしれない。

さらにその先へ、熱が届く日が来るかもしれない。

だが、それは今日決めることではない。

「はい。まずは、ここだけです」

シェリィは地図へ視線を戻した。

「安全に暖められることを証明してから、次へ進みましょう」

その言葉を合図に、グローヴァー側は測量条件の整理を始め、ケストラー側は通信試験の条件を書き出し、ベルナート側は必要素材の候補を洗い出し始めた。

ラインフェルトは搬入計画を、ヴァルデンは保管区分を、フォルスターは工事・保守車両の条件を確認する。

ハインデルは、そのすべてを同じ計画の中で追えるよう、設計変更票と試験記録票の項目を組み直していた。

1社だけでは造れない。

だから、誰か1社へすべてを押し付けるのでもない。

異なる商会が、それぞれの責任と専門性を持ったまま、一つの仕組みを造る。

まだ地面には、1本の管も埋まっていない。

建物もない。

熱も流れていない。

それでもその日、《アスタリア企業群》は初めて、同じ未来を一枚の設計図の上へ描き始めた。

お読みいただきありがとうございます。

シェリィが持つ特殊な力そのものではなく、その力を安全に社会へ届けるため、《アスタリア企業群》による共同設計が始まりました。

熱源・素材・建設・輸送・保管・車両・記録・通信と、異なる専門分野が一つにつながる一方、実証区画ではまだ多くの課題が残されています。


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