第46話:人ではなく、設備の方が追いつかない
星環暦1284年・蒼潮月≪第7月≫28日・水曜――
アスタリア・アスタリア大商会本部・会長執務室。
朝の執務室では、王都から届いた書類とアスタリア支部設置に関する回答書が机の上にまとめられ、その中には《アスタリア企業群業務魔導回線》についてケストラー魔導機器商会から届いた一次報告も含まれていた。
シェリィは報告書へ目を通してから、机の向かいに立つアルノルト(総務財務部長)へ視線を上げた。
「各商会への聞き取りは、もう終わったのですね」
「はい。各商会が回線を必要としている建物・部署・用途については一通り確認を終え、現在はケストラー魔導機器商会の現地調査班が、実際にどの経路へ回線を通すか、中継設備をどこへ置くか、既存建物へどのように接続するかを確認しております」
「基本設計の確定は、その後ですか?」
「その予定です。机上だけで決めてから現場で修正するより、最初から現地の条件を反映した方がよいとの判断です」
シェリィは頷いた。
その進め方には異論がなかった。
通信網は一度設置すれば長く使う設備であり、工事を始めてから通路の幅や建物の構造、積雪時の保守経路といった問題が判明するより、先に確認した方がよい。
アルノルトはもう1枚の報告書を開いた。
「それと、興味深い回答が一つございます」
「何でしょう?」
「現時点の調査では、今回の業務魔導回線について、設計・機器製作・必要資材の加工・輸送・施工・保管・保守まで、主要工程の大部分を《アスタリア企業群》内で完結できる見込みとのことです」
シェリィの視線が報告書へ戻った。
「外部へ依頼しなくても?」
「特殊な部材や、企業群内で適切な供給先が見つからないものについては別ですが、少なくとも主要工程については外部へ依存しなくても実行できる可能性が高いとの回答です」
通信機器と全体設計を担うケストラー魔導機器商会、施工を担えるグローヴァー建設商会、資材を運ぶラインフェルト運輸商会、保管を受け持つヴァルデン倉庫商会、必要な素材加工に対応できるベルナート精製素材商会、保守用車両を製造できるフォルスター車両製作商会。
それぞれ別の理由で企業群へ加わった商会が、最初の共同事業ではすでに一つの事業工程として繋がり始めている。
「そうですか」
シェリィは少し考えてから、静かに微笑んだ。
「企業群を作った意味が、思っていたより早く形になり始めましたね」
「もっとお喜びになるかと思いました」
「企業群の中だけで仕事を完結させること自体が目的ではありませんもの」
シェリィは報告書を閉じた。
「企業群内に適切な商会があるならお願いします。ただし、外部の方が技術・価格・納期の面で優れている場合まで、内側だけに仕事を回す必要はありません」
「承知しております」
「閉じた集団にしてしまえば、いずれ競争力を失います」
アルノルトは小さく頷いた。
「ケストラー魔導機器商会へも、その原則のまま進めるよう伝えておきます」
「お願いします」
シェリィは次の書類へ手を伸ばしかけたが、扉が静かに叩かれた。
入室の許可を出すと、職員が一礼する。
「技術研究部より、準備が整ったとの連絡です」
シェリィの手が止まった。
「分かりました。参ります」
◇
同日――
アスタリア大商会・技術研究部・大型熱変換試験室。
前に使った実験室よりも広い部屋の中央には、魔石保持部・熱交換器・冷却管・緊急遮断装置を備えた試験設備が組まれていた。
ただし、実際の熱供給施設と比べればまだ小さく、あくまで前回より一段大きな装置に過ぎない。
シェリィが入室すると、エルマー(技術研究部長)・ディートリヒ(熱供給事業部長)・ヘルマン(安全監査室長)がすでに待っていた。
中央の設備を見たシェリィは、すぐに昨日までとの違いへ気づいた。
「魔石との間に、遮断部を増やしたのですね」
「はい」
エルマーが頷いた。
「前回の結果を受けて、会長から流れる魔力を途中で物理的に遮断できる機構と、熱交換側で余分な熱を逃がす経路を追加しました」
ディートリヒが続ける。
「今日確認するのは、この規模でも同じ現象が維持されるかどうかだけです。最大出力を調べる試験ではありません」
「承知しています」
ヘルマンがシェリィを見る。
「会長には、前回と同程度か、それ以下の魔力しか流していただきません」
「はい」
「数値が安全範囲内でも、こちらが停止を指示した場合はその時点で終了します」
「従います」
エルマーが机の上に広げていた設計図を示した。
「実は、試験を始める前に一つお伝えしたいことがあります」
「何でしょう?」
「前回までは、どうすれば十分な熱を取り出せるかを考えていました」
エルマーは少し言葉を置いた。
「今は逆です。どうすれば、取り出し過ぎないようにできるかを考えています」
シェリィは中央の設備を見た。
「私の魔力が足りないことより、設備の方が耐えられない可能性を考えているのですね」
「はい」
ディートリヒが設計図の一部を指した。
「現在の熱供給設備は、一定の魔力を入力すれば、おおむね想定された範囲の熱が得られることを前提にしています。しかし会長の場合、流す魔力量が大きく変わらなくても、魔石から引き出される熱量がその前提を外れる可能性があります」
「しかも、私自身が魔力の扱い方を覚えれば、同じ装置でも結果が変わる」
「その通りです」
シェリィは設計図へ目を落とした。
昨日の自分に合わせて設備を作り始めても、完成する頃には、その基準自体が古くなっている可能性がある。
それならば、設計の出発点を変えなければならない。
「まずは今日の確認をしましょう」
「はい」
実験台の中央には、前回と同じ品質区分に属する最高級魔石が固定されていた。
シェリィは防護線の内側へ入り、右手を魔石保持部へ近づける。
以前より、自分の中にある魔力の位置は分かりやすくなっていた。
量そのものは変わらない。
火・水・風・土・光・闇のいずれかに覚醒した感覚もない。
ただ、自分の中にある細い流れが、どこを通れば指先へ届くのかを少しだけ理解している。
「始めます」
シェリィは、ごく僅かな魔力を流した。
魔石内部へ押し込もうとはしない。
中に存在する力の流れへ、自分の魔力をそっと重ねる。
数瞬後、熱交換器の針が動き始めた。
研究員が測定値を確認する。
ディートリヒは熱量計から目を離さなかった。
装置の中で熱が循環し、冷却管へ温度が伝わっていく。
「反応は維持されています」
エルマーが低く言った。
「小型装置だけで起きる現象ではありません」
シェリィは魔力を増やしていない。
それでも熱量計は十分な値を示していた。
研究員が別の計器へ視線を移す。
「熱交換側、まだ上昇しています」
ヘルマンがすぐに反応した。
「会長、魔力を増やしてはいませんね?」
「増やしていません」
シェリィは自分の感覚を確かめた。
むしろ前回より、力を入れていない。
魔力の通り道が分かるようになった分、余計な力を使わずに済んでいるだけだった。
エルマーの表情が変わる。
「入力そのものは大きく増えていません」
ディートリヒが熱交換器を見る。
「それでも、現在の設備設計で想定していた余裕は、かなり小さくなっています」
ヘルマンが迷わず告げた。
「終了してください」
「はい」
シェリィは即座に魔力を止めた。
遮断装置が作動し、魔石から熱交換部への反応が段階的に落ちていく。
実験室に緊張した空気は残ったものの、異常警報が鳴ることはなかった。
シェリィは防護線の外へ戻った。
「身体に異常はありません」
「魔力の感覚は?」
「前より少し通しやすい程度です。ただ、今日はこれ以上試す必要はないと思います」
ヘルマンが頷いた。
「同意します」
エルマーは記録を確認した。
「これで十分です。大型化しても現象そのものは維持されること、そして現在の設備思想のまま規模だけを大きくするのは危険だということが分かりました」
ディートリヒが設計図へ手を置いた。
「今までの考え方では、会長の現在の出力を基準に最大熱量を決め、その数字に合わせて設備を作るつもりでした」
シェリィは首を横に振った。
「それでは駄目ですね」
「はい」
「私がこれからも変わる可能性がある以上、現在の私を上限として設計するべきではありません」
シェリィは机の上に広げられた図面を自分の前へ引き寄せた。
熱源部。
熱交換部。
供給管。
遮断装置。
そのすべてが、一つの大きな設備としてまとめられている。
「一つの装置へ集中させない方がよいのではありませんか?」
エルマーが顔を上げた。
「分散させる、ということですか?」
「はい。大きな熱源一つへすべてを依存するのではなく、必要に応じて複数の系統へ分けます」
シェリィは図面上を指でなぞった。
「魔石へ流す魔力も段階的に制限できるようにし、必要以上の熱が出た場合には即座に遮断できるようにする。さらに、余剰熱を逃がす系統と、将来熱源部を追加できる余地を最初から設けてください」
ディートリヒが考え込む。
「つまり、現在必要な規模だけで完成形を作らない」
「そうです」
シェリィは頷いた。
「今の私に合わせて完成させるのではなく、私が変わっても壊れない仕組みにしましょう」
室内が静かになった。
エルマーはもう一度、今までの設計図を見た。
「固定出力を前提にしない設備ですか」
「固定するのは出力ではなく、安全の方です」
シェリィは答えた。
「どれだけ熱を出せるかではなく、どこまでなら安全に使えるかを設備側で決められるようにしてください」
ヘルマンの表情が僅かに緩んだ。
「その設計思想であれば、安全監査室としても検討できます」
「熱源を複数系統へ分ければ、一部を停止しても全体が止まらない利点もあります」
ディートリヒが図面へ書き込み始めた。
「保守中に全供給を停止せずに済む可能性もありますね」
「それも含めて考えましょう」
エルマーが顔を上げる。
「会長、この規模になると技術研究部だけでは設計できません」
「分かっています」
シェリィは朝の報告書を思い出していた。
業務魔導回線では、企業群内だけでも主要工程を一通り回せる可能性が見え始めている。
魔導機器。
精製素材。
建設。
輸送。
倉庫。
保守用車両。
別々の商会が持つ技術が、今度は熱供給設備にも必要になる。
「《アスタリア企業群》へ協力を求めましょう」
エルマーが頷いた。
「ケストラー魔導機器商会だけではなく?」
「はい。必要な機能ごとに適切な商会へ参加していただきます。ただし、企業群内だけで完成させることを条件にはしません」
シェリィは続けた。
「外部に必要な技術があるなら使います。大切なのは、誰が作るかではなく、安全で、維持できて、将来の変更にも耐えられるものを作ることです」
「承知しました」
エルマーが現在の設計図をゆっくり閉じた。
その動作を見て、シェリィは尋ねた。
「その図面は?」
「使いません」
エルマーは迷わず答えた。
「今日の結果で前提条件が変わりました。修正では足りません」
そして、新しい紙を机へ置いた。
「最初から設計し直します」
シェリィは静かに頷いた。
最高級魔石がどれほど眠っているのかは、まだ調査の途中だった。
自分の魔力がどこまで変わるのかも、分からない。
熱をどこまで届けられるのかも、まだ決める段階ではない。
それでも一つだけ、確かなことがある。
不足しているのは、シェリィの力ではなかった。
その力を、人々の暮らしを壊すことなく受け止める仕組みの方だった。
そして今、その仕組みを作るための再設計が始まった。
お読みいただきありがとうございます。
シェリィの魔力と最高級魔石の組み合わせは、装置を少し大型化しても高い熱変換を維持しました。
しかし、見えてきたのは単純な「もっと大きな設備を作ればよい」という答えではなく、シェリィ自身が成長することを前提に、安全性・分散運用・段階制御・将来拡張まで考えた設備が必要だという新しい課題でした。
一方、《アスタリア企業群》では業務魔導回線の現地調査が進み、主要工程を企業群内で連携して進められる可能性も見え始めています。
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