第28話:伝聞が、証拠に変わる日
星環暦1284年・炎冠月≪第6月≫10日――
大審院・王国審理大法廷。
炎冠月7日から続けられてきた審理は、ついに最後の家へ到達しようとしていた。
42家という数字だけを見れば、一つの巨大な勢力に見える。
だが実際に帳簿・書簡・証言・資金記録・会合への出席状況を一人ずつ確認していくと、その内実はまるで違っていた。
王位継承順位の変更を主導した者。
計画内容を理解した上で資金を提供した者。
軍や官僚へ接触した者。
書簡を運び、連絡経路を維持した者。
会合へ出席していても、単なる政策協議だと思っていた者。
エドワードを政治的に支持していただけの者。
そして、家族でありながら何も知らなかった者。
首席審理官は、最後の記録へ署名すると顔を上げた。
「これをもって、対象となった42家すべてについて、第一段階の正式審理を終了いたします」
法廷に小さなざわめきが広がった。
終わった。
しかし、それは裁きが終わったという意味ではない。
誰を正式な被告として残すのか。
誰を追加調査へ回すのか。
誰を証人として扱うのか。
誰について不関与を確認するのか。
ようやく、その土台が整ったという意味だった。
国王席から審理記録を見ていたアーサーが、ゆっくりと口を開く。
「これでようやく、“42家の罪”という言い方をしなくて済む」
傍聴席が静まる。
「42家が一つの政治勢力としてエドワードを支持していたことと、42家すべてが同じ犯罪を行ったことは違う」
アーサーは続けた。
「全員を調べた意味は、全員を罰するためではない」
一度言葉を切る。
「罰してはならぬ者を、罪人の列から外すためでもある」
王族席にいたジュリアンは、その言葉を黙って聞いていた。
数日前まで、彼自身も42家という数字を一つの塊として見ていた部分があった。
だが今、壁いっぱいに並んだ人物名を見ると、それがどれほど危険な見方だったのか分かる。
同じ家に生まれたというだけで、人の選択まで同じにはならない。
父親が首謀者でも、息子が計画を知らないことはある。
夫が罪を犯していても、妻が共謀しているとは限らない。
そして反対に、当主が慎重であっても、子や側近が自分の意思で深く関わっている場合もある。
「最終的な罪状整理は、全証拠が揃ってから行う」
アーサーが告げた。
「今は残った食い違いを潰せ」
その言葉を受け、大審院は一つの証言へ再び目を向けた。
ミレーヌ・クロード。
◇
同日――
大審院・女性事情聴取室。
ミレーヌは以前よりもずっと静かだった。
最初の事情聴取では父親の指示と自分自身の意思を必死に分けようとしていたが、今は机に置かれた複数の供述記録を前に、逃げ道が少なくなっていることを理解しているようだった。
向かいに座る女性司法官が、ジェラール・クロード男爵の供述書を開く。
「お父上は、あなたへ王太子交代計画の詳細を説明したことはないと証言しています」
ミレーヌの視線が僅かに動いた。
「……そうですか」
「一方、あなたは以前の事情聴取で、かなり早い段階から『エドワード殿下が王太子になる』という話を聞いていたと述べています」
「はい」
「誰から聞きましたか」
「父だと思います」
「思います?」
ミレーヌは唇を噛んだ。
司法官は責めるような口調にはしなかった。
「日付を確認しましょう」
卒業記念舞踏会より前。
ジェラールが秘密会合へ正式参加した時期。
ミレーヌがエドワードとの会話について友人へ書いた私信の日付。
それらを並べると、一つの矛盾が浮かんだ。
「この手紙を書いた時点では、お父上はまだオルデンフェルト公爵らとの正式な役割分担を終えていません」
ミレーヌは黙った。
「それなのに、あなたはこの時すでに『いずれ殿下が王太子になる』と書いている」
「……」
「誰から聞いたのですか」
長い沈黙が続いた。
ミレーヌの指が膝の上で強く組まれる。
「思い出せません」
「本当に?」
「……」
司法官は机上の書簡を閉じた。
「ミレーヌ嬢。今問われているのは、あなたを追い詰めるための言葉ではありません」
ミレーヌが顔を上げる。
「誰から、いつ、何を聞いたのか。それだけです」
再び沈黙。
やがて、ミレーヌの唇が動いた。
「……殿下です」
司法官の筆が止まる。
「どなたです」
「エドワード殿下ご本人です」
部屋の空気が変わった。
「何と言われましたか」
ミレーヌはすぐには答えなかった。
「正確に思い出してください。推測は不要です」
「……『兄上のままではいられない』と」
司法官が記録する。
「それから?」
「『皆が動いてくれている』と」
「誰が“皆”なのか、説明は?」
「名前までは……その時は」
「他には」
ミレーヌは目を伏せた。
「『いずれ私が王太子になる』と仰いました」
司法官は声を上げなかった。
「その言葉を、エドワード殿下ご本人から直接聞いた?」
「はい」
「一度だけ?」
「……いいえ」
「何度です」
「はっきり覚えているのは2度です」
「内容は同じ?」
「2度目は……」
ミレーヌの表情が強張った。
「『父上も最後には認めるしかない』と」
女性司法官はしばらく何も言わなかった。
それは重要な証言だった。
だが、それだけでエドワードが42家の具体的な違法計画を知っていたと証明できるわけではない。
自分が将来王太子になると語った。
周囲が動いていることを認識していた可能性がある。
国王が最終的に認めざるを得ないと考えていた。
重要ではある。
しかし、まだ足りない。
「その時、軍への接触や王宮工作について話されましたか」
「いいえ」
「オルデンフェルト公爵の名前は?」
「その場では出ていません」
「資金については?」
「聞いていません」
「分かりました」
司法官は筆を置いた。
ミレーヌが不安そうに尋ねる。
「これで……殿下は捕まるのですか」
「それをあなたが決めることではありません」
静かな返答だった。
「そして、私が決めることでもありません」
◇
同日・午後――
大審院・証拠統合室。
ミレーヌの追加供述は、ただちに他の証言と照合された。
「エドワード殿下も了承している」
「殿下もご存じだ」
「殿下の側近から、問題ないと聞いた」
第27話まで何度も現れていた言葉。
今まで問題だったのは、そのほとんどが伝聞だったことだ。
誰かがそう言った。
会合でそう説明された。
側近がそう伝えた。
ならば、その側近は誰なのか。
大審院は今度こそ、その伝聞の流れを逆にたどり始めた。
証言A。
「オルデンフェルト公爵家の会合で、殿下側も了承済みと説明された」
誰が説明したのか。
証言B。
「エドワード殿下付きの者から聞いた」
誰なのか。
証言C。
「殿下のご意向として伝えられた」
誰が持ってきたのか。
証言D。
「王宮側との連絡役を介した」
その連絡役は誰か。
複数の経路をたどっていくと、同じ名前へ行き着いた。
ルーカス・フェルデン。
エドワードの近くで政治日程・面会調整・私的書簡の整理を担当していた側近の一人だった。
ジュリアンが名簿を見る。
「王宮勤務歴は」
「8年です」
「エドワード付きになったのは」
「4年前」
「42家との面会記録は?」
「あります」
担当官が別の帳簿を開いた。
オルデンフェルト公爵家との非公式面会。
レーヴェンタール伯爵側の使者との接触。
クラウゼル伯爵家関係者との連絡。
一つ一つは王子付き側近として不自然とまでは言えない。
問題は、その前後だった。
オルデンフェルト公爵との会合。
その日の夜にエドワードと面会。
翌日、別の貴族家へ連絡。
その後またエドワードへ報告。
一方向ではない。
情報が往復している。
ジュリアンは帳簿から目を離さなかった。
「呼べ」
◇
同日――
大審院・第3事情聴取室。
ルーカス・フェルデンは、最初から顔色が悪かった。
「私は、殿下の政治的なお考えを伝えていただけです」
着席するとすぐにそう話した。
司法官は反論せず、目の前へ面会記録を並べた。
「炎冠月以前、あなたはオルデンフェルト公爵と何度面会しましたか」
「正確には……」
「こちらでは7回確認しています」
ルーカスは黙った。
「そのうち4回は、会合後24時間以内にエドワード殿下と私的面会をしている」
「殿下付きですから、面会すること自体は普通です」
「もちろんです」
司法官は別の記録を置く。
「そしてその後、あなたから別の参加家へ連絡が出ている」
「日程調整です」
「すべて?」
「……」
「内容を確認しましょう」
押収された短い連絡文。
「殿下側、異議なし」
「準備継続」
「諸家の足並みを優先」
どれも短い。
誰が何に異議を持っていないのか。
何の準備なのか。
それだけでは断定できない。
「これはあなたの筆跡ですね」
「はい」
「誰の意思を伝えた」
「……」
「あなた自身の判断ですか」
ルーカスは答えなかった。
司法官がさらに一冊の小さな革表紙の手帳を置いた。
それを見た瞬間、ルーカスの顔色が変わった。
「これはあなたの私物保管箱から押収されたものです」
「……」
「会合内容の備忘録ですね」
「業務用の記録です」
「正式記録ではない?」
「はい」
手帳には日付・面会相手・短い要点が書かれている。
その数ページの間に、一枚の薄い紙が挟まれていた。
司法官がそれを取り出した。
「これを説明してください」
ルーカスは紙を見たまま動かなかった。
短い文章だった。
しかし、その筆跡は手帳の文字とは違う。
王室文書管理官が、すでに予備照合を始めていた。
記された言葉は三つ。
『兄上を退けるには、先に諸家の意思を固める必要がある。』
『父上への上奏は、その後でよい。』
『オルデンフェルト公爵らの準備を止めるな。』
署名はない。
だが筆跡には特徴がある。
司法官が尋ねた。
「誰が書きましたか」
ルーカスは黙ったままだった。
「あなたではありませんね」
「……はい」
「誰です」
「……」
「ルーカス・フェルデン」
声が少しだけ強くなる。
「誰が書いた」
ルーカスは目を閉じた。
長い沈黙。
そして、ゆっくりと答えた。
「エドワード殿下です」
記録官の筆が一斉に走った。
「いつ」
「白耀月の終わり頃です」
「どのような場面で」
「私が……諸家との調整を続けてよいのか、確認した時です」
「エドワード殿下本人へ?」
「はい」
「その時、オルデンフェルト公爵らが何を準備しているのか、殿下は理解していましたか」
ルーカスは唇を結んだ。
「質問に答えてください」
「……全部ではありません」
「全部ではない?」
「細かい役割までは、把握されていなかったと思います」
「では主要部分は」
沈黙。
「王太子殿下を退けるため、複数の貴族家が動いていること」
ルーカスがゆっくり頷いた。
「知っていました」
「資金提供については」
「資金が必要だという話は」
「軍への接触は」
「……軍が動かなければよいという話をされたことがあります」
室内の空気が凍った。
「王宮内部への接触は」
「王宮内に協力者が必要だという話も」
司法官はすぐに続けない。
一つずつ、本人に答えさせる。
「では確認します」
ルーカスの顔から血の気が引いていた。
「エドワード殿下は、オルデンフェルト公爵らがジュリアン王太子殿下を王位継承順位第1位から外すために動いていることを知っていた」
「……はい」
「その動きを止めるよう命じた?」
「いいえ」
「逆に、『準備を止めるな』と書いた?」
「はい」
「父である国王陛下へ正式に上奏する前に、諸家の意思を固めるよう求めた?」
「……はい」
司法官は筆を置いた。
数日前まで、証言の中にだけ存在していたエドワードの意思が、初めて本人の言葉として形を持った。
◇
同日・夕刻――
王宮・国王執務室。
アーサーの前には、問題の覚書が置かれていた。
しかしアーサーは、それを見た瞬間に逮捕命令を出すことはしなかった。
「筆跡は」
王室文書管理官が答える。
「現在、本照合中です。王子殿下が過去に記された公文書・私信・署名付き覚書と比較しています」
「紙は」
「王宮内で用いられている私用書簡紙と一致します。ただし、それだけでは本人性の証明にはなりません」
「改竄の可能性」
「現段階で切り貼り・追記の形跡は確認されていません。さらに調べます」
「発見場所」
「ルーカス・フェルデンの私物保管箱です。押収時には大審院職員2名と王宮監察官1名が立ち会っています」
「保管経路を全部記録しろ」
「承知しました」
アーサーは次に、ルーカスの供述書へ目を落とした。
「この男の証言だけに頼るな」
首席審理官が頷く。
「面会記録・他家への連絡時刻・覚書の日付・既存証言との整合を再確認します」
「ミレーヌの供述も」
「照合中です」
ジュリアンは父の横で、一度も口を挟まなかった。
自分の弟に関する証拠だ。
だからこそ、自分から結論を急ぐべきではないと分かっている。
しばらくして、アーサーがジュリアンを見る。
「何も言わぬのだな」
「私が何を言っても、今は雑音になります」
アーサーの目が僅かに動いた。
「弟だから信じたいと言っても、王太子だから疑うと言っても、どちらも証拠にはなりません」
「その通りだ」
アーサーは覚書へ視線を戻した。
「ならば今夜中に調べ切れ」
首席審理官が頭を下げる。
「はい」
「明朝までに、筆跡・紙・保管経路・証言・面会記録の照合結果をまとめよ」
「承知いたしました」
「一つでも不自然な点があれば、その理由も書け」
「はい」
逮捕命令は、まだ出なかった。
◇
同日・夜――
大審院・証拠統合室。
42家の第一段階審理終了を示す記録が、ようやく最後の棚へ収められた。
机の中央には、それとは別に一つの証拠箱が置かれている。
中にはルーカス・フェルデンの手帳。
問題の覚書。
筆跡照合資料。
面会記録。
ミレーヌ・クロードの追加供述。
各家から得られた「殿下も了承している」という過去の証言。
数日前までは、それらはばらばらだった。
誰かが言った。
誰かから聞いた。
側近が伝えた。
殿下も知っているはずだ。
それだけだった。
今は違う。
ジュリアンが証拠箱の前に立っていた。
そこへアーサーが入ってくる。
「まだいたか」
「はい」
アーサーは覚書を手に取らなかった。
透明な保護板越しに、短い文章を見るだけだった。
しばらくして、静かに言った。
「昨日までは、皆がエドワードの名を口にしていただけだった」
ジュリアンが頷く。
「はい」
アーサーの視線が、覚書の最後の一行へ落ちる。
「今日は違う」
誰も動かなかった。
「本人の言葉が、ここにある」
42家すべての第一段階審理が終了し、政治的支持と具体的な違法行為への関与が切り分けられました。
そして、これまで伝聞としてしか現れなかったエドワード本人の関与について、自筆とみられる覚書と側近の直接証言が見つかります。
ただし、まだ逮捕には進みません。国王アーサーは証拠の真正・保管経路・供述との一致を最後まで確認させます。




