第27話:支持と共謀の境界
星環暦1284年・炎冠月≪第6月≫7日――
大審院・王国審理大法廷。
前日の審理で、アルブレヒト・レーヴェンタール伯爵とリヒャルト・アーデルベルト・オルデンフェルト公爵について、王位継承順位を変更しようとした行為の輪郭はかなり明確になった。
しかし、それで事件の全容が解明されたわけではない。
押収された帳簿・書簡・会合記録・商会間の資金移動・王宮関係者への接触記録・軍関係者の証言は、42家の内部で交差しながら複雑につながっている。
しかも、同じ家の者であっても知っていた内容は同じではなく、同じ会合へ出席した者であっても、ただ政策協議だと思っていた者と、王位継承順位を変更する計画だと理解していた者では責任がまるで違った。
首席審理官は開廷を宣言した後、集められた記録を見渡した。
「本日以降の審理では、政治的支持と、王位継承秩序を違法に変更する行為への参加を明確に区別します」
傍聴席の貴族たちが静かに耳を傾ける。
最上段の国王席に座るアーサーが続けた。
「エドワードを支持していた、という一文だけで有罪の欄へ名を書くことは認めぬ。何を知り、何を行い、どこまで自らの意思で加わったのかを一人ずつ確認せよ」
「承知いたしました」
その日の最初の審理対象として呼ばれたのは、クロード男爵家当主だった。
ジェラール・クロード男爵
男爵が被告席へ立つと、証拠台の上へ数通の書簡が置かれた。
首席審理官が、そのうちの一通を手に取った。
「ジェラール・クロード男爵、あなたは娘ミレーヌに対し、第2王子エドワード殿下へ積極的に接近するよう指示しましたか」
「王族との関係を深めることは、貴族家として珍しいことではありません」
ジェラールは慎重に答えた。
「質問は、その一般論ではありません」
審理官は書簡を開いた。
「『殿下の信頼を得よ』『シェリィ嬢への不満を聞き出せ』『両者の関係を修復しにくいものとせよ』と、あなた自身の筆跡で書かれています」
法廷が僅かにざわめいた。
ジェラールは視線を逸らさなかった。
「婚約関係がすでに悪化していることは、社交界でも知られていました。娘に機会を逃すなと教えただけです」
「どの機会です」
「より高い地位にある方との縁を得る機会です」
「王妃になる機会ですか」
ジェラールの眉が僅かに動いた。
「そこまで具体的な話ではありません」
審理官は別の書簡を示した。
「では、『殿下が王太子となれば、クロード家にも相応の席が与えられる』という記述は何を意味しますか」
今度は答えが少し遅れた。
「将来の可能性について述べただけです」
「その時点で、エドワード殿下は王太子ではありません」
「承知しています」
「ジュリアン王太子殿下が廃嫡される正式な手続も始まっていません」
「それも承知しています」
「それでも、エドワード殿下が王太子になった後の話をしていた?」
ジェラールは黙った。
首席審理官は、さらに別の資料を机上へ置いた。
それはクロード男爵家から押収された、複数の貴族家との往復書簡だった。
直接的に「ジュリアンを廃嫡せよ」と書かれたものは少ない。
代わりに、「殿下の将来」「新たな王太子」「次の宮廷」「然るべき配置」といった曖昧な表現が何度も使われていた。
「男爵、あなたは娘を単に第2王子殿下へ近づけただけだと主張している」
「その通りです」
「では、なぜ同時期に複数家と、王太子交代後の地位について相談しているのです」
ジェラールの口元が僅かに強張った。
「政治の世界では、あらゆる可能性を考えるものです」
アーサーが口を開いた。
「可能性を考えることと、その可能性を作るために娘を使うことは同じではない」
ジェラールが国王席を見る。
「陛下、私は娘に殿下を誘惑しろなどとは――」
「言葉を変えるな」
怒鳴ったわけではない。
それでも、ジェラールは言葉を止めた。
「今問われているのは、娘の恋愛ではない。お前が王位継承変更計画を認識した上で、エドワードとシェリィの関係を壊すことを政治的手段として利用したかどうかだ」
「……」
「そして、それはまだ審理中だ」
最後の一言に、ジェラールが僅かに顔を上げた。
アーサーは有罪だとは言わなかった。
証拠が強いことと、認定が終わったことは違う。
「疑わしいことと、証明されたことを混ぜるな」
その言葉はジェラールにではなく、審理官たちへ向けられていた。
「続けよ」
審理は、さらに細かい書簡の日付と証言の照合へ入った。
◇
同日・午後――
大審院・記録審査室。
クロード男爵の供述と、ミレーヌがすでに行った供述が机の上に並べられていた。
「ここが一致しません」
記録官が指を置く。
ジェラールは、王太子交代後の話を娘へ詳しく伝えていないと証言している。
一方、ミレーヌは、父や周囲の貴族たちから「エドワードが王太子になれば」と繰り返し聞かされていたことを認めている。
ただし、その話を最初に誰から聞いたのかは曖昧だった。
ジュリアンは両方の記録を読んだ。
「食い違いは記録しておけ」
「ミレーヌ嬢を再度呼びますか」
「まだいい」
ジュリアンは首を横へ振った。
「今聞けば、父親の審理内容を意識した答えになる。ほかの証言を先に揃えよう」
「承知しました」
机の端には、別の書類が積まれていた。
その上に書かれた家名を見て、ジュリアンの視線が止まる。
クラウゼル伯爵家。
「次はここか」
「はい。王宮内部への接触記録が最も多い家の一つです」
◇
星環暦1284年・炎冠月8日――
大審院・王国審理大法廷。
グレゴール・クラウゼル伯爵
王都の政治に長く関わってきた伯爵は、クロード男爵よりも落ち着いた表情で被告席へ立った。
審理官の前には、王宮勤務経験者・侍従関係者・下級官僚への接触記録が並んでいた。
「伯爵、あなたの家から複数の者が王宮関係者へ接触しています」
「貴族家が王宮内に知人を持つことは、珍しいことではないでしょう」
「確かに珍しくありません」
審理官は一通の覚書を示した。
「しかし、『王太子側の動向』『近衛の配置』『国王陛下との面会予定』『王太子交代時に協力可能な官僚』を調べることも通常の社交ですか」
グレゴールの目が僅かに細くなった。
「情勢把握だ」
「何のための?」
「政変が起きた時に備えるためです」
法廷の空気が硬くなる。
「政変が起きると知っていた?」
「起こる可能性があると考えていた」
「誰から聞きましたか」
「複数の者からだ」
「エドワード殿下から直接?」
その問いに、グレゴールは首を横へ振った。
「直接ではない」
「では誰から」
「殿下のお考えも同じだと、会合で聞いた」
「誰がそう言いました」
グレゴールは名前を挙げた。
記録官がすぐに書き留める。
しかし、それもまた別の貴族だった。
エドワード本人ではない。
審理官は別の記録を示した。
「王城守護核が強化された後、あなたの家から王宮へ向かった者の一部が入城を拒否されています」
「聞いている」
「その者たちは、第2王子擁立に関する依頼を王宮内部へ持ち込もうとしていた?」
「私は細かい内容まで把握していない」
「指示そのものは?」
「王宮内で協力できる者を確認せよとは命じた」
「王太子交代に協力できる者を?」
グレゴールは答えなかった。
大審院側は、入城を拒否されたという事実だけを犯罪の証拠にはしなかった。
王城守護核は、特定の意思と目的を持った者を拒むことがある。
しかし、それだけで刑事責任を確定させることはできない。
そこで調べられたのは、入城前後の書簡・命令・携行していた文書・接触予定者・本人たちの供述だった。
王宮内部から情報を集める。
王太子側の行動を把握する。
王太子交代が起きた場合に、どの官僚が新体制へ協力するかを確認する。
その準備が、少しずつ形を持って浮かび上がっていった。
アーサーが尋ねた。
「グレゴール」
「はい」
「実際に王宮を掌握できなかったから、罪にならないと考えているか」
伯爵はしばらく黙った。
「成功していない以上、実害は限定されています」
「それは刑を考える際の事情にはなり得る」
アーサーは言った。
「だが、準備そのものが法で禁じられている行為なら、失敗したから存在しなかったことにはならぬ」
グレゴールは何も答えなかった。
《王位継承秩序侵害罪法》は、成功した王位簒奪だけを扱う法律ではない。
具体的な共同謀議・資金供与・実行準備・権力機関への工作が認められれば、未遂や準備段階でも審理対象となる。
その原則が、この日の法廷で改めて確認された。
◇
同日・午後――
大審院・別室審理場。
次に扱われたのは、軍関係者への接触だった。
こちらはさらに判断が難しかった。
押収された書簡の多くには、「反乱へ参加せよ」などという露骨な文言はない。
代わりに、
王太子が正式に交代した場合、軍は新たな王太子へ直ちに従うのか。
王宮内で王位継承を巡る対立が起きた場合、軍は中立を維持できるのか。
王太子直属の部隊と国王直属の部隊で命令が食い違った場合、どちらを優先するのか。
そんな問いが、複数の軍人へ投げかけられていた。
軍務関係者の一人が証言台へ立った。
「最初は、制度上の確認だと思いました」
「いつ不審に思ったのです」
「同じ質問を、別の貴族家からも受けた時です」
「内容は」
「ほとんど同じでした」
審理官が確認する。
「王太子が交代した場合の軍の対応?」
「はい」
「誰かに協力を求められましたか」
「直接にはありません。ただ、『その時に余計なことをせず、正式な命令が来るまで兵を動かさなければよい』と言われました」
法廷の一角で記録官たちの筆が速く動いた。
それは反乱への参加要請ではない。
だが、もしジュリアンを王太子から外す違法な計画と組み合わされていたなら、意味は変わる。
違法な王太子交代が行われる間、軍を動かさせない。
そのための確認だった可能性がある。
ある審理官が言った。
「軍へ接触したというだけで、すべて王位継承秩序侵害と見るべきでは――」
「その通りだ」
アーサーが遮った。
「言葉だけを見るな」
審理官が顔を上げる。
「誰が、いつ、何を準備している最中に、その質問をしたのかを見ろ」
「はい」
「軍制について一般的な質問をした者まで犯罪者にすれば、誰も軍務について議論できなくなる。だが、王太子交代の秘密計画へ参加し、その実行時に軍を動かさないために同じ問いをしたのであれば、話は別だ」
一つの発言だけを切り取らない。
書簡だけを見ない。
資金だけでも決めない。
それらが、何の目的のためにつながっていたのかを確認する。
42家の審理は、想像以上に時間のかかる作業になっていた。
◇
星環暦1284年・炎冠月9日――
大審院・王国審理大法廷。
審理が進むほど、意外な事実も明らかになった。
その日、証言台へ呼ばれた若い貴族は、ジュリアンを見ることを避けなかった。
ユリウス・リヒター
リヒター子爵家の一員であり、卒業記念舞踏会ではミレーヌ・クロードの正式な同伴者を務めた青年だった。
「あなたはエドワード殿下を支持していましたか」
審理官が尋ねる。
「はい」
傍聴席が僅かにざわめく。
ユリウスは続けた。
「少なくとも当時は、ジュリアン王太子殿下よりエドワード殿下の方が、高位貴族の意見を聞いてくださるだろうと考えていました」
ジュリアンは表情を変えない。
「舞踏会でミレーヌ・クロード嬢の同伴者になった理由は?」
「父から頼まれたからです。クロード男爵家との関係を深めるためだと聞いていました」
「ミレーヌ嬢をエドワード殿下へ近づける目的があると知っていましたか」
「知りませんでした」
「王太子交代計画は?」
「知りません」
「秘密会合への参加は?」
「ありません」
「資金提供」
「していません」
「軍人や王宮官僚への接触」
「ありません」
大審院側は、すでにその言葉を裏付ける調査を終えていた。
ユリウスの私信。
家計記録。
当日の行動。
会合への出席者名簿。
父親や使用人の証言。
いずれを調べても、王位継承変更計画に本人が参加した証拠は出てこない。
首席審理官が確認する。
「あなたはジュリアン殿下の政策に反対する発言をしていた」
「しました」
「エドワード殿下が王になった方がよいとも?」
「言いました」
法廷が静かになる。
ユリウスは少しだけ唇を噛んだ。
「それも罪になるのでしょうか」
アーサーが答えた。
「ならぬ」
ユリウスが国王を見る。
「誰を王にしたいと思うかまで、余が臣下の頭の中を支配するつもりはない」
「では……」
「だが、自分の望む王を実際に作るため、法で決められた継承順位を違法に動かせば別だ」
アーサーは大審院へ目を向けた。
「ユリウス・リヒターについて、違法な王位継承変更計画への関与を示す証拠はあるか」
首席審理官が答える。
「現時点までの調査では、確認されておりません」
「ならば、この件の被疑者として扱う理由はない」
傍聴席が大きくざわめいた。
エドワードを支持していた。
ジュリアンの政策にも反対していた。
ミレーヌのすぐ近くにもいた。
それでも、犯罪に参加した証拠がなければ犯罪者にはしない。
「ただし、必要に応じて証人としての出廷を求めることはある」
「承知しました」
ユリウスは深く頭を下げた。
彼が法廷を出た後も、ざわめきはなかなか収まらなかった。
アーサーはそれを静かに眺めていた。
「考えが気に入らぬから裁くのなら、これは審理ではない」
その一言で、法廷は再び静まった。
◇
同日・夕刻――
大審院・証拠統合室。
3日間の審理で得られた証言が、大きな机の上へ集められていた。
クロード男爵家。
クラウゼル伯爵家。
軍関係者へ接触した者たち。
その他、すでに審理を終えた複数家。
それぞれの証言を横へ並べると、何度も同じ言葉が現れた。
「エドワード殿下も了承している」
「殿下も王太子となるおつもりだ」
「殿下の側近から問題ないと聞いた」
「殿下もこの動きを歓迎されている」
「新しい王太子となった後には――」
証拠整理官が眉を寄せた。
「多すぎます」
ジュリアンが資料から顔を上げる。
「何がだ」
「エドワード殿下の名前です」
別の記録官が集計表を差し出した。
「これまでの供述の中で、特定の個人として最も多く名前が出ているのはエドワード殿下です」
室内が静まった。
ジュリアンは一枚ずつ資料を確認した。
名前は確かに多い。
だが、ほとんどの文章には同じ問題がある。
誰かから聞いた。
側近が言った。
会合でそう説明された。
殿下も知っているはずだと言われた。
エドワード本人が直接命じたという証言ではない。
「本人の署名は」
「ありません」
「自筆書簡」
「現在まで確認されていません」
「本人から直接指示を受けたという証言」
「まだありません」
ジュリアンは資料を机へ戻した。
「ならば、まだ動くな」
司法官の一人が戸惑った。
「しかし殿下、これだけ同じ証言が――」
「伝聞だ」
「ですが、数が――」
「100人が同じ伝聞を語っても、最初の一人が誰なのか分からなければ、エドワード本人が知っていた証拠にはならない」
その時、扉の方から声がした。
「その通りだ」
アーサーが入ってきた。
室内の全員が立ち上がる。
「そのままでよい」
アーサーは机へ近づき、積み上げられた供述書を一枚手に取った。
「これほど名前が出ている以上、調べる必要はある」
「はい」
「だが、名前が多いから逮捕するという理屈は認めぬ」
司法官が慎重に尋ねる。
「相手が王子だからでしょうか」
アーサーは首を横へ振った。
「逆だ」
誰も声を出さない。
「王族を特別扱いして証拠の基準を上げるつもりはない。平民であろうが王子であろうが、必要な証拠は同じだ」
アーサーは供述書を机へ戻した。
「だが王子を逮捕すれば、王国中が動く。軍も、貴族も、民も、その意味を考える。その時になって『伝聞でした』では済まぬ」
ジュリアンが父を見る。
「直接証拠を探します」
「ああ」
「42家の残る審理も続けます」
「それでいい」
アーサーは、エドワードの名が何度も書かれた集計表を見つめた。
「王子だから待つのではない」
そして静かに続けた。
「王子を捕らえるからこそ、待つのだ」
42家の審理が本格化し、政治的にエドワードを支持していた者と、実際に王位継承変更計画へ参加した者の切り分けが進みました。
一方で、多くの証言にエドワードの名が現れ始めています。
ただし、現段階ではその大半が伝聞であり、本人の認識や直接関与を証明する証拠にはまだ届いていません。




