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アスタリア大商会起業編 ~無知な母国を置き去りに、極寒の死地を熱で満たします~  作者: IORI


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26/99

第26話:王位を選ぶ権利は、誰にある

星環暦(せいかんれき)1284年・炎冠月(えんかんづき)≪第6月≫6日――

大審院・王国審理大法廷。

朝を告げる鐘が鳴り終わる頃には、王国審理大法廷の傍聴席はすでにほとんど埋まっていた。

通常の民事争いや地方貴族間の紛争を扱う法廷とは異なり、この日の傍聴を許されているのは王族・大審院関係者・司法官・各爵位階級から選ばれた貴族代表・正式な記録官などに限られ、入口では王宮近衛と大審院の警備官が二重に身元を確認している。

法廷の中央には大審院の審理官たちが並び、そのさらに一段高い場所には、セレスティア国王アーサーが座っていた。

その隣ではなく、一段下の王族席にジュリアン王太子が座っている。

今日、ジュリアンは裁く側の中心ではない。

自らの王位継承権が狙われた事件だからこそ、事実認定そのものへ王太子の意思が直接入り込まないよう、審理の進行は大審院が担うことになっていた。

ただし、この王国において最終的な裁可権を持つのは国王である。

アーサーはその権限を持つ者として、自ら審理を見届けるためにここへ座っていた。

首席審理官が立ち上がった。

「これより、第2王子派42家に関する――」

「待て」

アーサーの声が法廷へ落ちた。

首席審理官が言葉を止める。

「陛下?」

アーサーは傍聴席まで見渡した。

「その呼び方を、この審理では用いるな」

法廷が静まり返った。

「エドワードを支持していた家が42家あったという政治上の事実と、その42家すべてが犯罪を行ったという司法上の判断は同じではない」

首席審理官が深く頭を下げる。

「失礼いたしました」

「今日ここで裁くのは、派閥ではない」

アーサーは続けた。

「一人ずつだ」

短い言葉だった。

だが、昨日まで続けられてきた捜査の原則が、正式審理の場でも変わらないことを示すには十分だった。

首席審理官が新しい書面を開く。

「では、個別事件として審理を開始いたします」

最初の名前が読み上げられた。

アルブレヒト・レーヴェンタール伯爵

扉が開き、護衛を伴ったアルブレヒトが法廷へ入ってきた。

拘束されてから数日しか経っていないにもかかわらず、その姿に大きな乱れはない。

衣服こそ簡素なものへ替えられているが、歩き方も、周囲を見る目も、王都有数の大商会を率いてきた頃とほとんど変わらなかった。

被告席へ立つ。

首席審理官が告げた。

「アルブレヒト・レーヴェンタール伯爵、あなたについては、軍需調達における不正会計・秘密資金経路の構築・王位継承順位を違法に変更することを目的とした組織への資金提供その他の行為について審理します」

「承知した」

「まず、事実関係を確認します」

大審院側の司法官が立ち上がり、最初の証拠を示した。

軍需物資の正式契約額。

実際の仕入額。

報告された納入額。

その差額。

差額の一部が送られた商会。

さらにそこから別の商会を経由し、最終的に政治活動資金へ変わっていった記録。

一つ一つなら説明できたかもしれない。

軍需契約なら価格変動がある。

商会間貸付なら珍しいことではない。

政治活動への寄付そのものも、直ちに犯罪になるわけではない。

しかし、日付と金額と送金先を重ねれば、その説明は少しずつ難しくなる。

「この資金移動を指示しましたか」

「した」

アルブレヒトは否定しなかった。

「複数の商会を経由させた理由は」

「直接送れば出所が分かるからだ」

傍聴席の一部が僅かにざわめいた。

「隠す必要があると認識していた?」

「少なくとも、公開すべき金ではないと考えていた」

「王太子殿下を王位継承順位第1位から外し、第2王子殿下をその地位へ置くことを目的とした活動へ使用されることも知っていましたね」

アルブレヒトは少しだけ視線を下げた。

「知っていた」

司法官が次の資料を置いた。

「では、なぜ資金を提供したのです」

「昨日も答えた」

「正式審理ですので、もう一度お願いします」

アルブレヒトは法廷全体を見渡したあと、アーサーへ視線を向けた。

「私は、エドワード殿下個人に忠誠を誓っていたわけではない」

その言葉に傍聴席が再びざわつく。

「私が望んでいたのは、高位貴族や長年王国を支えてきた商会の声を無視しない王だ」

首席審理官が問い返した。

「ジュリアン王太子殿下では、それが不可能だと?」

「殿下が王になれば、軍需契約はさらに公開され、入札と監査が強化され、官職も血縁や推薦より実績を重んじる方向へ進むだろう」

「それが問題だと?」

「問題になり得る」

アルブレヒトは即答した。

「王が全てを直接管理し、古くから国家を支えてきた大貴族・商会・軍組織を弱めれば、王が誤った時に誰が止める」

その主張には、単なる保身だけでは説明できない政治思想があった。

ジュリアンも口を挟まなかった。

アーサーもすぐには何も言わない。

首席審理官が尋ねる。

「だから王太子を交代させる必要があった?」

「少なくとも、その可能性を検討すべきだと考えた」

そこでアーサーが初めて口を開いた。

「アルブレヒト」

「はい、陛下」

「ジュリアンに不正があったか」

法廷の空気が変わった。

「……政策については、問題があると考えていました」

「政策ではない」

アーサーの声は穏やかだった。

「王位継承者の地位を失わせるべき不正だ」

アルブレヒトは答えなかった。

「横領したか」

「確認しておりません」

「外国へ王国を売ったか」

「いいえ」

「国家に対して反乱を企てたか」

「その証拠は持っておりません」

「では、お前は何を証拠としてジュリアンを王太子から外そうとした」

沈黙が続いた。

やがてアルブレヒトが答えた。

「将来の危険です」

アーサーの目が細くなる。

「将来、王権が強くなり過ぎる危険を感じていた」

「それならば、なぜ私のところへ来なかった」

アルブレヒトが顔を上げた。

「国王陛下へ?」

「そうだ」

アーサーは椅子から動かない。

「ジュリアンの政策が王国を危うくすると考えたなら、まず本人へ諫言すればよい」

誰も声を発しなかった。

「それでも改めないのなら、資料を集め、政策上の問題を示し、国王である私へ上奏すればよい」

アルブレヒトの口が僅かに開く。

「だが、お前はそれをしなかった」

「……」

「私へ来るより先に、金を動かした」

アーサーは机上の証拠を指した。

「王太子を諫めることは忠義だ」

短く言う。

「王太子の不正について証拠を揃え、正式な手続によって国王へ上奏することも正当だ」

さらに続ける。

「だが、臣下自身が『王太子を廃すべきだ』と政治運動を始めるなら、それは臣下に与えられた権限を越える」

そして最後に、法廷全体へ向けた。

「仲間・資金・軍・官僚を動かし、実際に法で定められた王位継承順位を変えようとすれば、それは《王位継承秩序侵害罪法》が扱う犯罪となる」

これまで捜査段階で示されてきた境界線が、正式審理の場で初めて明確な言葉となった。

アルブレヒトはしばらく何も言わなかった。

「陛下」

「何だ」

「私が危惧したことそのものは、罪ですか」

アーサーは即答した。

「違う」

「王権が強過ぎると考えることも?」

「罪ではない」

「ジュリアン殿下の政策を嫌うことも?」

「好きに嫌え」

傍聴席の一部から、思わず息を呑む音が聞こえた。

アーサーは表情を変えなかった。

「だが、お前に王太子を選び直す権利はない」

アルブレヒトはゆっくりと目を伏せた。

その後も軍需調達不正・送金経路・会合参加記録について確認が続いたが、この場で刑が言い渡されることはなかった。

大審院が行っているのは、まだ何をしたのかを確定する作業だった。

◇

同日・午後――

大審院・王国審理大法廷。

次に被告席へ立った男を見た時、傍聴席の緊張は午前中よりもさらに強くなった。

リヒャルト・アーデルベルト・オルデンフェルト公爵

王国にわずか3家しか存在しない公爵家の一つを率いる男だった。

その爵位だけで広大な領地・財力・多数の臣下・他の貴族家への強い影響力を持つ。

だが、今日の法廷では公爵という地位も、事実を確認する手続きを省略する理由にはならなかった。

首席審理官が証拠を読み上げる。

秘密会合の開催記録。

参加家への役割分担。

資金担当。

軍関係者への接触担当。

王宮内の協力者候補。

ジュリアンが王太子の地位から外れた後を想定して作成された官職人事案。

さらに複数の書簡。

「これらの会合を主導しましたか」

「主導した」

リヒャルトは迷わなかった。

「他家へ参加を呼びかけましたか」

「した」

「王太子殿下交代後の官職配置案の作成を命じましたか」

「命じた」

「軍関係者との接触について認識していましたか」

「認識していた」

答えは明快だった。

首席審理官が一度資料を置く。

「では、なぜこれらを行ったのです」

「王国のためだ」

法廷にざわめきが広がる。

「静粛に」

審理官が制した。

リヒャルトはアーサーを見た。

「陛下、高位貴族は王の飾りではありません」

「続けろ」

「公爵・侯爵は、国王を補佐し、時には王家が誤ることを防ぐために存在する」

アーサーは否定しなかった。

「ジュリアン殿下の改革が進めば、王都へ権限が集中する。地方貴族の裁量は減り、軍は王家へ集約され、官僚は王宮の基準によって選ばれる」

「それが悪いと?」

「必ず悪いとは言わない」

リヒャルトは強い口調で答えた。

「ジュリアン殿下が優れた王である間は、うまくいくでしょう」

傍聴席が静かになる。

「だが、次の王も優れている保証はない。さらにその次もだ。強い王権は名君の手では国家を強くするが、暴君の手へ渡れば誰も止められなくなる」

ジュリアンは表情を変えなかった。

その主張自体は理解できる。

だからこそ、厄介だった。

アーサーが問いかける。

「その懸念を持つこと自体を、私は罪とは言わぬ」

リヒャルトの目が僅かに動く。

「ならば――」

「だが聞く」

アーサーの言葉が重なる。

「お前はジュリアンを諫めたか」

リヒャルトは黙った。

「本人へ、『この政策は将来王国を危うくする』と正式に意見したか」

「……していない」

「なぜだ」

「受け入れないと思った」

「聞いてもいないのにか」

「殿下の性格は知っている」

アーサーの表情は変わらなかった。

「では、私へ上奏したか」

「していない」

「大審院へ制度上の問題を訴えたか」

「していない」

「ジュリアンが王位継承者として不適格であることを示す犯罪や重大な不正の証拠を集めたか」

リヒャルトは答えなかった。

沈黙そのものが答えだった。

アーサーは机上の官職人事案を手に取った。

「だが、これは作った」

「……はい」

「資金担当も決めた」

「はい」

「軍へ接触する担当も置いた」

「はい」

「ジュリアンを諫める前に?」

「……はい」

「私へ上奏する前に?」

「はい」

アーサーは書類を置いた。

「ならば、お前がしようとしたのは王太子を正すことではない」

法廷が完全に静まった。

「王太子を選び直すことだ」

リヒャルトは真正面から国王を見返した。

「では陛下」

その声には、まだ折れていない意志があった。

「王族が誤った時、臣下は何もできないのですか」

「違う」

アーサーは即座に答えた。

「諫めろ」

一言。

「証拠を集めろ」

二言。

「私へ出せ」

三言。

「必要なら大審院へ出せ」

四言。

アーサーはそこで一度言葉を切った。

「だが、お前たち自身が王を決めるな」

リヒャルトの拳が僅かに握られた。

「それでは臣下は、最終的には国王を信じるしかない」

「当然だ」

あまりにも迷いのない答えだったため、今度はリヒャルトの方が僅かに驚いた。

「私は国王だ」

アーサーは続ける。

「それだけの権限を持っているから、最も大きな責任を負う」

法廷にいる誰もが国王を見る。

「私が間違えれば、臣下には諫める権利がある。証拠を突きつける権利もある。国政の失敗を批判することもできる」

そこで声が低くなる。

「だが、だからといって臣下に王位そのものを私物化する権利を渡した覚えはない」

リヒャルトは何も言わなかった。

アーサーはさらに続ける。

「お前が公爵だから罪なのではない」

その言葉に、傍聴席の高位貴族たちが顔を上げた。

「公爵だったからこそ動かせたものがある」

領地。

財力。

家臣。

軍への影響。

官僚への人脈。

他家へ及ぼす政治力。

「男爵一人ではできなかったことを、お前にはできた」

リヒャルトの視線が僅かに揺れる。

「国から認められた大きな力を持つ者ほど、それを何に使ったかについて大きな責任を負う」

アーサーは言い切った。

「爵位が罰を重くするのではない」

少し間を置く。

「その爵位によって得た力を、何に使ったのかを見るのだ」

この日の審理では、その後も書簡の筆跡・会合参加者の証言・資金担当者との連絡・軍人名簿の入手経緯などが一つずつ確認された。

だが、最後まで刑罰の名が読み上げられることはなかった。

極刑。

禁錮。

爵位剥奪。

領地没収。

そのどれも、まだ決まってはいない。

先に決めるべきものが残っていた。

何が事実なのか。

誰が何を知っていたのか。

どこまで自らの意思で参加したのか。

何を目的として、どの権限を使ったのか。

刑を決めるのは、その後だった。

◇

同日・夜――

大審院・王国審理大法廷。

傍聴人も被告も去り、大法廷には記録を整理する職員だけが残っていた。

アーサーは国王席からまだ立っていなかった。

ジュリアンが静かに近づく。

「父上」

「なんだ」

「今日の審理を見ていて、一つだけ分からなくなりました」

アーサーが息子を見る。

「彼らを、許せませんか」

アーサーはすぐには答えなかった。

昼間までリヒャルトが立っていた被告席へ視線を向ける。

「感情の話をするなら、腹は立っている」

ジュリアンは黙って聞いた。

「私の息子を王太子から引きずり下ろそうとしたからではない」

アーサーの声は静かだった。

「国から大きな力を預けられた者たちが、その力を自分たちに都合のいい継承秩序を作るために使おうとした。そのことには腹が立つ」

「では、重い刑を?」

「だからこそ今は決めぬ」

ジュリアンが父を見る。

アーサーはゆっくりと立ち上がった。

「王が怒りで刑を決め始めれば、今日ここで私が語ったことを私自身が壊す」

大法廷には、2人の足音だけが響いた。

「王太子を嫌ったから罰するのではない」

「はい」

「私に逆らったからでもない」

「はい」

「何をしたのかを確定させる」

アーサーは閉じられた審理記録へ目を落とした。

「罪を認定してからだ」

そして、歩き出す。

「裁くのは、その後でいい」

正式審理が始まり、アルブレヒト・レーヴェンタール伯爵とリヒャルト・オルデンフェルト公爵について、まず何を考えていたかではなく、実際に何をしたのかが確認されました。

王太子への批判・諫言・正式な上奏と、臣下自身が資金・軍・官僚を動かして王位継承順位を変更しようとする行為は別のものです。

まだ刑罰は決まりません。

先に事実と責任を確定させ、その後で国王アーサーの裁可へ進みます。

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