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アスタリア大商会起業編 ~無知な母国を置き去りに、極寒の死地を熱で満たします~  作者: IORI


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25/99

第25話:家名ではなく、罪を見る

星環暦(せいかんれき)1284年・炎冠月(えんかんづき)≪第6月≫5日――

セレスティア王宮・臨時証拠整理室。

王都の市場では小麦・塩・食用油・薪が再び並び始めていたが、王宮の一角では、それとはまったく異なる種類の数字と名前が夜を越えて整理され続けていた。

広い部屋の壁には、第2王子エドワードを支持していた42家の家名が掲げられ、その下には当主・配偶者・成人した子供・家令・財務担当者・軍関係者など、捜査対象となり得る人物の名前が一人ずつ書き加えられている。

オルデンフェルト公爵家の欄だけを見ても、同じ家名の下に複数の人物が並んでいた。

リヒャルト・アーデルベルト・オルデンフェルト公爵

アデライーデ・マリア・オルデンフェルト公爵夫人

フリードリヒ・リヒャルト・オルデンフェルト

カール・アルブレヒト・オルデンフェルト

その横には、証拠確認済み・追加確認・事情聴取・証人候補・不関与確認という異なる札が置かれていた。

「家ごとに同じ印を付けるな」

書類を確認していたジュリアンが、記録官へ静かに告げた。

「オルデンフェルト公爵が何をしたかと、公爵夫人が何をしたかは別だ。長男と次男も同じではない」

「承知しました、殿下」

「レーヴェンタール伯爵家も、クラウゼル伯爵家も、クロード男爵家も同様だ。父親の罪を子供へ移すな。夫の行為を妻へ移すな。逆も同じだ」

記録官は頷き、家名の横へまとめて付けられていた札を外した。

代わりに、人物ごとの欄へ一枚ずつ置いていく。

42家。

その数字だけを見れば、一つの巨大な派閥に見える。

だが、その家々の中には計画を主導した者もいれば、資金を出した者、軍人へ働きかけた者、書状を運んだだけの者、政治的にはエドワードを支持していても違法な計画を何も知らなかった者、そして家族の立場にいただけで政治そのものへ関わっていなかった者もいる。

それらを一つにまとめれば、捜査ではなく報復になる。

ジュリアンは机の上に置かれた最初の事情聴取記録を手に取った。

「レーヴェンタール伯爵から始める」

◇

同日――

王宮・第2事情聴取室。

アルブレヒト・レーヴェンタール伯爵は、昨日と同じ落ち着いた表情で椅子に座っていた。

机の向こうには司法官2名と王国銀行の監査官が座り、中央には押収された帳簿・軍需契約書・送金記録が並べられている。

「こちらの軍需契約について確認します」

司法官が一枚の契約書を示した。

「正式な納入価格と、実際に軍需部門へ報告された価格に差があります」

「ある」

アルブレヒトは否定しなかった。

「差額の一部は、複数の商会を経由した後、政治活動資金として移されていますね」

「記録がそう示しているなら、そうなのだろう」

「ご自身で指示したのでは?」

「指示した」

監査官が筆を止めた。

想定より早く認めたからだ。

司法官は表情を変えず、次の資料を出した。

「その資金の一部が、王太子殿下を王位継承順位第1位から外し、第2王子殿下をその地位へ置くための活動へ使われると認識していましたか」

アルブレヒトはすぐには答えなかった。

長い沈黙の後、指先を組んだ。

「エドワード殿下を王にしたかったのかと聞きたいのだろう」

「その点も確認します」

「ならば答えは違う」

司法官が目を上げた。

「私が欲しかったのは、我々の話を聞く王だ」

室内の空気が少しだけ変わった。

「ジュリアン殿下が王になれば、軍需調達はさらに公開され、入札は増え、古くから軍と取引してきた商会であっても実績だけでは優遇されなくなる。高位貴族の推薦で官職へ就ける人数も減るだろう」

「それが不満だった?」

「不満というより、危険だと思った」

「何が危険なのです」

「王権が、あまりにも多くを直接見るようになることがだ」

アルブレヒトの声には、言い逃れをする者の軽さがなかった。

「王が強くなり過ぎれば、その王が誤った時に止められる者がいなくなる。大貴族と王家が互いに依存し、互いに抑える仕組みの方が長く続くと私は考えた」

司法官は少し間を置いた。

「だから、王位継承順位を変えようとした?」

「だから、変える側へ金を出した」

「違法だと理解していましたか」

その質問には、アルブレヒトもすぐには答えなかった。

「完全に合法だと思っていたなら、帳簿を分ける必要はなかっただろう」

静かな返答だった。

司法官はそれ以上追及せず、記録官へ視線を送った。

まだ判決ではない。

だが、何を知り、何を選んだのかを確認するためには十分に重要な言葉だった。

◇

同日――

王宮・第4事情聴取室。

リヒャルト・アーデルベルト・オルデンフェルト公爵は、椅子へ深く腰を掛けることなく、背筋を伸ばしたまま司法官を見ていた。

机には秘密会合の記録・各家への役割分担・王太子交代後の官職案が並べられている。

「こちらは閣下の書斎から押収されたものです」

司法官が人事案を示した。

「王太子殿下が正式に廃された事実がない段階で、すでにその後の官職配置が作成されています」

「見れば分かる」

「作成を指示したのは閣下ですか」

「そうだ」

「なぜです」

リヒャルトの眉がわずかに動いた。

「政治とは、結果が出てから考え始めるものではない」

「王太子殿下を王位継承順位第1位から外す結果を、あらかじめ予定していたという意味ですか」

「可能性として準備した」

「その可能性を実現するために、他家を集めた?」

「議論はした」

「資金担当を置いた?」

「置いた」

「軍関係者へ接触する担当も?」

「いた」

司法官は一度記録を確認した。

「それでも、閣下はご自身の行為を王位継承秩序への侵害だとは考えていない」

「考えていない」

リヒャルトは即答した。

「公爵とは何のために存在する」

司法官は黙った。

「国王を支え、王国を支えるためだ。王が誤れば諫め、王国が危うければ動く。それが大貴族の責任だ」

「王太子を諫めましたか」

初めて、リヒャルトの言葉が止まった。

「ジュリアン殿下本人へ、政策への懸念を正式に伝えましたか」

「……伝える必要があるとは思わなかった」

「では、国王陛下へ証拠を添えて上奏しましたか」

「何の証拠だ」

「ジュリアン王太子殿下が王位継承者として不適格だと判断する根拠です」

リヒャルトは答えなかった。

司法官は人事案を机へ戻した。

「公爵家には国王を補佐する責任がある、それは否定しません。しかし、補佐することと選ぶことは同じでしょうか」

「言葉遊びだ」

「いいえ」

司法官は静かに首を横へ振った。

「王太子殿下に問題があるなら諫めることができ、証拠があるなら国王陛下へ上奏できます。それでもなお臣下自身が仲間・資金・軍への影響力を使い、法で定められた王位継承順位を変更しようとする権限まで与えられているのか、それをこれから審理するのです」

リヒャルトはしばらく司法官を見つめていた。

やがて目を細めた。

「なるほど」

「何でしょう」

「私が何を考えたかではなく、どこまで動いたかを見るつもりか」

「思想を裁く場ではありませんので」

リヒャルトは僅かに笑った。

「それならば、存分に調べるがいい」

◇

同日――

王宮・証拠整理室。

オルデンフェルト公爵家の別の記録が机へ置かれた。

「長男フリードリヒ・リヒャルトについて、追加確認が終了しました」

担当官の報告に、ジュリアンが顔を上げる。

「結果は」

「父親がジュリアン殿下の政策に反対する貴族連合を作っていることは知っていましたが、王位継承順位そのものを変更する計画について知らされていた証拠がありません」

「資金提供は?」

「なし」

「秘密会合への出席」

「なし」

「書簡」

「通常の領地経営と、公爵家内部の業務連絡のみです」

「証言は」

「複数の使用人と財務担当者が一致して、長男には秘密帳簿を見せていなかったと証言しています」

ジュリアンは記録を読み直した。

「では、現段階で被疑者扱いは解除する」

担当官が頷いた。

「承知しました」

「ただし、父親の領地経営に関する証人になる可能性はある。連絡先だけ確保しておけ」

「はい」

次に別の資料が出された。

「公爵夫人アデライーデ・マリアについても、政治的な考えを夫と共有していた形跡はありますが、違法な王位継承変更計画への具体的な参加は確認できません」

「政治的に夫を支持していた、というだけか」

「現時点では」

「それなら犯罪ではない」

ジュリアンは迷わなかった。

同じ公爵家。

同じ屋敷。

同じ食卓。

それでも、責任は同じではない。

一方、次男カール・アルブレヒトについては別だった。

「秘密書簡2通を運び、若手貴族への接触を行ったことは本人も認めています」

「内容を知っていたか」

「最初の1通については否認していますが、2通目については王太子交代後の協力依頼だと理解していたと認めました」

ジュリアンは記録へ目を落とした。

父が有罪の可能性を持ち、長男は不関与、次男は具体的な協力行為を認める。

家名だけで見れば、どれも同じオルデンフェルトだ。

だが、やったことは違う。

「分けて記録しろ」

ジュリアンが言った。

「一人ずつだ」

◇

同日――

王宮・女性事情聴取室。

ミレーヌ・クロードは、昨日よりも明らかに顔色が悪かった。

机を挟んで座る女性司法官の前には、父ジェラール・クロード男爵の書斎から押収された書簡が数通置かれている。

「もう一度確認します。卒業記念舞踏会以前、父親からエドワード殿下へ接近するよう言われましたね」

「……社交の範囲ですわ」

「この書簡には、『殿下の信頼を得よ』『シェリィ嬢への不満を聞き出せ』『できれば両者の関係を修復不能にせよ』とあります」

ミレーヌの指が僅かに震えた。

「お父様は、私に王族との人脈を作らせたかっただけです」

「では、王太子交代計画については?」

「知りませんでした」

「一度も?」

「ええ」

女性司法官は別の書簡を開いた。

「あなた自身の筆跡ですね」

ミレーヌが目を伏せた。

「エドワード殿下が王太子になれば、クロード家の立場も変わる、と書かれています」

「それは……お父様から聞いた話を書いただけです」

「その下には、『その時、私が殿下の隣にいられれば』ともあります」

沈黙が落ちた。

ミレーヌの唇が強く結ばれる。

「殿下は私に優しかったのです」

女性司法官は急かさなかった。

「シェリィ様は何でもできて、誰からも正しいと言われて、殿下の婚約者であることまで当然のように受け入れられていた」

声が少しずつ震え始める。

「私はただ……私を見てくださる方のそばにいたかっただけです」

「シェリィ嬢を排除すれば、自分がその場所へ入れると思った?」

「排除なんて!」

ミレーヌは顔を上げた。

「私は追放しろなんて命令していません!」

「命令したとは聞いていません」

「では、何を!」

「あなた自身がどこから自分の意思で動いたのかを確認しています」

その言葉に、ミレーヌは再び黙った。

父に言われた。

最初は、それで済んだ。

エドワードへ近づけ。

シェリィとの間へ入れ。

不満を引き出せ。

だが、いつからか、ミレーヌ自身が次の光景を想像していた。

シェリィがいなくなった場所。

エドワードの隣。

王宮。

そして、自分へ頭を下げる者たち。

「……王妃になれるかもしれないとは、思いました」

声は小さかった。

女性司法官は何も言わない。

「でも、だからといって全部私が考えたわけではありません。お父様が……周りの方々が、殿下ならきっと王太子になれると……」

「その話を聞いた後も、殿下への働きかけを続けた?」

ミレーヌは答えなかった。

それでも、完全な否定はもう出てこなかった。

女性司法官は筆を置く。

「今日はここまでにします」

「……私はどうなるのですか」

「それを決める段階ではありません」

ミレーヌが不安そうに顔を上げる。

「今は、あなたが何を知り、何を選び、何をしたのかを調べています」

判決はまだない。

だが、父の指示という一言だけでは片付かない場所まで、捜査は届き始めていた。

◇

同日・午後――

セレスティア王宮・国王執務室。

アーサーの前には、朝よりも厚くなった捜査報告書が置かれていた。

「第2王子派42家について――」

報告を始めた司法官の言葉を、アーサーが遮った。

「その呼び方は、この場ではやめろ」

司法官が戸惑った。

「陛下?」

「42家がエドワードを支持したことと、42家すべてが犯罪を行ったことは同じではない」

ジュリアンは黙って父王を見る。

「エドワードを支持していたかどうかではなく、何をしたかを報告せよ」

「失礼いたしました」

司法官は資料を持ち直した。

アーサーは一度だけ室内を見渡した。

「王太子を諫めることは忠義だ。王太子に不正があるなら証拠を揃え、国王へ上奏することも正当だ」

誰も口を挟まない。

「臣下自身が王太子を廃すための政治運動を始めれば、それは与えられた権限を越える。そして仲間・金・軍・官僚を動かし、実際に王位継承順位を変えようとすれば、《王位継承秩序侵害罪法》の対象となる」

それだけ言うと、アーサーは報告書へ視線を戻した。

詳しい判断は審理で行う。

今は原則だけで十分だった。

「続けよ」

司法官が報告を再開する。

首謀者と見られる者。

資金面で関与した者。

軍関係者への工作に関与した者。

王宮内部への働きかけを行った者。

内容を理解した上で書簡を運んだ者。

一部しか知らされていなかった者。

政治的にはエドワードを支持していたが、違法な行為への関与が確認されなかった者。

何も知らなかった家族。

それぞれが、少しずつ別の欄へ分けられていった。

「正式審理へ送れる者は」

アーサーが尋ねた。

「首謀・中核層を中心に、すでに複数名について証拠が整っています。ただし、補助的な立場の者については追加確認が必要です」

「急ぐな」

アーサーは言った。

「市場が落ち着いたからといって、裁きを急ぐ理由にはならぬ」

「はい」

「大審院へ送る者は、一人ずつ罪状と証拠を分けろ。同じ家だから、同じ会合へいたから、という書き方は認めない」

司法官が深く頭を下げた。

「承知しました」

「正式審理には私も臨席する」

室内に僅かな緊張が走った。

「国王陛下ご自身が、ですか」

「王位継承秩序に関わる事件だ。最終的な責任を他人へ預けるつもりはない」

アーサーの目は厳しかった。

「ただし、私は処刑する者を探すために座るのではない」

ジュリアンが静かに父を見る。

「誰が何をし、何を知り、どの力を何のために使ったのかを見る」

アーサーは報告書を閉じた。

「爵位が高ければ、それだけ国から認められた権限も大きい。その力を王国を支えるために使ったのか、王位継承秩序を自分たちの都合で変えるために使ったのか、それは重く見る」

それ以上、刑については語らなかった。

まだ判決の時ではない。

◇

同日・深夜――

セレスティア王宮・臨時証拠整理室。

朝から絶えず動いていた記録官たちがようやく筆を置き始めた頃、壁に掲げられた資料は朝とはまるで違う姿になっていた。

42の家名の下には、それぞれ別々の人物名が並び、その横へ被疑者・追加調査・証人・不関与確認という異なる札が付けられている。

同じ家であっても、一人は正式審理候補、一人は証人、一人は不関与確認という例すらあった。

ジュリアンは一人でその壁を眺めていた。

「まだ起きていたか」

背後から聞こえた声に振り返る。

アーサーだった。

「陛下」

「そのままでよい」

アーサーはジュリアンの隣へ立った。

しばらく、親子とも何も言わなかった。

そこに並ぶ名前の一つ一つには、人生がある。

父親。

母親。

息子。

娘。

夫。

妻。

領主。

商人。

軍人。

一つの家紋の下で生きてきた者たちでも、選んだ行動は同じではない。

「ジュリアン」

「はい」

アーサーは壁を見たまま言った。

「これから審理が始まれば、もっと難しくなる」

「承知しています」

「怒りも出る。王太子派から、まとめて処罰しろという声も出るだろう。反対に、貴族だから見逃せという者もいる」

ジュリアンは答えなかった。

「どちらにも流されるな」

アーサーがようやく息子を見る。

「家名を裁くな」

短い沈黙が落ちる。

「人が何をしたのかを裁け」

第2王子を支持していた42家の捜査は、家単位ではなく、一人ひとりの行為を確認する段階へ入りました。

同じ家族であっても、計画を主導した者・一部に協力した者・政治的に支持しただけの者・何も知らなかった者では責任が異なります。

次はいよいよ、集められた証拠をもとに正式審理へ進んでいきます。

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