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アスタリア大商会起業編 ~無知な母国を置き去りに、極寒の死地を熱で満たします~  作者: IORI


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第2話:『知略の対価と、揺らぐ王国』

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫8日――

アスタリア・領主館臨時実験室

黒色鉱石の本格的な調査は、朝から始まっていた。

昨日までなら、暖房用の薪や壊れた道具が置かれていた領主館の一室。

そこへ急ごしらえの作業台が運び込まれ、鉱石を切断するための工具、重量計、温度計測用の魔導具、金属容器、記録用の羊皮紙が所狭しと並べられている。

グラン・アルスターからレオンハルト大公が連れてきた鉱物技師たちも参加していた。

シェリィ・ヴァルモントは、机の前に立ったまま試験記録へ視線を落とす。

「もう一度、条件を確認いたします」

部屋にいる全員が手を止めた。

「昨日確認された発熱反応は、あくまでも偶発的なものです。現時点で、この鉱石を資源と呼ぶことは禁止いたします」

技師の1人が僅かに首を傾げる。

「しかしシェリィ様、実際に熱を発したのでは?」

「1度の成功は、再現性の証明にはなりませんわ」

シェリィは即答した。

「さらに言えば、昨日の現象は私自身から漏れた魔力が触れたことで発生しております。正確な投入量すら分かっておりません」

あれは、自分の意思で魔力を使ったわけではない。

石へ触れた瞬間。

深く封じられているはずの力が、ほんの僅かに滲み出ただけ。

シェリィ自身にも、何が起こったのか分かっていなかった。

だからこそ。

今日の試験では、自分の魔力を使わない。

誰が行っても同じ条件を作れる試験用魔導具を使用する。

「調べる項目はこちらです」

シェリィが紙を示す。

採取地点。

重量。

硬度。

含有物。

投入魔力量。

発熱温度。

発熱時間。

連続使用の可否。

再使用した場合の変化。

粉砕した場合。

水と接触した場合。

人体への影響。

煙や臭気の発生。

土壌や地下水への影響。

保管時の安定性。

輸送時の安全性。

さらに、異常発熱が起きた場合の停止方法。

レオンハルトが紙を覗き込んだ。

「……随分多いな」

「最初の項目だけですわ」

「これで最初?」

「人が使うものですもの」

シェリィは不思議そうに答えた。

「当然ではございません?」

レオンハルトが肩を揺らして笑う。

「普通は、金になると分かった時点で鉱山を押さえようとする」

「まだ金になるとは分かっておりません」

「では、もし莫大な利益を生む石だったとしても?」

「危険なら売りません」

迷いはなかった。

だが、すぐにシェリィは言葉を付け加える。

「正確には、安全性を確立するまで売れない、ですわね」

「利益より安全を優先するのか」

「いいえ」

その返答に、レオンハルトが目を細める。

「安全だからこそ、長期的な利益になるのです」

事故が起きる。

人が傷つく。

危険な資源という評判が広がる。

市場から信用を失う。

規制される。

投資家が離れる。

最後には、事業そのものが潰れる。

前世で。

シェリィは似た例をいくつも見てきた。

短期利益だけを追い、安全や環境への投資を削った企業。

都合の悪いデータを隠した結果、市場から見放された組織。

危機が起きてから莫大な費用を支払う国家。

「利益を得たいからこそ、安全を調べるのですわ」

「君は本当に18歳か?」

「あら」

シェリィは微笑んだ。

「昨日も同じことを聞かれましたわね」

「今日も聞きたくなった」

「答えも昨日と同じです」

「18歳ですわ」

◇

2時間後――

アスタリア・領主館臨時実験室

1個目。

魔力投入。

反応なし。

2個目。

僅かな温度上昇。

3個目。

緩やかな発熱。

4個目。

急激に温度が上昇し、試験中止。

5個目。

発熱したものの、短時間で温度が下がった。

シェリィは全て記録させた。

成功だけではない。

失敗も。

「こちらの試料は廃棄しますか?」

技師が、反応しなかった1個目を指差す。

「いいえ。保存してください」

「ですが、使えない石です」

「それはまだ分かりません」

シェリィは石を見る。

「なぜ反応しなかったのか」

「なぜ他の石は反応したのか」

「その差を調べなければ、成功条件も分かりませんわ」

採取地点。

地層。

純度。

混ざっている鉱物。

含水量。

温度。

魔力。

必ず何か違いがある。

「成功したものだけ残してしまえば、何でも成功しているように見せられます」

シェリィは淡々と言った。

「研究で一番怖いのは、欲しい結果だけを見ることですわ」

レオンハルトが腕を組んでいる。

「……耳が痛い研究者は多そうだ」

「研究者に限りません」

シェリィは微笑む。

「政治家も、商人も、王族も同じです」

「見たいものだけを見るようになれば、判断を誤ります」

その言葉に。

レオンハルトは、ふっと笑った。

「随分と実感がこもっているな」

「最近、良い実例を拝見いたしましたので」

誰のことか。

聞く必要もなかった。

◇

試験は続いた。

ところが。

7個目の鉱石で問題が起きた。

「温度が落ちています!」

技師の声が上がる。

試験用魔導具から供給されている魔力量は一定。

鉱石も破損していない。

にもかかわらず。

計測器の針が少しずつ下がっていく。

「供給量を確認」

「規定値です!」

「魔導具の不具合は?」

「ありません!」

シェリィが作業台へ近づく。

先ほどまで安定していた条件。

だが。

同じことをしているはずなのに。

結果だけが違う。

「一旦停止を――」

そう言いかけた時だった。

隣の部屋から。

小さな咳が聞こえた。

「こほっ……」

シェリィが振り返る。

この試験には、現地住民の代表者たちにも立ち会ってもらっていた。

自分たちの土地から掘り出されたものを調べるのだ。

結果も。

危険性も。

できる限り隠さない。

その中に。

母親に連れられた幼い少女がいた。

厚い毛織物を何枚も重ねている。

それでも。

少女の肩は、小さく震えていた。

母親が自分の外套を外し。

娘の肩へ掛ける。

「お母さんは?」

「私は大丈夫よ」

そう言う母親自身の指も。

寒さで赤くなっていた。

シェリィの視線が止まる。

資料では知っていた。

薪の不足。

暖房費。

冬季死亡率。

病気。

寒さ。

全て。

数字として理解していた。

だが。

今。

目の前にいる。

寒さに震える子供は。

数字ではない。

この土地で。

毎年。

当たり前のように。

冬を耐えている人間。

(……暖めたい)

政策ではなかった。

投資でも。

産業戦略でも。

市場分析でもない。

ただ。

そう思った。

(この子を)

そして。

少女の母親を見る。

(この人たちを)

窓の外には。

白い町。

煙の少ない煙突。

冷たい風。

この土地で暮らす人たち。

(暖めたい)

――どくん。

胸の奥で。

何かが脈打った。

シェリィの目が見開かれる。

「……え?」

心臓とは違う。

もっと深い場所。

18年間。

自分でも触れることのできなかった場所。

そこに。

確かに。

何かがある。

――どくん。

もう一度。

次の瞬間。

身体の内側を。

温かなものが流れた。

右手。

腕。

肩。

胸。

そして。

指先。

「シェリィ?」

レオンハルトの声。

シェリィは答えられない。

自分の右手が。

淡い黄金色の光を帯びていた。

「……これは」

周囲の魔導士たちが息を呑む。

しかし。

その中で。

誰より驚いているのは。

シェリィ自身だった。

知識はある。

魔力の流れとは何か。

魔力操作とはどういうものか。

理論ならば。

同年代の誰より理解している。

しかし。

実際に。

自分自身の魔力が。

身体の中を流れている。

この感覚は。

初めてだった。

昨日とは違う。

昨日は、知らないうちに漏れた。

今は。

分かる。

自分の中に。

力がある。

そして。

ほんの少しなら。

動かせる。

「……私の魔力……?」

シェリィは。

ゆっくりと手を見る。

幼い頃から。

使えないと言われた。

魔法なし。

理論だけ。

公爵家の失敗作。

そして数日前。

エドワードから。

攻撃魔法の1つも満足に扱えない女。

そう言われた。

だが。

今。

確かに。

自分の魔力が。

そこにある。

ほんの僅か。

巨大な扉の向こうから。

細い光が差し込んだ程度。

それでも。

存在する。

その時。

少女が。

また咳をした。

シェリィは顔を上げる。

今。

自分が何者なのかを考えている場合ではない。

「試します」

「待て」

レオンハルトが即座に止める。

「自分でも分かっていない力だろう」

「ええ」

「なら危険だ」

「大量には使いません」

「しかし――」

シェリィは。

レオンハルトを見る。

「昨日」

静かな声だった。

「この石は、私から漏れた僅かな魔力へ反応しました」

そして。

黒い鉱石へ視線を戻す。

「今なら、その時より少ない量で」

「自分の意思で試せるかもしれません」

レオンハルトは。

しばらくシェリィを見つめた。

やがて。

「異常があれば即座に中止しろ」

「もちろんです」

シェリィが手を伸ばす。

指先を。

黒色鉱石へ近づける。

触れる直前。

一瞬だけ。

怖かった。

18年前。

自分を守るために。

5人の大切な人たちが封じた力。

それを。

自分から触ろうとしている。

けれど。

その先に。

寒さに震える人がいる。

「……少しだけ」

シェリィは。

目を閉じた。

自分の中にある。

温かなもの。

それを。

無理に引きずり出さない。

ただ。

流れる方向を。

ほんの少し。

変える。

(お願い)

誰に願ったのか。

自分でも分からない。

(この人たちを、暖める力を――)

指先から。

淡い黄金色の光が流れた。

ほんの一筋。

それが。

鉱石へ触れる。

瞬間。

黒い石の内部を。

細い光が走った。

「温度上昇!」

技師が叫ぶ。

計測器の針が動く。

だが。

昨日のような急激な発熱ではない。

ゆっくり。

一定の速度で。

温度が上がっていく。

「50……55……60……」

別の技師が声を上げる。

「安定しました!」

魔力の供給を止める。

それでも。

石は。

一定時間。

熱を保ち続けた。

シェリィは。

自分の手を見る。

光は。

もう消えている。

もう一度出そうとする。

何も起きない。

閉じた。

まるで。

ほんの一瞬だけ。

扉を開けてもらったかのように。

「……今のは」

胸元へ手を当てる。

心臓が。

少し速い。

そして。

シェリィの顔に。

珍しく。

年相応の驚きが浮かんだ。

「私……」

小さな声。

「魔法を、使えましたのね」

誰も。

すぐには答えられなかった。

その言葉を。

一番信じられていないのが。

本人だったから。

だが。

数秒後。

シェリィの表情が変わる。

「記録してください」

技師たちが一斉に振り返る。

「今の投入魔力量は推定でも構いません」

「発光時間」

「発熱開始までの時間」

「最高温度」

「温度維持時間」

「試験用魔導具で行った場合との差異」

「全部です」

レオンハルトが。

額へ手を当てた。

「君という女は……」

「何でしょう?」

「人生で初めて自分の意思で魔法を使ったのだろう?」

「はい」

「もう少し感動してもいいのではないか?」

「しておりますわ」

シェリィは言った。

そして。

先ほどの少女を見る。

魔導原石(まどうげんせき)から生まれた熱が。

簡易の金属管を通り。

小さな暖房板へ伝わっている。

母親が。

娘の手を。

その近くへ差し出した。

「……あったかい」

少女が。

笑った。

その笑顔を見た瞬間。

シェリィも。

静かに微笑んだ。

「十分に」

誰にも聞こえないほど。

小さな声だった。

18年前。

5人の大人が。

少女を守るために封じた力。

その力が。

初めて。

シェリィ自身の意思へ応えた。

誰かを倒すためではない。

復讐するためでもない。

自分の強さを証明するためでもない。

凍える人を。

暖めたい。

その願いに。

ほんの少しだけ。

封印が応えた。

もちろん。

その事実を。

シェリィはまだ知らない。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫8日――

同日午後・アスタリア領主館

「まず1つ決めておきます」

試験結果をまとめながら。

シェリィは言った。

「今後の研究では、私の魔力を基準にしません」

レオンハルトが眉を上げた。

「使えることが分かったばかりなのにか?」

「だからこそです」

シェリィは先ほどの記録を見る。

「もし私にしか反応させられないのであれば、この石は社会基盤にはなりません」

「私が病気になる」

「私が不在になる」

「私が死ぬ」

「それだけで止まる仕組みなど、インフラとは呼べませんわ」

「……そこまで考えるか」

「当然です」

熱は。

住民が毎日使うもの。

シェリィという個人へ依存してはいけない。

通常の魔導具。

一般的な魔導士。

そして将来的には。

魔力を使えない人でも。

安全に扱える設備。

そこまで作って。

初めて。

この鉱石には本当の価値が生まれる。

「ただし」

シェリィは。

僅かに自分の右手を見た。

「私自身の魔力についても、調べる必要はありそうですわね」

その声には。

ほんの少しだけ。

戸惑いと。

期待が混じっていた。

◇

最初の集計結果がまとまった。

複数地点から採取した黒色鉱石。

全てではない。

しかし。

多くの試料が。

一定条件下で魔力に反応し、熱を発した。

まだ。

埋蔵量は分からない。

安全性も。

耐久性も。

精製方法も。

何も確定していない。

それでも。

偶然の1個だけではないことは。

確認できた。

レオンハルトが黒い石を持ち上げる。

「いつまでも『黒い石』では不便だな」

「研究用の仮称でしたら必要ですわね」

「魔導原石」

シェリィが聞き返す。

「魔導原石(まどうげんせき)?」

「魔力へ反応し、新たな性質を見せる原石だ。研究名としては分かりやすい」

シェリィは少し考え。

頷いた。

「では、正式な鉱物名が決まるまでの仮称として採用いたしましょう」

「少しは感動的な名前を付けたらどうだ」

「研究資料に詩情は不要ですわ」

「君には本当に夢がない」

「あら」

シェリィは窓の外を見た。

雪の中。

先ほどの少女が。

母親の手を握りながら歩いている。

「夢ならございますわ」

「どんな?」

「この土地に住む子供たちが」

少し考えて。

「冬を嫌いにならずに済むこと」

レオンハルトは。

それ以上。

何も言わなかった。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫9日――

アスタリア・領主館応接室

翌日。

シェリィとレオンハルトの前には、共同研究契約書が置かれていた。

国家間条約ではない。

領土を動かすものでもない。

採掘権を売却するものでもない。

ヴァルモント公爵家が管理するアスタリアにおいて。

黒色鉱石――仮称・魔導原石(まどうげんせき)の調査を行うため。

グラン・アルスター側から。

技術者。

研究者。

資金。

寒冷地輸送の知見。

それらの協力を受ける。

共同研究契約だった。

シェリィの手元には。

父ローランドから届いた書状もある。

アスタリアの現地調査。

住民生活の改善。

研究。

技術協力先との交渉。

その範囲について。

娘に広い裁量を認める。

ただし。

土地。

鉱山そのもの。

地下資源。

主権。

軍事。

これらを他者へ移す契約は認めない。

シェリィにも。

異論はなかった。

「条件を確認いたします」

契約書へ指を置く。

「共同研究費用は双方で負担」

「異論はない」

「グラン・アルスターから鉱物技師、精製技師、寒冷地輸送の専門家を派遣」

「用意する」

「研究成果については双方で共有」

「ああ」

「ただし」

シェリィは顔を上げた。

「アスタリアの土地、鉱床、地下資源に関する所有権は、一切移転いたしません」

「分かっている」

「独占採掘権も」

「求めていない」

「独占購入権についても、現段階では認めません」

そこで。

レオンハルトが片眉を上げた。

「私は金も人も出す」

「ええ」

「なのに独占権はない?」

「優先交渉権でしたら」

シェリィは答える。

「研究段階から協力していただくのですもの。それに相応しい条件はご用意いたします」

「独占ではなく?」

「独占させれば」

シェリィは扇を開く。

「アスタリアの命綱を、1人の買い手へ預けることになります」

レオンハルトの目が。

僅かに鋭くなる。

「供給先を1か所へ集中すれば、平時には効率的です」

「ですが」

「その国で政変が起きたら?」

「国境が閉鎖されたら?」

「価格交渉が決裂したら?」

「戦争が起きたら?」

「我々の産業は一度に止まります」

前世で。

シェリィは。

それを何度も見てきた。

エネルギー。

食料。

物流。

部品。

国家は。

効率だけでは生きられない。

「供給網には」

シェリィは言った。

「余白が必要です」

「無駄ではなく?」

「一見すれば」

「ですが、非常時に生き残るための余白ですわ」

レオンハルトは。

少し黙った後。

笑った。

「いいだろう」

ペンを取る。

「君が簡単に首輪を差し出す女なら、最初から組む価値はない」

署名する。

シェリィも。

その隣へ。

自分の名を記した。

巨大な工場は。

まだない。

商会も。

まだない。

商品も。

まだない。

だが。

この日。

アスタリアは。

初めて。

「援助を受ける辺境」ではなく。

互いに利益を持ち寄る相手として。

外の世界と契約を結んだ。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫9日――

セレスティア王宮・小謁見の間

同じ頃。

セレスティア王宮では。

まったく別の意味で。

信用が問われていた。

「エドワード」

アーサー国王の声は。

低かった。

怒鳴ってはいない。

だからこそ。

室内にいる者たちは。

その怒りの深さを理解していた。

第二王子エドワードは。

父王の前に立っている。

事件翌日から。

彼は一時的に公務を停止され。

王宮内で行動を制限されていた。

その間。

王宮は。

卒業記念舞踏会で起きた出来事を調査していた。

アーサー国王。

エレノア王妃。

ジュリアン王太子。

ヴァルモント公爵ローランド。

マーガレット夫人。

司法官。

王宮警備責任者。

数名の重臣。

「もう一度確認する」

アーサー国王が言った。

「お前は」

「私にも」

「王妃にも」

「ジュリアンにも」

「ヴァルモント公爵にも相談することなく」

「シェリィとの婚約破棄を宣言した」

「……はい」

「さらに」

「シェリィをアスタリアへ追放すると宣言した」

「はい」

「何の権限で?」

エドワードが。

口を開く。

「私は王子です!」

周囲の空気が。

僅かに冷えた。

アーサー国王は。

少しの間。

息子を見つめる。

「そうか」

そして。

静かに続けた。

「では1つ、聞こう」

「仮に」

「本当にシェリィが、ミレーヌ男爵令嬢へ厳しい態度を取っていたとする」

エドワードの顔が明るくなる。

「事実です!」

「黙って最後まで聞け」

それだけで。

エドワードは口を閉じた。

「公爵家は王家に次ぐ最高位の貴族家」

「男爵家はその下に位置する」

「例えば、正式な夜会で」

「男爵令嬢が上位貴族への挨拶を怠った」

「あるいは」

「公爵令嬢を差し置いて、婚約関係にある王族へ過度に接近した」

「その行為を」

「シェリィが礼法違反として注意したとしよう」

アーサー国王は。

息子を見る。

「それも虐げになるのか?」

「ですが!」

エドワードが叫ぶ。

「身分が上だからといって、弱い者へ何をしても許されるわけでは――」

「その通りだ」

「……え?」

エドワードが。

止まった。

国王は続ける。

「身分が高ければ、暴力も虚偽も許される」

「私はそのようなことを言っていない」

重臣たちが。

僅かに頷く。

「問うているのは」

「注意する権限と」

「虐げる行為を」

「お前は区別したのかということだ」

沈黙。

「公爵令嬢が男爵令嬢へ礼法を注意した」

「それを」

「男爵令嬢が『酷いことをされた』と訴えた」

「お前は事実関係を調べたのか?」

答えはない。

「そして」

国王の声が。

さらに低くなる。

「身分など意味がないというのであれば」

「第二王子という身分を使って」

「公爵令嬢を追放したお前の命令は」

「何を根拠にしている?」

エドワードの顔が。

固まった。

「自分が命令する時には王子という身分を使い」

「相手の立場が都合悪くなると、身分など関係ないと言う」

「それを」

「統治と呼ぶのか?」

誰も。

声を出さなかった。

◇

エレノア王妃が。

机の上の書類を手に取った。

「次です」

母親ではない。

王妃の声だった。

「ミレーヌ嬢が」

「シェリィから魔法攻撃を受けたと申し立てた日」

「1件目」

紙が置かれる。

「シェリィは王宮財務局にいました」

「入館記録」

「担当官」

「同席者」

「複数の記録が一致しております」

もう1枚。

「2件目」

「セレスティア王立学園で授業を受けています」

「担当教師」

「同級生」

「出席簿」

「これも一致しました」

エドワードが。

唇を動かす。

「ミレーヌは……」

「あなたは」

エレノア王妃が遮った。

「何を確認しました?」

「……」

「残留魔力は?」

「……」

「魔力痕(まりょくこん)は?」

「……」

「証人は?」

「……」

「現場を確認しましたか?」

エドワードは。

何も答えられない。

エレノア王妃が。

目を閉じた。

「あなたは王族です」

声が。

微かに震える。

「人の人生を変える言葉を発する立場です」

「そのあなたが」

「好きな女性の言葉だけを信じ」

「証拠を確認せず」

「最高位公爵家の令嬢を」

「大勢の前で罪人にした」

目を開く。

「何が恐ろしいか」

「まだ分かりませんか?」

◇

「陛下」

王宮警備責任者が。

深く一礼する。

「もう1件」

エドワードの表情が。

目に見えて変わった。

「第二王子殿下と、クロード男爵令嬢ミレーヌの関係についてです」

ジュリアン王太子の視線が。

弟へ向く。

「両名は、シェリィ嬢と第二王子殿下の正式な婚約期間中」

「複数回にわたり私的に密会しております」

記録。

王宮内の部屋の使用状況。

従者の証言。

2人の書簡。

そして。

婚約者へ隠して男女の関係にあったことを裏付ける記録。

「嘘だ!」

エドワードが。

咄嗟に声を上げる。

扉が開く。

ミレーヌが。

近衛兵に伴われ。

入室した。

その後ろには。

父であるクロード男爵。

ミレーヌが。

エドワードを見る。

「エドワード様……」

だが。

エドワードは。

目を逸らした。

その瞬間。

ミレーヌの顔色が変わる。

「……私だけの責任になさるおつもり?」

「何を言っている!」

「貴方が」

声が大きくなる。

「シェリィ様との婚約など、自分が何とかするとおっしゃったのでしょう!」

「私はそのようなことは――!」

「王家へ入れてやると!」

「お前が私へ近づいてきたのだ!」

「エドワード様こそ!」

ほんの数日前。

真実の愛。

正義。

可憐な令嬢。

そう語っていた2人が。

今。

互いへ責任を押しつけ始める。

「お前が、シェリィを追い出せばいいと言ったのだろう!」

エドワードが叫んだ。

瞬間。

室内の空気が変わった。

ミレーヌが。

自分の口を押さえる。

遅い。

ジュリアン王太子が。

静かに目を細めた。

追い出せ。

その言葉。

単なる恋愛問題ではない。

誰が。

どこまで関わっている。

ジュリアンは。

まだ結論を出さない。

だからこそ。

覚えておく。

「クロード男爵」

アーサー国王が呼んだ。

「は、はい!」

男爵が。

その場へ平伏する。

「陛下! 我が家は何も存じません!」

「全て、この愚かな娘が勝手に!」

マーガレット夫人が。

初めて口を開いた。

「まあ」

柔らかい声。

男爵が顔を上げる。

「陛下はまだ」

マーガレットは。

穏やかに微笑んでいる。

「クロード男爵家が関与したとは、一言もおっしゃっておりませんけれど」

男爵の顔が。

凍りつく。

「それほど急いで無関係だとおっしゃるのは」

「何か」

「心当たりがおありですの?」

「ございません!」

声が。

裏返った。

アーサー国王は。

男爵を見下ろす。

「ならば」

「調査を受けよ」

「結果が出るまで、当主権限の一部を停止」

「資金移動」

「王宮との契約」

「領外への財産移転」

「全てに監査を置く」

「陛下!」

「無関係ならば」

アーサー国王の声が。

冷たく響いた。

「調べれば分かる」

そして。

エドワードを見る。

「シェリィへは行わなかった事実確認を」

「我々は行う」

◇

その時。

小謁見の間の外から。

侍従の声が響いた。

「――大后陛下がお見えでございます」

アーサー国王が立つ。

エレノア王妃。

ジュリアン王太子。

ローランド。

マーガレット。

重臣たちも。

姿勢を正した。

扉が開く。

現れたのは。

セレスティア大后アストリッド。

92歳。

しかし。

自らの魔法により老化を大きく抑えたその姿から。

実年齢を推し量ることは難しい。

世界でも三指(さんし)に数えられる大魔導士。

《絶対防御(ぜったいぼうぎょ)》へ至った者。

アーサー国王の祖母。

ジュリアンとエドワードにとっては。

曾祖母。

「曾祖母上……」

エドワードが。

縋るように呼ぶ。

アストリッドは。

答えなかった。

ゆっくりと。

エドワードの前へ進む。

「お前」

静かな声。

「シェリィを」

「魔法の使えない無能だと」

「そう言ったのですって?」

「……」

「答えなさい」

「……はい」

アストリッドは。

目を閉じた。

「そう」

その一言。

そして。

再び目を開く。

「ならば」

「1つだけ」

「教えてあげましょう」

エドワードが。

顔を上げる。

「シェリィは」

アストリッドは。

言葉を選んだ。

18年前の全てを。

ここで語るつもりはない。

あの日。

5人で守った秘密。

怒りに任せて。

それを他者へばら撒けば。

守った意味がない。

だから。

必要なことだけ。

「魔法を使えなかったのではありません」

「……え?」

「私たちが」

アストリッドは。

アーサー国王を見る。

エレノア王妃。

ローランド。

マーガレット。

そして。

自分。

「使わせなかったのです」

エドワードの目が。

大きく見開かれる。

「な……ぜ……」

「あなたに」

アストリッドは即答した。

「教える必要はありません」

沈黙。

「ですが」

「覚えておきなさい」

「あなたは」

「自分が知らされていないことを」

「存在しないことだと思い込んだ」

「自分が理解できない相手を」

「無能と決めつけた」

声を荒らげない。

それなのに。

その言葉は。

エドワードを追い詰めていく。

「王になる者が」

「自分の知らないものを全て否定するようになれば」

「その国は」

「いずれ滅びます」

「曾祖母上……」

「私へ助けを求めないでください」

アストリッドの声が。

ほんの少しだけ。

変わった。

大后でも。

大魔導士でもない。

18年前。

1人の赤子を守ると誓った。

ただの家族の声。

「あなたが傷つけたのは」

「私たち5人が」

「18年間」

「大切に守ってきた子です」

誰も。

何も言わなかった。

◇

アーサー国王は。

しばらく沈黙した後。

告げた。

「エドワード」

「……はい」

「本日をもって」

「全ての公務から外す」

「父上!」

「執務権限停止」

「近衛に対する命令権停止」

「公式行事への出席停止」

「外部貴族との面会も許可制とする」

「そんな!」

「最終処分ではない」

国王は。

静かに言った。

「調査中の措置だ」

司法官が。

深く頭を下げる。

「虚偽告発への関与」

「権限を越えた追放宣言」

「婚約期間中の不貞」

「ミレーヌ嬢との共謀の有無」

「さらに」

アーサー国王の視線が。

ジュリアン王太子へ向く。

「卒業記念舞踏会で」

「エドワードへ不自然なほど早く同調した者たち」

ジュリアンが。

僅かに頷く。

「全て調べる」

これ以上。

怒りだけで裁かない。

愛する少女を傷つけられたからと。

法を飛び越えない。

その姿勢は。

舞踏会で。

シェリィが守ったものと。

奇しくも同じだった。

◇

会議後。

ジュリアン王太子は。

自らの執務室へ戻った。

机の上には。

1通の報告書。

差出人。

シェリィ・ヴァルモント。

舞踏会。

誰が。

どこにいたか。

誰が。

最初にエドワードへ賛同したか。

誰が。

周囲の反応を見てから続いたか。

誰が。

途中で態度を変えたか。

誰が。

エドワードではなく。

別の誰かの顔色を窺っていたか。

感情的な文章は。

1行もない。

ただ。

事実。

観察。

そして。

必要最低限の推測。

ジュリアンは。

1人の名前へ。

指を置く。

別の名前。

さらに。

もう1人。

「……シェリィ」

僅かに笑う。

「追放を宣告されたその場で」

「ここまで見ていたのか」

本当に。

彼女らしい。

報告書を。

普通の書類棚には入れない。

鍵の掛かった保管庫へ。

まだ。

動く時ではない。

だが。

盤面に。

誰がいるのか。

忘れてはいけない。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・芽風月(めかぜづき)≪第3月≫9日――

同日夕刻・アスタリア領主館臨時実験室

「温度、安定しています!」

技師の声が響いた。

昼間より。

少し大きな試験設備。

魔導原石(まどうげんせき)へ。

一定量の魔力を供給。

そこで生まれた熱を。

金属板へ。

さらに。

温水へ。

管を通して。

隣室へ運ぶ。

そこに。

数人の住民がいた。

管へ接続された。

簡単な暖房板。

手を近づける。

「……暖かい」

年老いた女性が。

呟く。

まだ。

部屋全体を暖めるほどの設備ではない。

たった1枚。

小さな板。

それでも。

そこには。

確かに。

熱がある。

シェリィは。

静かに見つめていた。

今日。

自分自身の魔力を。

初めて使った。

だが。

今。

この暖房板を温めているのは。

シェリィの魔力ではない。

試験用魔導具。

それが。

何より。

嬉しかった。

自分がいなくても。

熱を作れる。

自分がいなくても。

誰かを暖められる。

それこそが。

シェリィの欲しかった答えだった。

「シェリィ」

レオンハルトが呼ぶ。

「はい?」

「昨日」

窓の外を見る。

「来年の冬までに」

「今年より暖かい土地にすると言ったな」

「ええ」

「案外」

笑う。

「来年まで掛からないかもしれない」

シェリィも。

少し笑った。

「それは」

「今日の成功を」

「明日も必ず成功するものだと」

「思い込まなければ、ですわね」

「最後まで慎重だな」

「事業は」

シェリィが。

暖房板へ手を近づける。

「始めることより」

「続けることの方が」

「難しいのです」

レオンハルトが。

今日署名した契約書を持ち上げた。

「ならば」

「私が払うべき」

「君の知略の対価は何だ?」

資金。

技術。

人材。

輸送。

欲しいものなら。

いくらでもある。

シェリィは。

少し考えた。

そして。

答える。

「信用ですわ」

「信用?」

「ええ」

王都では。

1人の王子が。

自分の言葉で。

それを失おうとしている。

このアスタリアでは。

何もない場所で。

今日から。

それを作ろうとしている。

失敗を隠さない。

分からないことを。

分かったふりをしない。

約束できないことを。

約束しない。

互いの権利を確認する。

そして。

小さな結果を。

積み上げる。

「資源を失っても」

シェリィは言った。

「信用が残っていれば」

「また始められます」

暖かな板へ。

住民たちが。

次々と手を近づけている。

「ですが」

「どれほど素晴らしい資源があっても」

「信用を失えば」

シェリィは。

遠い王都がある方角へ。

ほんの一瞬だけ。

視線を向けた。

「最後には」

「誰も取引してくれなくなりますわ」

レオンハルトは。

答えなかった。

18歳。

王都では。

魔法なし。

無能。

そう呼ばれていた少女。

その少女は。

今日。

初めて。

自分自身の魔力を使った。

だが。

彼女が喜んだのは。

自分が強くなったことではなかった。

自分がいなくても。

住民を暖められる方法へ。

一歩近づいたこと。

それだけだった。

遠く離れた王都では。

彼女を追い出した者たちが。

ようやく。

自分たちの行為を調べ始めている。

まだ。

セレスティア王国は揺らいでいるだけ。

崩れてはいない。

アスタリアも。

ようやく小さな熱を生み出しただけ。

豊かな土地には。

程遠い。

誰も。

勝ってはいない。

誰も。

完全に負けてもいない。

けれど。

天秤は。

確かに。

動き始めた。

片方では。

権力を持つ者が。

信用を失い。

もう片方では。

何も持たない土地が。

信用を積み上げる。

そして。

その差は。

まだ小さい。

だが。

世界を変える変化とは。

いつだって。

最初は。

それほど小さなものなのかもしれなかった。

【第2話改稿について】

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第2話では、魔導原石(まどうげんせき)の研究とともに、シェリィ自身にも小さな変化が起こりました。

彼女が初めて自分の意思で使った魔力は、誰かを攻撃するためのものではありません。

寒さに震えるアスタリアの人々を、ただ「暖めたい」と願った時に生まれた力でした。

しかし、シェリィはその力へ頼り切ることを選びません。

「自分がいなくても動く仕組みを作る」。

そこから、アスタリアの本当の変革が始まります。

一方の王宮でも、舞踏会で起きた出来事の調査が始まりました。

シェリィが積み上げようとしているものと、エドワードが失い始めているもの。

その差は、まだ小さなものです。

ですが、その小さな差がこれからどこまで広がっていくのか。

引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。

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