第12話:信用が、紙1枚で国を巡る日
完璧な皇太子と称されるジュリアンが、愚弟エドワードの暴走の裏でいかに冷徹に盤面を読み、シェリィとの密約のもとで寄生貴族どもを静かに一網打尽にしていったのか――そのダークヒーロー的な知略の裏側を描きました。
星環暦1284年・熾火月≪第5月≫5日――
王都商業ギルド組合・中央審議室
午前。
厚い扉の向こうで、4冊の報告書が机の上に並べられていた。
《アスタリア大商会 現地審査報告書》
その表紙には、それぞれ別の署名がある。
オスカー・ベルンハルト。
ベアトリス・ケラー。
セドリック・エインズワース。
ミリアム・ファルク。
机の最奥に座るグレゴール・ハルトマンは、最後の1冊を閉じた。
審議室には。
報告書を提出した4人のほか、商業ギルド組合の登録担当、信用管理担当、決済管理担当が控えている。
誰も急かさない。
全国の商業ギルドを束ねる組合へ、1つの商会を正式登録する。
それだけなら。
ここまで人数を集める必要はなかった。
だが。
今回申請されている資格は、それだけではない。
全国信用決済網への参加。
小切手振出資格。
さらに。
独自小切手帳発行資格。
認めれば。
アスタリア大商会は、自分たちが小切手を使うだけではなく。
他の商人や商会を審査し。
自らの名を冠した小切手帳を発行する側へ回る。
信用を受ける者から。
信用を預かる者へ。
その一線を越えさせてよいのか。
今日。
それを決める。
「では」
グレゴールが顔を上げた。
「順番に聞こう」
最初に視線を向けたのは。
ベアトリスだった。
「財務面から」
「はい」
ベアトリスは、自分の報告書を開いた。
「会計帳簿そのものについて、登録を妨げる重大な問題は確認しておりません」
淡々とした声。
「現金残高、借入、支払予定、設備投資、給与、熱供給事業収支。記録精度は高水準です」
登録担当者が資料へ目を落とした。
「予測値については?」
「過度に楽観的ではありません」
ベアトリスは答える。
「むしろ支出側に一定の余裕を持たせています。悪天候、設備故障、物流遅延についても予備費を組み込んでいました」
グレゴールが聞く。
「ならば、問題なしと?」
「最初は違いました」
迷いなく返す。
「財務判断の多くが、シェリィ様本人へ集中していました」
緊急支出。
支払順位。
予定外の設備購入。
資金不足時の優先順位。
数字は正しかった。
帳簿も正しかった。
だが。
判断する人間が1人しかいなければ。
その1人が不在になった瞬間。
正しい帳簿だけが残る。
「最終日には?」
「金額別決裁権限、緊急時決裁、代表不在時の代替決裁が整備されています」
ベアトリスは報告書の1頁を示した。
「完全ではありません。しかし、誰が何を決めるかは明確になりました」
グレゴールは。
次の質問をした。
「小切手を持たせてもよいと思うか」
ベアトリスは。
少しも迷わなかった。
「はい」
続ける。
「ただし、初回限度額は金貨50枚を維持すべきです」
「理由は?」
「能力ではありません」
ベアトリスは答えた。
「実績期間です」
商会として。
まだ若い。
どれだけ帳簿が優れていても。
半年。
1年。
数年。
約束した支払いを守り続けて初めて。
長期的な信用になる。
「増額を認めないという意味ではございません」
ベアトリスは続けた。
「実績を積み、増額審査を受ければよろしいかと」
「妥当だ」
グレゴールが頷いた。
次に。
セドリックを見る。
「契約」
「こちらも、書類そのものは優秀です」
セドリックが微笑む。
「むしろ、ずいぶん読ませていただきました」
「楽しそうだな」
「良い契約書を読むのは楽しいものです」
審議室の何人かが。
僅かに苦笑する。
セドリックだけは本気だった。
「問題だったのは、例外時の権限です」
納期変更。
価格変更。
数量変更。
天候による遅延。
違約金免除。
契約解除。
書面には原則が書かれている。
だが。
現実の商売では。
原則から少し外れる状況が必ず起きる。
「以前は」
セドリックが言った。
「『少し違う条件』が出た瞬間、シェリィ様へ判断が戻っていました」
「現在は?」
「担当者」
1つ。
「部門責任者」
2つ。
「代表」
3つ。
「それぞれの権限範囲を分けています」
さらに。
「重要なのは、代表不在でも契約を守るための判断が出来るようになったことです」
グレゴールが報告書を見る。
「お前の結論は?」
セドリックは答えた。
「登録に異議なし」
そして。
少しだけ笑みを深くする。
「独自小切手帳発行資格についても、条件付きで認めてよいと考えます」
今度は。
ミリアム。
「現場は?」
「問題があります」
即答だった。
登録担当者が顔を上げる。
グレゴールは動じない。
「言え」
「倉庫で、現物移動と記帳に時間差がありました」
1つ。
「物流停止時の代替手段も十分ではありません」
2つ。
「人員不足が発生した場合、複数業務を兼務しなければならない部署があります」
3つ。
「災害対応についても、実地訓練はまだ足りません」
淡々と。
欠点が並ぶ。
数人の職員が顔を見合わせた。
だが。
グレゴールは。
先を促した。
「それで?」
「それでも」
ミリアムは言った。
「認めてよいと思います」
「理由は」
「問題がないからではありません」
ミリアムの目が真っ直ぐになる。
「問題が起きた時に」
1度。
「誰が確認し」
2度。
「誰が決め」
3度。
「誰が報告するのか」
4度。
「それを組織として考え始めたからです」
完璧な商会などない。
事故も起きる。
人も間違える。
荷物も遅れる。
帳簿にも修正は発生する。
重要なのは。
問題が存在しないように見せることではない。
問題が起きた時。
隠さず。
止まらず。
直せるか。
「少なくとも」
ミリアムは報告書を閉じた。
「私が最初の日に見た商会と、最後の日に見た商会は違いました」
グレゴールが。
最後にオスカーを見る。
「総合評価を」
オスカーは。
すぐには答えなかった。
手元の紙へ視線を落とす。
そこには。
最初の日。
何度も書いた言葉が残っている。
代表確認。
代表判断。
代表承認。
シェリィ様へ確認。
「初日」
オスカーが口を開いた。
「私は」
少し考え。
「非常に優秀な商人を1人見ました」
審議室が静かになる。
「その商人には、職員がいました」
一拍。
「部署がありました」
さらに。
「帳簿も、倉庫も、事業もありました」
だが。
「すべての道が」
指先で。
報告書の中央を示す。
「シェリィ様1人へ戻っていた」
グレゴールは何も言わない。
「最終日」
オスカーが顔を上げる。
「私が見たのは」
そして。
はっきり言った。
「アスタリア大商会です」
沈黙。
短い言葉だった。
だが。
10日間を見てきた男の結論として。
十分だった。
グレゴールが尋ねる。
「ヴァルモント公爵領商業ギルドが保証を申し出ていることを、忘れてはいないな」
「もちろんです」
「身内に近い商会だ」
「だからこそ」
オスカーは即答した。
「甘く評価したつもりはございません」
グレゴールは。
4人の顔を順番に見た。
そして。
決済管理担当へ視線を移す。
「制度上の問題は」
担当者が書類を確認する。
「ございません」
「正式登録料」
「金貨500枚」
全国信用決済網へ入るための登録料。
地方の商業ギルドへ加入する費用とは。
まったく別のものだ。
簡単には払えない。
簡単には入れない。
だからこそ。
加盟そのものが信用になる。
「月額組合費」
「金貨1枚」
「初回自社振出限度額」
「金貨50枚」
「増額は」
「別途審査」
「再審査」
「6か月後」
次。
「保証」
担当者が書類を持ち上げる。
「ヴァルモント公爵領商業ギルドから、正式保証書を受理済みです」
グレゴールが頷く。
「独自小切手帳発行資格は」
別の担当者が答えた。
「認定可能です。ただし、既定条件をすべて適用します」
発行した小切手番号の事前登録。
利用者1人につき。
初回に有効な小切手帳は1冊。
1冊あたりの初回振出限度額。
金貨50枚。
2冊目以降。
追加審査。
限度額増額。
別途審査。
独自小切手帳を発行する場合。
認定した振出限度総額の10%以上を。
発行準備金として別途積み立てる。
さらに。
利用者本人にも。
個別の信用審査。
保証金。
そして。
毎月。
発行冊数。
未使用冊数。
有効小切手番号。
振出総額。
決済済額。
未決済残高。
不渡り件数。
保証金残高。
準備金残高。
手数料精算額。
これらを。
商業ギルド組合へ報告する。
「支店を持つ大商会への発行は?」
グレゴールが確認する。
「本店と各支店の限度額をすべて申告させます」
担当者が答える。
「申請を受ける地方商業ギルドと、商業ギルド組合双方で審査。本店・支店ごとの個別限度額と、企業全体の総振出限度額を管理します」
「番号は」
「支店ごとに別番号帯です」
グレゴールが。
ゆっくり頷いた。
「不渡りが出た場合は?」
信用管理担当が答える。
「まず利用者本人の預託金および保証金」
1。
「次に、発行元であるアスタリア大商会の独自小切手発行準備金」
2。
「なお不足する場合、アスタリア大商会による立替決済」
3。
「それでも不足が生じる場合は、商業ギルド組合へ不足報告」
4。
「保証契約を確認のうえ、ヴァルモント公爵領商業ギルドへ保証履行を求めます」
5。
グレゴールは。
そこで書類を閉じた。
全員が。
彼を見る。
老組合長は。
机の中央に置かれた申請書を自分の前へ引き寄せた。
最後の頁。
まだ空欄の場所。
《登録審査結果》
グレゴールが。
羽根ペンを取った。
誰も言葉を発しない。
ペン先が。
紙へ触れる。
登録承認。
その下。
グレゴール・ハルトマン。
署名。
そして。
商業ギルド組合長印。
重い印章が。
紙へ押された。
「アスタリア大商会」
グレゴールが静かに告げる。
「商業ギルド組合への正式登録を承認する」
オスカーが。
小さく息を吐いた。
「併せて」
2枚目。
《小切手振出資格証》
「小切手振出資格を認定」
3枚目。
《独自小切手帳発行資格認定書》
「独自小切手帳発行資格を認定する」
さらに。
《初期振出限度額通知書》
金貨50枚。
《保証承認書》
ヴァルモント公爵領商業ギルド。
6か月後再審査。
1つずつ。
印が押されていく。
最後に。
グレゴールは。
4冊の報告書へ視線を向けた。
「信用とは」
誰に言うでもなく。
呟いた。
「優秀だから与えるものではない」
オスカーが見る。
「約束を」
グレゴールは続ける。
「今日だけではなく」
一拍。
「明日も守れると判断した時に、預けるものだ」
そして。
認定書へ手を置いた。
「アスタリア大商会には」
「預けてもよい」
◇
同日――
セレスティア王宮・国王執務室
午後。
「アスタリア大商会の正式登録を承認いたしました」
グレゴールからの報告に。
アーサーは。
手元の書類から顔を上げた。
「そうか」
それだけだった。
グレゴールが少し待つ。
「審査内容について、ご確認なさいますか」
「いや」
アーサーは首を横へ振った。
「必要ない」
「よろしいので?」
「私は」
アーサーは答える。
「厳しく審査してくれと頼んだ」
一度。
「合格させてくれとは頼んでいない」
そして。
「お前たちが認めたのなら、それでいい」
グレゴールの表情が。
僅かに緩む。
「もう1点ございます」
「何だ」
「独自小切手帳発行資格も認定いたしました」
アーサーの眉が少し上がった。
「そこまでか」
「現地審査の結果です」
「そうか」
少し。
沈黙。
そして。
アーサーが笑った。
「随分遠くまで行ったものだ」
「まだ入口でございます」
「それを本人に言ってやれ」
「おそらく」
グレゴールも笑う。
「本人が1番よく分かっておられるかと」
「違いない」
◇
星環暦1284年・熾火月≪第5月≫10日――
アスタリア大商会・仮本部
昼前。
「会長!」
廊下から。
普段より少し大きな声が聞こえた。
シェリィが。
書類から顔を上げる。
総務財務部の職員が。
封書を抱えて入ってきた。
「王都商業ギルド組合からです」
その一言で。
部屋の空気が変わった。
シェリィの手が。
止まる。
「こちらへ」
封筒を受け取る。
厚い。
1通だけではない。
複数の正式書類が入っているらしい。
封蝋。
商業ギルド組合の印。
間違いない。
周囲の職員たちが。
何となく仕事をしながら。
何となく。
こちらを見ている。
シェリィは。
そんな全員へ視線を向けた。
「皆さん」
一瞬。
職員たちが背筋を伸ばす。
「仕事へ戻っていただいて構いませんのよ?」
誰も。
動かない。
少し離れたところにいたレオンハルトが。
腕を組んで。
笑った。
「諦めろ」
「何をです?」
「誰も戻る気はない」
「……」
見れば。
確かに。
全員。
こちらを見ている。
シェリィは。
小さく息を吐いた。
「仕方ありませんわね」
封を切る。
最初の書類。
一行目。
視線が。
止まった。
《商業ギルド組合正式登録証》
商号。
アスタリア大商会。
代表者。
シェリィ・ヴァルモント。
登録。
承認。
数秒。
シェリィは何も言わなかった。
「会長?」
職員の声。
ようやく。
顔を上げる。
「……通りました」
一瞬。
誰も動かなかった。
意味が。
頭へ届くまで。
少しだけ時間がかかった。
そして。
「やった!」
声が上がった。
「登録だ!」
「通った!」
「本当に!?」
一気に。
仮本部が騒がしくなる。
シェリィ自身は。
その中心で。
もう1度。
登録証を見た。
公爵令嬢だからではない。
ヴァルモント公爵家の名があるからでもない。
レオンハルトの支援があるからでもない。
帳簿を見られた。
倉庫を見られた。
契約を見られた。
人を見られた。
自分がいない状態まで見られた。
その上で。
認められた。
商会として。
そのことが。
思っていた以上に。
胸へ響いた。
「シェリィ」
レオンハルトが声をかける。
「嬉しくないのか?」
「嬉しいですわ」
即答だった。
だが。
視線は。
すでに次の書類へ移っている。
《小切手振出資格証》
初期振出限度額。
金貨50枚。
その下。
《独自小切手帳発行資格認定書》
シェリィの手が。
止まった。
「……こちらも?」
「何だ?」
レオンハルトが覗き込む。
シェリィは。
最初から読み直した。
商業ギルド組合の認定を受けた様式で。
アスタリア大商会が。
自らの商号を付した小切手帳を発行できる。
利用者を審査し。
保証金を受け。
振出限度額を設定し。
小切手番号を登録し。
全国信用決済網へ接続する。
「これ」
総務財務部の責任者も気づく。
「私たちが小切手を使える、だけではありませんね」
「ええ」
シェリィが言った。
「私たちが」
一呼吸。
「小切手帳を出す側にもなれます」
部屋が。
少し静かになった。
それが。
何を意味するのか。
すぐには。
全員理解できなかった。
シェリィは。
認定書を机へ置いた。
「たとえば」
皆へ説明する。
「ここへ商人が小切手帳を申し込みに来ます」
1つ。
「その方には、商業ギルド組合の標準小切手帳を申し込む選択肢があります」
2つ。
「あるいは」
認定書を指す。
「アスタリア大商会が発行する小切手帳を選ぶことも出来ます」
職員が目を見開く。
「効力は?」
「同じです」
シェリィは答える。
「どちらも正式な審査を受け、登録された小切手であれば、全国の加盟商業ギルドで決済できます」
「では」
別の職員が尋ねる。
「何が違うのです?」
「誰が」
シェリィは答えた。
「その商人の信用を審査し、管理するかです」
標準小切手帳。
商業ギルドが審査。
アスタリア大商会小切手帳。
アスタリア大商会が審査。
ただし。
好き勝手には出来ない。
その後ろには。
商業ギルド組合がいる。
「1冊の料金は?」
「銀貨5枚」
書類を確認する。
「標準小切手帳も、独自小切手帳も同額です」
「では手数料は?」
「申込先が受け取ります」
そして。
「毎月、商業ギルド組合との精算が必要です」
ここで。
シェリィは。
次の書類を開いた。
《独自小切手帳発行事業者 月次報告要領》
その内容を見て。
少しだけ。
笑った。
「……簡単には儲けさせていただけないようですわね」
レオンハルトが。
横から覗く。
「何がある?」
シェリィが読み上げる。
「発行冊数」
1。
「未使用冊数」
2。
「有効小切手番号」
3。
「振出総額」
4。
「決済済額」
5。
「未決済残高」
6。
「不渡り件数」
7。
「保証金残高」
8。
「準備金残高」
9。
「手数料精算額」
10。
「毎月です」
レオンハルトが。
少し笑う。
「お前向きだな」
「どういう意味です?」
「数字が増える」
「褒め言葉として受け取っておきます」
だが。
シェリィは。
すぐに真剣な表情へ戻った。
「独自小切手帳を発行する以上」
認定条件へ目を落とす。
「利用者へ認めた振出限度総額の、最低10%」
「準備金か」
「ええ」
たとえば。
金貨50枚の限度額を持つ小切手帳を10冊。
それだけで。
認定信用枠は金貨500枚。
最低準備金。
金貨50枚。
「この資金は」
シェリィが言う。
「通常の運転資金とは完全に分けます」
財務責任者が頷く。
「専用帳簿を作ります」
「いいえ」
シェリィが首を横へ振った。
「帳簿だけでは足りません」
全員が見る。
「実際の金も」
静かに。
「分けて保管する必要があります」
レオンハルトの表情が変わる。
「商会の金庫へ積むつもりか?」
「まさか」
即答だった。
「小切手帳の利用者が増えるたびに、金貨を地下へ積み上げる商会など作りたくありませんわ」
「では?」
シェリィが。
次の書類へ手を伸ばした。
そこで。
動きが止まった。
「……なるほど」
「何だ?」
そこに記されていた。
《王国信用決済網整備法に基づく金融拠点設置通知》
レオンハルトが読む。
「王国信用決済網整備法?」
「はい」
シェリィも。
文章を追う。
商業ギルド組合の全国正式登録。
さらに。
独自小切手帳発行資格。
両方を認められた商会が本拠を置く地域について。
商業ギルド組合は。
ヴァルモント王国銀行へ。
金融拠点設置を要請する。
そして。
王国銀行は。
正式通知を受領してから。
30日以内。
支店。
または。
臨時支店。
いずれかの営業を開始しなければならない。
専用建物を。
30日以内に完成させろという法律ではない。
既存建物。
借上げ施設。
仮設施設。
それでもよい。
必要なのは。
銀行業務を始めること。
「……銀行まで来ますの?」
シェリィが。
珍しく。
少し驚いた声を出した。
レオンハルトが笑う。
「お前が呼んだようなものだろう」
「呼んでおりませんわ」
「全国信用決済網へ入った」
1つ。
「独自小切手帳を発行する」
2つ。
「法律が銀行を呼ぶ」
3つ。
「同じことだ」
シェリィは。
認定書と。
銀行開設通知を。
交互に見た。
「王国銀行・アスタリア支店……」
まだ。
存在しない名前。
だが。
30日以内には。
この地で。
営業を始めなければならない。
預金。
保証金。
準備金。
小切手決済。
送金。
両替。
商業融資。
これまで。
アスタリアになかった金融機能が。
やって来る。
「会長」
財務責任者が尋ねる。
「それまで小切手は使えないのでしょうか」
シェリィは。
もう1枚の書類を確認した。
そして。
首を横へ振る。
「いいえ」
《暫定決済制度適用通知》
「支店開設までは」
指で経路を追う。
「ヴァルモント公爵領商業ギルド」
「そこから王都商業ギルド組合」
「最後に王国銀行本店」
「この経路で決済できます」
「時間は?」
「現地支店がある場合より掛かります」
「ですが」
シェリィが微笑む。
「今日から使えますわ」
その言葉で。
再び。
職員たちの空気が変わった。
今日から。
アスタリア大商会は。
本当に。
全国商業網へつながった。
◇
同日――
アスタリア大商会・総務財務室
午後。
机の上には。
認定書類が。
すべて並べられていた。
その隣。
支払準備書。
「登録料」
シェリィが確認する。
財務責任者が答える。
「金貨500枚」
「月額組合費」
「金貨1枚」
「保証関係は?」
「ヴァルモント公爵領商業ギルドからの保証承認済みです」
「自社小切手の初期限度額」
「金貨50枚」
「6か月後」
「再審査」
シェリィが頷く。
「すぐに支払手続きを」
財務責任者が。
少しだけ笑う。
「もう少し」
「何でしょう」
「登録を喜ばれてからでもよろしいのでは?」
シェリィが。
一瞬。
目を瞬いた。
そして。
微笑んだ。
「十分に喜んでおりますわ」
「でしたら」
「だからこそです」
シェリィは。
登録証を見る。
「信用をいただいた最初の日に」
一呼吸。
「こちらからの支払いを遅らせるわけにはいかないでしょう?」
財務責任者も。
笑った。
「おっしゃる通りです」
「それから」
シェリィは。
独自小切手帳発行資格認定書を持ち上げる。
「まだ発行してはいけません」
「番号登録ですね」
「ええ」
小切手帳を作るだけなら。
紙があれば出来る。
だが。
全国で通用する小切手にするには。
番号が必要。
組合へ登録された。
追跡可能な番号。
「最初の番号帯を申請してください」
「どの程度を?」
シェリィは考えた。
最初から。
必要以上に大きく取る必要はない。
「まず100冊分」
「承知しました」
「ただし」
シェリィが付け加える。
「発行するという意味ではありません」
「はい」
「番号を確保するだけです」
利用者は。
1人につき。
初回1冊。
振出限度額。
金貨50枚。
それ以上必要なら。
追加審査。
限度額を上げたい場合も。
増額審査。
大きな商会が。
各都市に支店を持つ場合は。
本店。
各支店。
それぞれが申告。
現地ギルド。
商業ギルド組合。
双方で審査する。
「本店と支店で別々に申し込めば、無制限に枠を取れる」
財務責任者が言う。
「ということにはなりませんね」
「当然ですわ」
シェリィが答える。
「企業全体の総限度額も見られます」
「厳しいですね」
「お金ですもの」
即答だった。
「緩い方が怖いですわ」
◇
星環暦1284年・熾火月≪第5月≫11日――
アスタリア大商会・仮本部
翌朝。
まだ。
独自小切手帳は1冊も完成していない。
番号申請も。
準備金口座も。
銀行の臨時支店も。
これからだった。
それでも。
変化は。
もう始まっていた。
朝一番。
物流商務部から。
数枚の書状が届く。
「会長」
担当者が。
机へ置く。
「王都商業ギルド組合の信用情報網を通して、取引照会が届き始めています」
シェリィが。
最初の1枚を見る。
穀物商会。
次。
建材商。
その次。
運送商会。
さらに。
暖房設備についての照会。
「もう?」
「正式登録情報が、加盟ギルドへ通知されたようです」
昨日まで。
アスタリア大商会を知らなかった商人が。
今日。
名前を知る。
登録商会。
保証あり。
全国決済参加。
小切手振出資格あり。
独自小切手帳発行資格あり。
それだけで。
話を聞いてみようと思う者が出る。
信用とは。
目に見えない。
だが。
確かに。
人を動かす。
「それから」
担当者が。
もう1枚差し出した。
「ヴァルモント王国銀行からです」
シェリィが受け取る。
開く。
短い。
正式な通知。
《アスタリア金融拠点開設準備員を派遣する》
到着予定。
7日後。
最初は。
臨時支店。
候補施設を確認し。
30日以内に営業開始。
シェリィは。
その書面をしばらく見つめた。
追放された時。
この土地に。
銀行が来るなど。
誰が考えただろう。
商人が来る。
技術者が来る。
職人が来る。
そして。
今度は。
銀行が来る。
アスタリアは。
まだ。
巨大都市ではない。
豊かな街でもない。
雪は降る。
道は足りない。
建物も足りない。
人も足りない。
問題など。
いくらでもある。
けれど。
1つずつ。
必要なものが。
集まり始めている。
「会長?」
担当者が声をかける。
シェリィは。
顔を上げた。
「銀行の方々が来られる前に」
「はい」
「臨時支店に使えそうな建物を3か所ほど候補にしてくださいませ」
「すぐに」
「安全性」
1つ。
「金庫室を設置できる構造」
2つ。
「商会からの距離」
3つ。
「住民や商人が利用しやすい場所」
4つ。
「全部比較します」
担当者が笑った。
「また仕事が増えましたね」
シェリィも。
少しだけ笑う。
「信用とは」
机に置かれた登録証を見る。
「便利なだけではないようですわね」
手に入れれば。
責任が増える。
使えば。
守るべき約束が増える。
誰かへ信用を与える側になれば。
今度は。
その人の支払いまで。
見なければならない。
だが。
それでいい。
シェリィは。
窓の向こうへ目を向けた。
荷車が走っている。
人が働いている。
遠くでは。
中央魔導熱供給所から。
白い蒸気が上がっている。
雪の大地に。
少しずつ。
経済の道が出来ている。
そこへ。
今度は。
金が流れる道が加わる。
机の上には。
まだ何も書かれていない紙が置かれていた。
ただの紙。
けれど。
いつか。
そこに数字を書き。
名前を書き。
印を押せば。
遠い町の商人が。
金貨と同じように受け取る。
それを可能にするものは。
魔法ではない。
紙でもない。
これまで。
積み重ねてきた約束だ。
シェリィは。
新しい書類を1枚。
自分の前へ引き寄せた。
《アスタリア大商会 独自小切手帳発行準備計画》
そして。
羽根ペンを取る。
「では」
静かに。
けれど。
楽しそうに。
呟いた。
「次は、私たちが信用を預かる番ですわね」
第12話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、10日間の現地審査を経たアスタリア大商会が、ついに商業ギルド組合から正式な信用を与えられる回となりました。
小切手を使えるようになるだけでなく、独自の小切手帳を発行し、今度は他の商人の信用を審査する側へ。
そして《王国信用決済網整備法》によって、ヴァルモント王国銀行までアスタリアへ進出することになります。
熱、仕事、物流に続き、今度は金融。
極寒の土地だったアスタリアに、また1つ都市として必要な機能が加わろうとしています。




