親子
菜穂とアルテミスが馬車から降りると、先に帰っていた宰相が出迎えてくれた。
二人は、しきりに恐縮する宰相に案内され、屋敷の中へと入っていった。
病気の状態をアルテミスを通して宰相から聞きながら廊下を歩いていると、突然声をかけられた。
『父上、どういうおつもりですか!』
背後から聞こえてくる怒り口調の声色に、菜穂たち三人が三様に考え、足を止めて振り向く。
そこには、少し痩せた神経質っぽい感じのつり上がった目をしている、菜穂的にはあまり近付きたくないような中年の男性が立っていた。
隣にいるアルテミス王女が小声で菜穂に囁いて教えてくれる。
「あれが、宰相の息子の野心家アルデバランですわ」
見ただけでアルテミス王女が酷く嫌っていたのが分かるような気がして、なるほどと菜穂は頷いた。
菜穂とアルテミス王女が黙って眺めていると、アルデバランは二人に挨拶する事もなしに宰相に食ってかかっていた。
『私に何の相談もなく、勝手に屋敷に人を呼ばないで下さい!』
『アルデバラン、神子様とアルテミス様の御前で失礼であるぞ!』
『これは王女様、御前で失礼します』
アルデバランはちらっと視線を菜穂とアルテミス王女に向けて会釈をすると、すぐに宰相に詰め寄って話しを続けた。
『父上、本当にそこの者にエウロパを診せるつもりなのですか?』
『アルデバラン、失礼だぞ。神子様とお呼びしなさい』
『フン、果たして本当に神子なのでしょうか? 神子と偽って、王妃の座を狙う魔女かもしれません。現に、王に大層気に入られたそうで……。男狂いの王をどうやって誑かしたのか……』
『お前ッ! 神子様はエウロパを治療するために、わざわざ来て下さったのじゃぞ。それなのに何という愚かな……』
『愚かなのは父上です。治療と偽って、悪化させる事も可能なはず……。王妃となるエウロパを抹殺しに来たのかも知れませんな』
『アルデバラン!』
張り上げた声と同時に、パシッと叩く渇いた音が辺りに響く。
宰相が息子であるアルデバランの頬を反射的に叩いた音であった。
口元をわなわなと震わせながら、宰相は辛そうに首を振り、深い溜息を吐いた。
『本当にお前は情けない奴じゃ……。まだ、そんな詰まらぬ考えを抱いておるのか? エウロパは王妃にはならんし、それを望んではおらぬ。どうやら、好いた者がいるようじゃしな……』
『好いた者などくだらない……。家のために婚姻をするのは、ごく当たり前の事。それに、一国の王の妃になる以上の幸せがあるとは思えませんな』
淡々としたアルデバランの態度に、宰相は悲しげな表情をする。
そんな中、菜穂は、一歩下がった位置で二人の言い争いを眺め、アルテミス王女にお願いしてその内容を日本語で教えて貰っていた。
初め、王女は通訳するのを渋っていたが、菜穂が自分の悪口だろうが構わないと真剣に何度も頼むので、とうとう折れたのであった。
菜穂は、アルテミス王女から二人の会話を聞き、半分呆れたようにアルデバランを観察していた。
(うっわー、あれじゃあサンタのおじいさんも苦労するわ。それにしても、骨もあちこち性格みたいに歪んでるみたい、あれは……。全身黄色信号だし……)
菜穂は、全身が黄色に点滅して見えるアルデバランを、呆れた様子で眺めていた。
『……っ、とにかく私は反対ですな。あんな、胸も貧相な女に王が陥落したというなら、我が娘のエウロパの方のが、王に気にいられるはず……』
ちらっと自分に視線を一瞬向けたアルデバランが発した言葉に、菜穂は、ぴくっと即座に反応して青筋を浮かべた。
(今、すっごくむかつく事を言われた気がする!)
言葉が理解できなくても、悪口に関しては直観が働く。特に、菜穂にとって、胸の話はNGワードであった。
菜穂は、全身から不穏な空気を醸し出して、口元に笑みを浮かべていた。
「ねぇ、今あの人、何ていったの?」
「え? あの……それは……」
怒り口調の菜穂に、アルテミス王女はどこか困ったような表情で視線をさまよわせつつ、菜穂の胸辺りをチラ見する。
菜穂は、内心やっぱり……と思いながら、ジロッとアルデバランを睨み付けた。
「フッフッフッ……地雷を踏んだわね、セクハラ野郎……」
「あの、ナーオ姉様?」
低い声で菜穂が呟き、そんな菜穂を見てアルテミス王女はわずかに首を傾げる。
菜穂は、怒りに任せてアルデバランに近付くと、ヒールの踵でアルデバランの履いている靴を思いっきり踏みつけた。
『……んが…っ!?』
アルデバランから声にならない悲鳴が漏れる。
あまりの痛みに片足を上げてピョンピョン飛びまくっているアルデバランを、菜穂はしてやったりとにんまり眺めていた。
一方、すぐ側にいた宰相は、唖然とした表情をしていたが、やがてぷっと噴き出し可笑しそうに笑い出すのであった。
『この……!』
怒りで真っ赤になったアルデバランが不意に手を振り上げた。
菜穂は、ハッとその手を見上げ、叩かれるのを防ごうとして両手を反射的にあげたのだが……いつまでたっても叩かれない。
菜穂が思わず瞑ってしまった目を開けると、宰相によって止められたアルデバランの振り上げた手が映った。
宰相は、老人とは思えぬ力でアルデバランの手首を握り締めていた。
『女子供に手をあげるとは情けないのう……。どこまでお前は、腐ってしまったのじゃ。だから、わしは……。とにかく、エウロパは神子様に診てもらうから、お前はこれ以上口出し無用だ』
『父上!』
アルデバランの手を離した宰相は、悲しそうな瞳で自分の息子を見つめてから、菜穂に向き直って丁寧に頭を下げた。
『神子様、愚かな息子の失礼な言動の数々、深くお詫び申し上げます。いかなる処分をも受け入れますが、どうか、孫娘のエウロパだけはお救い下さい……。わしはどうなってもいいので、エウロパだけにはどうか御慈悲を……』
「ちょっ……ちょっと待って下さい! 私、悪代官じゃないですから、処分も何もしませんってば! それに病人を放って帰ることなんてできません。ちゃんとエウロパさんは診ますから……安心して下さい」
アルテミス王女から通訳してもらった宰相の台詞にぎょっとした菜穂は、慌てて手を振って返事をする。
宰相は、菜穂の返答に感激したように涙ぐんで何度も頭を下げた。
『ありがとうございます。何と、お優しく心の広い神子様じゃ……』
「いいえ、そんな事ないですよ。宰相さんと息子さんと孫娘さんの件は別々の事です。私、そんなに心が広いわけではないので、ちょっと失礼しますね?」
ポカンと口を開けた宰相をそのままにして、菜穂は、憎々しげに自分を見つめているアルデバランに詰め寄った。
「アルテミス、通訳お願いね!」
一言、アルテミス王女に声をかけた菜穂は、指先をアルデバランの鼻につきつけ、すぅっと息を吸うと機関銃のように捲し立てた。
「ちょっと、貴方……大の大人が本当に情けない! 何さっきから馬鹿なことばっかり言っているのよ! 第一、人の胸見てたでしょ? 胸の大きさで人の価値、決めないでくれる? そういうのってセクハラって言うのよ。訴えられるんだから……。私が神子かどうかなんて別にどうでもいいの。そんなことより、自分の娘が病気なのよ。このまま一生寝たきりでもいいの? 治らなかったら王妃どころの話じゃないでしょう! それで、どうなの? 治したいの? 治したくないの?」
『なっ……』
菜穂の剣幕に、ただ唖然とした表情でその場に固まったアルデバラン。
そんなアルデバランに考える猶予も与えず、菜穂は決断を迫った。
「貴方、それでも父親? で、治したいの? 治したくないの? はっきりしなさい!」
『な……治したいに、決まっている』
「そう、だったら決まりね。私に治療させなさい」
『そっ、それはっ……!』
「何、まだ文句あるの? だったら、治療する所を側で見ていればいいだけの話でしょ? ウジウジグダグダ抜かしてないで、さっさと行くわよ! この父親失格め」
菜穂がフンと鼻息荒く踵を返すと、側で通訳をしていたアルテミス王女は瞳をきらきらと輝かせてパチパチと拍手をした。
「ナーオ姉様、とっても素敵ですわ! さきほどの踵落としといい……私、お姉様に一生ついていきます!」
「ちょっと恥ずかしいけど、ありがとう……」
アルテミス王女の拍手で我に返った菜穂は、恥ずかしそうに少し頬を染めつつ照れた様子で頬をかいた。
宰相は少し離れた位置で、そんな菜穂とアルテミス王女の様子を微笑ましそうに眺めていた。
そうして、菜穂は無事に宰相の孫娘のエウロパに会い、治療を行った。
エウロパは、とても淑やかな少女で、笑顔は天使のようであった。その儚げな容姿を見た時、菜穂はその透き通ったような肌の白さに、ひどく驚き、「本当に人間なの?」と疑ったほどである。
もっとも、菜穂が一番驚愕を受けたのは、その豊かな胸であったのだが……。
(どうして、この世界の女性はみんな、巨乳なのよー!)
羨ましそうにエウロパとアルテミス王女の胸を交互にチラ見しつつ、菜穂は治癒魔法を発動させるのであった。




