姫君?
「あー、美味しかった……。ご馳走様でした」
食事を終えた菜穂は、手を合わせて満足そうな笑みを浮かべた。
料理長の作ったスープやお粥など、大変菜穂の好みの味であり、身体に活力が戻ってくる。
満腹になったお腹を手で軽く撫でて、菜穂はふと思い出したように側に控えているヘレネとクリュタイメストラに顔を向けた。
「私のこの後の予定って何か決まっているんですか?」
「いえ、ナーオ様がお目覚めになったら、知らせるように言われただけで、特に何も言いつかってはいません……」
「ナーオ様、何かしたいあるか?」
菜穂の脳裏に浮かんでいるものは、数々の和菓子と小豆であった。
菜穂は、少し思案すると、遠慮がちに口を開いた。
「できれば、料理を作ってくれた方に会いたいんです」
「料理長に……ですか?」
「えぇ、その料理長さんに、どうしても聞きたいことがありまして……」
「だったら、料理長に、会いにいくある。大丈夫にゃ!」
「ナーオ様が会いたいのでしたら、早速行きましょうか?」
「えぇっ!? そんなに簡単に……いいんですか?」
二人の返事に菜穂は驚いて逆に心配になったのだが、自信あり気に大丈夫だと頷かれ、安心することにする。
菜穂は、早く『あん』を作り上げたかったので、とにかく二人の申し出に大きく頷いた。
(そうよ、遠慮なんかしていられないわ。早くあんこを作らないと、王様にまたキスされることになってしまう! あのキスはヤバイ……。気持ちよすぎて……。だから、何としても和菓子を作らないと……)
オリオン王との甘く心地よいキスを思い出してしまい、ボンと茹蛸のように顔を真っ赤にさせる菜穂であった。
ヘレネとクリュタイメストラはそんな突然真っ赤になった菜穂を見て、熱が出たのではないかと慌てる。
「ナーオ様、大丈夫ですか?」
「熱あったら大変でちゅ。すぐ寝るあるよろし!」
「えっ? 大丈夫ですよ。ほらっ、こんなに元気元気!」
半ば無理矢理ベッドに寝せられそうになった菜穂は、慌てて首を振って元気だと腕をぶんぶん回して二人に笑いかけた。
だが、まだ心配そうな表情で納得していない二人を見て、菜穂は頬を赤らめつつ正直に話すのであった。
「あの……この顔が赤いのは、その……昨日の事をいろいろと思い出してしまって……だから……」
「まぁ、そういう事でしたか……」
「陛下とのラブラブエッチを思い出したかにゃ。初めては大事でちゅから……」
何やら納得したように菜穂を微笑ましく見つめてくる二人の視線を感じ、菜穂は更に恥ずかしそうに赤くなるのだが……。
(どこが、ラブラブエッチだって? はぁー……その初めてを覚えていないなんて、誰にも言えない……。一生の不覚……)
ズンと深く落ち込んだ菜穂は、溜息を心の中で吐いてから遠い眼差しをした。
きゃあきゃあ騒いで盛り上がっている二人の会話がやたらと遠くに感じる。
(まぁ、でも……どうせ、他の骨を歪めた人たちを治したら、自分の世界に帰るんだし……別に……初めての経験だろうが、そんなの関係ない……)
一瞬、オリオン王の笑顔が脳裏に浮かんでチクッとかすかに胸が痛む。だが、菜穂はその胸の痛みに気付かないフリして、その笑みを振り払うように頭を左右に振った。
そして、気合を入れるように両頬をパンパンと軽く叩いた菜穂は、力強く立ち上がって拳を掲げた。
「ようし、目が覚めたことだし、これから頑張るぞ! ファイトー」
突然、叫んだ菜穂にビックリして目を丸めるヘレネとクリュタイメストラであったが、菜穂の気合が伝わってきたのか、ふふっと笑みを深め、扉の方へ向かってゆっくりと歩き出した。
「それでは、ナーオ様……料理長のもとへ案内致しますわ」
「料理長、とってもいい人! 楽しいあるね」
先に歩き出した二人が扉に手をかけようとした瞬間、ドンドンドンと扉を叩く大きな音がしたかと思ったら、勢いよく扉が開いた。
廊下から飛び込んできた人物は、アルテミス王女であった。アルテミス王女は走ってきたらしく息を切らせながらパッと辺りを見渡し、菜穂を視界に入れると瞳を潤ませて菜穂に抱きついた。
「ナーオ姉様! 会いたかったです……」
「王女さ……アルテミス……」
菜穂は、突然の乱入者であるアルテミス王女にびっくりしたが、抱きついてきた王女の頭を優しくポンポンと撫でた。
アルテミス王女は菜穂にしがみ付いたまま、ポロポロと涙を零していく。
「私……私のせいで、ナーオ姉様が……倒れてしまって、それで……ずっと眠ったままで……もう、このまま起きなかったら、どうしようって……思って……お姉様、ごめんなさい……」
「アルテミス、貴女のせいではないわ。だから謝らないで。だって、今回のことは私のミスなんだから……。それに、もうこんな事にはならないから大丈夫よ。だから泣かないで……。ねぇ、それより、アルテミスの顔を見たいな、私……」
泣きながら必死に謝ってくるアルテミス王女に、菜穂は優しい声をかけながら何度も王女の柔らかい髪を撫でた。
アルテミス王女は、菜穂の肩に埋めていた顔をおずおずと上げる。
王女と目が合った菜穂は、驚いたように目を見開き、うっと口元を手で押さえた。
(やぁーん、何て可愛いのー! 薔薇色に染まった頬に潤んだ瞳、本物のお姫様がここにいるよー。もう、この妹思いっきり甘やかして撫で撫でしたいー)
初めて出会った時の顔色の悪いアルテミス王女ではなく、すっかり健康を取り戻した眩しいばかりに輝いている王女がいた。
艶やかな金の髪に、透き通った青い瞳、すっかり健康的な顔色を取り戻し、やせ細っていた身体も少しふっくらとしてきたようだ。抱きついてきた時の王女の胸の膨らみが少々気になった菜穂であったが、あまり深く考えない事にした。
(実は、隠れ巨乳!? みんな私より胸大きすぎ……ううん、考えない、考えない……)
菜穂は、アルテミス王女の頬に流れる涙を拭うと、にっこりと微笑んだ。
「やっと、見られた……。その顔、すっかり元気そうになって……。今だって、走ってきたんでしょう? 本当によかったね、アルテミス」
「ナーオ姉様! みんなお姉様のおかげです」
アルテミス王女は、感極まったように再び泣きそうな顔になりながら、嬉しそうに微笑む。
「ナーオ姉様、本当にありがとうございました。お姉様が私たちの世界に来てくれなかったら、今頃私は……こうして生きていられなかったかもしれません。お姉様は命の恩人です」
「そんな……大袈裟よ。偶然、私はこの病気の事を知っていただけで、女神様から力を貰ったから治療できた訳で……だから、恩人は女神様よ」
「もちろん女神様には感謝していますが、一番はナーオ姉様です!」
力いっぱい大きな声で述べたアルテミス王女は、少し照れたように頬を赤らめたが、ふと菜穂の姿をじっと見つめると軽く首を傾げた。
菜穂は、淡い空色のワンピースに近いドレスと虹色のスカーフを首に巻き付けている姿であったのだ。
「そういえば、お姉様はどこかに出掛ける所だったのでしょうか?」
「そう、今ちょうど料理長さんの所へ行く所だったのよ」
「料理長ですか?」
キョトンと怪訝そうに首を傾げるアルテミスを見て、菜穂は簡単に説明する事にした。
治癒の魔法を使用するには、後で倒れないようにするため、「あん」が必要となってくる事。「あん」は、この世界にはないものらしく、「あん」を作るためにこの世界にある似たような豆が必要になる事。
菜穂の話に、アルテミス王女ばかりでなく、ヘレネとクリュタイメストラも、興味津々感心したように頷いていた。
「まぁ、『あん』とは、ナーオ姉様の世界で特別のものなのですね」
「王女様、きっとそれは珍しい料理なのですわ……」
「ナーオ様の魔力が回復するあるから、きっと、薬に近いものでちゅ!」
「お姉様、すごいです!」
「「さすが、ナーオ様!」」
三人の尊敬しているような視線を受けて、菜穂はいたたまれなくなり、引き攣った笑みを浮かべて首を軽く振った。
「ちょっと、みんな何勘違いしているのか分からないけど、『あん』って、ケーキでいう生クリームみたいなものです。甘いお菓子を作るために必要なものなの!」
「「「甘いお菓子!」」」
「ナーオ姉様の世界のお菓子を食べてみたいですわ」
「ナーオ様の世界のお菓子……想像できませんわ……」
「『あん』というもの、見てみたいにゃ!」
やはり、甘い菓子と聞くと興味があるらしく、瞳をキラキラと輝かせ、どんな想像としているのか、三人ともうっとりとした表情になる。
菜穂はそんな三人を見て、思わずくすっと笑う。
「えぇ、うまく作ることができたら、アルテミスとヘレさんとクリュさんにはぜひ、食べてもらいたいわ」
「「「はい!」」」
仲良く声のはもった三人を見て、菜穂はますます可笑しそうに笑うのであった。
その後、アルテミス王女の提案により、菜穂は王女と二人きりで料理長のもとへ向かう事になった。
ヘレネとクリュタイメストラにまだ仕事がある事を聞けば、案内を買って出たアルテミス王女を断る理由もない。また、ちょうどアルテミス王女も、厨房に用事があったらしいので、尚更都合がよかった。
「そういえば、アルテミスは一人なの?」
「はい、そうですが……何か?」
「だって、ほら……あの付き添いの侍女さんとか、アルテミスを守る騎士さんとか……一緒じゃないのかなと思って……」
長い廊下を歩きながら菜穂は、後ろからついてくる騎士にちらっと目を遣る。
菜穂たちの後をついてくる騎士は、どうやら菜穂についている騎士らしい。部屋を出る前に、挨拶をされたから分かったのだ。
(そういえば、あの大柄の騎士の……ボルクさんとは違うのよね……? 今日は何でも軍議があるから、代わりの騎士さんだと聞いたけど……。一度、気絶させちゃった事とかちゃんと謝りたかったのに……。まぁ、でもまた機会はあるか……)
ふと菜穂は意識を違う事に向け考え込むのだが、アルテミス王女はそんな事に気付かず、口元に手をあててくすくす笑い出した。
菜穂が、ハッとしてアルテミス王女見つめると、王女は悪戯っぽく口元を緩め、ペロッと舌を出す。
「もちろん、侍女はついてきます。だけど私、いつも撒いて一人で出てきてしまうんです。だって、ああしたらいけない、こうしたらいけない、そこに近付いてはいけない、などなど、いちいち行動を制限されたら嫌になってしまいますよね?」
「えぇ!?」
菜穂は、アルテミス王女が意外と行動的なのを知り、驚いて目を丸くした。
蝶よ花よと育てられた深窓の姫君だと思い込んでいたイメージが崩れ始めた。
「あれ?」と首を傾げた菜穂に、アルテミス王女は得意げに話しを続けていく。
「これでも病気になる前は、時々こっそりお城を抜け出して、町に遊びに行っていたのです。私だけの秘密の抜け道がありますから、ナーオ姉様も今度一緒に行きませんか?」
「え?」
後ろにいる騎士に聞こえないようにこっそりと小さく内緒話をするアルテミス王女は、にっこりと菜穂に微笑んだ。
菜穂は、唖然として口を開き、初めて出会った大人しく儚げな王女のイメージがガラガラと崩れ去るのを感じた。
(アルテミスって、実はすっごい活発だったんだ……。でも、アルテミスとならうまくやっていけそう……。本当にあの俺様変態王の妹だなんて信じられない)
アルテミスの青い吸い込まれそうな瞳を見て、一瞬オリオン王の顔を思い出した菜穂は、慌てて頭の上を両手で払って、何事もなかったかのように歩き出した。
「ねぇ、アルテミス……そのうち町につれていってね? もちろん、誰にも内緒で」
「はい、ナーオ姉様!」
菜穂が声を潜めてアルテミス王女に内緒話をすれば、王女はぱあっと顔を輝かせて嬉しそうにはにかんだ。
二人で楽しそうにくすくす笑いあって歩いていると、そこへ突然、声が乱入してきた。
『神子様!』
酷く切羽詰まったような声に、菜穂は反射的に振り向いた。
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