各々
さて、話は戻り、菜穂が倒れてからの事である。
「ナーオ姉様! しっかりして下さい」
アルテミス王女は突然の事に驚き、泣きそうな表情で菜穂に必死に声をかけていた。
だが、ぐったりとして全く反応のない菜穂を見て、アルテミス王女は素早く侍女に目配せし、扉に向かって大声で叫んだ。
『そこに控えている騎士よ、神子様が倒れた。部屋に入ることを許す。だから、早く神子様を医師のもとへ!』
侍女は、アルテミス王女にガウンのようなものを着せると、部屋に飛び込んできた騎士と入れ違いに飛び出していった。
アルテミス王女の声に驚いた騎士は、慌てて王女と菜穂のいるベッドの側に近付いていく。
アルテミス王女は手を伸ばして、目隠しになっているカーテンを躊躇することなく開けた。
『ボルク! 貴方が神子様の騎士になったの!?』
『はい……』
ベッドの側で膝をついて頭を下げる大柄の騎士であるボルックスを見て、アルテミス王女は少し驚いたように目を見開いた。
『ボルク、非常事態だからすぐに頭と身体を起こして! いちいち、臣下の礼だの婦女子の寝所に乱入する非礼の詫びなど、必要ないわ。神子様が大変なの! 私を治療して下さったのだけど、突然、倒れてしまったわ。もしかしたら、魔力の使い過ぎかもしれないけど、詳しいことは何も分からないの。とにかく、急いで医師のもとへ連れていってあげて!』
『はっ……分かりました。このボルックス、すぐに神子様をお運び致します』
アルテミス王女が早口にざっと話すと、ボルックスはすくっと立ちあがって一度礼をしてから、壊れ物でも扱うかのようにそっと優しく菜穂を抱き上げた。
『お願い、ボルク。神子様を……頼んだわよ』
真剣な瞳で見上げてきたアルテミスに、ボルックスは返事をするように大きく頷いた。
『はっ、このボルックス、命に代えましても必ずや神子様を……お守り致します』
菜穂を抱き上げたまま、軽く頭で礼をしたボルックスは、踵を返して部屋を出ていった。
一人残されたアルテミス王女は、両手を合わせて必死に祈るのであった。
『お願い致します、女神様。どうか、ナーオ姉様を助けて下さい……』
一方、先に部屋を飛び出して長い廊下を走っていた侍女は、ある大きな扉の前で立ち止まり、その扉を勢いよく叩いていた。
『一大事でございます、陛下!』
侍女の声が聞こえたらしく、すぐに扉が開いて中からオリオン王が出てきた。
『何事だ。アルテミスに何かあったのか? それとも……神子にか?』
オリオン王は、その姿を見てアルテミス付きの侍女だとすぐに気付き、わずかに緊張した表情で尋ねる。
『アルテミス様は大丈夫です。神子様の治癒魔法により、ご病気が治られました』
『そうか、アルテミスは治ったのか……』
オリオン王は、一瞬嬉しそうに口元に笑みを漏らすも、すぐにその表情から笑みが消える。
『では、神子に何かがあったのだな……。神子がどうしたと言うのだ?』
『アルテミス様を治療されたのち、神子様は突然倒れました。アルテミス様が何度お呼びになられても、全く目を覚まさず、意識が戻らない状態です』
侍女の説明を受け、オリオン王はぎゅっと奥歯を噛み締めた。
『それで、今……神子は?』
『神子様の騎士であるボルックス様が、医師のもとへと運ばれております』
『そうか……。報告、ご苦労であった。お前は、すぐにアルテミスのもとへと戻れ。私は神子のもとへと行く』
『かしこまりました』
ちらっと侍女を一瞥して声をかけると、オリオン王はそのまま逸はやる気持ちを抑え、努めて冷静に歩き出したのだが……。初めの角を曲がって周囲に誰もいなくなると、風のように走り出した。
『チッ……あんなに元気だったのに……一体、何があったのだ、ナホ……』
(お前まで、俺を置いていったら許さぬ。お前まで……俺を裏切るな!)
その頃、菜穂を抱きかかえたボルックスは、治癒室へと飛び込んでいた。
『急病人だ、早く診てくれ! 神子様なのだ!』
真っ青な今にも倒れそうな表情のボルックスを見て、一瞬、医師たちはボルックスを患者だと思ったほどである。
ボルックスは、鬼気迫る表情で叫んだ。
『頼む、神子様を助けてくれ!』
城の治癒室には、それは高名で魔力も高い医師が、必ず数人は待機している。
今はかなり落ち着いてきたが、オリオン王はよく暗殺者に狙われていた。他国から入り込んでくる暗殺者や間者もいれば、身内で王座を狙い暗殺者を差し向ける者もいた。
オリオン王が毒や怪我で倒れることはなかったが、周囲の者が怪我を負ったりすることもあり、また、騎士たちの激しい訓練で怪我を負う者も多々いるので、常に医師を必要としていたのである。
医師たちが真剣に菜穂の状態を診察している所、オリオン王がズカズカと入ってきた。
『神子の様子はどうだ?』
オリオン王は治癒室へ入るなり、ベッドに青白い顔で眠っている菜穂を確認して医師に尋ねる。
『神子様はただ眠っているだけのようですが、何故か酷く衰弱しておられます』
『おそらくは……魔力の使い過ぎによる過労かと……』
『ですが、魔力を注ぎ込む治癒魔法をかけましても、神子様は目覚める様子がないのです』
医師の説明を聞くうちに、オリオン王の表情は険しいものに変化していった。
『それで……神子はどうなる? いつ目覚めるというのだ!』
『それは、まだ何とも言えません。このままずっと眠ったままなのか、それとも明日にでも起きられるのか……』
『ただ、このままずっと眠ったままでは神子様が……』
目を伏せて語尾を濁した医師の台詞に、オリオン王は、ぴくっと眉を動かした。
『神子が、死ぬというのか?』
オリオン王の口から、酷く冷たい声がぽつりと零れた。
『いえ、そこまでは……』
慌てて俯く医師を、オリオン王は視線で殺せるかと思うほど、殺気を放ちながら鋭い瞳で睨み付ける。
『神子に何かあったら、お前たち……生きてこの城中から出られると思うな。何としても神子を救え!』
『はっ……』
かつて見た事もないオリオン王の形相に、医師たちは驚いた様子で目を見張るも、深く頭を下げた。
『あの……』
そんなピリピリ緊迫した空気の中、遠慮がちな声が部屋に響いた。口を開いたのは、医師たちのもとで手伝いをしているまだ見習いの医師であった。
視線が自分に集中したのを感じ、若い医師は緊張した様子で身体を縮こませる。
『何だ……何か言いたそうだな。遠慮なく言ってみるがいい』
若い医師は、オリオン王の言葉に俯いていた顔をあげると、口を開き出した。
『あの……神子様はやはり、魔力不足だと思うんです。でも、神子様は特別ですから、我々の魔力を注いでも無理なのではないかと……。神子様には、おそらく膨大な魔力が必要だと思うのです。ですから……』
遠慮がちにちらっと自分を見つめてきた若い医師を見て、オリオン王はすっと菜穂に手を伸ばした。
『つまりは、膨大な力を持つ私の魔力が必要だというのだな……。確かに試してみる価値はある……』
オリオン王は、ベッドの側で片膝をつき、菜穂の手をそっと握り締めると目を閉じた。
そんなオリオン王の様子を、皆固唾を飲んで見守っている。
その中でも特にボルックスは真剣で、菜穂が無事に目を覚ますようにと心の中で必死に祈っていた。
どのくらい時が流れただろうか。
暫く目を閉じて菜穂に魔力を注ぎ込もうとしたオリオン王であったが、キュッと唇と噛み締めると首を横に振った。
『駄目だ。何故かは分からないが、魔力を注ぎ込めぬ。送った魔力は、全て神子に届かず消えていってしまう……』
『そんな!?』
その場にいる全員に、絶望的な表情が広がった。
オリオン王は、ただ菜穂の手を握り締め、その眠っているだけのような穏やかな顔をじっと見つめていた。
(ナホ、俺のもとへ戻ってこい!)




