特別
「あれ? ここドコ?」
ふと気づくと、菜穂は、川のせせらぎが聞こえる花畑の中にぼーっと突っ立っていた。
「私、どうしたんだっけ?」
腕を組んで唸りながら考え込んだ菜穂は、ハッと思い出したように顔を上げた。
「そうだ、アルテミスにマッサージをしていて、腰の骨を魔法で治療したら……何か真っ暗になって……倒れた? うそっ、私もしかして、死んだ? だって、この風景……」
菜穂は、色とりどりの美しい花の咲き乱れている周囲の風景をみて、サーッと顔色を青くしていった。
「だって、こんな綺麗な花畑なんて、死後の世界っぽくない? それに、向こうから水の流れる音がするし……川があるみたいだから、まさか三途の川……とか? それで、こうしてぼーっとしていたら、お迎えの人が来たりして……」
『いらっしゃーい!』
「そうそう、こんなふうに突然話しかけてきて……ん!?」
アハハッと引き攣って笑いながら、菜穂が思った事をぶつぶつと口に出していると、突然、誰かの声が聞こえてきた。
菜穂は、びっくりして飛び跳ね、背後から聞こえてきた声の方へと振り向いた。その瞬間、菜穂の瞳は驚愕のあまり、真ん丸に見開いた。
「うっぎゃぁぁーっ!?」
(ひぃーっ、お……お化け!)
菜穂の大きな悲鳴が、辺り一面に響き渡った。
菜穂は、その場で腰を抜かして、目の前に浮いている逆さまの女性の顔を指差した。
「なっ……なん……」
『やだぁー、菜穂ったら何ていう声を出すのよ。ここは、嬉しそうに微笑んでくれなくちゃいやよ。会いたかったですーとか何とか……』
「ん? あれ?」
驚いて口をパクパク開けていた菜穂であったが、聞き覚えのある声と見覚えのある虹色の髪に首を傾げた。
「あっ、あーっ!? 女神……様?」
菜穂が驚いた口調で呼ぶと、逆さまで宙に浮いていた女神ネホ・ウボンイレは、クルッと身体の上下を戻して、地面に降り立った。
『菜穂、久しぶりーでもないわね。どう? 理想の骨に会えたでしょう?』
にっこりと微笑みながら軽く首を傾げた女神に、立ち上がった菜穂は噛み付かんばかりの表情で、声を大にして文句を言った。
「紛らわしい登場の仕方、しないで下さい! 何でいきなり逆さまで浮いてでてくるんですか!」
『あら、普通にでてきてはつまらないでしょう? 二度目なのだから、少し面白くしようとしたのに……気に入らなかったのかしら……?』
「普通でいいです! いいえ、寧ろ普通にして下さい。そのままでも十分に驚きますから……」
(だって、そのド派手な虹色にまだ慣れていないし……)
『そう? 菜穂がそう言うなら、次は普通に出てきてあげるわ』
全く悪気がない様子でニコニコ微笑んでいる女神を見て、菜穂はドッと疲れを感じて脱力した。
「それで、女神様が何のご用で……あ、そうだ。私、聞きたいことがあるんです! これってまた、私の夢の中ですよね? 私、倒れてしまったみたいなんですが……生きているんですよね?」
菜穂は異常な意識の失い方を思い出し、不安そうな表情で一番気になる事を女神に尋ねた。
そんな菜穂を見て、女神はくすっと可笑しそうに笑う。
『あら、私の可愛い神子である菜穂が死ぬ訳ないでしょう? もちろん、貴女は生きているわ。ただ、力を使い過ぎて死んだように眠っているだけ……。その事で、菜穂に伝えておきたい大切な事があるから、また夢の中に入ってきたのよ』
「あぁ、よかった……。生きているんだ……」
女神の言葉を聞いて、菜穂は心底安心したようにへなへなと座り込んだ。
『まぁ、よかったけど、あんまりよくはないのよね……』
「え?」
独り言のようにぽつりと呟いた女神の意味深な言葉が耳に入り、菜穂は怪訝そうに女神を見上げる。
少し困ったように笑みを浮かべる女神の表情を見て、菜穂は一抹の不安が出てきて、顔を青ざめさせた。
「何がよくないんですか? まさか……生きてはいるけど、ずっと永遠に寝たまま……なんて言わないですよね?」
『あぁ、それは大丈夫。永遠に寝たままなんてないから……。まぁ、いつかは目覚めると思うわ』
「はぁー、よかった……。ずっとではないんですね。いつかは目覚める……いつか?」
ホッと安堵したように息を吐いた菜穂は、ゆっくりと立ち上がったが、女神の台詞の違和感に気付いてあれ?と首を傾げると、ギギッとロボットのように首を動かして女神を見た。
「いつかって、いつですか?」
『さあ、女神の私でも分からないわ。一年後かもしれないし、十年後かもしれない……』
「そんな! 女神様なんですから、何とかして下さいよ」
菜穂は、ガーンと頭を殴られたようなショックを受け、泣きそうな顔で女神に詰め寄った。
すると、女神は少し考えるような素振りで眉を寄せ、ちらっと菜穂に視線を流す。
『早く目覚めたいというならば、何とかならない事もないわよ?』
「本当ですか!?」
『えぇ、今の菜穂は、非常に疲れていて眠っているだけだから、失い過ぎた力……気というのかしら?を膨大な気を持つ人物に分けてもらえれば、すぐに目覚めるわよ』
「何だ、ちゃんと目覚める方法があったんじゃないですか。もう、驚かさないで下さい」
女神から話を聞くと、菜穂はホッとした表情で笑みを浮かべ、肩の力を抜いた。
「それで、その膨大な気を持つ人物って誰ですか? あ、まさか……ここまで言っておいて、そんな人いないなんて言わないですよね?」
ふと嫌な予感がした菜穂は、疑わしそうに女神に視線を向ける。
すると、女神は笑みを浮かべて軽く首を振った。
『まさか、ちゃんといるわよ。菜穂がよく知っている人よ』
「よく知っている人?」
(誰だろう?)
全く思いつかない菜穂は、こちらに来てから出会った人々の顔を、次々と脳裏に思い起こしていた。
『もう、菜穂ったら鈍いわよね。貴女の理想の骨格の持ち主に決まっているでしょう?』
「えぇーっ! あの変態サド王!?」
驚いて思わず叫ぶ菜穂に、女神は複雑そうな表情で笑みを漏らす。
『何だか、凄い呼び名になっているわね。あれでも、可愛い子なのよ』
「どこが、可愛いんですか! 骨は素晴らしいけど、中身が変態の俺様王で……私、散々な目に遭っているんですよ!」
思い出しても腹立たしいのか、プンプンと菜穂は頬を膨らませながら文句を言うのだが、菜穂が話せば話すほど、女神は困ったような表情を浮かべた。
『そんなにオリオンの事、嫌いなのかしら?』
「えっ? そんなに嫌いではないかもしれないけど、苦手というか……まだ、よく分かりません……」
真剣に自分をまっすぐに見つめてきた女神の視線を受けて、菜穂は、きっぱりと嫌いと言えない自分の心に戸惑いを感じていた。
菜穂の心の内を見透かしたのかどうか、女神は、かすかに口元を緩めると納得したように頷いた。
『まだ、はじまったばかりだものね……』
「何か言いました?」
『んー、人間は複雑な生き物なのねって再確認したのよ』
「はい?」
『つまりは、長い物語が始まったばかりという事よ』
「は?」
悟ったように笑顔で頷く女神を見ながら、きょとんとした表情で首を捻る菜穂。
『菜穂、貴女がどんな答えを見つけて、どんな花を咲かせるのか楽しみにしているわ』
「へ? だから、さっきから何なんですか?」
『んー、それは秘密。後のお楽しみ、かしら……?』
くすくす楽しそうに微笑む女神を、菜穂はポカンと見つめるしかなかった。
『さてと、菜穂にはいろいろと話しておきたい事があったのね。菜穂、そもそも貴女、何で自分が倒れてしまったのか、分かっていないでしょう?』
「えーっと、それは……骨を治すために、魔法を使い過ぎた……から?」
女神に問い掛けられ、菜穂は少し考えてから、首を傾げつつ答えた。
『あら、正解よ。貴女の治癒魔法は、特別なの。普通の人には扱えない治癒魔法なのよね。それは膨大な気を必要とするのよ。後は、センスね。菜穂は、その両方を持っているから骨を治療する魔法が使えるのよ。私からの祝福もあるから……』
「はぁ……そうなんですか……」
菜穂は、女神の話を頷きながら黙って聞く。
『だから、膨大な気を使う魔法を一日に何度も使うなんて、とんでもない事なのよ。菜穂は、今日もう3度も使用したわね。普通の状態ならば、3度ぐらい可能よ。だけど、菜穂はまだ、魔法を使い始めたばかりだから、身体が慣れていないのよ。急激に身体の気が消失したから、一気に負担がかかってダウンしたって言えば、よく分かるかしら?』
「なるほど……そういう事だったんですね」
女神の説明に納得したように頷いた菜穂を見て、女神は笑みを浮かべた。
「それでは、一日3人ぐらいしか治療出来ないのですか? もし、骨を治してほしい人がたくさんいたら……」
菜穂は、一日に治療できる人数が少ない事が気になった。
こちらの世界に来る前は、一日に100人近い患者を診てきたのだ。3人とは、菜穂にとって少なすぎる。こんなに完璧に骨を治せるのならば、出来うる限り治してあげたいと菜穂は思った。
そんな菜穂を見て、女神は優しい眼差しを向けながら微笑む。
『その心配は大丈夫よ。治癒魔法を使うたびにエネルギーを補給すればいいのよ』
「エネルギーの補給ですか?」
『えぇ、菜穂……貴女、倒れた時に何か思わなかったかしら?』
「え? あぁ……そういえば……」
一瞬、きょとんと首を傾げた菜穂であったが、思い出したようにポンと手を打った。
「お腹空いたって、思いました!」
『そう、それよ。治癒魔法を使えば使うほど、空腹を感じてくるのよ』
「じゃあ、エネルギー補給って、食べればいいってこと!? 治癒魔法使う度に食事をするの? うわーっ、50人も診たら、一日50食!? そんなに食べていたら、確実に太るじゃないのー!」
女神の説明に、菜穂は思わず声を上げながらサーッと顔を青ざめさせた。
慌ててぶつぶつ独り言のように話す菜穂を見て、女神は可笑しそうにクスクス笑う。
『大丈夫よ、菜穂。食べた分は全て魔法に消費されるから、それは問題ないわ。ただ、普通の食事ではエネルギーとして足りないの。一番、良いエネルギー源は、菜穂の大好物になるのよ。菜穂、貴女が一番好きな食べ物って何かしら……?』
「え、私の一番の好物は、和菓子ですけど……。特に、あんこが大好きです。どら焼きに茶饅頭、羊羹、たい焼き、大福……あー、話したら何だか無性に食べたくなってきた……」
女神に尋ねられた菜穂は、自分の好物を次々とあげていきながら、うっとりとした表情で頬を緩めた。
だが、女神は、ピクッとかすかに眉を動かし、困ったように息を吐くとゆっくりと首を振った。
『菜穂、残念だけど、この世界に和菓子はないわ。洋菓子はあるけれど、そもそもあんが存在しないのよ』
「うそ!?」
女神の言葉を聞いた菜穂は、愕然とした表情で目を大きく見開いた。
「そんな……和菓子がない、あんこがないなんて……」
毎日、何かしらの和菓子を食べていた菜穂は、和菓子のない世界などとても信じられず、ガックリと肩を落とす。
『だけど、菜穂……あんはないけど、作ることは可能だから大丈夫よ……』
「えっ?」
『小豆にそっくりな豆はあるの』
「本当ですか!? それじゃあ、あんこを作って食べられるんですね! これで、エネルギー補給の問題も解決!」
気落ちしたような表情を一転、菜穂はパアッと期待に胸膨らませ、嬉しそうに微笑んだのだが、ある事に気付いて首を傾げた。
「あれ? でも、今目覚めるのにあんこを食べるのは無理ですよね? あ、膨大な気を持っている王様から、分けてもらうんでしたっけ? でも、王様そんな事分かるんですか?」
『あぁ、それは大丈夫よ。何とかオリオンに知らせてみるわ。だから、菜穂は待っていればいいだけ……』
「分かりました。なるべく、早く王様に伝えて下さいね?」
『ふふっ、心配いらないわ。私、これでも女神なんだから……』
縋る様な瞳で見つめてくる菜穂を見て、女神は安心させるように優しい微笑みを浮かべる。
『とにかく、これから治癒魔法を使う時は、気をつけてね。必ず、和菓子かオリオンを側においておく事』
「そんなに王様に迷惑をかけられませんから、早く和菓子を作ってみせますよ」
『あら、オリオンは迷惑だなんて思わないわよ……。寧ろ、喜ぶ……かしら?』
口元に意味有り気な笑みを漏らした女神は、少し首を傾げながら菜穂に視線を流す。
菜穂は、ふと何だかぞぞーっと鳥肌がたってきて、嫌な予感がした。
『それでは、菜穂。私、オリオンに知らせにいくから、そろそろ行くわよ? では、またね』
「あっ、ちょっと待って下さい! 王様に気を分けてもらうのって、どんな方法なんですか?」
軽く手を振って、その場からすぅっと消えていく女神に、慌てて菜穂は声をかけた。
女神は菜穂の問いに、くすっと微笑みながら手を振って消えていった。
『それは、口移しよ。濃厚なほど良し……』
「へっ……?」
菜穂は、消えながら女神が残して行った返事に、ぴしっと固まる。
(口移し……? 濃厚……? うそーっ!? それって、治癒魔法使う度に、王様にチューしてーって頼む事になるの!? それじゃあ、私が変態じゃないの! いーやー!)
このエネルギー問題で、後に菜穂は、必死にあん作りに励むことになる。




