一撃
いつもように執務をこなしたオリオン王は、静かに菜穂の部屋へと入っていった。
菜穂の側にいるヘレネとクリュタイメストラの双子姉妹は、オリオン王の姿を目にすると静かに立ち上がる。
『『陛下……』』
『どうだ? ナホの様子は……』
『『昨日と同じです』』
『そうか……。後は私がここにいるから、お前たちは下がっていろ』
『はい……でも、陛下、ナーオ様がお倒れになられてから、ずっと休んでおられないのでは……?』
『そうです。今夜はわたくしと姉が、ナーオ様に付き添いますから、どうか少しお休みになられて下さい』
心配そうに声をかけてくる双子姉妹に、オリオン王は固く首を振る。
『いや、問題ない。今夜もナホの側には私がいるから、もう下がれ』
菜穂の側に座りその手を握り締めているオリオン王に、それ以上何も言えず、ヘレネとクリュタイメストラは顔を見合わせると頷き、そのまま静かに下がるのであった。
「うーん、美味しい!」
周囲の人々にどれだけ心配をかけているのかなんて全く知らない菜穂は今、夢の中であることを良い事に、まったりと和菓子を味わっていた。
むろん、毎日オリオン王自ら付き添っているとは、夢にも思ってはいない。
「やっぱり、羊羹には抹茶よねー」
うっとりと目を細め、小鳥の囀りを聞きながらお茶を飲んだ菜穂は、ふと思い出したように口を開く。
「しかし……それにしても女神様、まだなのかな? あれから、何にも言ってこないし……」
羊羹をパクッと口に放り込みながら、菜穂は少し首を傾げた。
『大変よー!』
その瞬間、パッと目の前に女神が現れ、菜穂は驚いて優雅に座っていた椅子から見事に落っこちた。
「もう、女神様! だから、突然出てきて驚かさないで下さいよ」
菜穂がお尻についた服の汚れを軽く叩きながら起き上がると、それどころじゃないとばかりに女神は菜穂に詰め寄った。
『菜穂、大変なのよ!』
「だから、何ですか?」
『オリオンに連絡取れないのよ』
「はぁー?」
菜穂は、女神の言葉にポカンとした表情で目を大きく開いて声をあげた。
「何で、王様に連絡つかないんですか! ちゃんと私が目覚められるように、その方法を王様に教えてみせるって言っていたじゃないですか!」
『それは……そのつもりだったのよ。でも、仕方ないじゃないの。だって、オリオンったら全然寝てくれないんだもの……。オリオンが眠ったら、夢の中に入ってうまく伝えようと思っていたのに……』
思わず菜穂が文句を言うと、女神は面白くなさそうに頬を膨らませながら言い返す。
菜穂は、女神の話を聞いて、何かが変だと思ったらしくキョトンと首を傾げた。
「王様が寝ないってどういうことですか? 王様の仕事が忙しくて徹夜でもしているとか……? でも、ずっと寝ないって事はないですから、大丈夫なんじゃないですか?」
『まぁ、菜穂ったら何トンチンカンな事言っているの!? 菜穂、貴女のせいじゃない! 貴女を心配してオリオンは、日中は王としての執務をして、夜は貴女の側に付き添っているのよ、毎日……』
「うぇ? あの王様がーっ!?」
菜穂は、びっくりして素っ頓狂な声をあげた。
(無いないナイ。あの変態俺様王が、寝ないで付き添うなんて! そりゃあ、少しは良い所もあるかなぁーって思ったりもしたけど……基本俺様だし……。王様が寝ずに看病?なんてありえないでしょ)
オリオン王の意地悪い笑みを思い出し、菜穂は信じられないように首を左右に振った。
「もし、寝ずに付き添っているなら……んー、私が神子だから? 治癒の魔法のため……かな?」
自分で言っておいて、何かズンと落ち込む菜穂であったが、そんな菜穂を見て、女神は呆れたように肩をすくめた。
『はぁー、ここまで鈍いとオリオンが可哀想になってくるわ……』
「王様が可哀想なんですか? 寝ていないから?」
何も分かっていない菜穂からのボケッとした問いかけに、少し疲れた表情で笑った女神は、軽く首を振った。
『とにかく、今重要なのは、何とかしてオリオンに眠ってもらわないといけないって事よ』
「そういえば、王様ってどのくらい寝ていないのですか? あ、私、気絶してから何日たったんだろう。夢の中だと時間の感覚がないから、分からないんです」
『ちょうど5日間よ。今夜で6日目……』
「5日間!? 大変じゃないですか! そんなに寝なかったら普通倒れますよ!」
菜穂は、驚きの声をあげ、自分に付き添っているだろうオリオン王の事を考えて、心配になってきた。
「王様、そんなに寝ないで大丈夫なんですか?」
『オリオンは丈夫だからそうそう心配ないと思うけど……さすがに目にクマを作っていたわねー』
「えぇーっ、あの綺麗な顔にクマですか!? 大変じゃないですか! 何としても寝かせないと! どうにかならないんですか?」
菜穂は、自分が目覚める事よりもオリオン王の身体が心配で、休んで貰いたいと心から思った。
そんな菜穂の表情を見つめていた女神は、優しげに瞳を細めるも、難しい顔つきになって考え込んだ。
『シリウスがいれば、話は簡単だったのに……あの子、今いないからね……。んー、そうね……ここは菜穂にも手伝ってもらおうかしら……』
「私にできる事があるんですか!? もちろん、王様に休んでもらうために、何でもやりますよ!」
ガッツポーズを元気にとる菜穂を見て、女神は思わずクスッと微笑む。
『えぇ、菜穂には頑張ってもらわないとね』
「それで、私は何をすれば?」
『私が力を送って手助けするから、菜穂は自分の口を動かして何とかオリオンに話し掛けるのよ』
「それって、今眠っている自分の身体を動かすって事ですか? でも、どうやって話したらいいのか分からないんですけど……」
女神の説明を聞き、菜穂が不思議そうに首を捻って考え込むと、女神は真面目な顔つきで声を潜めた。
『それは、根性よ! とにかく、自分の口を動かす事を必死に念じるのよ。それで、何としてもオリオンに眠るようにと伝えるのよ!』
「根性……」
菜穂は、女神の言葉を反芻するようにポツリと呟いた。そして、見上げると拳を天に向けて上げ、叫ぶのであった。
「ようし、やってやろうじゃないの! 私、根性には自信あるんだから……」
『いい? それでは、この水鏡に実際の今の貴女とオリオンの姿を映すわよ……』
女神が軽く指を鳴らすと、テーブルの上に水の張った大きな丸い銀の皿が現れた。その皿の上で、女神は手を軽くヒラリと動かす。
菜穂は、無言でその様子をじっと眺めていた。
すると、皿に張られた水が虹色に光り輝いたかと思ったら、ゆらゆらと何か映像が見えてきたのだ。
菜穂が固唾を飲んで見守っていると、その映像が少しずつはっきりと見えてくる。
「……っ!?」
菜穂は、ゴクッと唾を飲み込んだ。
そのできあがった水鏡には、眠っている自分と側に付き添っているオリオン王の姿が見えた。
(本当に、王様が私に付き添っているー! しかも何? あの切なそうな表情は……)
菜穂が驚いて水鏡を見つめていると、まるでテレビでも見ているかのように声までも聞こえてきた。
「こうして見ていると、本当にただ寝ているだけのようだな……」
ベッドで意識を失ったまま眠っている菜穂の顔を、オリオン王はじっと見つめていた。逆に今の自分の姿を菜穂に見られているとは知らずに……。
「おいっ、いつまで寝ているのだ、ナホ。これ以上私を待たせるのなら、襲うぞ!」
菜穂の頬を優しくなでながら、オリオン王は眠ったままの菜穂に声をかける。
「なぁ、ナホ。このたった5日でアルテミスは、見違えるように元気になったぞ。食欲も出てきて、もう歩けるようにもなった。早く元気になった姿をお前に見てもらうんだと、毎日頑張っているのだ。だから、早く目を覚ませ。その黒い瞳で俺を見ろ!ナホ……」
「王様……私だって、早く起きたいよ! 元気になったアルテミスの姿を見たいし、それに……実際にこの目で貴方を見たい!」
水鏡の映像を見ていた菜穂は、何だか胸がきゅうっと締め付けられてぽろっと一筋の涙を零した。
(どうしたの、私!? 何だか胸が苦しいよ……)
そんな菜穂の手をそっと取った女神は、落ち着かせるように微笑む。
『菜穂、早く目覚めて、みんなを安心させてあげないとね? さあ、始めるわよ。私が眠っている菜穂自身に力を送り込むわ。だから菜穂は、とにかく口を動かすように念じて、強く、集中して!』
「はい!」
菜穂は、頬を伝う涙を手の甲でゴシゴシと拭い、気合を入れるように自分の両頬を叩いた。
『いくわよ!』
女神の掛け声に、菜穂は大きく頷く。
(王様、もう少し待っててね!)
「……っ!?」
オリオン王は、何やら風を感じてふと周囲を見渡した。
「気のせいか……」
菜穂を見つめると、すやすやと静かに眠ったままである。
再びそっと菜穂の手を握ろうとした途端、ブワッと風が吹いた。
「!?」
オリオン王が驚いて視線を動かすと、菜穂にかかっていた布団がめくれ、細い足が見えていた。
オリオン王の目に、ピクッとかすかに菜穂の足先が動くのが見えた。
「ナホ!」
オリオン王はハッと菜穂の顔を見つめる。
だが、菜穂のまぶたはピクリとも動かず、すぅすぅと規則正しい寝息しか聞こえてこない。
「気のせいか……?」
オリオン王は、めくれた布団を掛け直そうとし、確認するように菜穂の足に顔を近付けた。
「動いたような気がしたんだがな……」
ポツリとオリオン王が呟いた瞬間、菜穂の片足が持ち上がってそのまま勢いよく落ちていった。オリオン王の脳天に向かって……。
「いーやー、何で? 何で口じゃなくて足が動くのー!? 私ってば、何やっちゃってんのよー!」
菜穂は、水鏡を見つめながら焦ったように叫んでいた。
同じように水鏡を見つめていた女神は、感心したように呟く。
『すごく綺麗に決まったわねー。踵落とし?』
「ううっ、言わないで下さい。王様に踵落としするなんて、私……」
ズンと落ち込んだ表情で、菜穂は俯いた。
女神に助けられながら、菜穂は集中し、眠っている自分の口を動かそうとしたのだが、全く反応せず、何故か足が動いてしまったのである。
しかも、タイミングがいいのか悪いのか、オリオン王が菜穂の足に顔を近付けた瞬間、勢いよく菜穂の片足が上がってそのままオリオン王の脳天に落ちていった。
オリオン王も、まさか菜穂の足が降ってくるとは思いもしなかったため、避けるのが一瞬遅れ、そのまま菜穂の脳天踵落としが見事に決まってしまうのであった。
『まぁ、菜穂、そんなに落ち込まないで……。結果オーライよ』
「でも王様、眠ったわけでなく、気絶したんですけど……」
『あら、オリオンの顔を見てご覧なさい。幸せそうな顔で眠っているわよ』
「え?」
尚もぶつぶつ呟く菜穂に、女神はくすっと笑いながら水鏡を指差す。
菜穂が水鏡を見つめると、菜穂の片足の上に顔をのせているオリオン王が、うっすらと口元に笑みを浮かべながら、すやすやと眠っている姿が映っていた。
(へぇー、意外と寝顔可愛いじゃないの……)
水鏡を通してオリオン王の寝顔を見た菜穂は、ふふっと思わず笑みを零すのであった。
『オリオンも深く寝入ったみたいだから、早速夢の中へ行ってくるわ』
じっと水鏡でオリオン王の様子を眺めていた女神は、すっと立ち上がると菜穂に軽く手を振り、姿を消した。
「よろしくお願いしますねー!」
菜穂は、姿を消す女神に向かって手を振り見送った。
ちなみに、女神が消えたのと同時に水鏡も消えてしまったので、菜穂にはその後の様子を知ることができなかった。
オリオン王が寝入ってから少し経った頃、そっと扉が開き、薄暗い部屋を進む二人の人影があった。
二人は、菜穂の足に顔を埋めて幸せそうに眠っているオリオン王の姿を見て、驚きで目を見開いた。
『お姉様、どうやら陛下は休んでおられますね』
『はい、安心しましたわ』
二人は小声で嬉しそうに微笑み合うと、菜穂の布団を直し、オリオン王にも毛布をそっと掛け、静かに出ていくのであった。
『お姉様、陛下は足フェチですか?』
『そうかもしれませんね?』




