野獣?
「…………ック、ククククク……」
「アハッ……ハハハハハ……もう、可愛いんだから……」
菜穂は扉の前でしゃがみ込んだ姿勢で、突然笑い出したオリオン王とカストルを呆然と見上げていた。
だが、徐々にその表情は険しくなっていく。
(くぅー、やっぱり冗談だったのね! からかわれたー)
「王様もカストルさんも、酷いです! 私で遊ばないで下さい!」
菜穂は、ぶすっと膨れっ面で二人を睨み、ドレスの裾を払いながら立ち上がった。
「ナホの百面相があまりにも面白いのがいけないのだ」
「ごめんねぇー、ナーオちゃん。だって、ナーオちゃんがあんまりにも可愛いんだもの」
偉そうな態度でフンと鼻で笑うオリオン王と、ニッコリと微笑みながら謝るカストル。
菜穂の目から見て、どちらも本気で悪いと思っていないと感じた。
(こいつら……絶対に許さない。今にみてろよー……。それにしても、王様といい、カストルさんといい……ここには、変態サドしかいないのー!? 普通、異世界トリップなんてものは、美形がいっぱい出てきて、神子とかにちやほやして逆ハーレムになるんじゃないの? それが、これは何? もう私、完全におもちゃ扱いじゃないの! 逆ハーレムなんてまっぴらごめんだけど、変態だらけに囲まれるのも嫌よー! ううっ、次に出会う男性はまともな人でありますように……)
菜穂は思わず、今後の事を考えて必死に心の中で願うのであった。
「でも本当に、陛下が気に入るのが分かるわー。とことん、苛めたくなっちゃう」
「だろ? 見ていて飽きない」
菜穂が考え事をしている間、二人は菜穂を無視して勝手に話し始める。
「あーん、可愛いからぎゅうって抱き締めたくなっちゃう」
「するな! 言っとくがお前にはやらんぞ。俺のだ」
「フン、いいもん。あたしには、最愛のベテルがいるから……」
「ベテル? あぁ……あの氷姫か……。お前なんぞに気に入られて可哀想に……」
「あら、その台詞そっくり陛下に返してあげるわ。神子様、可哀想……」
バチバチと二人の間で火花が散る。
「それで、カストル、お前何しに来たのだ。我々がアルテミスのもとへ向かっているのは分かっているだろう?」
「そうだった……本当の用事を忘れちゃう所だったわ。弟のボルクの事よ」
「あぁ、ボルックスか……」
その名を聞いたオリオン王は、ピクッと反応してどことなく不機嫌そうに眉を寄せた。
「もう、あの子ったら、あたしの弟のくせに情けない。何でも寝間着姿のナーオちゃんを見て、気絶しちゃったんでしょう?」
「いや、ナホの投げた置物が偶然当たって気絶したらしい」
「え? そうなの? あぁ、尚更、情けないじゃないの……。ボルクったら、神子様に申し訳ない、神子様をご不快にさせてしまった、嫌われたって、ウジウジ落ち込んでいて、そりゃあ、うざったいったらこの上ないのよ。ねぇ……あの子を謹慎処分にしたのって、陛下の独断ね? ナーオちゃんと話してみたらとってもいい子なんだもの。ナーオちゃんがボルクの事を処分してなんて言う訳ないと思って……」
「…………………………」
疑いの眼差しを向けてくるカストルの視線から、さり気なく顔を背けるオリオン王。
そんなオリオン王の態度に確信を持ったカストルは、呆れたように溜息をついた。
「ちょっと、私情で勝手にあたしの弟を謹慎処分にしないでくれる? 騎士の処分は、団長であるあたしの役目よ。どうせ、自分より先にナーオちゃんの寝間着姿を見られたから、頭にきたんでしょ?」
「……私が、そんな小さな理由で動く訳がないだろう?」
「実際に動いたんでしょうが!」
とぼけるオリオン王に、ピクッと片眉を上げて薄ら笑いを浮かべるカストル。
「とにかく、ボルクの謹慎処分はなしよ!」
「好きにするがいい……」
オリオン王は、フンと顔を横に向けて面白くなさそうにぼそっと告げた。
「えぇ、もちろん、好きにさせてもらうわ」
にっこりとそれは妖艶に微笑んだカストルは、視線を菜穂に向けた。
「ちょっといいかしら、ナーオちゃん?」
「え? あ、はい……」
菜穂は、ちょうどカストルの弟の話題ぐらいから聞いており、カストルに話しかけられてキョトンとしながらも頷く。
「あのね、あたしの弟のボルクの事、許してあげて欲しいの」
「いえ、許すも何も、弟さんは悪くないですから……。私こそ、酷い事言って気絶させちゃってすみません」
慌てて首を振って、菜穂は逆に謝った。
(あの気絶させちゃった騎士さんが、まさかカストルさんの弟だったなんて、もうビックリ! 兄弟なのに似ていないような……。よく覚えていないけどあの騎士さんは、凄くごつかったような気が……?)
菜穂は、一瞬見た騎士の体格の良さを思い出し、「美女と野獣?」などと失礼なことを考えていた。
一方、カストルは、菜穂の返事を聞きホッとしたように笑みを浮かべた。
「ありがとう、ナーオちゃん。本当にとっても優しいのね。それじゃあ、これからもボルクがナーオちゃんの騎士でいいかしら?」
「お……」
「あ、はい、いいです」
カストルの言葉にすぐに反応したオリオン王が横槍を入れようとしたのだが、菜穂の返事の方が早く、オリオン王は面白くなさそうにむすっと眉を寄せた。
「ありがとう、ナーオちゃん。きっとボルクも喜ぶわ。これからもずーっと、ボルクにナーオちゃんを守らせるわね」
ニッコリと菜穂に微笑んだカストルは、ちらっとオリオン王に視線を流し、口の端をわずかに上げる。
「カストル……め……」
オリオン王は、そんなカストルをじろっと睨み付けるのだが、カストルは素知らぬふりをした。
菜穂は、またしても二人の間で火花が飛び交った事に気付かなかった。
「あぁ、よかった。これで一つ肩の荷が下りたわ。もう、ボルクったら本当に大変だったんだから……。もう神子様に会わす顔がないから武者修行にでるとか、神子様に不埒な事をしてしまったお詫びに命をもって償うとか、馬鹿なことばかり言って、周囲を巻き込んで……」
「えっ? 弟さん、そんな事、言っていたのですか!?」
菜穂はぎょっとして目をむき、彼が早まらないでくれてよかったと心から思うのであった。
「えぇ、そうよ。本当に馬鹿がつくほど真面目で融通のきかない堅物だけど、誰かさんみたいにナーオちゃんに意地悪い事をする変態ではないから、安心してね?」
「あっ、はい……」
菜穂がポカンとした表情で頷くと、背後で唸り声が聞こえてきた。
「おいっ、誰かさんとは誰のことだ?」
「あーら、少しは心当たりがあるのかしら……?」
再び、菜穂を挟んでオリオン王とカストルの睨み合いが始まる。
菜穂は、ふぅっと息を吐くと、少し動いて離れた位置から二人をのんびりと眺めた。
(あれ? そういえば、二人って……?)
ふと、菜穂の頭の隅に引っかかっていた、聞いたことがあるようなカストルという名前について思い出した。
(そうよ、カストルっていう名前、ヘレさんとクリュさん姉妹が話していたのよ!)
思い出した菜穂は、すっきりとした表情になり、言い合いを始めた二人に爆弾発言をした。
「さっきは否定していましたけど、お二人って、実際は恋人同士ですよね?」
「「は?」」
突然、菜穂に声をかけられた二人は、その内容に固まった。
「何でも、シリウスさんという人も入れて、三角関係だとか……? もしかして、シリウスさんも男性なのですか? 王様がゲイですから、そういう事になるんですよね?」
「三角関係だと……!?」
「ゲイ……!?」
口々に唖然とした表情で呟く二人を見て、菜穂は何を勘違いしたのか、ニッコリ笑顔を浮かべる。
「あ、安心して下さい。私、そういうゲイとかにそれほど偏見を持っていないですから……。友人にそういうの好きな子がいるので、慣れたというか、まぁ、そういうことなので……」
慌てて手を振りながら、必死に力説する菜穂は、二人から何やら剣呑な雰囲気が漂ってきたことに気付かなかった。
「ナホ……お前、誰からそんな話を聞いたのだ?」
「え、誰って言われても……えぇっと、誰だったっけ?」
オリオン王を見た菜穂は、ヒクッと頬を引き攣らせ、忘れた素振りをしつつ首を傾げた。
(うわーっ、何か凄く怒っている? 何で? 三角関係って秘密だったの?)
「思い出せ」
低い声で唸るオリオン王に、菜穂はタラーッと冷や汗を流す。
「えぇっと……あ、そうそう、食事に向かう途中で、噂話をちょっと耳にしたんだっけ。だから、誰からっていう訳でなく、大勢からです……みたいな?」
「ほう……王である私のそんなくだらない噂話をする者がいるんだな、我が城中に……」
オリオン王のドスの利いた声に、菜穂は更に焦りながら愛想笑いをする。
「あれ、違ったかな? あ、噂話じゃなかったです、ハイ。何か私、勘違いをしていまして……そうそう! やだ、夢の話とごちゃまぜになったみたいでして……」
「ほう……夢の話か……」
更に低くなるオリオン王の声。
(ひえーっ、もうどうしたらいいか分からないよー。私、何の地雷踏んだの? 三角関係じゃなくて四角関係だったとか!?)
菜穂は、半ばパニックになって涙目になりながら、もの凄い威圧感で眼前に立つオリオン王を見上げた。
「ナホ……」
オリオン王の大きな手が近付いてきて、思わず菜穂はぎゅっと目を閉じる。
「もう、何ナーオちゃんで遊んでいるのよ。ちょっと陛下、こっちに来て!」
オリオン王の手が菜穂の頬に触れた瞬間、急に伸びてきた手が王の耳を引っ張った。
カストルに耳を引っ張られたオリオン王は、その痛みで、菜穂の頬から手を離してしまう。
「ナーオちゃん、ちょっとごめんね? 陛下借りるから……」
「え?」
菜穂は、目を開いて唖然とした表情で、にこっと微笑んでいるカストルを見た。
「おいっ、何をするのだ!」
オリオン王が怒ったようにカストルも睨むも、平気な様子でカストルは王の耳を引っ張りながら歩いて、少し菜穂から離れた。
(何だか知らないけど、助かったー。カストルさん、ありがとう)
菜穂は離れていく二人を見つめながら、カストルに心から感謝するのであった。
『カストル、これからが面白い所だったのに、私とナホの時間を邪魔するな』
『あのね、ただナーオちゃんを虐めて面白がっていただけでしょ?』
『あの、ぷるぷる震えて涙目で私を見つめる表情がいいのだ』
『変態』
『お前に言われたくない』
菜穂は、何やら異界の言葉で話し始めた二人をぼーっと見つめていた。
時々自分の名前が出てくるので、何かを言われている事は分かるが、その内容は全く分からず、首を捻る。
(何を話しているんだろう?)
キョトンと菜穂が二人を黙って見つめていると、どうやら二人の口調からまた言い争っているように感じた。
『あのね、あたしは陛下と変態談議をする趣味はないの。それより、今のナーオちゃんの言葉は何? いつあたしとシリウスと陛下が三角関係になっていたの?』
『知らん』
『それに、陛下と恋人同士ですって!? だいたい、ナーオちゃんにゲイって思われているじゃないの! 訂正しなかったの?』
『訂正してゲイでないとばれたら、また煩い奴らがわいてくるだろうが……』
『だからって……ナーオちゃんに誤解されたままでいいの?』
『別に問題ない。ナーオだけ特別だと思わせればいいだけの話だ』
妙に自信有り気に偉そうに述べるオリオン王を、カストルは呆れたように眺めていた。
『とにかく、あたしと恋人同士ってことだけは訂正してよね? ベテルに誤解されたらどうするのよ! それに、今の話、シリウスに知られてもあたしはしらないわよ?』
『……………………』
一瞬顔を青ざめさせたオリオン王を放って、カストルは菜穂に近付いていった。
「ナーオちゃん、あたし、そろそろいくわね。 これでも、いろいろと忙しいのよ。弟に会ったらよろしくね?」
「あ、はい……」
「それと、あたしはゲイじゃないし、陛下と恋人じゃないから、そこの所はよろしくね? それから、シリウスに会ったら、今の三角関係の話をしたら絶対にダメよ?」
「え? はい……」
菜穂はきょとんとしながらも、素直に頷いた。
(何だか、よく分からないけど、三角関係は秘密って事? カストルさんは恋人じゃないけど、シリウスさんは恋人ってことなのかな?)
菜穂の返事に安心したように微笑んだカストルであったが、菜穂は大きな誤解を続けることになる。
そうして菜穂は、笑顔を振りまいて去っていくカストルの背をぼんやりと見送るのであった。




