師匠
「……でっ!?」
菜穂がオリオン王の破壊的な笑みに思わずポーッと見惚れていると、突然、ゴツンという鈍い音と共に、王が頭を押さえて呻いた。
「え、何?」
菜穂は、何が起こったのか分からず、オリオン王を見つめながらキョトンと首を傾げたのだが……。
「いつまで神子様に触れているのですか。あぁ、嘆かわしい……」
第三者の声がすぐ傍から聞こえてきたため、菜穂はビクッと驚いて飛び起き、オリオン王の上から慌てて退いた。
その時、オリオン王がチッと舌打ちをしたのだが、菜穂には聞こえず、ただコホンと隣から女性の咳払いが耳に入るのみであった。
(そういえば、ヘレさんとクリュさんの他にもう一人いた! うわーっ、私ったら挨拶の途中だったのに……つい忘れていて、あんなことやこんなこと言ってしまったよー。どうしよう……きっと呆れ果てているよね……)
菜穂は、ずっとベッドの傍で控えていたエウリュアレーの存在を思い出して、サーッと顔を蒼褪めさせながら恐る恐る顔を横に向けた。
「あの……」
何を話そうかと菜穂が迷いながら口を開くと、エウリュアレーは菜穂と視線を合わせてにっこりと穏やかに笑みを浮かべた。
「神子様、大変申し訳ありませんでした。神子様がまだ目覚めたばかりで身支度も整っていないというのに、非常識我儘な変態を部屋に通してしまいまして……」
「え? いえ……その……」
思いがけないエウリュアレーの言葉に、菜穂はポカンと口を開き、かろうじて首を横に振った。
(今の何? 非常識我儘変態って……まさか王様の事!?)
「おいっ、エウリュ……変態はないだろう。それに今の拳骨、かなり痛かったぞ」
頭を痛そうに押さえていたオリオン王は、ゆっくりと起き上がりエウリュアレーを不満そうに見つめる。
「あら、聞いていたのですか、陛下。お自分の事だとお認めになるのですね? それにさきほど神子様に変態と言われましたら、褒められていると喜んでいたのではないですか? ですからわたくし、陛下を褒めて差し上げたのですよ……。それと、今のは陛下の頭に変なものがついていたので軽くはらって差し上げただけです。陛下の石頭でも痛かったのですか……」
「…………………………」
にこにこと穏やかに微笑むエウリュアレーの慇懃無礼な言動に、菜穂は瞬きも忘れ、ただ唖然と眺めていた。
オリオン王も、エウリュアレーには反論ができないらしく口を閉ざす。
(すごいっ! エウリュ……アレさんだっけ? あの王様を黙らせた。うわーっ、尊敬しちゃう)
二人の遣り取りを黙って見つめていた菜穂は、瞳をきらきらとさせてエウリュアレーを見つめた。
そんな菜穂の眼差しに気付いたのか、エウリュアレーが菜穂に視線を向ける。
「神子様、いかがなされましたか?」
「師匠と呼ばせて下さい!」
思わず口から出てしまった言葉に、菜穂は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
エウリュアレーは少々驚いたように目を開くも、すぐに優しげな笑みを零す。
「神子様、わたくしの事はエウリュとお呼び下さい。師匠は少し恥ずかしいですね。こんなごく普通のお婆ちゃんですもの……」
「そんな、エウリュさんはとっても素敵です!」
「ありがとうございます。神子様はとてもお優しいのですね」
握りこぶしを作って力説する菜穂に、にっこりと微笑むエウリュアレー。
ほのぼのとした空気を纏って楽しそうに話す二人を、すっかり存在の忘れ去られたオリオン王は面白くなさそうに眉根を寄せて見つめていた。
「おいっ、ナ……」
意を決してオリオン王も口を開くが、ことごとくエウリュアレーにタイミングよく邪魔をされてばかり……。
「それでは神子様、非常識我儘な変態に困る事がありましたら、いつでもこのエウリュを遠慮なくお呼び下さいね?」
「あ、はい……」
「……………………」
微妙な表情で笑みを浮かべた菜穂が、ちらっと横目でオリオン王を確認すると、オリオン王はヒクヒク頬を引き攣らせながら、かすかに肩を落としていた。
(うわーっ、王様が一番偉いって思っていたけど、最強なのって絶対にエウリュさんだ。王様、何か弱みでも握られているのかな?)
菜穂は、ぼんやりとした表情で上の方向を見ながら不思議そうに首を傾げた。
そんな菜穂の傍らで、オリオン王とエウリュアレーの視線は交わり、バチバチと何やら火花を散らせていた。
「では、陛下。そろそろわたくしたちは失礼しましょうか。神子様はお疲れですから……」
有無を言わせない表情で、エウリュアレーは散々無視してきたオリオン王に声を掛けた。
オリオン王は、渋々と言った顔つきでようやくベッドから降りる。
そんな二人の様子を眺めていた菜穂は、ほぅっと感心したように息を吐いた。
(やっぱり師匠よ! 心の中でだけでもいいので師匠と呼ばせて下さい!)
菜穂の心の内を知ってか知らずか、エウリュアレーは菜穂に微笑みかけながら姿勢正しくお辞儀をする。
「神子様、すぐにヘレネとクリュタイメストラを呼び戻しますので、少々お待ち下さいね。それではわたくしはこれにて失礼致します」
「…………あ、そうだ! ちょっと待って下さい」
オリオン王の背を押しながら部屋から出て行こうとしたエウリュアレーに、菜穂は慌てて声を掛けた。まだ名前も名乗っていなかった事に気付いたのである。
「あの、遅くなりましたが私、神崎菜穂……ナホ・カンザキと言います。改めまして、よろしくお願い致します。アホでもニャーオでもありません! ナホだと言いづらいみたいなので、できたら神子ではなくナーオと呼んで貰えれば……」
菜穂は、足を止めてこちらに向き直ってくれたエウリュアレーに、ペコッとお辞儀をして挨拶をした。
「言いづらい……ですか? 分かりました。これからは、ナーオ様と呼ばせて頂きますわ」
一瞬、首を傾げたエウリュアレーは、ちらっとオリオン王に視線を向けるのだが、すぐ菜穂ににっこり笑みを浮かべると頷くのであった。
「ナーオ様の真の名前は特別ですからね。独占欲の強い変態に任せる事にしますわ」
「???」
エウリュアレーの言葉の意味が分からない菜穂は、きょとんと首を傾げて、背を向けているオリオン王の耳がわずかに赤く染まっている事に気付かなかった。




