対峙と相対
向の部屋に着いた琉生は、奇妙な親近感を覚えていた。部屋はカーテンを閉め切ってあり、電灯を点けなければ室内が判別不能な状況にあった。入ってきた扉を閉めると、そこはただの暗室となり、完全に光から隔絶された空間へと様変わりした。肝心の電灯さえもなぜか壊されており、手がかりを求めて捜索をするにはかなりの障害となった。しかし琉生は躊躇いもなく室内に入り、手袋をつけた手でそこらじゅうをまさぐり始めた。黒で塗り尽くされた暗闇の中で、散乱した物を掻き分ける音だけが響く。
「見えないのは鳥眼だからとか、そういう次元の話じゃないです・・・」
軽い溜息混じりにそう呟いた眞央は、持っていた大きめの手提げの鞄から苦も無く懐中電灯を取り出した。こうも都合よく普段持ち歩かないような器具が出てくるということは、他にも何かしら用意されている事に違いはなかった。
眞央が物音のした方を照らすと、そこには空間を仕切るべく佇む壁があった。無作為に、そして無秩序に並べられた写真たちが群をなして貼り付けられている。学生と見られる人物から老齢者まで、共通項のなさそうな一人一人の日常が─ある少年が同級生らしき少年達からからかわれているような様子のものもあった─それぞれ一塊となってモザイクアートのように表現されていた。塊の中心となる写真にはほとんどに、赤いインクで作為的な丸印がつけられていたが、群像の中央部分に位置する写真だけには異なる印がつけられていた。直線と直線が一点で交差する印だった。琉生はその写真を食い入るように見つめていた。
「この顔・・・被害者の中では見なかったな」
そう言いながら、資料を順に捲くっては逐一確認をしていた。
「この写真だけカメラを向いて撮られてますね。印のついてない方の人は向さんですよね?」
「あぁ。一緒に写ってるのは恐らく失踪したとかいう同僚だな」
のぞき込むのに夢中になるあまりに、互いの顔が必要以上に近付いていた事に気付いた眞央は、顔を赤らめながらもそれに気付かれないように、他の写真を眺めているフリをする。琉生はといえば、お決まりの思考形態のまま、何かを読み解くことに全神経を捧げているようだった。二人の微妙な距離を保ったままの奇妙な時間は、琉生の静思が止まるまで続くかのようにみえた。
琉生が思索を巡らせていた先は、向が殺人を始めることになった契機だった。恐らく何らかの形で写真の人物が関わっているのは間違いなかった。向が『悪魔』になった道程も、それを知れば明らかとなりそうだと推察された─ただ一つの思念に縛られ、自分が生きているのかすらわからなくなるほどに空虚な存在へと変わってしまった理由も─。
だが同時に、それを知ったところで、自身の行動には何ら関わりを持たないだろう事も判っていた。琉生は同じ感覚をどこかで味わったような気がしていた。またしても、選択という名の一本道を自ら歩む羽目になっていたのである。
黙思に耽っていた琉生は、タイミングを見計らっていたかのように傍に置いていた革のトランクケースから古びた本を取り出した。奇妙な紋様の描かれた染みだらけの本を捲ると、表紙とは打って変わって汚れ一つない真新しいページが現れた。琉生がページの一部を触ると、本自体が暗い菫色に妖しく発光し出し、辺りをぼんやりと照らした。不安の色に染まった眞央の顔が浮かび上がり、琉生の腕を両手でそっと掴む。部屋のカーテンが音もなくふわりと揺れ、スーツ姿の見知った顔の男が音もなく入り込んできた。侵入者と部屋の主の対峙は、概して滑稽なものである。部屋の主は何故自分ひとりだけの部屋に人がいるのかと戸惑い、侵入者は予定外の主の帰宅に戸惑うものだからだ。しかし対峙した二人にとっては、その限りではなかった。
「お前も殺されたいのか?」
向はそう投げかけて、答えなど待たずに琉生のいる方へと跳びかかった。右手は既に大きな刃物へと変形し、心臓を目がけて伸びていく。そして目標に達する直前、何かに上体からフローリングの地面に叩き伏せられた。質量を持ったもの同士がぶつかり、鈍い音を立てた。
「俺はお前を殺しに来た」
琉生は向を見下ろしながら一言だけ言った。




