第二話 恋は三日にして為らず
翌日の昼休み。おれは、いつメン三人に両脇をがっちり固められながら、屋上へ連行されていた。
「ちょ、ちょっと待って……! どこ行くの……?」
「決まってんだろ。守沢のとこ」
「昨日のことフォローしに行くんだよ」
「お前一人じゃ絶対また変なこと言うからな」
ノリとミヤが左右から腕を掴んで、シンが前を歩く。……なんだこの構図。おれ、なんか悪いことした犯人みたいじゃん。いや、たしかに昨日、おれは反省会をしたんだけど。反省しなきゃいけない人だったから、そういう意味じゃ犯人みたいな感じなんだけど。
(うーん……なら、しょうがないか!)
一人で納得していたら、タイミング良くシンが振り返った。
「アキ、昨日のことちゃんと謝れよ」
「う、うん……」
昨日のこと。……そう、おれが守沢くんに「好きになってもいいですか?」って言って、開始五秒でフラれた事件のこと。
あのときおれがいけなかったのは、まだきちんと知り合ってすらない相手にいきなり告白したことだった。つまり、守沢くんをびっくりさせてしまったのだ。だからまずは、それを謝らなきゃいけない。
屋上に着くと、守沢くんはひとりで本を読んでいた。食べ終えたお弁当箱を横に置き、静かにページをめくっている。その雰囲気が柔らかすぎて、触ったら壊れちゃいそうで、近づくだけでちょっと緊張した。
「守沢〜、ちょっといい?」
ミヤが軽いノリで声をかけると、守沢くんは顔を上げた。
「あ、昨日の……」
おれを見ると、少しだけ困ったように眉が下がる。その顔を見ると、昨日のフラれた瞬間を思い出して胸がキュッてなった。
おれは勢いよく頭を下げる。
「昨日は驚かせてすみませんでした!」
すると、ノリとミヤがすかさず横から口を挟んだ。
「こいつ、悪いヤツじゃないから」
「昨日の告白も冷やかしじゃないから」
「ただちょっとドジなんだよ」
「そうそう、単純に頭が弱いだけなの」
「いや、フォローになってねぇよ」
即座にシンのダメ出しが入る。すると守沢くんは、そんなおれらを見てぷっと噴き出した。すごくおかしそうなその笑顔は、これまで見たことのない、初めてのもので。
「なんだ、そういうこと? うわ、ちょっと照れるな」
手元の本がそっと閉じられる。守沢くんははにかみながらおれを見つめると、「昨日はぼくも冷たい態度を取ってごめんね」と謝った。
「知らない人から突然告白されて、ちょっと困惑しただけなんだ。怒ってたわけじゃないよ」
「えっ」
おれは思わず声を漏らす。
(お、怒ってなかったの……? おれ、てっきり嫌われたのかと思ってたのに……)
胸をキュッとしていたものが取れて、ほっと息をつく。心の中で「よ、良かったぁ……」と安心していれば、隣にいたミヤが小さくサムズアップしてくれた。
……でも、まだまだ気は抜けない。
「それで……どうしてぼくのこと、好きになったの?」
守沢くんが首を傾げて尋ねてくる。おれの心の平穏は、その質問で一気にかき消された。
(うわぁぁぁぁぁ……! な、なんでそんなストレートに聞くの……!?)
理由を聞かれただけなのに、ド直球すぎて心臓がバクバクうるさい。
「え、えっと……その……」
おれは頭をフル回転させて、何とか答えようとした。でも、何を話すべきで、どんなふうに言うべきか、バカすぎてまったく分からない。昨日初めて話したときみたいに、頭が真っ白になってしまった。
(さ、最悪だー!)
それでも諦めない。自分なりに一生懸命、伝えたいことを頑張ってまとめてみる。
「そ、その一!」
「……その一?」
そうしたら、なぜか箇条書きになった。
周りから「なんて?」って声が聞こえるけど、無視無視。分かりやすさ第一、言いやすさ最優先だ。
「えっと……その一は、頭が良いから……です。おれ、頭が悪いから……頭が良い人って、すごいなって……」
守沢くんは少し驚いたように目を瞬く。でも、これは大事なことだった。
テストの順位表でいつも一番上に名前がある人、それが守沢くんだった。学年トップ、つまり一番頭が良い人。おれが一番憧れる人。
……恋に落ちたのは、一瞬だった。
「それと……その二は、なんか……桜みたいだな、って思って……」
「さ、桜……?」
やっぱり驚いてる守沢くんに、おれは一生懸命このイメージを伝えようとする。
おれの中で、守沢くんは桜の花のような人だった。まず、つやつやした黒髪が桜の和風なイメージにぴったりだし、たまに見る笑った顔は、まるで花がふわりと咲いたみたいだ。何より静かで、穏やかな性格が、暖かな春の陽だまりのようで……だから、桜。
身振り手振りも加えて、丁寧に言葉に落とし込む。すると、両脇からジトりとした視線を感じた。
「それって、遠くから観察しながらそう思ってた、ってこと?」
「キモ。ストーカーかよ」
「ストーカーは良くないな。ストーカーは」
「ひ、ひどい……」
ストーカーなんて、そんなつもりはちっともなかった。「頭が良い」と知って、気になったから影から見ていた──それだけ。
(けど、言われてみればたしかにキモかったかもしれない……)
次からは気をつけよう。気を取り直して、おれは三つ目を挙げる。
「そして……その三は、学年上がって一緒のクラスになれたのが嬉しくて……チャンスだと思って話そうとしたら……ヘ、ヘンなこと言っちゃって……」
あれ? なんか「好きになった理由」から、「告白した理由」になってない?
頭がこんがらがってるけど、それだけは分かる。言っているうちに気づいて、恥ずかしさでだんだんと声が小さくなっていくのと反対に、おれの顔はぶわりと赤くなった。
(ああ、おれのバカ!)
自分で自分が嫌になる。だけど守沢くんは、そんなおれに「そっか」と頷いてくれて。
「……ありがとう。気の迷いかもしれないけど、嬉しいよ」
気の迷いって言われたけど、なんか優しい言い方だった。拒絶じゃなくて、ちゃんと受け止めてくれた感じ。おれはそれに満足しようとして──けれどそのとき、シンが突然口を開いた。
「守沢って、どういう人がタイプ?」
「え? ちょ、ちょっとシン、急に何聞いてんだよ」
「いや、気になるだろ」
守沢くんは少し考えてから、あっさり言った。
「ぼくも……好きなタイプは、頭の良い人かな」
その瞬間、おれの心臓がドクンッと跳ねた。
(えっ……頭の良い人……? それって……おれと真逆ってこと……!?)
一瞬、絶望的な気持ちにガーンってなる。でも──だからこそ、思った。「頭が良くなりたい」って。守沢くんの好きなタイプに、少しでも近づきたい、って。
こんなおれでも、好きな人のためなら頑張れるかもしれない。そう思ったら、胸の奥でメラりと燃え上がるものがあった。
◇ ◇ ◇
守沢くんから「頭の良い人が好き」って聞いた、その日の夜。おれは机に向かっていた。その理由はもちろん勉強するためだ。たくさん勉強して、もっと頭が良くならなきゃいけない。だから、机に向かってはいたんだけど──。
「な、何度読んでも、意味が分からない……」
数学の教科書を開いた瞬間、おれの集中はふわ〜っとどこかに飛んでいった。いくら教科書を読み込もうとしても、頭にちっとも入ってこないんだ。なんかもう、ページの上で数字たちがダンスして見える。
(おれの脳みそ、数字がニガテすぎるんだよなぁ……)
でも、頑張らないと。守沢くんの好きなタイプに近づくために……!
「よし……まずは公式を覚えよう……!」
おれはノートを開いて、ペンを握る。そうして、教科書に載っている公式を写してみた。
「これは……シグマ? ていうか、なんでこの“C”は大きいの?」
数学をやっているはずなのに、目に入るのが英語や見たことない記号ばかりで混乱する。いつものように語呂合わせで覚えるつもりだったけれど、まずどういうふうに読めばいいのか分からないのでお手上げだった。
というか、そもそもこんなヘンな式で、本当に答えは出せるのかな……?
「えっと、nに四をダイニュウして……」
今日の授業で習った部分をおさらいしながら解いてみる。教科書通りに式へ数字を入れてみると、たしかに答えは同じものになった。
次の問題に進む。時間をかけて、ダイニュウする数字を間違えないように気をつけながら計算すると、おれは式の中に「十五」と「八十二」という数字を見つけた。
(……ん?)
十五と八十二? ……一五八二?
「これって……」
脳内で何かがピンと閃く。
おれは学校鞄を開いて中から別の教科書を取り出し、ぱらぱらとページをめくった。目的のページは、これまた今日の授業で扱ったところ。
「あった。……本能寺の変!」
一五八二年に起きた出来事。織田信長が、えっと……誰かに狙われたのだ。……そう、明智光秀って人に。それで死んじゃって……明智光秀は三日坊主で……ううん、違う。たしか、三日天下、だったはず!
「一五八二年は、『いちごパンツ』だよね」
ノリがそう覚えるといいって言っていた。たしかに数字と語呂がぴったりで覚えやすい。数学の公式も見習ってほしいくらいだ。
「でも、それはそれとして、いちご柄のパンツはな……」
織田信長って、教科書の写真を見る限り、普通におじさんだ。そんなおじさんにいちごパンツってどうなんだろう。
「柄物じゃなくて、普通に無地のパンツがいいんじゃない?」
下着って、自分しか見ないけれど、だからこそ大事だよね。
「いちごパンツ……いちごパンツ……」
ぶつぶつ呟いていたら、母親が部屋の前を通りかかって「アキ……?」って顔を青ざめさせた。
「いちごパンツってあなた……何かに目覚めちゃったの……!?」
「目覚めてないよ。勉強だよ」
「いちごパンツが!?」
うん。いちごパンツも、立派に勉強です。
翌日。おれは登校してすぐ、いつメンに昨晩の勉強ノートを披露した。
「見て! おれ、昨日めっちゃ勉強したんだ!」
「おっ、やるじゃん」
「どれどれ……」
おれがフフンと誇らしげにノートを見せると、いつメン三人は中をじっと覗き込む。……が。
「……アキ」
「なんだこのノート」
「なんで数学が途中から日本史になってんだよ」
「つか、日本史ですらないし」
「『いちごパンツ』って、どういうこと?」
その反応は想定外なものだった。だって予定では「すごい!」、「よくやった!」、「アキもやればできるじゃん!」みたいな拍手カッサイのつもりだったのに、実際はみんなの呆れた目つきが冷たいだけだった。
(なんで!? これじゃあ、逆に風邪引いちゃうよ……)
おれは念の為ノートを確認する。ページを開くと、そこには数学の公式から日本史の年号、それからパンツについてが書かれている。その途中に出てきた「おじさんはいちご柄のパンツを履くべきか?」って課題は、最終的に「ブナンに、無地のボクサーパンツの方が良い!」という結論に至っていた。
問題テイキ、調査、コウサツ、結論……流れはバッチリなはず。うーん、やっぱり何も間違っていないと思うのだけど。
「でも、無地って良くない? シンプル・イズ・ガストだよ」
「『ベスト』ね。そっちはファミレス」
「あと、この『第6天ま王にもオススメ!!』ってメモは何だよ」
「だって、織田信長はおじさんだよ? おじさんには、いちご柄より無地の方が似合ってない?」
「おじさんがいちごパンツでも良いだろ。多様性の時代だぞ」
「タヨウセイ? タヨウセイ……多用、性?」
たしかに多用性の時代だ。ただのボクサーパンツより、海パンを兼ねるパンツの方が良かったかもしれない。
(くっ……そこまで頭が回らなかった……!)
昨日あんなにたくさん考えたのに……! 頑張ってコウサツしたのに……! 悔しい……!
「ノリ、お前ヘンなこと言うな。アキがまたアホなこと考えてる」
シンはため息をつきながらノートを閉じる。
「アキ、お前はまず『何を勉強する』のか決めろ」
「何を……?」
「勉強する科目を一つに決めるんだ。数学をやるんだったら数学だけやる。日本史には行かない」
シンの説明はもちろん理解できる。けれど、それが結構難しいのだ。特に数学は、集中がふわ〜っとどこかに飛んでいってしまう。
「無理に問題を解く必要はないんだよ。最初は教科書読むだけでいい」
「教科書……読むの……?」
「読むんだよ」
おれはしょんぼりしながら教科書を開く。読み始めるとまた、ページの上で数字たちがダンスし始めた。
(数学って、なんでこんなにおれの脳みそをキョヒするんだろう……)
そのせいか、別のことがまた気になり始めてしまう。
「うーん……織田信長がいちごパンツな方が気になる……」
「織田信長はいちごパンツじゃねえよ」
「あっ……もしかして、いちごパンツなのは明智光秀の方なの!?」
「まじでどういうこと?」
◇ ◇ ◇
いつメンと別れ、席に戻る。おれは朝礼まで、数学と格闘することにした。
相変わらず、数学は難しい。まずは教科書を読めと言われても頭には入らないし、問題は教科書を見ながらでないと解けない。
あと、何度も聞くけど、なんで数学なのに英語がこんなにいっぱい出てくるの?
「ニコウテイリに出てくる“C”とは、英語のコ、コンビ……“combination”……うぅ、読めない」
ノートに演習問題の式を写し、薄目で教科書を見ながら数字をダイニュウする。
気分はまるでボールを追いかけるワンコみたいだ。放り投げられたボールを追いかけては転び、追いかけては転び──……その繰り返し。何度も問題を解いてみて、解き方の手順を覚えようとする。でも、やっぱりできる感じがしない。
……と、そのとき。
「……滝本くん?」
後ろから声がして振り返ると、すぐそこに守沢くんが立っていた。
「えっ……あ、あの……!」
おれは慌ててノートを教科書で隠す。よく分からない数式とか、大量に書かれた「いちごパンツ」とか、見られたら死ぬ……!
「勉強してるの?」
「え、えっと……はい……!」
守沢くんは少し驚いたように目を瞬いた。
「昨日、ぼくが言ったから……?」
「え? あ、その……」
おれは後頭部を掻きながら、正直に言った。
「……頭、良くなりたくて。勉強得意じゃないんだけど、守沢くんの好きなタイプに……ちょっとでも近づけたらなって……」
守沢くんは目を丸める。でも、すぐにふっと笑った。
桜の花が咲いたみたいな、あの優しい笑顔だった。
「……そっか。じゃあ、少しだけ教えようか?」
「えっ……!」
思わず心臓が跳ねる。
(そんな……好きな人に勉強を教えてもらえるなんて!)
ワンコがご主人様に尻尾をぶんぶん振ってるみたいな気持ちになる。いや……もしかしたら、おれは本当にワンコなのかもしれない!
「数学と日本史、どっちがいい?」
「に、日本史? なんで急に……」
「でも、そっちのページに『いちごパンツ』って……」
「へ? わああああああああああ!!!!」
おれは机に突っ伏した。教科書で隠したつもりだったけれど、結局ほとんど隠れていなかったのだ。つまり、いちごパンツは丸見え。恥ずかしすぎて死ぬ……。
守沢くんはくすくす笑いながら、鞄から筆記用具を取り出した。
「ふふ。もしかして年号、語呂合わせで覚えるタイプ?」
「う、うん……」
「一五八二年だから本能寺の変か。明智光秀が反旗を翻したやつ」
「は、ハンキ……? そ、そう! でも三日坊主になっちゃったやつ!」
「三日天下かな」
「あっ……そ、そっちか……」
せっかく昨日おさらいしたはずなのに、やっぱり間違えて覚えていたらしい。おれは本当に頭が悪い。
だけど、目の前の守沢くんはすごく楽しそうで。
「滝本くんって、すごく面白いんだね」
「……!」
その言葉だけで、おれの顔はぱっと明るくなる。好きな人に笑ってもらえて、しかも「面白い」と言ってもらえて、おれは嬉しかった。
おれと守沢くん、一対一の小さな授業が始まる。教えてもらうたび、ノートにはおれの犬の足跡みたいな字が続いていった。守沢くんの教え方はすごく分かりやすくて、一人で教科書を読むよりもするっと頭に内容が入ってくる。
朝礼までの十分足らず。いつもおれを置いてダンスしていた数字が、そのときだけはおれと一緒に踊ってくれているみたいだった。




