第2話 救助隊長は、事故現場を壊す
「そこは動かさないでください!」
エレナの声が、大広間に響いた。だが、一歩遅かった。紺色の制服を着た騎士が、床に横たわっていた金属製の支柱を持ち上げる。
「待って、それは――」
「担架を通す。邪魔だ」
支柱が脇へ移された。エレナは思わず目を閉じた。
落下したシャンデリアの位置。破片の向き。支柱との距離。どれも事故原因を調べるための証拠になる。
「せめて元の位置を記録してから動かしてください」
「負傷者を運ぶのに必要なら動かす」
「だから記録を――」
「今は一分一秒が惜しい」
男はエレナを見た。先ほど、落下するシャンデリアから老婦人を助けた騎士だ。
「あなた方が原因を調べるのは、全員を助けた後だ」
腹が立つのは確かだ。しかし、反論できない。彼の言っていることは正しかった。
「……分かりました」
エレナはドレスの裾を持ち上げ、床へ膝をついた。
「では、私が記録します」
「何?」
「動かす前に三秒ください。三秒で位置を覚えます」
「さっきも三秒と言っていたな」
「三秒あれば十分です」
男がエレナを見る。
「本当に?」
「今、二秒使いました」
一瞬だけ沈黙した。
「……分かった。三秒だ」
「ありがとうございます」
それからの大広間は、救助と調査が同時に進んだ。騎士が残骸を動かす。その直前にエレナが位置を記憶する。
破片の形。落下方向。焦げ跡。魔晶ガラスの散乱範囲。
騎士たちが負傷者を運び出す横で、エレナは給仕係から借りた紙に次々と書き込んでいった。やがて最後の負傷者が運び出された。
「確認!」
「中央区画、生存者なし!」
「東側も確認済み!」
「火属性反応、消失しました!」
報告を聞いた男が息を吐く。
「よし。ここから先は残骸を動かすな」
そして、エレナを見る。
「これでいいか、事故調査官」
「最初からそうしていただければ、もっとよかったです」
「死人が出ても?」
「それは困ります」
「なら同じだ」
「同じではありません」
「面倒な女だな」
「よく言われます」
嘘だった。それほど言われたことはない。男はわずかに口元を動かした。
「レオン・アルヴァレス」
「はい?」
「名前だ。王立騎士団特殊災害救助隊、隊長。レオン・アルヴァレス」
現場を指揮していた彼は、やはり隊長だったらしい。
「エレナ・クロフォードです。王立魔導事故調査局、事故調査官」
「クロフォード?」
レオンが少しだけ眉を上げた。
「クロフォード伯爵家の?」
「そうですが」
エレナは床に落ちた金属片を拾った。
「今、関係ありますか?」
「いや」
「では調査を続けます」
「……本当に面倒だな」
今度は聞こえないふりをした。
◇
王立魔導事故調査局。
魔導具や魔法設備によって重大な事故が発生した際、その原因を調査する王国の専門機関である。
事故現場への立ち入り。事故品の確保。関係者への聞き取り。設計図や整備記録の確認。必要であれば、事故条件を再現する試験も行う。
ただし、犯人を捕まえる権限はない。事故調査官が調べるのは犯罪ではなく、事故原因だからだ。故意に事故を起こした証拠が見つかれば、王立騎士団や警察組織へ引き渡す。
それがエレナたちの仕事だった。
「エレナさん!」
聞き慣れた声がした。振り返ると、若い女性が大広間へ駆け込んでくる。茶色の髪を後ろで束ね、大きな鞄を肩から下げている。
「遅くなりました!」
「ミア」
王立魔導事故調査局の新人調査官、ミア・ベル。二十二歳。事故調査局に配属されて、まだ半年ほどしか経っていない。
「王宮から緊急連絡が来たとき、エレナさんがここにいるって聞いて……って」
ミアがエレナを見る。視線が頭から足元へ移動する。
「その格好で調査するんですか?」
エレナは自分を見る。王太子の婚約祝賀会へ出席するための濃紺のドレス。床へ何度も膝をついたせいで、裾にはすでに黒い煤が付いている。
「仕方ないでしょう」
「着替えは?」
「持ってきていません」
「ですよね……」
「それより調査道具は?」
「全部あります」
ミアが鞄を開く。
記録用紙。測定器。採取瓶。魔力遮断布。封印箱。
エレナは頷いた。
「まず現場全体を記録します。破片にはまだ触らないで」
「はい」
「それから宮殿管理部へ連絡。過去一年分の整備記録と、このシャンデリアの設計図を提出してもらってください」
「一年分?」
「二年でもいいです」
「増えた!」
「では三年」
「一年でお願いします!」
ミアが慌てて記録する。
「それと、最近このシャンデリアに変更を加えていないか確認してください」
「変更?」
「部品交換、術式の更新、魔力源の交換。何でも」
「分かりました」
ミアが走っていく。その背中を見送り、エレナは再び落下したシャンデリアへ向き直った。すでに王宮の大広間に華やかさはない。
床には砕けた魔晶ガラス。曲がった金属。焼け焦げた装飾。その中央に、巨大な照明器具の残骸が横たわっている。
「さっきの光は何だ?」
背後から声がした。レオンだった。
「光?」
「金属片に触れたときだ。あなたの目が光を追っていた」
よく見ている。
「残響です」
「残響?」
「魔導具の中を流れた魔力は、使用後もしばらく導路に痕跡を残します」
「それが見えるのか」
「はい」
「便利だな」
エレナはレオンを見る。
「それだけでは事故原因は分かりません」
「さっきは異常があると分かった」
「異常があることと、その原因が分かることは別です」
エレナは破断した固定金具を指した。
「例えば、ここです」
レオンがしゃがむ。
「何がある?」
「風属性の残響」
「シャンデリアを浮かせるための術式だろう」
「通常なら、こちらの導路を流れます」
エレナは少し離れた細い金属管を示した。
「ですが、固定金具にも流れている」
「それが問題なのか?」
「本来は流れない場所です」
「誰かが流した?」
「分かりません」
「またそれか」
レオンが呆れたように言った。
「分からないものは分かりません」
「推測くらいはできるだろう」
「できます」
「なら――」
「ですが、推測を事実として扱えば、調査を間違えます」
レオンが黙った。エレナは固定金具へ視線を戻す。
「今分かっているのは、固定部分へ周期的に風属性魔力が流れていたこと。そして金具が破断したこと。この二つだけです」
「金具が魔力で壊れた?」
「それもまだ仮説です」
「慎重なんだな」
「事故調査官ですから」
エレナは金具を魔力遮断布で包んだ。そのとき。
「エレナさん!」
大広間の反対側からミアが走ってきた。手には一冊の記録簿を抱えている。
「宮殿管理部から直近の整備記録だけ先にもらいました!」
「ありがとう」
「三か月前に定期点検されています」
エレナの手が止まる。
「結果は?」
「異常なしです」
レオンが眉を寄せた。
「見落としたんじゃないのか」
「可能性はあります」
エレナは記録簿を受け取った。
点検日。担当技師。確認項目。吊り金具。固定具。魔力導路。制御術式。
すべてに問題なしと記録されている。さらに、固定金具を撮影した記録写真まで添付されていた。
エレナは写真を見る。現在、目の前にある金具と同じもの。三か月前。目立った亀裂はない。
「おかしいですね」
ミアが言った。
「三か月で壊れたってことですか?」
「その可能性はあります」
「でも、こんな大きなシャンデリアの金具が?」
「だから調べるんです」
ページをめくる。点検記録の次に、別の書類が挟まっていた。半年前の改修記録。
「……ミア」
「はい?」
「これ」
エレナが指差す。
照明用魔力源交換。旧型光晶石十二個を撤去。新型高出力光晶石十二個へ交換。
「光晶石を替えていますね」
ミアが言った。
「半年前に」
「でもシャンデリア本体は?」
「交換されていません」
エレナは記録を追う。
制御器。固定術式。浮遊補助装置。
すべて旧設備を継続使用。新しくなったのは、光を生み出す魔力源だけ。
レオンが書類を覗き込む。
「新しい石が原因か?」
「まだ分かりません」
「絶対にそう言うと思った」
「学習が早いですね」
エレナは書類から目を離さなかった。新型の光晶石。旧型より明るく、消費効率もいい。王都ではここ数年で急速に普及している。それ自体は珍しいものではない。だが――。
エレナは落下したシャンデリアを見る。
古い制御器。新しい魔力源。固定部分へ流れていた、本来存在しない風属性の残響。三か月前には異常のなかった金具。
そして。――ARCANA。
破断した部品に刻まれていた、古いメーカー名。
「ミア」
「はい」
「追加で確認してください」
「何をですか?」
「このシャンデリアが設置された年。それから、制御器と固定具の製造元」
「分かりました」
「光晶石の交換後、揺れや異音について報告がなかったかも」
ミアが書き留める。
「エレナさん」
「何?」
「もしかして、もう原因が分かったんですか?」
エレナは答えなかった。頭の中には、一つの仮説ができ始めている。新しい光晶石が、古い制御器へ想定以上の魔力を送り込んだ。
その影響で浮遊術式が乱れ、固定具へ風属性魔力が流れた。微細な振動が半年間繰り返された。そして今夜、金具が耐えきれなくなった。
筋は通る。だが。
「いいえ」
エレナは記録簿を閉じた。
「仮説が一つできただけです」
「どんな?」
「新しい光晶石と、古い制御器の組み合わせです」
レオンが言った。
「なら、それを調べれば終わりか」
「そう簡単ならいいのですが」
エレナは破断した金具を見る。事故現場は、ときどき嘘をつく。正確には、人間が目の前の証拠から、都合のいい物語を作ってしまう。
古い設備。新しい部品。異常な魔力。
これだけ揃えば、原因が見つかったように思える。
だからこそ。
「この仮説が正しいかではなく――」
エレナは立ち上がった。
「間違っている証拠を探します」
「間違っている証拠?」
ミアが首を傾げる。
「ええ」
エレナは壊れたシャンデリアを見つめた。
「それでも仮説が残ったなら、初めて原因の候補になります」
王宮の時計が、夜九時を告げた。本来なら今頃、大広間では王太子の婚約を祝う乾杯が行われていたはずだった。代わりに床を埋めているのは、砕けた魔晶ガラスと事故調査官たちだ。
そしてエレナはまだ知らなかった。
今夜立てたこの仮説が――
最初の再現試験で、あっさりと裏切られることを。




