第1話 婚約破棄の夜、王宮の魔導シャンデリアが落ちました
婚約破棄されたその夜、王宮で魔導具事故が起きた。
事故の原因を追う女性調査官のエレナは偶然居合わせた王立騎士団の不愛想な騎士とともに、王都で起きる様々な魔道具事故の真相を追っていく。果たして、彼女が見るものとは ━━━ 。
「エレナ・クロフォード。君との婚約を解消したい」
場所は王宮。大広間の中央で、ヴィクトル・ハインツはそう告げた。
壁際では楽団が演奏を続けている。
天井から吊られた十二基の魔導シャンデリアが、昼間のような暖かな光を降らせていた。
あと一時間もすれば、王太子殿下の婚約を祝う乾杯が行われる。
よりにもよって、そんな夜だった。
「理由を聞いても?」
エレナが尋ねると、ヴィクトルの眉がわずかに動いた。
驚いたらしい。泣くと思っていたのかもしれない。
「前にも話したはずだ。結婚後も事故調査官を続けるというのは現実的ではない」
「それは聞きました」
「なら分かるだろう。ハインツ魔導工業の次期社長である私の妻が、王立魔導事故調査局に勤務している。しかも、事故が起きれば我が社の製品を調査する可能性まであるなど、利益相反を疑われる」
「その場合は、私は担当から外れます」
「そのような問題ではない」
ヴィクトルは声を低くした。
「疑われること、それ自体が問題なんだ」
それについては、エレナにも理解できた。
彼の言っていることは間違いではない。
ハインツ魔導工業は、王国内でも五指に入る魔導具メーカーだ。
家庭用暖房器から工場設備まで幅広く取り扱い、人々の生活を支えている。
一方でエレナは、魔導具事故を調査する立場にある。
結婚すれば、面倒な問題が起こる可能性は十分にあった。
だからこそエレナは以前から、担当除外案件の規定を整備すべきだと上司に提案していた。
「退職するつもりはありません」
「……だから婚約を解消する」
「分かりました」
今度こそ、ヴィクトルの眉間にははっきりと皺が寄った。
「それだけか?」
「婚約解消についてでしょうか」
「ああ」
「あなたは会社を継がなければならない。私は事故調査官を辞めるつもりがない。どちらも譲らないのであれば、結論は一つしかないでしょう」
「君は……」
何かを言いかけ、ヴィクトルはやめた。
十五歳の頃から十一年。家同士が決めた婚約だった。
だからといって、何もなかったわけではない。
誕生日を祝い、舞踏会へ行き、互いの家族と食事をした。
ヴィクトルが疲れたときは砂糖を入れずに紅茶を飲むことも知っている。
エレナが考え事をすると左手の親指を握る癖があることを、彼も知っている。
十一年という時間は、婚約を解消したからといって消えるものではない。
胸の奥が痛かった。エレナはその感覚を認識し、ひとまず脇へ置いた。
今ここで考えても結論は出ない。
「エレナ」
「はい」
「私は、君なら分かってくれると思っていた」
エレナはしばらく彼を見た。
「私もです」
「……何を?」
「あなたなら、私が辞めないことを分かってくれると思っていました」
ヴィクトルは答えなかった。
そのときだった。
――キン。
小さな音がした。
エレナは反射的に顔を上げた。
音楽。
話し声。
グラスの触れ合う音。
その中に混じった、ほんのかすかな金属音。
「どうした?」
「……静かに」
「何?」
エレナは天井を見る。十二基の魔導シャンデリア。
そのうち、大広間中央の一基。わずかに揺れている。風はない。
「皆さん、中央から離れてください」
近くにいた貴族たちがエレナを見る。
「エレナ?」
「離れて!」
今度は叫んだ。何人かが驚いて後ずさる。
直後。
天井付近で青白い光が走った。
バチン。
嫌な音。巨大なシャンデリアが傾いた。
「伏せろ!」
男の怒声が響いた。
紺色の制服を着た騎士が、人混みを押し分けて飛び込んでくる。
近くにいた老婦人を抱え、床へ転がった。
シャンデリアが落ちる。
轟音。
砕けた魔晶ガラスが床一面へ飛び散った。
悲鳴。
演奏が止まる。
魔導灯の破片が火花を散らした。
「救助隊! 中央へ!」
先ほどの騎士が立ち上がった。右の眉尻に小さな傷。肩章は隊長級。
「火属性反応あり! 消火術式を準備! 負傷者を西側へ運べ!」
命令が次々と飛ぶ。エレナも落下地点へ向かった。
「待て」
騎士が腕を伸ばす。
「立入禁止だ」
「王立魔導事故調査局です」
胸元から身分証を出す。男は一瞬だけ確認した。
「事故調査官?」
「はい。残骸を動かさないでください」
男の目つきが変わった。
「下に人がいる可能性がある」
「吊り金具と制御器の位置だけでも記録を――」
「生存者が先だ」
即答だった。エレナは奥歯を噛む。
正しい。
事故原因を調べるためには、現場を可能な限り保存したい。
しかし、証拠より人命が優先される。
「……分かりました。ただし、撤去した部品は捨てないでください。位置も可能な限り記録を」
「できる範囲でやる」
男は部下を振り返った。
「持ち上げるぞ!」
数人の騎士が残骸を動かす。その下から若い給仕係が見つかった。
意識はある。エレナは息を吐いた。
よかった。
その瞬間だった。視界の端に、淡い青色が走った。
エレナは目を細める。
残響。
魔導具に流れた魔力は、しばらくの間だけ導路に痕跡を残す。
普通の人間には見えない。エレナにはそれが、光の筋として見える。
彼女は手袋を外した。
「触るな」
先ほどの騎士が言う。
「調べます」
「まだ安全確認が――」
「三秒です」
床に落ちた金属片へ指先を触れる。
冷たい。
次の瞬間、無数の光が視界を走った。
照明用の光属性魔力
浮遊術式を維持する風属性
固定制御
遮断術式
それらが事故直前にどう流れていたのか。
エレナは息を止める。おかしい。
「……何、これは」
「何か分かったのか?」
騎士が尋ねる。エレナは答えず、別の破片を見る。
吊り下げ部分。破断した固定金具。
そこへ、本来流れるはずのない魔力残響が残っていた。
風属性。
しかも一度ではない。
何度も。
何度も。
一定の間隔で。
固定具が揺さぶられていた。落下の瞬間だけではない。
事故より前から、繰り返し。
「整備不良か?」
騎士が言った。
「まだ分かりません」
「なら何が分かった?」
エレナは破断した金具を拾い上げた。端に小さな刻印がある。
見覚えのないメーカー名。――ARCANA。
それよりも気になることがある。
固定具へ流れ込んでいた、あり得ない魔力。
「このシャンデリアは、古くなって自然に落ちたわけではありません」
騎士の表情が険しくなる。
「誰かが細工したのか?」
「それも、まだ分かりません」
「では?」
エレナは天井を見上げた。
十一年続いた婚約が終わった夜。
彼女の目の前で、新しい仕事が始まろうとしていた。
「ただ、一つだけ確かなことがあります」
床一面に散らばった魔晶ガラスが、青白い光を反射する。
「この魔導具は、壊れる前から異常を起こしていました」
エレナは金具を握った。
「――これは、ただの落下事故ではありません」
お読みいただき、ありがとうございます。
婚約を失ったエレナが見つけたのは、壊れた魔導具に残された不自然な「残響」。
王宮のシャンデリアは、なぜ落ちたのか。
次話から、本格的な事故調査が始まります。
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