第16話 酒瓶のある事故現場
王都西街道。事故現場となった橋の周囲には、すでに騎士団の規制線が張られていた。谷底まではそれほど深くない。だが、魔導郵便馬車が落ちた場所には砕けた木材と金属片が散乱している。雨は明け方に止んだらしい。道路はまだ濡れていた。橋の欄干には、大きく削れた跡が残っている。
「御者の状況はどうなっていますか?」
エレナが尋ねる。
「即死だ」
答えたのはレオンだった。救助隊はすでに負傷者の搬送を終えている。乗客は五人。三人が重傷。二人が軽傷。死亡したのは御者一人だけだった。
「名前は?」
「ダニエル・ロウ。四十二歳。王立郵便局所属。勤務歴十八年」
「事故直前の状況は?」
「雨。夜間。下り坂。そのまま橋の欄干へ突っ込んだ」
レオンは谷底を見る。
「ブレーキが利かなかった可能性がある」
「可能性?」
「現場から酒瓶が出た」
少し離れた場所に、証拠品が並べられている。その中に空の酒瓶が一本あった。ミアが顔をしかめる。
「飲酒運転……ですか?」
「まだ決めないでください」
エレナが答える。酒瓶がある。御者が死亡。馬車が橋から落ちた。物語としては分かりやすい。だが分かりやすい物語ほど、事故調査では警戒する必要がある。
「酒瓶はどこに?」
「御者台の近く」
レオンが答える。
「本人のものかは?」
「分からない」
「中身の検査は?」
「警察側でやっている」
エレナは頷いた。
「馬車を見ます」
谷底へ下りる。壊れた魔導郵便馬車は、右側を大きく潰していた。前輪は片方が外れている。荷物室も開き、中の郵便物が一部散乱している。だが、エレナが最初に向かったのは御者台だった。足元。制動ペダル。操作桿。中央制御器。泥と雨水に濡れている。
「動かされていますか?」
「負傷者救出のため、一部だけ」
レオンが答える。
「位置記録は?」
「今回は残した」
エレナが顔を上げる。
「ありがとうございます」
「学習した」
エレナは少しだけ口元を緩めた。手袋を外す。まず制動ペダルへ触れた。残響視。淡い青。制動術式への入力。弱い。だが残っている。
「……踏んでいます」
「何をです?」
ミアが尋ねる。
「事故直前、御者はブレーキを踏んでいます」
「でも馬車は止まらなかった?」
「そうですね」
次に中央制御器へ触れる。残響。通常なら、制動ペダルから送られた魔力がここへ入り、車輪側へ制動指示が伝わる。だが。
「来ていない」
「何がです?」
「ブレーキ信号です」
ペダルには入力がある。中央制御器にはない。途中で消えている。グレンが配線部分を確認する。
「断線か?」
「見た目じゃ分からんな」
セオもしゃがむ。
「制御導路を開けます」
エレナは馬車の側面を見る。製造年。十二年前。その下に改修記録。三年前。魔力源交換。新型高出力魔晶石へ更新。
「また新型……」
ミアが呟く。
「それだけで結論を出さないで」
「分かってます」
ミアは少し悔しそうに返す。エレナは馬車の下へ視線を移した。泥。雨水。そして制御器付近に、小さな染み。内部へ水が入った跡。
「グレン」
「見えてる」
グレンが指で泥をなぞる。
「防水材が劣化してるな」
「どのくらい?」
「かなり」
ミアが記録簿を見る。
「定期点検は?」
「そこを調べましょう」
そのとき、橋の上から声がした。
「クロフォード調査官!」
騎士が封筒を持って下りてくる。
「警察からです。御者の検査結果」
エレナが受け取る。開封。数秒読む。
「どうでした?」
ミアが尋ねた。エレナは酒瓶を見る。そして死亡した御者の名が書かれた報告書へ視線を戻す。
「血中からアルコールは検出されていません」
ミアが目を見開く。
「じゃあ酒瓶は?」
「少なくとも、御者が飲んだ証拠にはなりません」
分かりやすかった事故原因が、一つ消えた。エレナは壊れた馬車を見る。
「この人は、止めようとしていました」




