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第3話 『追跡』


 庁舎の屋上、吹き抜ける風が朝比奈英希の黒い制服を激しく鳴らしていた。

 眼下に広がるのは、平和を装った東京の街並み。しかし、英希の瞳にはこの街が秘めている「爆弾」の数が、あまりにも多く映っていた。

 背後から、重い足音が近付いてくる。教育係である相沢だ。相沢は手にしたタブレット端末を英希に差し出した。

「朝比奈、今日の巡視区域だ。……それと、本庁から通達が来ている」

「通達ですか?」

「ああ。最近、統計的に異常なデータが出ている。本来、能力というものは十代前半までに発現するのが一般的だ。だが、ここ数か月、十八歳以上の成人以降に突如として能力が発現する『遅発性』の事例が急増している」

 相沢の言葉は淡々としているが、その瞳の奥には深い憂慮が宿っていた。

「未登録の能力者は、自身の力の正体が分からず暴走するリスクが高い。見つけ次第、確保して保護しろ。必要であれば強制力を行使しても構わない。——これは、街を、そして彼ら自身を守るための命令だ」

「……分かりました。未登録能力者、ですね」

 英希は強く頷いた。英雄になりたかった。人を助けたいと願った。その想いが、今この瞬間も自分を突き動かしている。

     

 その頃、街の喧騒から少し離れた路地裏。

 来栖憂は、パーカーのフードを目深に被り、俯いて歩いていた。誰とも視線を合わせない。昨日の出来事——自分の内側から溢れ出したあの悍ましい「腐敗」の感覚が、今も指先にへばりついている気がしてならない。

「……誰にも知られちゃいけない」

 誰かに知られれば、自分は「異常者」として排除される。あるいは、もっと悍ましい実験の材料にされるかもしれない。そんな恐怖が、憂の喉を締め付けていた。

 彼はコンビニで買ったミネラルウォーターのペットボトルを握りしめた。ラベルを剥がし、中の液体が自分の意識ひとつで「毒」に変わるのを感じる。憂は必死に精神を集中させた。

 ——変わるな。水であれ。ただの無害な水でいてくれ。

 心の中で叫ぶ。昨日よりも少しだけ、制御のコツを掴みかけていた。だが、その不安は隠しようもなく、歩く背中には冷や汗が滲む。憂は足早に人混みの中へと紛れ込んでいった。

     

 午後。新宿駅周辺の人混みを、英希は「索敵」の感覚を広げて監視していた。

 脳内で警報が鳴る。違和感だ。能力者の放つ微弱な「波長」が、この雑踏の中に紛れている。

「……この反応、登録データにはない」

 英希は人波を縫うようにして追跡を開始した。標的は、黒いパーカーを着た青年。背中のシルエットだけで、明らかに怯え、逃げ腰になっているのが見て取れる。

「いた……! 十八歳前後か。発現からまだ間もないみたいだな」

 英希は周囲に注意を払いながら、標的との距離を詰めた。

 憂は背後に気配を感じた。視界の端に、制服姿の男が自分を凝視しているのが映る。

 心臓が跳ね上がった。バレたのか? もう、追手が来たのか?

「……くそっ!」

 憂は振り返ることなく、全速力で裏路地へと駆け込んだ。

「おい、待て! 止まってくれ!」

 英希の焦った声が背後から響く。だが、憂にはそれが「捕縛」の合図にしか聞こえない。

「来ないでくれ!」

 憂は角を曲がり、行き止まりの倉庫街へ追い込まれた。逃げ場はない。憂は背中を壁に押し付け、震える手で英希と対峙した。

「おい、待ってくれ! 俺は敵じゃない!」

 英希は両手を挙げて、一歩ずつ慎重に近づく。

「俺は、内閣統理特災対策総理府の……」

「知らねぇよ!」

 憂の絶叫が響く。恐怖で思考が真っ白になっていた。目の前の男が、自分の人生を終わらせに来た執行人にしか見えない。

 憂が追い詰められた極限の精神状態。その瞬間、彼の「能力」が意志を離れて暴発した。

「っ……あぁぁぁああ!」

 憂の周囲の空気が一瞬だけ歪み、空気中に黒い粒子のようなものが舞う。それは大気を汚染し、足元の水たまりが黒く濁る。

「なんだ……これは……っ!」

 英希は咄嗟に「慣性制御」を展開しようとした。だが、それは物理的な衝撃ではない。目に見えない微細な粒子。英希の結界をすり抜け、彼の制服の袖を瞬時にボロボロと腐らせる。

「……この能力は……!?」

 英希が驚愕に目を見開いている隙に、憂は混乱に乗じて路地裏のフェンスを乗り越え、闇の奥へと消えていった。

「待て……!」

 英希は腐食した袖を見つめ、呆然と立ち尽くした。そこには、ただ悍ましい腐敗の余韻だけが漂っていた。



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