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過ぎ去った、日々

 知れば知るほど、どんどん彼女のことが好きになっていく。自分でも怖いほど、彼女に酔いしれていく。最初は憧れだったはずの、由依への思いが本当の恋になるのにそう時間はかからなかった。

 彼女が自分自身を大事にしない分、たくさん甘やかしてたくさん労って、頑張ったねって全力で抱きしめてあげたい。大学生の時にできなかったことを、今度こそやりたい。


 そんな重いほどの熱い熱は、隠せるはずもなく、むしろ気づいてもらえることを狙って、直球なアプローチとなっていく。


 そんな俺の態度に最初は戸惑っていた由依の目に、ほんの少しの好意を感じ取った蓮はその機会を逃すことなく、必死にアプローチし続けた。直球すぎるアプローチに最初こそ警戒していたものの、蓮の粘り強さに負けた由依は少しずつプライベートの空間に俺が一緒にいることを許してくれて、いつのまにか共にいるのが当たり前になっていた。


 付き合って二度目の春、もっと彼女の1番近い場所にいたくて、彼女とずっと一緒にいたくて、桜並木の中でプロポーズした。ロマンティックには程遠い、日常の一コマの中で。綺麗な夜景も豪華な食事も高級な指輪も何もなかったけど、彼女はとても嬉しそうに、幸せそうに微笑んでくれた。あの花びらが舞い散るような、目を離せば風に攫われてしまうんじゃないかと思わせるほどの儚くて美しい、優しい笑顔はきっと生涯忘れることはないだろう。


 出会った頃の衝動が鮮やかに蘇る。


 帰り道、由依の手を握りしめながら、たくさんの想いが込み上げた。彼女を絶対に1人にさせない、俺がこの手で守るんだと、あの頃は果たせなかった行為に、全ての想いを込める。


 そんな気持ちに気づいていたのか、由依は蓮の手を握り返しながら、「蓮くん、一緒に幸せになろうね」と蓮と肩を並べる。どこまでも綺麗で凛とした、憧れの人。

 由依らしい言葉に相貌を崩しながら、さらに強く彼女の手を握りしめる。


「もう充分すぎるよ」


 今、まさに幸せの絶頂だと困ったように笑ってみせる。由依はふふっと、いたずらっ子のように目を細めて甘く笑う。


「これから幸せの記録をどんどん更新していくんだからね」


 二人して笑い合う姿のその先に、彼女との明るい未来が脳裏を掠め、その眩さに酔いしれそうになる。その半年後、由依の両親と母に見守られながら小さな教会で結婚式を挙げた。

 今は亡き両親が結婚式を挙げた教会を思い出したのは、彼女に両親のことを打ち明けたときだった。実の両親は蓮が高校に入る前に亡くなったこと、その後、母の妹である、叔母の家に引き取られたこと。叔母夫婦とは中々うまく溶け込めず、すぐに家を出たこと。その中でも、幼い頃に母が嬉しそうに教えてくれた、結婚式の思い出を口にしていた。後から知ったことだが、ふたりは駆け落ち同然で結ばれたから、金銭的にも厳しくウェディングドレスも用意できなかったそうだ。それでも、森の中の小さな教会の中で、2人で作り上げたおままごとのような結婚式を挙げたそうだ。その時の写真は今でも残っている。決して豪華ではないけれど、これ以上にないほど幸せそうな2人。自慢の優しい両親。

 それを聞いた彼女は、同じ教会で式をあげたいと式場探しに取り掛かった。場所も何もかも分からず手掛かりは教会内でとった古びた写真しかなく、探し当てるのは無理だと思っていた。そんな戸惑う蓮を他所目に、由依は見事その教会を探し当てて、座席もきっちり俺の両親分も用意して「当日、ご参列してくださいね」と両親の墓前で嬉しそうに報告をしていた。


 結婚式当日、ウェディングドレスに身を包んだ彼女は、天からやってきた使者かと思うほど、可憐で美しく、光を放っていた。

 式が始まる前に泣き出してしまった俺を、由依は笑いながら涙を拭い、「蓮くん、幸せだね」とさらに追い討ちをかけてきた。その後は言うまでもなく、式が始まる前から号泣している新郎と、笑いながら慰める新婦を、皆が微笑ましく見守ってくれて、ささやかながらもとても幸せな暖かい式となった。


 そして、その1年後に子どもを授かった。二人で緊張しながら行った、産婦人科の診察室で見た赤ちゃんのエコー姿。トクトクと動く心臓に、胸が熱くなり泣き出してしまった俺の横で、「かわいいね」と目尻に涙を浮かべながら笑う由依に、ただただ頷くことしかできなかった。

 つわりが酷く食事が喉を通らない日が続き、どうすることもできない自分の不甲斐なさに悔しくなりながら、必死に自分のできることをした。頑張りどころを間違え、自分も闘わねばと仕事は持ち帰り深夜に行い、できるだけ早く家に帰るようにした。由依と同じくらい、いや、同じくらいなどと言うのは烏滸がましいが、それくらい自分も頑張っていないと怖かったのだと思う。

 たまたま様子を見にきてくれたお義母さんが、げっそりとした顔をして出迎えた俺たちを見て酷く驚いていたのを覚えている。お義母さんは由依とそっくりで穏やかそうな雰囲気を纏っているが、その内面はパワフルさが底抜けに格上だった。二人の生活を聴取すると、呆れたお義母さんにこっぴどく怒られた。

 一緒になって同じベクトルで頑張っていたら、二人一緒に力尽きてしまうと怒られて、初めて自分の努力が見当違いであったことに気づいた。

 後から聞いた話だが、日に日にやつれていく俺の負担を心配した由依が俺を心配してお義母さんに来てもらうように連絡をしてくれたらしい。由依自身、負担をかけてはいけないと家事を頑張ろうとしてくれたのだが吐き気が強く家事を中断せざるを得ないことが多く、ままならなさに悩んでいたのだ。悩んだ末、人生の先輩である母に相談したのだと聞いた時には彼女の健気さに思わず抱きしめてしまった。


 お義母さんの訪問後、俺たちの生活はガラリと変わった。

 職場の上司に恵まれ、「奥さんにとっては、旦那は羽純くんだけなんだから。会社のことは気にせずに俺らに任せておきなさい」と家でできる仕事へ調整してもらい、お義母さんに教わりながら最低限の家事を由依と二人でこなし、出産や育児の勉強をした。

 申し訳なさそうにしている由依に、マタニティ本直伝の赤ん坊をお腹に宿すことがどれだけ大変なのかという話を力説した。全てお義母さんや上司たちの受けうちだったのだが、その頃にはその意味をしっかり理解して由依を守りたい一心だった。赤ちゃんを育ててくれてありがとうとソファに横たわる彼女の肩を抱きしめる。由依は小さく笑いながら、俺の肩に顔を埋めて「蓮くん、どうしよう。すっごく幸せすぎて、泣きそう」と震える声で洩らす。ぽたぽたと落ちる涙が染みを作る頃には、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえはじめて、その穏やかな寝顔に少し安堵したのを覚えている。

 由依のつわりが治る頃になると、「買いすぎたから貰ってくれないかしら?」とお義母さんがお義父さんを引き連れて大量の冷凍食品やレトルトのお惣菜を持ってきてくれた。動けるようになったからと、由依が無理をするのを見越してのサポートには脱帽させられた。

 由依のお腹はみるみる大きくなり、エコーで見る我が子もどんどんふっくらと赤ちゃんらしい体つきになっていき、その成長を心から二人で喜んだ。


 そして、予定日から1週間後の夜、灯里が生まれた。

 産声を聞いた瞬間、涙が止まらなかった。

 泣きじゃくる俺の手を由依がそっと握り、「3人で、幸せになろうね」と笑いかけた。涙で滲む視界の中、俺と由依、そしてこの子の3人の眩い未来が輝き出した気がした。

 この子のこころがいつまでも温かく、そしてその灯が周りの人を包み込みますように、そんな願いを込めて、灯里と名付けた。


 灯里はたくさんの愛情を一身に背負って、すくすくと大きくなった。そして、その小さな体のどこにそんな愛情が詰まっているのだろうか、と驚くほど大きな愛情をたくさんの人に降り注いでいた。

 とても、とても優しい子だった。

 人の悲しみに敏感な子で、泣いている子のそばに行き、ずっと手を握ってその子のそばを離れようとしなかった。

 俺が灯里の風邪をもらって寝込んでいた時には、俺のそばにいるのだと、片時も離れようとせずに大号泣し由依を困らせていた。もともと灯里がひいてた風邪だから大丈夫だろうと根負けした由依に、俺の横に灯里の布団を引いてもらうと、俺の熱が引くまでずっとそばにいてくれた。

 幸せの最高記録が、どんどん更新されていく。かけがえのない日々を愛する家族と共に過ごした。恵まれた日常を心の底から感謝した。この幸せがずっと続きますように、灯里の寝顔を見ながら由依と二人でそっと祈った。


 しかし、その幸せが一瞬にして崩れた。


 灯里は、幼稚園から帰る途中、交通事故に巻き込まれその短い生涯を閉じたのだった。

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