拳で語りましょう
どこかから鬨の声が盛んにこだましている。
レオ皇太子の主力と、国軍の守備隊が本格衝突を開始し、渡河作戦が発動したのだろう。
軍船を揃え、近くの漁師達の漁船も買い上げ、かなりの数の帆船がスエズス河を渡る。
当然国軍による阻止活動が開始され、戦況は天秤のバランスの様に拮抗するかもしれない。
もしかしたら、勝利の女神がレオ皇太子河に微笑み、ヌールベイ大橋を突破して、帝都近郊まで破竹の進軍をみせるかもしれない。
その逆に死神の誘いを受け、死屍累々の屍を野山に晒し、軍としての形を成さない再起不能の損害を出すかもしれない。未来なんて移ろいやすい、全てはサイコロの目みたいにころころと移り変わる。
人も国も、歴史という事象の中に書き記され、この出来事そのものが、記録されるかもしれない。
だが、今は関心事はそこじゃない。
ムツキは相対するアノニムと寄せ集めの集団に対し、自身の分身をその数だけ出現させ、相手の数的有利をなくしにかかった。
「おや?珍しい能力だ。私とも、エレノアさんとも違う特異なものですね。自身の存在を変容し、その存在を増やせるなんて、羨ましい」
「…そりゃあどうも先輩!」
「けど、この木偶が邪魔ね?」
「背格好は立派だけど、中身はどーかしら?」
「試したいね、試していいよね?」
「じゃあ私が下調べをっ!」
複数のムツキが一斉に喋りだし、お互いの獲物に対し次々に躍りかかる。
あまり分身を続けると、自身の意識が細分化されすぎて稀薄化し、身体を戻した際にぼんやりした状態になるにはなるが、それで気後れするつもりはさらさらない。むしろそれくらいの逆境は望むところだ。愉快でたまらない。
戦場にただ一人。
信じるべきは己の身体一つのみ。
寄せ集めを殴り倒し、内臓を掻き出し、手当たり次第に臓器を辺りにぶちまけている。
一人一殺を体現するように、巨軀の人外を華奢な女性達が圧倒していく。
だが、倒したはずの寄せ集めが再び起き上がり、ムツキ達の障害となるべく立ち塞がる。
自分の知っているなり損ないとも違う生態。
動ける怪我ではないはずだが、平然と動き回る木偶人形達。だけど、不死身の怪物なんて存在はこの世にはいない。必ず寿命があり、摂理を捻じ曲げる存在にはそれなりの制約がある。
身体は朽ち果て、大地へと還元する。
それが自然界の掟であり、絶対のルールだ。
目の前の奴等も摂理を捻じ曲げた者達なんだろう。
面倒臭いことこの上ない。
「…へー、動く肉壁さんね。貴方達」
「彼等は兵器なんですよムツキさん、様々な動物を掛け合わせたハイブリッドな新種なんです」
「アノニムさん、…じゃあ私達も?」
「私は頭脳労働者ですよ、肉体的な労働は彼等にお任せしています!まぁそうはいってられない状況ですがね、困ったもんだ」
口ではそう言いながら、好戦的な視線をむけるアノニム。ムツキも拳を構え、じりじりと距離をつめて戯けた態度で近づく。
拳に力を入れ、肩をパキパキと鳴らすムツキ。
アノニムも屈伸などの準備運動をしながら、白衣を丁寧に折り畳み、傍に置いている。
そして至近距離まで近づいてから、お互い全力の攻防が展開される。
腹や脇、肩に顔に背中、関節や足、ありとあらゆる場所に痛打を浴びせ、お互いの身体が変形するまで殴り合い、血飛沫が上がるのもお構いなしに、なおも痛烈な打撃を浴びせる。
骨や血管、神経が潰れる音が響き、皮膚なども剥がれてお互い痛々しい様相だ。
アノニムは顔面が潰れ片足がひしゃげており、ムツキも肩が外れて片腕が変形している。
だが、数秒後にはお互いの身体にはなんら異常はみられず、戦う前の状態へと戻っている。
労力の割に、徒労感が凄まじい。
「挨拶はこのくらいですね?」
「あぁ、そうだね」
悪魔を打倒するのは手順がいる。
聖職者や悪魔祓いは、悪魔の真名を知り、その名を元に依代などを利用して封印又は調伏する。
しかし、高位の悪魔は真名が複数ある場合もあり、その手段が通じない場合もある。
そうした場合力で屈服させ、悪魔の核を物理的に打ち砕くか、その悪魔が収奪した魂を奪うという手段がある。いづれも長期戦になりやすい、厄介で根気のいる作業だ。だが、根をあげた者には死が待つ。
「こっちは終わったよー」
「木偶がしぶとくてしぶとくて」
「動かなくなるまで殴ってやったわ!」
「あとはあの…」
「「白衣の奴だけよね?」」
「これはこれは、凄い光景だ」
分裂していたムツキ達が次々に合流し、寄せ集め達を打破して戻ってくる。本体と分身達が合体し、より完璧な状態にはなるのだが、やはり他の戦場も気になり始めたムツキ。格好つけた手前、けつをまくって逃げ出すのは自分の矜持に反する。
「アノニムさん?」
「何かな?私達の仲間になるというなら、いつでも大歓迎だ。君の望む帝国での位を進呈しよう、もちろん君の部下達の身を安全も保証するが」
「やっぱりここで、貴方と私の闘争に幕を引くのはどうにも味気ないと思うの。どうせ運悪く戦い続ける関係になるのだから、一旦解散しない?」
「味方の動向が不透明だし」
「…ふむ」
「じゃあ、私は自陣に帰るわね」
「仕方ない、その提案に今は従いましょうか」
戦場の片隅で笑いあう二人。
突然始まった戦闘は、突然前触れなく終わった。




