空虚な心を持ちましょう
「ダニエル陛下!」
「…なんだ?急ぎでなけれは後にしろ、世俗の事は全て大臣や宰相に任せている。私の手を煩わせてくれるな、要件は何だ?」
「はっ!」
「陛下の御裁定待ちの案件をお持ちしました!判断できかねるものがありましたので、取り急ぎご報告をと思いまして!」
「…印はこの位置でよいか?」
「はい、結構でございます」
書類の束に署名し、帝国の紋章たる獅子の印を乱雑に捺印し、書類の内容は斜め読み。
親類縁者達の都合のいい法案が次々と可決し、帝国の法の一部として羅列されていく。
彼らも最初は謙虚だったが、段々と手口も杜撰で大胆になって増長している。
歯止めをかける意味でも、そろそろ誰か首を吊ってしまうか?いやまだ早計か?
最近はなにかと悩む毎日だ。
ローグ連合国との永年の確執。旧皇太子派に所属していた貴族達の処遇に、国軍への予算。
妻へのご機嫌とりに、辺境の再開発に統廃合。
やる事は山積みなのだが、どうも満たされない毎日が続いて渇いている。
帝国の主だった行事や、国の大まかな方針決定は王弟たるダニエルの仕事だが、それ以外の事柄にはあまり関心がない。無頓着で自堕落。
それ故の国の荒廃、衰退に気づきもせず今日も後宮へと引き篭もり、王城の執務室の机は綺麗なままの状態で放置している。
為政者としては最低だが、次代に自分の一族の血を脈々と受け継ぐという責務は果たしている。
ただそれだけだ…。
巨大なベッドに女性を侍らせ、淫交に励みに励み、朝も昼も夜も関係ない。
酒を煽り、美食を堪能し、絶世の美女を抱き、美術に傾倒してみても、満たされない。
何かが足りない…。
「相変わらずねダニエル君?」
「…エレノア、か」
寝所の奥の部屋から姿を現す女性。
真っ白な髪を腰まで伸ばし、切れ長でやや冷たい眼差しのエレノアと名乗る彼女は、仮にも帝国の最上位の存在たるダニエルに気安く話しかける。
対する王弟は彼女の姿を見ると、びくりと身体が震え、返す言葉も緊張で裏返る。
「…あぁ、動きながらでも構わないわ。また何か欲しいものはないかと思って、御用伺いに来た」
「今は特に、ない…」
寝所の中では、絶えず規則正しく粘着質な音が聞こえ、女性の嬌声が響き渡り、彼女にとっては不快な状況のはずなのに、動揺がない。
ただのんびりと水を飲み、椅子に腰掛けている。
「残念ね、そんなに邪見にされると傷つくな。昔はあんなに色々なモノを欲しがって、私に懐いてくれた可愛い坊やだったのに」
「昔は昔だエレノア!気軽に願いを言えば、君は何でも叶えてくれた!ただ願いの代価がエスカレートしている!もう僕から何も奪わないでくれ、僕はもう失いたくはないんだ!」
「何故怒るの?」
「何かを願うには、相応の代価が必要よ。今の地位も財産も、人脈も部下も、親しい者達も、本当の愛を知りたいと願った貴方の願いでしょ?」
「…それは、そうだが」
「それに私は貴方の初めてのトモダチでしょ?」
「悩みの種を聞かせてごらん」
「代価は融通してあげるから」
…………
ダニエル・ベルヘルミナ。
先先代の皇帝の時代にベルヘルミナの分家から、子宝に恵まれない皇帝夫婦の養子として、王家の一族の仲間入りをはたした過去があるが、その他にも何人もの養子達がいた。
皇帝夫婦はどの子も同じ様に愛してくれたので、彼の幼少期はとても満ち足りて幸福だった。
寝る前にはいつも絵本を読んでくれたり、話の続きをせがむと子守唄を歌ってくれた。
だが皇帝が病で崩御し、あんなにも優しくしてくれた皇帝婦人は、何者かに毒殺された。
手並みが鮮やか過ぎた事から内部の犯行だろう。
それを契機に養子達の中で醜い後継者争いが始まり、愛情は憎しみへと簡単にすり替わった。
何者かが仕組んだ事とは思うが、人脈も後ろ盾もないただの餓鬼であった自分が真っ先に標的にされ、地方の貴族の屋敷に幽閉された。
世間的には死んだも同然だ。
殺すまでもないとの判断だったのだろう。
「お前はダニエル・ベルヘルミナじゃない。ただのダニエルとして生きると誓え!そうすればこの場所から解放してやる」
「…ちかいます!」
「そんな覚悟じゃここから出せないな、暫く此処で頭を冷やしていればいいさ」
「まって!約束するよ!ねぇ!」
「じゃあなクソ餓鬼、来世で会おうや!」
見張りの兵士にぞんざいに扱われ、屋敷の地下牢に罪人の様に繋がれた窓もない湿った空気の中、少年は何かかもが奪われた。
朝と晩に決まった時間に飯がでるも、残飯をゴテゴテに盛っただけ。酷い時は動物の骨や水だけの日もあった。量もあまりない。
時間の感覚も、曜日の感覚も、季節の感覚さえも曖昧となり、ただ生きているだけの存在。
世間は今何をやっているのか?
他の兄弟は何をしているのか?
どうして誰も僕をみてくれないのか?
地下牢からは負の感情が日増しに増大していく。
風の噂で二番目にいた養子が、後継者争いに競り勝ち、実権を握ってからは酷い有様だと聞いたが、特に何の感想も湧かない。
そんなある日の事。
やる事もないので、小石を拾って壁を削っていると、自分しかいないはずの地下牢に他人の気配を感じるが、無関心を装った。
どうせ見張りの兵士達の悪戯だ、何もしないでやり過ごすのが一番の得策だ。
だが、その人は気さくに話しかけてきた。
「こんにちは」
「君は何が欲しいのかな?」
その人は優しい声で僕に語りかける。
はっきりと綺麗な声で。
「……叶うのならば」
「僕の事を愛してくれる人が欲しいです。父さんや母さん、兄弟や友達が…」
「じゃあ私が貴方の最初の友達ね!」
「いいの?じゃあよろしく、えーと…」
「私はエレノアよダニエル!貴方が欲しいものはなんだって用意してあげる。何でも…」
「だから貴方は私が欲しいモノを頂戴、これは私と貴方の血の盟約よ。約束よりも重い枷」
「よく、わかりません」
純粋な好意を持つ少年と純粋な悪意をもつ存在。
彼らは地下牢で親睦を深め、お互いを理解する。
そして少年は彼女に淡い恋心を、エレノアは暇潰しの道具ができたと笑顔だった。




