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06 対処できたかと思えば

 そして、襲撃事件やら誘拐事件やら、いろいろあってからのひと月後である。


 回廊の死角で、セオドアからマリスが『嫌がらせ』宣言をされた直後、マリスはセオドアに休暇届を出して王城から逃げだし、シレーヌを訪れた。

 マリスは急にエゼルセフ公爵家を訪問したのだが、シレーヌは笑顔で出迎えてくれた。


 シレーヌは、マリスがシレーヌの恋敵では無いと、リリアーヌから太鼓判を押されている。

 もちろんそう言ったことも、マリスに対して悪感情を持たないことと関係が無いとは言えない。

 シレーヌは、ゼントランの誇り高い『青き大輪の薔薇』などと呼ばれているが、自分がもう完璧な聖人ではないことを学習済みだ。

 が、それ以上に、誘拐されたシレーヌを、マリスがずっと離れずにすぐ近くで追っていてくれたことには、本当に感謝している。

 マリスは驚くような道のりを、ゴールの見えない距離を、ずっと走って付いて来てくれていたのだ。


 シレーヌだけではない。

 シレーヌの妹リリアーヌも、父であるエゼルセフ公爵もマリスには一生かかっても返せないぐらいの大きな借りがあると考えている。


 令嬢シレーヌは賊に薬を嗅がされて拉致されている。

 無事に戻ったからそれで良いとも言える。

 だが、無事に戻ったとは言え、本来なら傷物扱いになるところだ。

 王太子妃候補としても高名なシレーヌだからこそ、おかしな噂が今後付いてしまうことも十分有り得ることだった。

 いや、人を貶めることに余念の無い社交界ならば、何かあったと囁かれていたことは間違いないだろう。


 しかし、そうはならない。

 何故なら、マリスと言う人が、誘拐中もずっと自分の視界にシレーヌを入れていて、そのことはセオドアからも、マリスの功績の一つとして公にされている。

 そしてシレーヌの名誉は守られたのだ。


 それに、貴族社会ではなかなか出会えない、人間性で向き合ってくれるマリスの人となりにも、シレーヌは魅力を感じている。

 マリスは公爵邸に招かれて、これまで数度訪れている。

 リリアーヌもそうだし、予期しなかったことだが、公爵もどうやら、マリスが公爵邸を訪れるのを楽しみにしているのが垣間見える。


 因みに以前、マリスを恋敵だと思っていたシレーヌだが、その恋情はセオドア王太子に向けたものではない。

 シレーヌの想い人は、マリスの元上司で幼馴染でもある、ケビンだ。

 シレーヌは、爽やかで誠実で温厚で、その実、秘めた闘志も抱いている若き騎士隊長のケビンに、思いがけず、心を寄せることになってしまった。


 つい先日、シレーヌはとうとうマリスに、自分のケビンへの想いを打ち明けた。

 マリスは飛び上がりそうになった。

 全身で喜びを表現したかったが、ケビンより先にケビンの気持ちを語ってはいけないと、何か言うことは耐えた。

 とりあえず、シレーヌを全面的に応援することは伝えた。


 そして今日、セオドアに休暇願を出し逃げしたマリスは、シレーヌのところへとやって来た。

 王太子の『嫌がらせ』のために混乱しきった気持ちを抱え、シレーヌに助けを求めたのだ。


 シレーヌは侍女も下がらせて、マリスと二人きりになった。


「マリス、どうしたの? ……もしかして、王太子殿下に関係ある?」


 下を向いていたマリスがシレーヌの顔を見た。

 その顔に「なぜ分かるの?」と書いてあった。


「マリス……あなた……分かりやす過ぎるんだけど……」


 シレーヌが苦笑する。

 マリスはシレーヌに、王太子から『嫌がらせ』だと言って、髪に口付けされたことをなんとか伝えた。


 言葉にしたマリスは、そのことで、だいぶ落ち着くことができた。

 そして、自分が慣れていないだけで、些細なことに過敏に反応し過ぎたかもしれないと、ちょっと思い始めた。

 しかし、シレーヌの方は小刻みに震えだしている。

 シレーヌは怒っていた。


「なんてこと! 王太子殿下がそんなことを! ひどいわ! 動けないように言い付けた上で女性に手を出すなんて!」


 もちろん、貴族男性の中には、挨拶代わりに女性の髪や手にキスを落とす者も多数いる。

 現在行方が分からなくなっている、王の弟君であるザルノール公なども、その代表のような人物だ。

 公がさりげなく腰に手を回そうとしてくるのを、シレーヌも何度か躱したことがある。


 でも、マリスは騎士で、そんな海千山千の社交界の流儀に慣れていない。

 しかも、セオドアはマリスの唯一の上司なのだ。

 その上、王国で二番目に地位のある王太子なのだ。

 その王太子から、百数えろと言われるなんて……

 素直なマリスは言う通りにするしか、なかった、はずだ。


(………)


 言う通りにするしか、なかった、のだろうか?

 それにしても、マリスは何故耐え続けたのだ?

 言い付けられたから? 相手が身分の高い人だったから?

 シレーヌは冷静になって考えた。


「マリス、王太子殿下がやったことはいけないことだとは思うけど、それでも……

 どうして……もっと早くに逃げ出さなかったの?」


 そうなのだ。

 マリスなら、別にセオドアを体術で倒すこともできた。

 そこまでしなくても、さっと身を返して距離を取り直すこともできたはずだ。

 タチアーナを警護していたマリスを見れば分かる。

 マリスは、馬鹿正直な頭でっかちなのでは無く、臨機応変に対処できる騎士だったはずだ。


 シレーヌは考える。

 マリスの方も、少しは、セオドアに引き寄せられていたのではないのか?


 マリスが答えた。


「………な、何かの……技が掛かるんだと、思って……」


 マリスの返事を聞いて、シレーヌは絶望的な気分になった。

 マリスの中に、セオドアへの好意の欠片が存在しているのかもしれないと一瞬思って聞いたのだが、……大変、まことに、残念だ。

 片手を額に当ててシレーヌはマリスに聞いた。


「それで、殿下に『嫌』とマリスが言ったら、殿下は『済まない』と一応は謝って下さったのね。

 そうね。……マリスは、もう一度謝罪を求めても良いと思うわ。

 そして、わたくしとしては、王太子殿下のために、殿下の騎士は辞めないであげて欲しいわ」


 以前はマリスがセオドアを一撃で伸してしまうと言う失態を犯したが、今度はセオドアの方がやってしまっている。

 それでもシレーヌとしては、セオドアにだって、まだチャンスがあってもいいように思った。

 シレーヌはセオドアを王太子として尊敬している。

 長く二人は婚約間近の状態だったのだ。

 戦友のような関係でもある。

 シレーヌだってセオドアには幸せになって欲しい。


 でも、そのとき、マリスの胸に……前にも有った、何かチクンと刺す痛みが走った。

 王太子妃候補でもあるシレーヌが言った「騎士を辞めないであげて欲しい」が、セオドアの横に立つ者としての、言葉のように聞こえたのだ。

 シレーヌが誰に想いを寄せているかをマリスは知っているのに、それでも、マリスの胸は一人でに痛むのだ。


「マ、マ、マリス?」


 シレーヌが驚いて立上り、マリスの掛けていた一人掛けの椅子の横に来た。

 シレーヌが優しく、マリスの背に手を乗せた。

 マリスの、少し茶色味がかった黒い瞳から、涙が零れていたのだ。

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