39 王妃の秘密
ナターリエ王妃にはステファン王に言えていない秘密が有った。
ゼントラン王国へ、ステファンの妃になりに来る前からの秘密だ。
それは…………
それは…………ステファンから贈られた木のメダルを、ナターリエが、粉々にしてしまったことだ。
ナターリエは西の王国の王女だった頃、打倒「ソード」を胸に、顔を描いた藁の人形を用意して鉄拳を打ち込んでいた。
「ソード」とは剣術で戦うのだから、素手での訓練に直接意味は無い。
だが、筋肉を鍛えるため、それから戦意を上げるためにと、打込みを日課にしていて、「ソード」に破れたあともなんとなく続けていた。
ところで王女ナターリエは、二度目に「ソード」に負けて母国に戻ってから、木工細工のメダルを、首から下げるようになった。
ゼントラン王国の不遇な王子ステファンが自ら、ナターリエを想って細工した大変手の込んだものだった。
メダルの中央には、軍神である女神が象られていた。
もちろん、その女神はステファンにとってのナターリエなのだが、そのことは、王子でありながら力を持たないステファンの心の中だけに留められていた。
とにかくナターリエは、そのメダルが、どうやっても着ているドレスに合わないときは、衣服のどこかに忍ばせて、肌身離さず持ち歩いていた。
メダルに触れていれば、遠く異国に暮らすステファンと共にあるような気がして、胸が締め付けられるようで、でも温かな気持ちになれた。
初めて訪れた感情に、折りに触れて愛おしそうにメダルを眺めるナターリエだった。
しかし……メダルは、繊細な細工物で、素晴らしい出来だったが、持ち歩くのには、多分……向いていなかった。
きっとそうしている内に、メダルには無理な力が掛かっていたに違いない。
ある日、藁を内蔵した「ソード」の顔に、ナターリエが勢いよく拳を打ち込んだそのときに……
拳と「ソード」の顔の間に、メダルが挟まってしまい………………メダルは、木端微塵に飛び散った。
「ギヤー!!!!!」
ナターリエは大いに絶叫して侍女や護衛たちを盛大に驚かせ、ちょっとした騒ぎになった。
そして、その顛末がナターリエの父である、当時の西の国王の耳にも入ることとなったのだ。
一方その頃、西の国王は、ナターリエの嫁ぎ先を考えあぐねていた。
隣国のゼントラン王国がナターリエを妃にと打診してきているが、当時のゼントラン国王は政治能力が低く、ゼントランが東の王国に呑み込まれる危険性が大いにあった。
しかも、天候不順と天災で、国力が弱まっていた。
そのため、ナターリエをゼントランの泥船に乗せるよりは、臣下に娶らせる方が良いだろうかと考えていた西の国王に、とある考えが浮かんだ。
確かに、ゼントランが東の王国の支配下に入れば、西の王国もうかうかしていられなくなる。
ここは明確に、西の王国が後ろ盾となっている能力ある人物が次のゼントラン王なのだと強く示すことで、東の王国を牽制する手の方が良いのではないかと。
そして調べてみると、ステファン王子は父である王と折り合いが悪く冷遇されているが、王よりもずっと優秀で、西の王国にとっては都合の良い人物であることが分かった。
その上、ナターリエはステファンを慕っているようだ。
西の国王は、西の王国と言う後ろ盾を以って、ゼントランで孤立するステファン王子に恩を売ることにした。
西の国王の狙いは当たった。
ステファンは、是が非でも、自分が王になって王妃となるナターリエと共に、国を再建するため尽力すると約束したのだ。
ゼントランへと渡る当日、挨拶に訪れたナターリエ王女に、父である西の王国の国王は厳かに言った。
「ゼントラン王国がこれから栄えるか廃れるかは、そなたたちに懸かっておる。末永く二国の関係を良好に保つため、そなたが塵にしたと言う、その……装飾品のことは……秘密にしなさい。ステファン王子には決して明かさぬように」
父王は、親心で言ったのだ。
父王は、贈り物が灰燼に帰したことを知れば、ステファン王子も良い気はしないに違いないと考えた。
鉄拳王女などと揶揄されるような困った王女でも我が娘である。
政略的な意味合いももちろん有るが、ステファンを選んで申し入れたのは、ナターリエの結婚生活が幸せなものになって欲しいと願ったからだ。
だが、ナターリエとしては、この婚姻が政治に基付くものだと分かっていた。
それに、王子自ら手掛けた細工品を、こともあろうか、鉄拳で粉砕したなどと言うことが知られれば、国際問題にもなり兼ねないことに父が釘を刺したと理解した。
王となったステファンは、ずっと、ナターリエを敬ってくれる。
ナターリエが頼んでも無いのに、「ナターリエ以外は、側妃も妃妾も絶対迎えない」と早々に公言し、実行している。
ステファンは……ナターリエが王女だった頃に、贈ったメダルのことに言及することはない。
力も財も持たなかった当時のステファンには自作のメダルしか贈ることができなかった。
つまり、つまらないもの、を贈ったに過ぎないのだ。
しかも、ナターリエを称賛する贈り物をしたいと言う、ステファンの自己満足のためだ。
贈ったことを忘れてはいないが、わざわざ言うことでも無いと、ステファンは考えていた。
ナターリエも言えない。
ただ、ナターリエは、メダルの破片だろう木の粉が付着した(と見えなくもない)布をこっそり大事に保管していて、時折眺めながら自分の失敗を省みている。
なぜ、あの思い遣りが詰まったメダルを大事に飾っておかなかったのだろうと。
いっそのこと、正直に伝えて誠心誠意ステファンに詫びたいとは、何度も考えた。
だが……メダルは落として割れたぐらいのことならまだ良かったのだろうが、ナターリエの場合、自らの拳で跡形も無く破壊してしまっている。
それに、父王に言われた言葉にもずっと引き留められてきた。
しかし。
「陛下に、ステファンに、あのこと、言わないといけないの!」
炎が舞上がる中、奮い立ったナターリエが叫ぶ。
そうだ、言わないといけない。
そうでないと……
セオドアが王城の前で襲撃された事件の夜、疲労を滲ませたステファンから言われたのだ。
伝説の剣士の絵姿を宝箱に入れて大事にしていることを知っていると。
そして、「ソード」ではなく本当はシャールである伝説の剣士に、ナターリエが、想いを寄せ続けていると。
まったくの、まったくの、誤解だ。
大切なメダルの破片の粉が付着している(はずの)布のことに気付かれてしまったようだが、その布には、「滅殺! ソード 地獄に落ちろ!」と言う殴り書きと、ギリギリ顔に見えるぐらいの、目と鼻と口が乱暴な線で描いてあるだけなのだ。
突然告げられて、ナターリエは真っ赤になりながら、伝説の剣士が想い人などと言うことは絶対に無く、
「わたくしの想い人は、昔も今も、陛下ただお一人です!!!」
とにかく、ナターリエは、それだけは言い切った。
でも、そこまでだ。
期せずして、ステファンから行かないでと縋られたナターリエは、嬉しいやら恥ずかしいやら何やらで、混乱状態に陥った。
だからまだ、肝心のメダルのことは、言えて……いない!
まだ誤解は解けていない。
「絶対にダメ! あれを伝えるまでは死ねない!」
ナターリエの真の気迫に、少女たちも、女騎士たちも正気を取り戻した。
「そうよ、だめよ! 死んではだめ! 王妃様の言う通り!」
「皆んな! 王妃殿下と共に、絶対に生きてここを出ましょう!」




