36 幸運かと思えば
ジーナはマリ―アの言葉に、全身が粟立つような衝動を感じたが、必死に堪えた。
立ち上がって走り出したいのを、ひたすら耐える。
(なにが! どうして! ……辛い目って! 私は……私が……辛い目になど……)
違う。ジーナは、ずっと、幸運だったはずだ。
他の兄弟のように殺されなかった。
ジーナは生きる価値のある人間なのだから。
「キャロルさん? 大丈夫?」
「…………」
マリ―アの呼びかけに、ジーナは応えることができない。
「キャロルさん……」
「…………だ、いじょう、ぶ、です…………あの、また、会って……もらえますか?」
ジーナはなんとか次の約束だけをして、その場を去った。
マリ―アは、赤い髪が意味することを勘付いていると見ていいだろう。
それについて、話が出るものと思っていたジーナはしかし、マリ―アに救いたいと言われて、自分でも驚くほどに激しく動揺し、我を忘れそうになった。
「この髪色は気に入らん。儂を父と呼ぶことなど、二度と絶対、許さんからな」
物心がやっと付いたと言う頃、老王から言われたことだ。
そのとき、ジーナは、近くにいた侍女に促され、老王に「父王陛下」と呼びかけたのだ。
老王は、自分の本来の髪色を思わせるジーナを疎んじた。
皮肉なことに、ジーナは『九』の幼少期によく似ていたのだ。
それからジーナは、老王から命令されるままに、毒を盛り、人を陥れ、欺き、騙し、欺き、騙し、そしてジーナ自身の命を繋いで来たのだ。
老王から褒められることもなかったが、殺されなかったのだから、役に立っていたはずだ。
なのに、そのはずなのに。
ジーナは今、どうしようもない。
どうしようもなく、頬を涙が伝う。
ジーナは認めたくなかったのだ。
自分が、憐憫の対象であることを。
あのとき、ジーナが殺した同い歳の姉は、ジーナを哀れんでいた。
だから、彼女が動かなくなったとき、ジーナはスッとしたのだ。
でも、本当は……本当は、雑に殺された姉より、それを命じられた通りに実行するしかない自分の方が、ずっと粗雑な存在だった。
「いやだ! いやだ! 許せない!!!」
ジーナは、何が、誰が、許せないのだろう。
ジーナを認めてくれない老王なのか、赤銅色の髪の自分自身なのか、ジーナを阻む太陽王子なのか、それとも……あのマリ―アなのか。
マリ―アの手は温かかった。
そして、ジーナが殺したジーナの姉と同じ瞳をしていた。
「マリ―アって……もしかして……」
唐突な想像だが、可能性は無くはない。
マリ―アも、ジーナの姉の一人なのかもしれない。
そして、マリ―アが老王に殺害されることから逃れ、隠れているのだとしたら、ジーナが同じ境遇にあると考えて同情を寄せたのだと言う推測ができる。
そしてきっと…………マリ―アの髪は赤いのだ。
ジーナの髪より、鮮やかに赤いのだ。
どこか、自分が殺した姉と似ている、本当は赤髪のマリ―ア。
そんなマリ―アからだから、「救いたい」などと言われたぐらいで、ジーナは取り乱してしまったのだ。
そんな気がした。
◇◇◇
このところ、ゼントラン王国の王立騎士団内では、西の王国との合同軍事演習に伴って、王都から多くの騎士たちが、遠征を行なっている。
軍事演習は、時期を少しずらしながら、いくつかの場所で行われるのだ。
また、その日程は、直前になるまで、各部隊には公表されない。
そのため、王都から各地に、王立騎士団の隊員が散らばっている状態なのだ。
更にこれは極秘にだが、セオドア王太子が東の王国で潜入作戦に臨んでいることに備え、東の王国側に騎士が多く集められている。
その分、王都内の守りは、王立騎士団の女騎士隊が担っている。
少し前、女性だけの女剣術大会が開催され、最近昇進したばかりの女騎士、サーラ隊長が優勝を飾っている。
今日はその、誉れ高いサーラ隊長が、公募で選抜された少女たち八人を女騎士の施設に案内すると言う催しが行われている。
もちろん、少女たちは未来の女騎士や女性騎士を目指す者たちだ。
女剣術大会で、ナターリエ王妃から贈られたブローチを付けたサーラは、少女たちの憧れの的だ。
そして、見た目が二十代のサーラの方も、自分の子供より年若い少女たちに囲まれるのが楽しい。
少女たちは、王城内での騎士の訓練の様子や、騎士団本部の中央棟や南棟にある騎士の為の施設を順次見学している。
セオドアたちの潜入作戦が行われている最中ではあるが、これを知る者はごく僅かで、最後の詰めの部分に差し掛かってもいる。
しかもつい先刻、セオドア本人が無事王城に舞い戻った。
そもそも、ゼントラン王国の王城がいつもと同じく平穏であることを示すためにも、前々から決まっていた予定はそのまま実施されている。
だいたい、男性騎士たちの多くが地方へ行って不在であるため、訓練場所や施設が空いていて、見学するのにも都合が良かったのだ。
「わたくしも、女騎士の皆さまのように強くなれるでしょうか?」
王立騎士団本部の南棟の四階、通称女子階に案内された少女たちは、談話室で、サーラ隊長を囲んでの質問タイムに入った。
談話室は、今日の公開に合わせて準備されたのか、鼻から抜けるような爽やかな香りが薄っすら漂っていた。
一人の少女が質問をしたのでサーラがにっこり微笑んで応える。
「そうね。もちろん、騎士になるための試験には合格できる者とできない者がいますが、騎士の仕事にもたくさんの種類があるので、一人一人の適正にあった役目がそれぞれあるのよ。だから『強い』にも色々あるけれど、目標をもって臨めば道は開けると思うわ」
「訓練は辛くないでしょうか?」
「辛いわよ。でもそれだけじゃない。毎日続けていると、今度は訓練をしない方が体調が悪くなるの。それに、仲間と一緒に鍛えることは楽しいことでもあるわ」
「わたくし、サーラ隊長様のようになりたいです!」
「フフフ、ありがとう。でも、私より、王妃殿下や、王太子殿下専任の女性騎士の方が強いわよ」
少女たちの瞳が輝く。
「鉄拳王女」のナターリエ王妃も、元やらかし騎士とは言え、今は王太子の信任も厚いマリス専任騎士も、少女たちが目指す先に鎮座する金字塔だ。
用意されていた飲み物をメイドたちが配ってくれたので、少女たちは喉を潤しながら、サーラを熱く見つめた。
今回の公募では沢山の希望者が集まったが、選定された少女たちは、貴族令嬢や富裕層出身の者だけでなく、身元がはっきりした一般市民の家から来た子もいる。
隣の子の所作を真似て、見よう見まねで飲み物を飲んでいる者も多い。
(もっと、地方の少年少女たちにも、機会があるべきね。マリスのような逸材も眠っているはず)
菖蒲の花のブローチをつけたサーラは、目の前の少女たちを眺めて思った。
そのとき、開けられていた談話室の扉から、女騎士を二人従えて入って来た人がいた。
その人はサーラと同じく、王立騎士団の騎士服を纏い、太陽のような金髪をたなびかせていた。
「王妃様!!!」
驚いた少女たちが立ち上がる。
サーラは聞いていたので、恭しくナターリエに近付き、礼を取った。
「サーラ隊長、ご苦労」
「お目にかかる光栄に感謝いたします、王妃殿下。本日はこの見学会にお越し頂き、わたくしも含め、皆、大変に喜んでおります!」
サーラの手に自分の手を乗せたナターリエは、導かれて、今日は使われていない暖炉の前に予め置かれていた低い台上に登った。
「皆さん、本日は来てくれてありがとう。皆さんはゼントラン王国の未来そのものです。皆さんがこの国を守ってくれたら、この国はもっと良い国になる。どうか、これからも、王国と王陛下と王太子殿下と、それから、わたくしのことも助けてね」
「殿下!」
「王妃様!」
憧れの王妃様がすぐ近くにいて、直接声を掛けてもらえるなんて、と少女たちは感激に打ち震えている。
談話室は、少女たちの熱気で室温が何度か上がったようだ。
サーラが目配せをして、女騎士が部屋の窓を少し開けると、部屋の中の爽やかな香りが外に流れ出た。
そして一瞬だけ、暖炉の中から細い煙の線が、室内に僅かな模様を作って消えた。
その香りの元は、暖炉の内側の見えにくい箇所に取り付けられていた線香だった。
そしてそのとき、その線香は随分短くなっていた。




