31 決戦の日 2
シャールはマリスからも老王の護衛の話を聞いていた。
老王の怪物護衛はソフィア妃の兄エミリオだ。
シャールは勢いを付け、エミリオ目掛けて鋭く剣を突き出した。
剣と剣がぶつかり合う音の大きさに、多くの者が耳を塞いだ。
会場となった大広間には、二人の鬼気迫るような気迫がジワジワと広がっていく。
最初は興味本位に見物していた観衆も、知らず、二人の動きに釘付けになっていく。
しばしの打撃音のあと、シャールとエミリオは、剣と剣とを合わせたまま睨み合いだした。
「エミリオ殿! 目を覚まされよ! イメルダ殿もこの場に来ている!」
エミリオにだけ聞こえるように、シャールは告げた。
それまでなんの感情も滲ませなかったエミリオの顔から、瞬間、頭に血を登らせたような圧が吹き出た。
「なんだと! 貴様! その名を……」
「エミリオ殿! 俺の背後を見ろ!」
「その名を口にすること、許せん!!!」
エミリオは、試合中に、対戦相手から視線を外すような下手は打たない。
「そうだよな! そんな簡単には行くわけ無いよな!」
シャールはそう言って、エミリオの剣を捌き、後ろに跳んで下がった。
「ふん! 伝説の剣士が聞いて呆れる。これまでも、相手を動揺させて試合を勝ち取っていたのか」
「エミリオ殿には、俺の背後にいる人を見て欲しいんだが、やはり、戦うしかないのかー」
真剣同士が、もの凄い速さで、ぶつかり合っている。
だが、だんだんと、エミリオの息が上がってきた。
「エミリオ殿、お疲れでは? 歳には勝てないのではないか」
シャールが言ったところで、エミリオは、剣を振りながら、反対の手で、何かをシャールに向かって投げた。
「くっ!」
シャールの上腕二頭筋辺りを、円盤形の鋭利な刃物が掠めた。
シャールは、直撃こそ避けたが、見えていたのに、その暗器はシャールの服を裂いた。
暗器が予想もしない動きで飛んで来たからだ。
シャールはそれを避けた上で、なんとかその暗器を剣で叩いて床に落とした。
剣術の試合で、剣以外の武器を出してはいけない。
そもそも、こんな屋内で飛び道具を振り回せば、周囲で見ている人間にも当たってしまう可能性だってある。
禁じ手と言う以前の問題だ。
しかもその上、服が裂けたところから、独特の臭いが立ち上った。
毒だ。暗器には毒も塗られていたようだ。
「エミリオ殿、反則だらけだ……」
「私にはルールなど無意味だ。殺すか、殺されるか、それだけだ」
「エミリオ殿、いや、無茶苦茶なじいさん! 俺の後ろを見ろって!」
「そんな戯言に惑わされるわけないだろう! 伝説の剣士殿、いやここで負けたら、ただの剣士だな! 貴様が死んだら見てやる!」
「ミーオ!」
「ぬっ!!!」
エミリオは、突然誰かが叫んだ言葉に、募らせた怒りを今度こそ爆発させた。
あの言葉は、エミリオに向けてあの人だけが使う、特別な呼び名なのだ。
しかも、あの人に似せた声で、エミリオを揺さぶるつもりだ。
「だ、れ、だ! 殺してやる!!!」
声のする方にエミリオは目線をやって怒声を上げた。
そこには、シャールのものより地味な作りだが、濃い朱色の伝統衣装を着た人物がいて、その姿が、エミリオの視界に……入ってしまった。
その瞬間、エミリオは……動けなくなった。
あの姿を、エミリオは知っている。
もう四十年前のことだ。
とある祝賀会で、あの装束を纏ったエミリオの姉様を、息をするのも忘れるぐらい見つめていた場面が、今、一瞬で蘇った。
あのときも、姉様の舞姿に合わせて揺れる黒髪が、本当に本当に本当に、麗しかった。
いやしかし、そんなはずは無いのだ……しかし。
無いのだが……
エミリオの姉様が、群衆からほんの少し前に出て、厳かな動きで、あの演舞を舞った。
あの日と同じ装束、あの日と同じ演舞だ。
試合の途中だと言うのに、もう、エミリオには、シャールへ視線を戻すことができない。
エミリオは、その手から剣を落とし、そして、床に膝を付いた。
老王は、エミリオが生涯、老王のために尽くすことを誓わせていた。
エミリオは、妹であるソフィアを王の人質にとられていたが、それだけではなかったのだ。
エミリオは、当時の王太子を殺害して逃亡した姉のイメルダを、老王が見逃す代わりにと、誓約で縛られることになってしまった。
狡猾な老王は、証拠を捏造して、イメルダが主の復讐のために王太子を殺めたと、エミリオに信じさせていた。
何年も経ってから、老王こそがイメルダを死に追いやったに違いないと、ソフィアがエミリオに話しても、エミリオは断固として取り合わなかった。
エミリオは、ソフィア以上にイメルダに心酔していて、イメルダの死など受け入れられなかったし、既に、老王の為に多くの人を殺していて、後戻りできなかった。
けれどエミリオも、いつしか、事の顛末に本当は勘付いていた。
だからこそ、四十年前に見たイメルダの姿を、再び今、目にしたことで、大きなショックを受けたのだ。
広間の中央で膝を付いて放心する老王の護衛を囲み、人々は一言も発せないでいた。
マリスはソフィアに習って、東の王国に古くから伝わる演舞を、触りの部分だけだが、再現して見せたのだ。
その効果は、マリスが想像していたよりも遥かに大きかったようだ。
「なに? 勝負がついたのか? 何も見えなかったが……エミリオが負けたのか?
早過ぎて見えなかったのか? ……ふむ、さすが! ……伝説の剣士!
よし、褒美だ。褒美をやる!」
老王が薄布越しに言ったので、間髪入れずにシャールが走り出した。
「ありがたき幸せ。それでは遠慮なく」
広間のホールから、老王のいる二階部分へは直接上ることはできない構造になっている。
ところが、いつの間にか、二階部分へは梯子が掛けられていた。
「いや、梯子無くても上れるけどね。でも、この服、これ以上汚したくないから、梯子の方がいいか……」
シャールが、言いながら、あっという間に老王のすぐ近くまで来てしまった。
「なに! ち、近すぎる……ソード! 待て! エミリオ! 早く来い」
急に近付いて来たシャールに、老王は狼狽えた。
そんな老王の言葉など、今のエミリオには一切聞こえない。
老王は怒鳴り続ける。
「誰でも良い! 早く儂を助けろ!」
「助ける者などおらぬぞ」
老王の背後から、今度はソフィアが現れた。
「なっ! お前、ソフィアが何故ここに?! 後宮に居るはずでは……」
「王の後宮などと言うものは、もう無くなりましたよ。今は、もぬけの空です。誰も居りません」
ゴルドの母、ジュリアも現れて冷たく言った。
「お前たち! ただでは済まさぬぞ!」
老王はジュリアに殴りかかろうとした。
とっさにソフィアが出て、老王の鳩尾に自らの肘で一撃入れる。
「妾は、投げ技も寝技も突き技も、全部得意じゃ」
老王はそこで気を失った。




