29 マリスの秘密
さて。
只今、東の王国の王宮には、ゼントラン王国のセオドア王太子と、西の王国のアンドリー王太子、加えて出戻って来た東の王国のゴルド王太子、更には伝説の天才剣士も揃っている。
セオドアとアンドリーは、それぞれ、ソフィアを経由して、東の王国の貴族たちと内密に会談し、三国の和平の必要性を説いて交渉に当たっている。
特にアンドリーは、侍女に変装した上で後宮の妃たちに面会して、説得を行っている。
アンドリーもやるときはやるのだ。
今、アンドリーはソフィアの宮の中にある湯殿にいる。
アンドリーは疲れを癒すためか、ゆっくり湯に浸かっている。
そんなとき、ふいに、ソフィアの手の者がまたソフィアの元に報告に来た。
ちょうど、マリスとソフィアは、小さなテーブルで向かい合って二人で静かに話をしていたところだった。
侍女達もマリスとソフィアから距離をとって控えている。
ソフィアの手の者は、セオドアからの手紙を預かっていて、それをソフィアに渡した。
短い手紙には、セオドアが面会した者たちの話と、ゴルドとそしてセオドアの無事を伝える他に、文末には、「榛色の騎士も変わりないか?」と書かれていた。
榛色の騎士とは、その色を纏うことが許されたセオドア唯一の専任騎士、マリスのことだ。
「私のことなど……」
マリスは長い息を吐いた。
とりあえず、今日もセオドアは無事のようだ。
セオドアは、国を守るために自分を犠牲にしたりはしない、とマリスに言っていたし、色々な策を考えていたから、心配は要らないと信じていた。
それでも何故だか、マリスの胸の奥から、込み上げるものが湧いてきた。
そして思わず、一筋、涙が零れた。
つい最近も、思いがけず涙が出たことがある。
そのときも、マリスは、セオドアのことを考えていたはずだ。
「……マリス殿は、主の慈悲深い言葉に、感極まったのじゃな。
いや、主と言うより、マリス殿が恋心を寄せる人かの」
マリスにとって、ソフィアは祖母とも呼べるような年齢で、そのソフィアから「姉様」によく似ているなどと言われたからか、マリスはソフィアと、本当に何かの繋がりがあるかのような錯覚に陥ることがある。
そのソフィアが「恋心を寄せる人」とマリスにだけ聞こえるように言ったとき、マリスの頭の中は、期せずして、セオドアのことでいっぱいになった。
他の誰かに同じようなことを言われても、マリスは呆れて取り合わなかったかもしれない。
ところがそのとき、ソフィアの言葉は、マリスにはそのまま響いた。
「ソフィア様は、平民出身で護衛と言う立場の私が、王族に心を寄せるなんてこと、有ってはならぬことだとは思われませんか?」
「……マリス殿、このことは誰にも言っていないことだが……妾の姉様の話をしても良いだろうか?」
ソフィアは不思議な返事をしたが、マリスは神妙な顔でコクリと頷いた。
「……姉様は、妾が最後に会うたとき、どなたか好いた方がいたようであった。妾はずっとそのことを考えておった。姉様が恋情を向けていた相手は、いったい誰だったのだと。姉様の行方が知れぬまま四十年近くが経ってしまい、姉様のお相手を確かめる術は、妾には無い。
だが、姉様は、お相手のことを『秘密』だと言っていた。そこでだ。妾は……姉様のお相手について考えてみたのだが……」
ソフィアは、更に声を落として言葉を継いだ。
「姉様のお相手は……妾は…………姉様が護衛をしていた王陛下だったのではないかと、考えておる」
ソフィアは、姉様であるイメルダが王宮で侍女勤めではなく、本当は王の非公式の護衛だったことを後から知った。
そしてイメルダが、その関係を誰にも言えない秘密だと言っていたのは、相手がイメルダが仕える王だったからではないかと、思い至ったのだ。
「……ソフィア様の姉君も護衛を務められていて、そして、お守りする相手に……想いを寄せられた……と……」
「想像でしかないが、妾はそう考えている。
……姉様は、詳しい話は一切なさらなかった……それでも、お幸せそうに見えた」
そのときのことを思い出したのだろう、ソフィアが遠い目をした。
「マリス殿、そなたには必ず幸せになって欲しい。それが妾の願いじゃ。勝手なことを言っているのは分かっている」
「……」
「……それに、アンドリー殿からも聞いておる。セオドア殿も、マリス殿に対して並々ならぬ思慕を寄せていると」
やはり、『そんな馬鹿な』と、ソフィアが言ったのでなければ、マリスも流しただろう。
けれど、それが出来ない。
代わりにマリスの中で、ずっと恐ろしいと思って開けられずにいた扉が、自然と開いたような気がした。
目を見開いているマリスに、ソフィアが続ける。
「姉様は『惹かれてしまったら止められない』とおっしゃっていた」
少なくとも、セオドアからマリスは嫌われてはいないと思う。
確固たる信頼関係を築けていると思う。
更に男女の情がセオドアに有ったとして、王太子であるセオドアがマリスとの将来を望むとは思えない。
でも……しかし。想うことは止められない、のだ。
止められないのは、セオドアの想いか、マリスの想いか。
マリスはセオドアのことが……
「ソフィア様、私は、セオドア様を……好きになっても、良いのでしょうか?」
ソフィアは、マリスに微笑んで言った。
「マリス殿、そう言った時点で、もう、好いているのではなかろうか?」
そうか。
そうなのだ。
だから、以前、シレーヌとセオドアがお似合いだと感じたときに、マリスは悲しくなってしまったのだ。
そして王城の回廊で、セオドアがマリスの髪に口付けを落としたときに、必要以上に動揺してしまったことの理由も分かった。
あのときマリスは、嫌だったのではなく、マリスの中に在るセオドアへの気持ちが溢れ出てくるのが、怖かったのだ。
マリスはようやく腑に落ちた。
マリスは、セオドアが好きだ。
それも、随分前からそうだったと言う気がする。
それに、多分……その気持ちを、とても大切にしたいと思っている。
「わ、たし、セオドア様が……好き……みたい……です」
マリスは消え入りそうな声で言った。
そんなマリスをソフィアは優しく見つめた。
幾日かの夜が来て、その夜も明けた。
少しでもセオドアの助けになればと、マリスも自分に出来る準備をするために、懸命に取り組んだ。
そして今日は、決戦の日だ。




