25 姉様の秘密
「この下に通路がある」
ソフィア妃がマリスとアンドリーに示した先には、資材を収めるような木箱が無造作に積まれていた。
今、マリスとアンドリーは、ジュリア妃の宮から脱出したあと、ソフィアの導きでソフィアの宮にもほど近い、物置のような建物に入っている。
ソフィアの侍女たちが手際よく木箱を移動させると、床に開閉扉が現れた。
扉が開けられた先には、地下に降りるための梯子が掛けられている。
灯りは無く、下は見えない。
ソフィアの案内でマリスとアンドリーが続いて梯子を降りると、ソフィアの侍女たちが、マリスたちの頭上で扉を閉めた。
「暗いな。何も見えないぞ」
アンドリーが不安を隠さない声色で呟いたが、マリスにはなんとか周囲が見えた。
梯子で降りた先は、石畳の部屋になっており、壁には更に扉がいくつか設けられていた。
ソフィアの言っていた隠し通路とはこのことではないだろうか。
マリスは拳を握り締める。
ゴルドの母であるジュリアの宮で、ゴルドとそしてセオドアも捕らえられてしまった。
「……許せない」
マリスの呟きにアンドリーが応えた。
「マリス、自分を責めてはいけないよ。セオドアは自分の判断で捕まったんだ。
セオドアが逃げることは出来たかもしれないけど、ゴルドが居ることはバレていたからね。秘密裏に行動する計画だから、騒ぎにしなかったのは、私も正解だと思うよ」
「それは……そうなんですけど、それよりも……ゴルド君の母君が、ゴルド君を売るような真似をするなんて……」
マリスは、ゴルドが、ゴルドの母から傷つけられたことに憤っていた。
アンドリーが言った。
「そうか。そうだね。でもマリス、王族なんて、結構そんなものだ。それに、親子の親愛は絶対的なものじゃない。
ただ……少なくともゴルドの方は母君を慕っていたようだからね。確かにちょっと……胸が痛むね」
マリスは再び拳に力を入れた。
アンドリーの言うことも分かる。
それに、人には、幸せも不幸も、それぞれに降りかかるものだ。
だが、東の王国で老王が招く不幸せの量があまりに多過ぎる、とマリスは思う。
ゴルドも、ジュリアも、きっとソフィアも、それにあのジーナだって。
シレーヌもタチアーナも、それにセオドアも、マリスの大切な人たちが様々巻き込まれている。
そのとき、誰かが嗚咽を堪えているような音が聞こえた。
その声の方を見ると、ソフィアがマリスを見つめていていた。
「昔、本当に昔、姉様とこんな暗い部屋に隠れて、隠密ごっこをやったのじゃ。今なら分かるが、あれは暗い中でもどうやって動けばいいかの訓練だった。姉様のとの訓練は……とても楽しかった……」
ソフィアがまた涙声になった。
(侍女の方たちが慌てている……)
ソフィアに付いて来た侍女たちの動揺が、マリスには感じられた。
ソフィアの様子が尋常ではないと言うことだろう。
声が聞こえたからか、アンドリーも汲み取ったようだ。言葉を発した。
「ソフィア妃の姉君と、どうもマリスが良く似ている、らしいことは分かりました。敵国の私共に、ソフィア妃がご助力下さることも、それが無関係では無いのでしょう。セオドアとゴルドが老王側に捕まった今、貴方の助けは是非とも欲しいところだ。
しかし、私はまだ、貴方を全て信用しているわけでは無い。ソフィア妃殿下、あなたの知っていることを教えて欲しい。それを聞いて、このまま貴方と手を組むべきかを判断したい」
暗闇の中、ソフィアが涙を堪えて頷いたのを、マリスは見ていた。
◇◇◇
「姉様、イメルダ姉様、真っ暗でなんにも見えない……怖い」
「ソフィア、大丈夫。落ち着いて。ゆっくり瞬きをするのだ。目が慣れる。それから、心を静かにして集中することも肝要だ」
イメルダとソフィアは八歳離れた姉妹だ。
イメルダはその武術の力を評価され、もうすぐ、王の護衛になることが決まっている。
表向きは侍女として王宮に上がることになっているとは言え、王の側に侍ることになれば、そうそう、生家に戻ることも許されない。
イメルダは今、自分がいなくなる前にと、妹に武術の教えを施しているのだ。
イメルダは癖のない黒髪と漆黒の瞳を持ったとても美しい女性だ。
やもすると冷たい印象にも見えるが、実のところ、優しい心根の人物であるとソフィアは知っている。
そんなイメルダが、ソフィアは大好きだ。
そして、一族の中でも武芸者として名高いイメルダにソフィアは心底憧れている。
ソフィアはイメルダが任務でもうすぐ家を離れて王宮に入ることは知らされていたが、これまでもイメルダが数日家に居ないことは度々あったので、その程度の認識でしかなかった。
ところが、別れも告げないで翌朝出立したイメルダに、ソフィアが再び会えたのは、それから三年も経ってからだった。
三年の間、ソフィアは外見の成長だけでなく、イメルダの教えを守って体を鍛え、技も磨いてきた。
そのときも庭で一人腕立て伏せをしていたソフィアの元に、イメルダが突然現れたのだ。
「ね、姉様! 戻ってらしたの!」
ソフィアがイメルダに駆け寄る。
イメルダはソフィアに、にっこりとほほ笑んだ。
(前から素敵な女性だったけど……姉様、なんてお綺麗なの……)
久しぶりに会ったイメルダは、凛々しさの中にも、甘い花のような香しさも滲ませるようになっていた。
ソフィアが成長したからそう感じるのか、それともイメルダに、何か変化があったのか。
「ソフィア、あなたに逢いに来たが、すぐ戻らなくてはいけないのだ。
……ソフィア、あなたが一族の為に、王の後宮に入ると聞いたのだが……」
「姉様、心配して下さるのね。大丈夫よ。わたくしの役割はお父様から聞いているのよ」
イメルダとソフィアの一族も、他の貴族家同様に、王の後宮に妃役を差し出してきたが、この一族の妃の元には、王が渡って来ることは無い。
それが、建国当時からの仕来たりだからだ。
そもそも東の王国で、後宮の妃は人質としての役割が主となるため、王の渡りが無い妃も多数存在する。
そして、王が退位するか、若しくは十年も務めれば、実家に帰って来る者も少なくない。
ソフィアは後宮に入ったとしても、王の御手付きになることもなく、再び元の生活に戻ることも可能なのだ。
とは言え、これから春を迎える年頃のソフィアがこの先十年を、後宮と言う檻の中で過ごすことに、イメルダは心を痛めたのだろう。
心配になって、やって来たのだ。
「ソフィア、もしも、心の端に少しでも、戸惑う気持ちがあるのなら、私がお父様に言って引き延ばすか、取りやめてもらってもいいのだよ」
「姉様、お気持ちはありがたいのですが……
例え形だけだとしても、妃として陛下の元に嫁ぐのですから、戸惑いは有るに決まってますわよ。フフフ。
それでも、この身でお役目が果たせることの方に、震えるくらいの喜びを感じております」
「…………ソフィア……あなた……大切に想うような殿方はいないの?」
「姉様、大丈夫。わたくしが一番大切に想っているのは、姉様ですもの」
「……」
「姉様、一族に生まれたら、恋愛ごとなどとは無縁に過ごすこと、定めにございますでしょ?」
「……」
「姉様?」
イメルダだって、一族の誰かが王の後宮に入らねばならないことを分かっているはずだ。
なのに、ソフィアの想い人について聞いてくるなんて。
だいたい、他者から崇められることは有っても、誰かを慕うような感情は持ち合わせていないのがソフィアの知るイメルダだ。
なのに、そのイメルダが、ソフィアの恋愛ごとを心配するだなんて。
でも目の前のイメルダは、少し苦しそうな面持ちでソフィアを見ている。
(しばらく振りに会うからかしら? 姉様のこんな表情は見たことが無い気がするわ)
不思議に思うソフィアに、イメルダは思案気な目線を落として言った。
「誰かに……惹かれてしまったら、それが止められないこともある」
「ん?! 姉様……姉様には、想う人がおられるのですか?!」
イメルダの頬に赤みが差す。ソフィアは見逃さない。
「素敵ですわ! そのような御方が姉様にも現れるなんて!」
「ソ、ソフィア……私のことを、話に来たのでは…………その……その……秘密、だから」
イメルダは消え入りそうな声で言った。
そんなイメルダをソフィアは優しく見つめた。
そんなやりとりがあってしばらく後に、伯爵家の当主だったソフィアの父が大怪我を負い、看病の甲斐無く亡くなった。
亡くなったソフィアの父は、刺客の剣から王を庇ったそうだ。
そして、王を護衛していたはずのイメルダは行方不明になったままだ。
信じられないことに、王に刺客を放ったのが王太子だと誤解したイメルダが、王太子を殺して逃げたと言うのだ。
前伯爵が急逝した上に、イメルダが罪を犯したことで伯爵家は混乱し、ソフィアは外出すら許されず、イメルダの行方を追うことが出来なかった。
その後、ソフィアの兄が伯爵家を継ぎ、一年以上経ってから、延期になっていたソフィアの輿入れが敢行された。
後宮に入ったソフィアは、もちろん、諦めきれない思いを抱えていた。
ソフィアが、納得するわけが無い。
何かが隠されている。
が、しかし、表立って動くことは得策では無いとソフィアは感じていた。
それからソフィアは、鍛錬を続け、従う者を増やし、後宮から秘密裏にイメルダを探し続けたのだ。




