22 敵かと思えば
「構えずとも好い。そなた、王太子になったのであろう? 新しい王太子は立っていないのだ。この東の王国の王太子は、今でもゴルド王子、そなたじゃ」
東の王国の後宮にあって、一番高齢だというその妃は、生まれて直ぐに後宮から出されて人知れず離宮で育ったはずの、ゴルドの顔を知っていた。
しかもゴルドは、ゼントラン王国幽閉中に毎日運動したことですっかり引き締まって人相も変わっている。特徴的な赤髪もカツラで隠し、眉も染めている。
ゴルドは、名前を呼ばれたことにびっくりして顔を上げてしまった。
ゴルドは立太子したが、このとき式典などは無く、王の間で宣誓しただけだ。
つまりゴルドという王太子について、この東の王国内でも知る者はほとんどいないはずなのだ。
この国では、王の子などと言う、いつ消されるか分からない危うい存在に、進んで近付く者はいない。
その上、ゴルドは王太子になったとたんに国を追い出されている。
だから、後宮から出られないはずのこの妃が、ゴルドの顔を知っていたことにゴルドだけでなく、皆が警戒した。
セオドアも、アンドリーも、そして、マリスも、身構える。
「構えずとも良いと言ったであろう。妾がなぜ、この歳で、後宮に居座れているのか、調べきれなかったか? 確かに皆心得があるようだが、騒ぎは起こしたくないであろう? 心配するなと言ったのだから心配するでない」
いや、心配しないわけにはいかない。
ここは敵の腹の中なのだ。
「ゴルドが、この者たちを連れて来たのか? いや、違うな。この場を指揮しているのは、そっちの榛色の美青年だな。厚手の服で体躯を隠しているが、かなり鍛えておろう。
それから、あちらの浮世離れした麗人も、人の上に立つことに慣れた者だ。
二人共、東の王国の人間では無いようだが、ゴルドが潜伏していたゼントランの者たちかえ?」
妃はセオドアとアンドリーをそれぞれ見て、判断を下していく。
「……なるほど、麗人の方はゼントランの者では無いのだな。さすれば、西の王国から来たか」
セオドアたちは何も言っていないのに、妃は微かな反応を頼りに、次々とセオドアとアンドリーの正体を明かしていく。
「相当高位の者たちと見える。織物を触るのに躊躇が無かった。普段から、このような質の高いものに囲まれた生活をしておるな……」
「あ、あの!」
マリスが声を上げた。
セオドアもアンドリーも、もちろんゴルドも、この場を制していく妃に呑み込まれそうになっていた。
マリスは言葉を発した。そうしないとマリスも操られてしまいそうだった。
「お妃様。お妃様は、お妃様は……」
何か言わないと。この空気を変えないと。
「お妃様は……投げ技と寝技、どちらがお得意ですか!」
マリス! 何を言い出した!
驚愕のあまり、アンドリーの髭がもげそうになった。
が、しかし。
それで、セオドアは我に返ることが出来た。
セオドアが話を繋ぐ。
「お妃様、どうぞ御名を呼ぶ無礼をお許しください。ソフィア妃殿下、確かに私はゼントランから参りました。けれど、少々、この身を偽って入国したぐらいで、今のところ、何かの悪事を働いたりはしていませんよ。それでも捕らえるとおっしゃるのなら……私と、ゴルド王太子殿下は仕方ありませんね。
でも、あとの二人はどうぞ見逃してください。まあ、逃さないとおっしゃられましても、私が逃がしますけどね」
「オホホホホ、はぁー……心配無いと言っておろう。自ら騒ぎにするでない。
しかしなかなか、そなたは面白い。
ゴルドは、ゼントランの王太子に捕らえられたそうだが、まさか、そなたがそのセオドア王太子ではあるまいな。ホホホ、それはさすがに無謀過ぎると思うが……
…………いや? まさか……」
とにかく、マリスとアンドリーを逃がすことだけに集中しようと、セオドアは腹をくくった。
「正解です。さすがです。さすがソフィア殿下です。ええ、そうです。無謀にも参りました。私がセオドアです」
「ああ、確かに……思い出したぞ。あれは……八年ほど前だな。東の王国に何かの用向きで来たことがあったであろう……そうだ、水害が起こった国に攻め入らないことを協議し合う会議だったな。あのとき見たゼントランの王子は確かにそなただ。長い目で見て支援策を講じることに利があると、随分若いのに堂々と発言しておった」
「そうです。会議がありましたね。私を覚えて頂いていて恐縮です。しかし不思議なのですが、ソフィア殿下も含め、お妃様はどなたも、会議に参加されていなかったと記憶しています」
「いや、抜け出してこっそり見に行ったのじゃ。妾だけが知る秘密の抜け道があるのでな。王宮の中心までの抜け道じゃ。教えて欲しいか?」
「ほー、なるほど。そうですね。教えて下さい」
「それで、老王を殺しに行くのかえ?」
「王は殺しません。正当な形で譲位して頂きます。少々脅したりはあるかもしれません」
「誰に譲ると言うのだ。王位を継ぐ者などおらぬぞ。老王は殺し過ぎた。
ゴルドには……荷が重すぎるであろう。この国は…………老王と共に滅びる道を辿っておる」
ソフィアがゴルドを見た。
ゴルドは顔を上げて話を聞いており、云々と頷いた。
ソフィアには、疲れたような、諦めを全て呑み込んだと言う表情が浮かんでいる。
そのソフィアに、セオドアは麗しい笑みで言った。
「ソフィア殿下、貴方様は王の妃であられる。貴方様が継がれればいい」
ソフィア妃とアンドリー王太子とゴルド王太子、それからソフィアの侍女たちも、揃って目を丸くした。
「太陽王子が何を言う。妾は婆であるぞ」
「何をおっしゃる。老王より随分お若くていらっしゃる。
それに、八年も前の会議について、内容まで覚えておられるのは、政にも明るい証だ。
そもそも……そうだ。ソフィア殿下、投げ技と寝技、どちらがお得意なのですか?」
マリスに言われて、セオドアも気が付いたのだ。
「武術の鍛錬を日々なさってますね。部屋内にかかる梁、一見、天井から飾りを下げるために造られたように見えます。でも、縄で擦り切れたような跡もありますね。補修もされているようですから、長年やってこられたのでしょう。それに、最近できたような傷も見受けられますし……それにあちらの、あの床のへこみは……素振りもされていますね?
ソフィア殿下は、姿勢も大変美しく、健康そのものにお見受けしますが、如何ですか?」
セオドアの私室内にも鍛錬の為だけの木枠を設置してある。
マリスが提案したのだ。
マリスの古巣、王立騎士団の訓練場にも同じような仕組みがあった。
そちらは、ケビンが進言して造られたものだそうだ。
もちろん、マリスとケビンに指導したのはシャールだ。
シャールは、上から吊るした縄や丈夫な布を使って、縄のぼりをしたり、逆さ吊りになって体を動かす鍛錬をやっていた。
梁の傷は、健康のために体を動かすだけで、ああはならない。
ソフィアは、目的を持って体を鍛える武芸者だ。
「なるほど……セオドア殿下の母君は、伝説の女剣士であったな。一度対戦してみたいと、夢のように思っていた頃が懐かしいぞ……」
「それで、ソフィア殿下は私に協力して下さる、と言うことで良いのですね?」
セオドアは、ソフィアの瞳を見た。
ソフィアは言った。
「ああ、その通りじゃ。セオドア王太子殿下、貴公に協力することを、天地神明に誓って約束する。
……ずっと誰かが終わらせてくれるのを、ただ待っていた。鍛錬していたのは惰性だ。何かしていないと息が出来なかった。でも、今日、このときに…………姉様が現れて、妾の目を……覚まして、くれた、のだな」
ソフィアは何故か……最後は言葉を詰まらせていた。




