19 理想形かと思えば
ゼントラン王国のナターリエ王妃と言えば、以前より「鉄拳王女」として名高く、そこから今では賢王ステファンが、唯一の妃として敬う、文字通り、無二の貴婦人だ。
なんなら、こちらこそ理想形の王妃様だ。
「鉄拳王女」と言うのは、元々は誉め言葉ではなかった。
武術に傾倒して淑やかさに欠けると、ナターリエ王女を揶揄して呼ぶ言葉だった。
しかし今では、特に女騎士を目指す少女たちにとっては、周囲に色々言われても好きなことを貫いて現在の地位を獲得した「鉄拳王女」様は、すっかり憧れの存在である。
女性のみならず、国力を底上げしてきた王と王妃は、国民からの支持も絶大だ。
そんな全ゼントラン王国民が尊敬してやまない女性がナターリエ王妃であって、そう易々と御方の視界に入れるものではない。
マリスも、遠くから眺めるのではなく、本当の意味でお会いするのは初めてだ。
アンドリーがやって来るより少し前、マリスはセオドアに連れられて温室に入った。
温室は、セオドアが休憩を取る際に使うことがあり、これまで、何度かマリスも護衛のために同行している。
なので、マリスも知らない空間では無いのだが、今日の温室内は、キーンと音が聞こえそうなぐらい空気が張りつめていた。
「王妃殿下、お待たせしました」
セオドアの呼びかけに、王妃が持っていた扇子を置いて、セオドアの後ろにいたマリスを見た。
「……なるほどね。マリス騎士がなるべく背景に溶け込むようなドレスを用意したのね。セオドア王太子殿下の手配かしら」
「いえ、マリス騎士が現在滞在しているエゼルセフ公爵の令嬢が、理由も聞かずに急ぎ対応してくれました。私は、温室がどの様な場所なのかを教えただけです」
そうなのだ。
シレーヌは、たった一日で、マリスがいかに空間に溶け込んで目立たなくなるかを狙った衣装を整えてくれた。
リリアーヌも進んで手伝った。
誰のための茶会なのかを、シレーヌもリリアーヌも聞かされていない。
しかし、セオドアは忙しい中、お忍びでエゼルセフ公爵邸までやって来て、自らシレーヌに頼んでいる。
シレーヌも、セオドアの意図を良く理解した。
「……まあ、でも、これはこれで、可愛いわね」
ナターリエが言った言葉にセオドアも苦笑する。
シレーヌは良くやったが、しかし、どうやっても、マリスの伸びやかで健康的な佇まいは隠しようもないのだ。
おかしな化粧が施されているが、それでもマリスなのだから、セオドアはその姿にも、つい目を奪われてしまう。
マリスには騎士服がとてもよく似合うが、今日のように令嬢の装いをしていると、いつもの凛々しい姿とは違って、女性らしい柔らかさも醸し出すから、セオドアの胸はざわついて仕方が無い。
「王太子殿下、ご心配無きよう。そのための配慮で、わたくしを同席させるのでしょう? アンドリー王太子にマリス騎士を獲られるようなことは絶対にさせませんわ。あちらは興味本位ですもの。こちらの王太子の方がずっと想いが強い。そうでしょう?」
「そ、その通り、です」
セオドアは、少し狼狽えた。
マリスはすぐ横にいるのだ。
マリスを追い詰める言葉を聞かせてしまったら、また、遁走してしまうかもしれない。
ナターリエも、セオドアの様子に空気を読んで、助け舟を出すことにした。
「さあ、冗談はここまでにして、マリス騎士、こちらにいらっしゃい」
マリスには、セオドアとナターリエの会話が耳に入って来てはいたが、今は、王妃同席のお茶会に参加すると言う、超高難度の試練に、めいいっぱい緊張していて、会話の内容を咀嚼する余裕は無い。
とにかく、王妃に呼ばれたところで、シレーヌの教えを一つずつ思い出しながら、ナターリエの隣に座った。
椅子を引いてくれたのはセオドアだ。
とりあえず先日の、ケビンとシレーヌの告白の場に同席したのと同じぐらい厳しい任務だ。
因みに、恋愛ごとには疎い方に属するナターリエだが、セオドアがマリスを専任騎士に任命したいと言ってきたときに、さすがに理解している。
「さあ、セオドアは行きなさい」
そう言って、王妃としてではなく、母として、ナターリエはセオドアに微笑んだ。
とうとう、マリスは王妃と二人きりだ。
後から、国賓である隣国の王太子もやってくる。
マリスは、時間を掛けて、気付かれないように深呼吸を二回した。
「マリス騎士、緊張しなくても良いのよ。あなたの父君は亡くなったと聞いているけれど、母君は息災なのでしょう? わたくしのことは、二人目の母だと思えば良いのよ」
「王妃殿下をワタクシの母だと……それは、なかなかに……難しい……かと、存じます」
「あら、マリス騎士と気持ちを通わせるには、剣を交える方が良かったかしら?」
ナターリエの親しみを滲ませた声掛けに、マリスは思わず目を輝かせる。
「……お、恐れ多いことですが、正直、とても興味があります……」
マリスの応えに気を良くして、ナターリエは少し恥ずかしそうな顔で言った。
「……こんなこと、心得のあるマリス騎士にだから言うのだけど…………これを言って、野蛮な人間だと思われては困るのだけど…………わたくし、剣を交えることで、対戦相手を理解しようとする癖があるの。実際に対戦しなくても、もし、対戦したらこうなるかしらって、相手のことを脳内で想像してみるのよ」
「!」
マリスが驚いた顔になったので、王妃は、少し目線を逸らした。
失言をしたと思ったのだ。
これでは武芸狂いの「鉄拳王女」そのものだ。
しかし、マリスの瞳は更に輝いた。
「殿下! 私も、誰かを知ろうと考えたときは、その人の戦い方を思い出すようにしています。私はそれを『筋肉との対話』と呼んでいます」
「まあ! あらあら……すごく分かる感覚だわ。
……もしかして、シャール剣士の、ソードフェン伯爵の教えかしら?」
王妃の瞳も輝く。
「はい、その通りです!
何かのことで、頭の整理ができないときは『筋肉のレベルに落とし込むと意外と見えてくる』と叔父が申しておりました。
……でも、それでも、心の整理が付かないこともありますが……」
「……そうね。その通り。戦いの構図で考えると、自ずと見えて来る物と、武術だけでは、上手く折り合えない感情もあるわね。そういうときは、どうしたらいいのかしら……」
なんだろう。
王妃殿下でも、何か思い悩むことがあるのだろうか、とマリスがふと思ったとき……そのとき、フェリクスに案内されて、アンドリー王太子が到着した。
マリスは、先ほどのナターリエが、弱音のようなことを言ったことが気になったが、それ以上を今聞いている場合ではない。
アンドリーは、マリスに座ったままでいいと手で制して、自らも座した。
フェリクスが三人にお茶を出して、その場を辞すと、温室の中は三人だけになった。
「ナターリエ王妃殿下とは、従弟殿も考えましたね。王妃殿下以上に高貴な女性はこの国にはいない。もう、存在だけで最高位の指数をお持ちだ」
それにしても、このアンドリーという人は、自分が大変に美しい人間だと自負しているからか、顔面だ、指数だと、人の美醜を言いたがる人物だ。
「アンドリー王太子殿下……変わらないわね。まだ顔面がどうのと言っているのね。三人の王子の父親だと言うのに」
「あいにく、ゼントランの王太子と違って、私は人格者ではないのでね。だから、セオドアが可愛がっている騎士を横取りしたくなることもあるんですよ」
さあ、本題に入った。
「アンドリー殿下、そもそもですけど、このマリス騎士は物の本質を、顔面では判断しない人物なのよ。人となりはその表面にも現れるものだけど、マリス騎士は、もっと深い所で、人を見ている女性なの。なのに、あなたは美人だなんだと上辺だけのことを言うばかりじゃないの。それでマリス騎士の気持ちがあなたに向くはずもなくてよ」
「上辺だけとは心外ですね。今日のマリスだって、私をがっかりさせようとおかしな仕上がりになってますが、こんな表面的なことに、私は惑わされませんよ。確固たる審美眼が私にはあるのです」
「アンドリー、マリスにも人物を見極める目があるのだから、あなたの見目には惑わされないわ」
「そうなの? マリスは、私の顔の美しさにうっとりとしないのかな。この顔をもっと見てたいって思わない? 西の王国に来れば、毎日、この顔が見られるよ。
それに、私の傍にいてくれたら、私は君をちゃんと大事にするよ」
「あ、あの……申し上げても良いでしょうか」
マリスは頑張って言ってみた。
どうやら自分の話がされているのに、自分の意見がなかなか言えない。
ナターリエもアンドリーも、頷いた。
「あの、もしかすると、ワタクシを西の王国に連れて行って下さって、王太子殿下付きの騎士にと望んで下さっているのか、若しくは…………お側仕えにと、仰って頂いている件についてなのですが……」
「マリス、もちろん、君にはちゃんと側妃の椅子を用意する」
「アンドリー! マリスの話が途中よ」
ナターリエがアンドリーを制する。
マリスは、二人の顔をそれぞれ見てから、話を続けた。
「ワ、ワタクシ、僭越ながら、アンドリー王太子殿下は、誠実な方だとお見受け致します。嘘を付かないように言葉を選んでおられると言う感触を受けます」
「マリス! 分かってるね。そうなんだよ」
「マ、マリス、あなた……」
「ナターリエ様! 私は無理強いしてませんよ。ナターリエ様もマリスに命令したりしないで頂きたい!」
アンドリーが、綺羅綺羅と輝く微笑みをマリスに向けた。
「あの、ですね。だから……アンドリー王太子殿下の元でも、ワタクシは、ワタクシの働きができるのかもしれませんが……でも……」
「いや、大丈夫。マリスが退屈したり、ましてや存在意義に悩むようなことにはさせないから……」
「アンドリー、マリスの話を、ちゃんと、聞いて、頂戴」
「……」
ナターリエに低い声で言われては、アンドリーも黙るしかない。
マリスは手をギュッと握ってから言葉を続けた。
「でも……アンドリー王太子殿下の元にいたのでは、私……きっと楽しくない」
「いや、そんなこと無い。言ってくれれば君の希望はちゃんと叶えるよ」
「いいえ、無理です。分かります。絶対です」
「そんな。始まっても無いのに決めつけなくても……」
「…………では、アンドリー王太子殿下は、私が、バッサース海峡を一緒に泳いで渡りたいって言ったら、泳いで下さいますか?」
「な! 何を言ってるんだ君は……」
西の王国にあるバッサースという地方には比較的浅い海が続く穏やかな海峡があって、その対岸までは、帆掛け船で一日近く進めば渡ることができる。
泳いで渡るという人間も……いるにはいるらしいと聞く。
「アンドリー王太子殿下は、ゼントランにある祈りの塔の尖塔から、外壁伝いに地上まで降りたいって言ったら、一緒に試して下さいますか?」
「えっ! ええっ!! 何だってっ!!」
ゼントラン王国の王都にあって、一番高い建物である祈りの塔。
以前にもマリスは、西の王国からやってきたタチアーナ王女に王都を案内する中で、この塔の上から降りる鍛錬をやりたいのだと話している。
「い、意味が、分からない……」
アンドリーが頭を抱え出した。
「私にとって、武術も、その鍛錬も、私自身の一部なんです。そして、武術の道は、一人で孤高に進む方もおられますが、私は、仲間と共に、が良いです。セオドア王太子殿下たちと共に、が良いです。
そのために、今のこの環境を手放すわけにはいきません。それを失えば、私は楽しくなくなるのです。だから、私は、セオドア様の元を離れません」




