10 我慢してアレとは
昨日は、エゼルセフ公爵邸にフェリクスが訪れて、薄桃色のガーベラを『恋人』であるリリアーヌに捧げた。
フェリクスの表情には、真摯な熱意が溢れていて、事情を知るマリスの目にも『偽装』にはとても見えなかった。
そして、今日はシレーヌの日だ。
シレーヌは、王立騎士団にあるティーガー団長閣下の応接間を訪れた。
そこに、ケビンがやって来るのだ。シレーヌに会いにだ。
とうとうだ。
因みに、ティーガー自身は不在だ。
職員たちも、ティーガーの指示で、部屋には近付かないことになっている。
あとで、エゼルセフ公爵に何か言われたら、手違いで、ケビンとシレーヌが偶然顔を合わせたことにでもするそうだ。
代わりに、マリスがその場に呼ばれている。
事前の手紙のやりとりで、何故だかマリスも公爵邸に滞在している、とケビンも聞いている。
マリスは、拐かされたシレーヌを救出するために尽力したのだ。
その縁もあってか、シレーヌとマリスが交流を深めていることが、シレーヌからケビンに宛てられた手紙にも書かれていた。
だからマリスは、ケビンとシレーヌの逢瀬に立ち会うよう申し付けられた。
もちろん、マリスの意向なんかは、まったく考慮されていない。
ケビンはもちろん、シレーヌに対面して自分の想いを告白するのだが、貴族令嬢であるシレーヌと二人きりで会うわけにはいかない。
そのためケビンは、マリスをケビンの付き添いとして同席させることにしたのだ。
ケビンとしては、シレーヌの父、エゼルセフ公爵に心証の悪いことは避けたい。
ケビンは、ひと月ほど王都を離れていたが、忙しかっただろうに、騎士団を通して、何通もの手紙をシレーヌに寄越していた。
手紙には決定的なことは書かれていない。
騎士団を通す手紙には検閲が入るからだ。
それにケビンは、シレーヌに会って、直接言葉を伝えたいと思ったのだ。
しかし、ケビンの手紙を読んでシレーヌは毎回真っ赤になっていた。
ケビンの手紙が「会いたい」を連呼する内容だったからだ。
シレーヌも届くか分からない手紙を騎士団宛で送っている。
やはり「お会いしたい」と書いたそうだ。
そんな二人が、想いを確認し合う場所に、マリスは、居させられるのだ。
……経験したことの無いような、相当に、過酷な、任務だ。
ケビンとシレーヌ。
マリスは……応援したいけど……もう……二人の気持ちは、間違いなく、素晴らしく出来上がっている。
邪魔をする心配とかじゃなくて、いい加減、糖分の取り過ぎでマリスは倒れるのではないだろうか。
そっちの方が心配だった。
でも、二人のために頑張って同席することにした。
一応、こっそり耳栓を着用した。
何かあったら目も隠せるように幅の広いリボンのような布も持った。
マリスは、ケビンの執務室までケビンを呼びに行って、先に自分だけ戻って来た。
マリスがティーガーの応接間に入ると、ケビンを待つシレーヌが緊張した面持ちで微笑んだ。
そしてその後ろには、やはり事情を知るシレーヌの侍女も立っていた。
マリスは気が付いている。
何も言わないが、先ほど侍女も、耳栓を付けた。
そして、侍女も手には何かの布を握り締めている。
少し遅れて、来る途中で騎士団幹部から話掛けられていたケビンが、ティーガーの応接間に到着した。
ケビンがノックしたので、マリスが扉を開ける。
そして……
マリスが開けた扉から入って来たケビンのところへ、シレーヌが、駆け寄る。
「シ………」
マリスと侍女は急いでケビンとシレーヌに背中を向けた。
マリスと侍女は耳に手をあてて更に音を遮った。
(いくつぐらい数えればいいのかな? 百……とか? ひゃくかぞえる…って……)
ちょっと、困ったことを思い出して、マリスの心が騒ぐ。
そんなことを考えている間に、シレーヌがマリスの肩をポンポンと叩いたので、マリスは振り向いた。
そこには、赤い薔薇を持った青き大輪の薔薇が、咲き誇るように笑んで立っていた。
◇◇◇
シレーヌとケビンが再会してお互いの気持ちを伝え合った日の翌日。
マリスはセオドア王太子の執務室に出勤した。
マリスは職務に戻ることを決意したのだ。
専任騎士になってから、マリスの出勤先は、フェリクスとジャスティンと同じ、王太子の私的な居間になっていたのだが、休暇明けのため、今日は執務室でセオドアを待つことにした。
フェリクスにも事前に伝えて、セオドアがびっくりしないようにした。
セオドアの執務室にセオドアはいなかった。
代わりにジャスティンがいた。
ジャスティン……心なしかやつれている。
「マリスー、帰って来てくれたかー、良かったー」
「ご迷惑をお掛けしました。護衛の配置にも……影響ありましたよね」
「あーいやいや、全然。だって、セオドアが全く使い物にならないから、公務も何も出来ないんだもん。外出も無いから、護衛も最低限でいいしね。だからそっちは大丈夫。大丈夫じゃないのは、セオドアのメンタル」
「……そうデスカ……
聞いておられると思いますが……なんだか、私、過剰に反応してしまったみたいで」
あのときマリスは、もの凄く混乱してしまった。
何か、見たこともないような技がかかるかもしれないと構え過ぎた。
そしてなぜか、自分の体温がどんどん上がってしまうことにも、どう対処していいのか分からなくなってしまった。
でも、思い返してみれば、セオドアだって慌てていたと思う。
一昨日、フェリクスがエゼルセフ公爵邸を訪れて公爵に挨拶をした。
マリスも同席していたが、リリアーヌとフェリクスは、見つめ合ったり、手を繋いだりしていた。
偽装恋人でもあそこまで出来るのだ。
昨日のシレーヌとケビンの短い逢瀬の別れ際に、ケビンはシレーヌの手を取って、シレーヌの左手の薬指辺りに自分の指を這わせ、そして二人は見つめ合っていた。
それからシレーヌを残して部屋を出たあと、手に握り締めていたハンカチのようなものに、ケビンは何度も口付けていた。
ケビンは、公爵に会うまでは我慢だと言っていた。
我慢してアレなのだ。
真に想い合う二人と、想い合う設定の二人なのだから、と言えばそうなのだが、なんだか、セオドアがマリスの髪や頭を触ったのも、特別なことではない気がしてきた。
免疫ができた、と言うことだろうか。
麻痺してきた、と言う方が相応しいかもしれない。
そう言えばシャールなんかも、冗談みたいなことを言いながら、色んな女性の頭を撫でたりは時々していた。
ただ……王太子であるセオドアがマリスの髪に口付けたのは……あれは、やり過ぎだと思う。
しかし、そもそも、仕事を放棄して逃げていることの方が、問題が大きい。
セオドアにはフェリクス経由で、マリスがエゼルセフ公爵邸にいることが伝わっているし、マリスの休暇も無期限で承認されているので、建前上、マリスが復帰しなくても問題は無かった。
でも、いつまでもはまずいだろう。
セオドアの悪ふざけが過ぎていたなら、謝罪を求めればいいのであって、引き籠っていても何も好転しない。
だから、マリスは騎士の仕事に戻ることにした。
「セオドアさ、もの凄く反省してるから。滅茶苦茶反省してるから」
「それは、悪ふざけが過ぎたことに対してってことですか?」
「悪ふざけ……では無いんじゃない」
「ふーむう……?」
「あっ! だめだめ、マリスは考え過ぎない方がいい。
とにかくセオドアは反省していて、謝罪もします。それで、マリスが許してくれたら嬉しいです」
なんだか、ジャスティンがいつになく懇願している。
そのとき、扉のノックが聞こえた。
入って来たのは、あの方だ。
何日かぶりに会うセオドアは、ジャスティンの何十倍もやつれていた。
そういえば、シレーヌも同じようなことを言っていたのをマリスはふと思い出す。
シレーヌも、セオドアのしたことは、冗談や悪ふざけの類のものでは無いようなことを言っていたが、それなら……
……でも、今は考え過ぎない方がいいらしい。




