山形温泉旅館殺人事件⑨(優しさが生んだ悲劇)
「犯人は……あなたですよ、賀井健太さん!!」
のり子の言葉に、場は騒然となった。全員の視線が、健太に集まった。
「が、賀井さんが……犯人!!??」
「が、賀井、お前……」
「ち、違う、僕じゃないっぺ。河澄さん、証拠があるって言ったが本当だろうね? もし僕を動揺させるためのハッタリだとしたら……」
「良いでしょう、ではそれをお見せします」
将也と英心の言葉に動揺した健太は必死に抵抗を試みるが、のり子は冷静さを失わずに落ち着いた口調で話し始めた。
「まず一つ目です。健太さん、あなた峻さんが殺された後の警察の事情聴取の際に、真夜さんとこういうやり取りをしましたよね?」
―――
「同部屋なのは、仕事で経費節減の為です。そもそも、神根さんは寝た状態で殺されていたんですよ。カッとなって殺したにしては、おかしいじゃないですか」
「殺した後に、布団に移動させたかもしれないだろ?」
―――
「ああ、したな。それの何が問題なんだべ?」
「大いに問題ですよ。なぜなら……その時点では警察も真夜さんも、峻さんが【布団で】寝ていたとは一言も言っていないんですから」
「!!??」
のり子の指摘に、健太は口を両手で押さえて動揺していた。あまりに自然な会話だったんで、見落としていた……都子には感謝しないと。
「ここは旅館です、布団を敷かずに畳に寝転がる場合もありますし、テーブルで作業をしながら寝落ちしてしまう場合もあります。経営コンサルで忙しい峻さんなら猶更です」
「た、確かに俺もそういう経験はあるっぺ。賀井がそう言ったから、布団で寝ていたのかと思ったが」
「そういうことですよ、英心さん。峻さんの死体を発見したのは私と都子、将也さん、絵麻さんです。現場はすぐに警察に封鎖されて、峻さんの死体も運ばれていきました。つまり……峻さんが布団で寝ていたのを目撃するチャンスはあなたにはなかったんですよ、健太さん!!」
「ぐ……そ、そんなの言葉の綾だろ? 寝ていたと聞けば布団を思い浮かべるのは自然だべ、それだけで僕を犯人扱いなんて」
「まあ、そう言うと思いましたよ、あくまでこれは状況証拠ですからね。見せてあげましょう……物的証拠を!!」
のり子の言葉に、米沢刑事が証拠品を取り出した。健太はキョトンとした表情でそれを見つめている、やはり……見落としていたか。
「それは……髪の毛か? 馬鹿馬鹿しい、僕もこの部屋に入ったんだ、髪の毛の1本や2本、落ちていて当たり前だっぺ」
「ええ、そうですね。ですが……真夜さんの血が付いた髪の毛だとしたら……どうします?」
「な……何だと!!?? そんなものがどこに」
「トイレのドアのフックにかかっていた浴衣の帯に、ですよ。トリックに使った紐はフックにはかかっていませんでした、恐らく真夜さんを殺害後に回収したのでしょう。その時に……付着したんですよ」
健太はのり子の言葉に、顔を青くして冷や汗を流している。これで……とどめだ!!
「あなたはテーブル越しに真夜さんと相対して座り、正面から真夜さんを刺殺した。そのせいで、返り血を浴びやすかった。もちろん顔や服などはチェックしたのでしょうが、髪はさすがに気づけなかったようですね」
「!!??」
「紐を目立たせないために浴衣の帯をトイレのドアのフックにかけた、これは正解です。紐を回収したのも、証拠隠滅を考えれば自然な心理です。ですが、そのせいで皮肉にも証拠品を浴衣の帯に残すことになった。紐を回収しなければ……残ることはなかったかもしれませんね、紐だけでは証拠になりませんし」
「ぐ……」
「さあ、これでも反論はありますか……健太さん!!」
健太はしばらく無言だったが、やがて項垂れてため息をついた。牙城は……崩れた。
「まいったっぺ……まさか君のような若い子に、すべてを看破されてしまうとはね」
「認めるん……ですね」
「ああ。神根と林藤を殺したのは……この僕だよ」
「動機は……やはりこの旅館の存続問題ですか?」
「当然だっぺ!! 僕は……昔からこの旅館が大好きだった、支えだった。将也さんも絵麻さんも僕をただの常連以上に良くしてくれて……僕にとってはもはや他人じゃなかった」
健太の言葉が決して誇張ではないということは、のり子にも十分伝わってきた。それだけに……あまりに悲しい。
「だけど、旅館の経営がどんどん苦しくなっているのは目に見えて分かった。僕は可能な限り泊まったし、知り合いに勧めもしたべ。でも、僕一人の力では……どうしようもなかった」
「……」
「それでも……将也さんも絵麻さんもこの旅館を必死に守ろうとしていた。なのに、神根と林藤は……昔世話になった恩を忘れて、この旅館を潰そうとしたっぺ!!」
―――
「将也さん……いや、オーナー。今日こそ、話をまとめさせていただきますよ?」
「神根君……他のお客様もいる、ここですべき話ではないべ」
「確かにそうですね。では、場所を変えて早急に話しましょう。神根さんの言う通り、結論を延ばすのもいい加減限界です、絵麻さん……いや、女将」
「林藤さん……そう簡単さ決められることでは」
―――
「あいつらは何度もここを訪れ、将也さんと絵麻さんを追い詰めていった。そして今回……遂にとどめを刺そうとしていたんだ!!」
「……」
「俺はそのやり取りを聞き、こっそり4人が話し合いをしている部屋の外で盗み聞きをしていた。そうしたら……」
―――
「しかし神根君、私はもう何十年もここで温泉旅館を経営しているわけで」
「ここの温泉が良いことは分かってる、固定ファンも確かにいる。だけど、それだけで飯を食っていける程ではないのも事実だ。次代のやり方を、もっと考えてくれ」
「売れば、これだけの資金をあなた達は得ることが出来ます。これも元アルバイトとして、この温泉旅館の良さを伝えて、金額を上げた結果です」
「林藤さん……」
「……分かった、君達の言う通りにしようと思う。だけど……一晩だけ考えさせてくれ。心の整理を……したいんだ」
「……分かりました」
―――
「終わりだ……と思った。もう手段は選んでいられない。この旅館を守るには……神根と林藤を排除するしかないと思って、犯行を決意したんだ!!」
「だから……真夜さんに罪を着せるやり方を選んだんですね? 将也さんや絵麻さんや真鈴さんが殺したと疑われれば、この旅館はどっちみち存続できなくなりますから」
「ああ、そうだべ。元アルバイト同士のトラブルなら、旅館にダメージはないからな。君の言う通り、林藤とは常連として話がしたいと言って部屋に入れてもらい、テーブル越しに相対して座って、隙を見て刺し殺したよ」
―――
「そうですか……やはり常連さんには、雰囲気で分かってしまいますか」
「では……やはり」
「はい。この旅館は……閉鎖することになるでしょう」
「そうですか……残念です」
「はい。ですが、それは……え?」
真夜の左胸に、健太が手にしたナイフが深々と突き刺さった。真夜は、何が起こったか分からないような表情を浮かべている。
「神根さん同様、あなたも……殺すしかありませんね」
「どう……して」
真夜は涙を流しながら、テーブルに突っ伏すようにして倒れ、動かなくなった。
―――
「……健太さん、峻さんと真夜さんは……私利私欲でこの旅館を潰そうとしたわけではありません」
「……何?」
「将也さんと絵麻さんを守りたいから……この旅館の売却を勧めたんですよ」
「馬鹿な、将也さんも絵麻さんもこの旅館を誰よりも愛していたんだべ。デタラメを言うな!!」
「なら……どうして真夜さんはこの旅館の良さを伝えて、金額を上げたんですか? 私利私欲なら、安く買い叩いた方が良いはずです」
のり子の言葉に、健太はハッと表情を変えた。そう……普段なら健太さんも恐らく気づいていたはず。だけど……この旅館が無くなってしまうという事実が冷静さを失わせていたから、気づけなかった。
「真夜さん、言っていましたよ。この旅館は今でも大切な存在ですが、それ以上に将也さんと絵麻さんを守りたいと。お二人のこの旅館への思い入れは分かりますが、経営的にもう立て直しは不可能だと」
「……」
「だからせめて可能な限り高い値段でこの旅館を売却して、それを元手にお二人には新しい道を歩んでほしいと。このままだと、身を削ってでもこの旅館を守ろうとして潰れてしまう危険性があるって」
「旅館の売却を勧めたのは……苦渋の取捨選択だったということなんだべか?」
「はい、この思いは峻さんも同じだとも。真夜さんはきっと、こう言いたかったんだと思いますよ。『はい。ですが、それは……酒田夫妻を守るためで』と」
「何……だと?」
健太の表情が、みるみるうちに青くなっていった。それは健太だけではない……都子の表情も、だった。
「じゃ、じゃあ……真夜さんの話をあともうちょっと聞いていたら」
「健太さんが真夜さんを殺すことは……なかったかもしれない」
「そんな……」
あまりに残酷な話に、都子は涙を流した。健太は言葉を失い、体を震わせて呆然としている。
「嘘だ……嘘に決まってるっぺ!!」
「いや……それは本当の話なんだべ、賀井さん」
「将也さん?」
「私と絵麻にとって、この旅館は宝物のような存在。だから、何としても残したかった。ですが……現実にはもう立て直しは不可能で、私も絵麻も年齢的な体力の限界が来ていた。神根君と林藤君も、それを見抜いていたべ」
「……」
「それでも意固地になって続けようとする私に、二人は売却を勧めてきたんです。昔お世話になったからと、この旅館の良さを必死に会社に伝えて金額を上げてもくれた。忙しいというのに体に鞭打って頑張ってくれて……あまりに申し訳なかったっぺ」
そうか……将也さんと絵麻さんが辛そうな表情を浮かべていたのは、峻さんと真夜さんへの罪悪感もあったんだ。それが余計に誤解を生むなんて……
「これは……神根君と林藤君との話し合いを録音したものです。賀井さん、あなたも聞いたようですが」
「は、はい。辛くなって、途中でその場から去ってしまったべが」
「そうですか……実は続きがありまして」
―――
「それでは、今日はこれで失礼します」
「神根君……ありがとう。こんな老いぼれのために……尽力してくれて」
「……お礼を言われる理由はありません。俺にもっと力があったら……旅館もお二人も、両方守ることが出来たのに」
「君はもうこの旅館のアルバイトを辞めた身だ。それなのにこれだけ頑張ってくれている時点で、立派だよ」
「そんな優しいお二人だから……私も神根も頑張れるんです」
「林藤さんも……本当にありがとう」
―――
将也が再生した内容を聞いた健太は、両膝と両手を地面につけて、崩れ落ちた。瞳からは涙が溢れ出ている。
「そんな……僕は……僕は、何て馬鹿なことを」
「健太さん……あなたのこの旅館を想う気持ちは本物だったと思います。それこそ、真鈴さんや英心さんにも負けないくらい」
「……」
「ですが……あなたは超えてはいけない一線を超えてしまった。ただ……それだけです」
「う……うわああああ!!!!」
泣き叫ぶ健太の近くで、英心は片手で顔を覆って体を震わせていた。指の間からは……涙がこぼれ出ていた。
「神根も林藤も……何も変わってなかったってことかよ。優しいままでよ、ははっ」
「……」
「馬鹿なのは……俺の方だったんだな。あいつらは具体的に行動してオーナー夫妻を守ろうとした、誤解されてもな。俺なんかより、よっぽど立派だべ」
「……」
「なのにあいつらは殺されて、俺は生きてるのか……世の中おかしいべ」
どうして……こんなことになってしまったんだろう。本来なら健太さんも英心さんも、峻さんと真夜さんと同じくこの旅館を愛していた仲間のはずなのに。
「水羽さん……こんな結末って」
「都子ちゃん、今は……いくらでも泣いて良いわ」
「うっ……うっ……」
水羽の胸の中で大粒の涙を流す都子の横でのり子は俯き、瞳を濡らした。優しさが悲劇を生む……そんなあまりにも報われない形で、事件の幕は静かに下りたのだった。




