老いた白竜と宿痾(しゅくあ)の少女
「ラビエルさん、こっちこっち!」
硯が両手を振っているのを見つけたラビエルは、町田を抱きかかえながら降りていき、硯とテラヴィスの側に降り立った。
「待たせたな。あの化け物に手が出せなんだようじゃの」
「あれはジュビレクスの僕。ただのスライムじゃない。火も氷も雷も酸も効かない」
「魔法使いには厄介な相手の様じゃな」
「光には弱い。天使なら倒せるはず」
「なるほど、来島と町田から話を聞いた。あれが角を持っているのじゃな?」
「うん。それを取り返す事が出来れば、アイスクロウは目覚める」
「ではあの悪魔の僕を成敗してこようか。お前達はここで待っておれ、町田の事は頼んだぞ」
「頑張って、ラビエルさん!」
硯ちゃんの声援を受け、ラビエルは羽を広げると、アイアンゴーレムに立ち向かっていった時の様に、ふわふわと地上すれすれを浮遊して近づいていく。
黒スライムは異物が近づいた来た事に気付き、ぼよん、ぶよんと身体を震わせながららラビエルの方に近付くと、まずは定番の酸を吹き付けた。
腐食力の強い強酸をラビエルは天界へのシフトで一歩左側へと避けると、そこから黄金の剣で黒スライムを打ち据える。
ぶるん、と大きく身体を震わせた黒スライムに、今の一撃がどれだけの効果があったかは分からなかった。
しかし、次の瞬間、ラビエルの全身を炎が包んだ所を見ると、殆どダメージは受けていないようだった。
「炎獄か。思ったよりも恐ろしい技を使うのじゃな」
ラビエルは身体を燃やされたまま、少し距離を取って、呪文を唱える。
頭上に光の円盤が現れると、その円盤は天使の身体を真下へと通過していき、その間に炎と受けた傷を癒していた。
黒スライムが使った魔法は炎の悪魔、カジンが使った能力と似ていて、相手を炎に包むものだった。
しかしカジンの炎の能力ほど強いものではなく、所詮は数秒で消えてしまう魔法に過ぎなかった。
それでもラビエルでなければ、かなりの痛手を負っていただろう。テラヴィスと硯が安易に手を出せなかったのも、相手がただの黒スライムではない為だった。
「やはり、光を使わなければ、手こずる事になりそうじゃ」
ラビエルは剣を左手に持ち替えると、右手を前方に突きだし、強く拳を握る。その拳の内側から光が漏れ始め、拳自体が眩い輝きを放ち始めた。
「まずは、一発」
その台詞と共に右手を開くと、太い光線が黒スライムの表面にぶつかり、そして煙をあげて焦がし始めた。放たれた光線は途切れることなく続き、ラビエルはゆっくりとその手を動かして、黒スライムの表面を太陽の光で焼き切っていく。
煙自体は黒スライムにとってどうでもいい現象だったが、問題はその光によって自分の身体が分解されて消し飛んでいく事であり、その苦しみから逃れようと奥の方へと逃げ出していた。
「無駄に打たれ強いのが仇じゃな。それだけ苦しむ事になる」
ラビエルがそう言いながら、真ん中の通路を通って奥へと進むと、その身体を再び炎獄の炎が包む。
逃げようにもあまりにも大きすぎる図体が、黒スライムの逃げ場所を無くしてしまっていた。部屋の隅に縮こまる様にしながらも、ラビエルに手傷を負わせようと、酸をばらまき、その身体を炎で包んであがいていた。
そのあがきを哀しげな眼差しで見つつ、己の身体を焼く業炎の苦しみに耐えながら、ラビエルは数度、太陽の光線を浴びせ続けていた。
あきらかに黒スライムは弱っていた。その震えは小さく小刻みになり、動きは緩慢で、形がひしゃげてきていた。
「せめて、最後の苦しみは短くしてやろうぞ」
あまりにも一方的な戦いだった。天使は右手を掲げると、人差し指で天頂を指し、その指先をゆっくりと瀕死のブラックプディングへと向けた。
すると天井をすり抜けて光の滝が流れ落ち、スライムに直撃すると床上で半球状の爆発を起こした。
その半球体の中では対消滅反応が起こり、黒スライムが光の中に溶けていく。
それは神の怒りと呼ばれる魔法で、敵には死を味方には治癒を与えるものだった。
業炎によって焼かれていたラビエルの身体は、神の光によって癒され、目標となったブラックプディングはその命を潰えて床上にだらしなく広がっていた。
「これが、アイスクロウの角か」
黒スライムの死体の中心には様々な犠牲者の遺品が残されていたが、その中に、巻き貝のような白い角を見つけ、ラビエルが拾いあげる。
後に部屋の隅で町田を守っていたテラヴィス達の所に戻ると、取り戻した角をテラヴィスに渡した。
「アイスクロウ。取り戻せたよ、あなたの角。これでまた、空を飛べるね」
そう言ってテラヴィスが角を抱きかかえると、白竜の角は輝きながらその身体の中に溶け込み、そして身体全体が光と化して、巨大な生物へと姿を変えた。
「ワシの角……戻ってきた……なんと礼を言って良いか……」
ホワイトドラゴンは、その名が現すよりもくすんだ灰色をしていて、体中に痛々しい傷を負っていた。
既に背骨は折れ曲がり、羽も所々破れ、牙も多くが抜け落ちていて、みすぼらしい老竜でしかなかった。
しかし、その瞳だけは煌々とした魔力を湛えており、この竜がまだ死んではいない事を伝えていた。
「礼はシャンダウ・ロー様へ言うが良い。この一件が済んだら、お前達の身柄は天界へと導かれ、神の元で保護されよう」
「天界での老後か……ありがたい話だが、それは叶わぬでしょうな」
「ほう、何故だ? シャンダウ・ロー様の保護は気に入らぬか?」
「否、こういう事なのでな」
アイスクロウは、折れた背骨を伸ばして胸を張ると、自らの左胸を爪で掻ききり、自分の心臓を露わにして見せた。
「な、何をしてるの? おじいちゃん!」
思わず硯がそう叫ぶと、眼下の少女をアイスクロウは優しい笑みで見つめた。
「この子と友達になってくれてありがとうよ、硯とやら。今こそ、ワシはこの子に全てを与えよう。優しき魔女よ、どうか後々もこの子と友達でいてやってくれ」
よく見ると、心臓の内部には、四肢を折りたたんだテラヴィスの姿があった。
アイスクロウは自分の胸に爪を突き刺すと、脈動する己の心臓を、眠っているテラヴィスごと体外に引きずり出した。
硯は見ていられず両手で顔を覆い、ラビエルは哀れみにも悟りにも見える微笑を湛えて一部始終を見ていた。
「今こそ、ワシ達は一つになる、テラヴィスという少女の中に、我が魂と魔力と、全ての知識を授けよう。そしてワシは代わりにテラヴィスの病を貰い受けよう」
白竜はそう言うと、ゆっくりと心臓を出っ張りの上に置き、そして心臓に繋がる自分の血管を全て断ちきった。
「ワシの代わりに、この子に……シャンダウ・ロー様のご加護を……お願いします」
「心得た。老竜よ……永き戦いだったな……ゆっくり休むが良い」
「テラヴィスや、テラヴィスや……長い間、不自由をさせてすまなんだな……これからは自由に生きていけるぞ。友達を大切にな……」
まるで我が子に諭すように、テラヴィスにそう言った白竜は、爪の先で心臓を優しく切り裂き、中からテラヴィスを取り出すと、その頭を優しく撫でた。
テラヴィスが目覚めると同時に、白竜はその目から光を失い、地響きをたてて床上へと倒れていった。
そしてもう二度と、その瞳に光が戻る事は無かった。




