シャドウダンサー・リシア
ズン!! という地響きの音を間近に聞いて、我に帰った。頭の中の事に集中しすぎていて、檻を両手で持ったまま、俯いて考え事をしていたらしい。
顔を上げると、自分の何倍もある巨躯が俺を見下ろしていた。俺がその気迫に圧倒されて後ずさると共に、里詩亜さんが俺の前に立ち、短刀を構える。
「……お前達は、悪魔ではないな? どうしてここに紛れ込んだ?」
「レヴィスト男爵に用があってまいったが、男爵の奸計にはまってこの牢屋へと飛ばされた。我々はシザーリンド家と敵対するつもりは無い。ここを出してくれ」
「レヴィスト男爵は既にシャロン様によって囚われた。俺は新たな命令があるまで、ここから誰も外には出さん。それが俺の今の任務だ」
「……にしてもお前達は奇妙な存在だ。女、お前は魔界の剣士か。その隣にいるのは天使の様に見える。そして、今、怖じ気づいた男は……魔法使いにも見えん、何者だ?」
このミノタウロスは、童話に出てくる様な牛と人との合成獣では無かった。高い知能を持ち、はっきりと言葉を喋り、推測もけん制もしてきていた。
「私はフィアル家のアサシン、リシアだ。この二人を守る任務についている。この二人はレヴィストから白竜の角を取り戻しに来た。故に我々はここから出なければならん」
「白竜の角! お前達もあれが目当てか。あれはシザーリンド家の物だ。尚更、お前達をここから出すわけにはいかなくなったな」
「では、力ずくという事になるが、構わぬか?」
「このチーフテン・カルジャを倒せる自信があるなら、檻から出て来い」
そのミノタウロスの言葉が全て発せられるより早く、里詩亜さんの姿は消え、カルジャの頭上から三本の手裏剣を放っていた。
「ふん!」
しかし、手裏剣は兜と肩当てに弾かれ、鎧に傷一つつける事さえ出来なかった。
空中で、二撃目の手裏剣を放つ里詩亜さんを見上げ、カルジャは両手に持っていた戦斧を力強く打ち合わせ、牢獄内に、ガギン!!! という凄まじい音をたてた。その音だけで鼓膜が破れそうになり、鉄格子がビリビリと震え、鍵の開いた門が自然と開いていた。
「……」
鍵が開いている事を知った数人の悪魔が牢獄から出てきて、下を見下ろす。自分達が戦うつもりは無いが、どこかの阿呆がボス・カルジャに喧嘩を売ったのを見に来たのだ。
「武器の相性が悪い……私の武器は悪魔には効くが……」
「そうだな。この鎧はローフル・グッドの加護を得ている。お前の武具もローフル・グッドなら、加護を貫く事は出来ん」
いつかコイルさんが言っていた。銀の武器では死なないが、善の加護の武器では死ぬと。
里詩亜さんの持つ武器もカルジャの持つ武器も善の加護があり、どちらも相手の加護を貫けないという事だった。
「ぬおぅ!!」
ダン! と地面を蹴ると共に、カルジャは素早く地面を滑る様に飛び、一気に間合いを詰めて戦斧を振り上げた。あの巨躯の上に素早いとなれば、強いのは当たり前だった。
「くっ……」
たとえ武器、鎧に加護があっても、純粋な破壊力を全て弾く事は出来ない。もしカルジャの一撃を食らえば、細身の里詩亜さんは無事では済まないだろう。
自分を狙ってきた戦斧の軌道を読み、里詩亜さんは宙で身をひねると、短剣を上手く相手の攻撃にあわせ、弾き飛ばされる形で一気に三階近くまで飛び上がっていた。
「フィアル家のシャドウダンサーか……噂に聞いた事はあったが、存外、強い」
カルジャは首の根本に突き刺さったクナイを引き抜くと、地面へと投げ捨てた。里詩亜さんはあれだけの技で回避をしながらも、カルジャの重装甲の鎧の隙間を見つけて、そこにクナイを投げ込んでいた。神業に近い芸当だった。
だが、それでもミノタウロスの首筋を貫くにはまだまだ非力で、なんとかかすり傷を負わせた程度でしかなかった。
「わわ、私も何かしたいけど、何も出来ないよ」
「俺も無理だよ、応援するぐらいしか出来ないよ」
戦いにおいては殆ど無能な俺達二人は、牢屋から出る事も出来ず、里詩亜さんの戦いを見守る事しか出来なかった。
「頬白殿、弓塚殿、目を閉じて!」
上空からそう言われた時、里詩亜さんは何か小さな物をカルジャに向かって投げつけていた。と気付いた時には目映い光が目の前で炸裂する。ギリギリ目を閉じる事は出来たが、失明しなかっただけで、視界は真っ白なまま、何も見えなくなった。
「な、何も……見えない……」
「ひろくん、こっち!」
俺の手をしっかりと握る真結の手から、温もりを感じた。その温もりは俺の身体に広がり、ほどなく視界ははっきりと見える様になった。
「良かった、効かないかと思った」
「ありがとう、真結。癒してくれたの?」
「うん。天使の能力。病気とかを治す事が出来るの。一日に一回だけだけど」
「くそっ、この小娘が……」
カルジャの声に視線を戻すと、閃光弾を投げつけた後、里詩亜さんは接近戦を挑んでいる所だった。小柄な里詩亜さんに完全に懐に入られたミノタウロスは、防御する事も出来ず、一方的に蹴られ、斬られ、突き刺されて、いやいやをするように斧を振りながら後退していた。
「糞がっっ!!!!」
一歩退いたカルジャは、その退いた一歩で地面を蹴り、瞬時に里詩亜さんに突進して頭突きを食らわせていた。百戦錬磨の猛者には、無駄に後退するという行為は無い。
兜につけられた鋭い角と、折れていない方の角に串刺しにされた里詩亜さんは、不気味にも角に突き刺さったまま、宙で力なくぶらぶらとしていた。
「後ろか!?」
カルジャがそう言って振り返った時には、里詩亜さんは地面の上を後転し、そしてミノタウロスの左足のアキレス腱を短刀で切り裂いていた。角に突き刺さっているのは藁で出来たかかしの様な人形だった。まるで忍者の変わり身のような技だった。
うおおおお!!!!
脚の腱を斬られたカルジャが、痛みに片膝をついたのを見て、野次馬の悪魔達が歓声を上げた。悪魔が魔界の悪魔殺しを応援するという、前代未聞の光景だった。
「まだ! まだ! まだだ!!!」
ガギン! ガギン! と何度も戦斧を撃ち合わせたミノタウロスは、その身体から白い湯気のようなものを発散させていた。あれはいったい何をしているのか、俺にはよく分からなかった。
里詩亜さんは十分に距離を取り、監獄の出口を背にして立っていた。その表情は固く、目の前で体中から湯気を立たせているミノタウロスを睨んでいた。
「バーサークか……まずいな……」
「痛みは喜びに。そして強さになる。傷つけば傷つく程、俺は強くなるぞ。死ぬその直前に、俺は最も強大な力を得る」
そう言いながら、カルジャは不敵な笑みを浮かべ、口の端を吊り上げていた。アキレス腱をきられた筈の左足はブラブラとしていたが、言葉通り、全く痛みは感じていないらしい。
「俺を止めてみろ! 小娘が!!」
ミノタウロスはそう叫ぶと全力でその場から駆けだし、再び頭突きを食らわそうととしていた。大型トラックが急発進して爆音をたてながら猛進していく様な威圧感があった。
しかし、何故か里詩亜さんは避けもせず、直立したまま、そこに立っていた。また、先ほどの身代わりの術をするのかと思いきや……。
「雑魚にもならないわねぇ」
チーフテン・カルジャは突如里詩亜さんの目の前に出現した闇の壁に、自ら激突していた。そしてその壁から突き出した無数の闇の槍に串刺しにされ、全身から血を吹きだしていた。
「死ぬ直前が一番強くなるんじゃないの? なんのこれしき、とか言ってみなさいよ」




