炎のカジム・カジン
「昨日、半分しか呑まなかったんですよ? 縫香姉さんはそれほど酒豪じゃないんですから、それで十分です」
「そうだっけ、まぁいいか。えーと、この結界を抜けてくるような大物だけ相手をするぞ。雑魚を相手にしてもキリがないし、血の雨降らせるつもりないし」
「姉さんはそもそも戦う気も無いでしょ」
「無いな。逃げて隠れて酒を飲むぐらいだ」
「それを聞いて安心しました」
声と共にリビングに置いてあるピアノの中から姿を現したのは、あの黒服の悪魔だった。
いつ、どうやって家の中に入ったのか、誰も気付いていなかった。
壁際に置いてある縦型のピアノの中からすぅ、と出てくると、右手を腹に当てて慇懃に一礼する。
「あら、カジム・カジンじゃない。レヴィに言われて来たの?」
お互いに見知った者同士、という様な口ぶりでリザリィがそう尋ねると、カジムは一礼したまま低い声で答える。
「はい。もはや後がないとの事で、私は『捨て駒』です」
そう言うや否や、その身体が横に切り分けられた。
だが血は出ず、斬られた上半身はふわふわと宙を浮いた後、再び下半身と繋がってしまった。
「銀ではダメかしら?」
「お名前は伺っております、クロービスどの。見事な剣裁き。今のはかなり効きましたぞ」
「どうやら生粋の悪魔みたいね。でも、やっぱりただの銀の武器じゃ無理みたいね」
「では、これならどうだ?」
里詩亜さんが腰の後ろに手をやり、左、右と二枚の手裏剣を投げた。
カジムはその手裏剣を素早く横へと避け、苦々しい顔つきで里詩亜さんを睨む。
壁に刺さった手裏剣は一瞬、朧気に霞むと、里詩亜さんの手元へと戻っていった。
縫香さんが手元に何かを呼び出す様な感じだったが、そうではなく、その手裏剣自体が投げた後に持ち主に戻ってくるという不思議な物らしかった。
「これは危ない。一体どれだけの魔力が付与されたものか。グラーツ卿の命をうけたフィアル家の悪魔狩りですかな?」
「テラヴィス、硯、私の側に来るのじゃ。そやつは死ぬ覚悟で来ておる。近づかれてはならぬ」
ラビエルがそう言ったのを聞いて、縫香さんが酒の入ったコップを咥えたまま、テラヴィスと硯ちゃんの側にシフトし、二人をつれてラビエルさんの側へと逃げた。
「やばい奴だな。捨て駒って、そういうつもりか。好きじゃないな」
縫香さんはコップの中に残っていた酒を飲み干すと、それを後ろの棚の上に置き、不機嫌そうな顔でカジムをにらみ返す。
「やれやれ、本物の天使様でございますか? 私の心を読みましたね?」
「無論。しかし、テラヴィスの防御壁を何の武器で貫くつもりじゃ?」
「カジム・カジンは炎の悪魔よ。燃える物ならなんでも燃やすわ」
「ライザリ殿の槍も私には効きませんぞ」
「ダーリン、真結ちゃん、かしこ、町田君はリザリィの後ろに。里詩亜、隙があったら一撃で頼むわよ」
「そのつも……」
リザリィの真横で里詩亜さんが白い刃の短剣を抜いた時、その肩にいきなり火がついた。
「里詩亜さん! 火が!」
真後ろにいた俺が、その火を手で振り払うと、あっけなく炎は宙へと消えた。
「ん!? 貴様、魔法使いか?」
カジムは眉を潜めると、掌を上にして俺を指さす。
すると俺の足がいきなり発火して、全身が炎で包まれた……筈だが、炎はそのまま立ち消えてしまった。
「魔法防御? いや、ま、魔法耐性か! なんと、ただの人間とは……これはしくじった」
「す、すまない弓塚殿。もう少しで火だるまになる所だった」
「お、俺は火だるまになっちゃいましたけど……」
「ひろくん大丈夫? 怪我はない?」
「大丈夫……みたい」
「ダーリン良かったわね、滅却の『魔法』で。カジム、鉄砲玉にしても、人間界で人間に手を出すなんて、ちょっと興が殺がれたわねぇ」
リザリィがゆっくりと俺達の前に歩み出て、庇う位置に立ちはだかると、腰に手を当てて、炎の悪魔にそう告げた。
「元よりライザリ殿に敵うとは思っておりません。しかし、魔女一人、人間一人さえ連れて行けぬとは。今の魔法の一撃で、私は帰る所を失ってしまった」
「ダーリンに手を出したのは失敗だったわね。禁を犯した者がどうなるか、この目で見れるなんて、楽しみだわ」
リザリィがそう言いながら、ほんの少し首を傾げると、カジムの足下から黒い槍が付きだし、その身体を貫く。
だが、カジムは黒鎗が突き刺さった部分を炎と化して一撃を避けていた。
おそらく、全身のどこを貫かれても、炎になって攻撃を無効にしてしまうのだろう。
「……レヴィスト様。あなたの思惑通りでしたな。敵の切り札はその少年。そして、元、運命の魔女。せめて最後に、この部屋にいる全員に地獄の炎を灯して、我が命を終わりにしましょう」
カジムは自分自身を炎と化すと、その燃える身体から皆に向けて炎の矢を放った。
縫香さんは透過して避け、襟亜さんと里詩亜さんは剣で弾き返し、ラビエルさんは光の盾を身体の正面に作り出して防ぎ、リザリィは自分の身体で矢を受け止めていた。
「リザリィ、大丈夫!?」
「ダーリン! リザリィの事、心配してくれるのね! リザリィ嬉しい!」
「悪魔に炎は効かぬ。もし炎に苦しんでいたら、地獄では生きていけぬしのう」
「その二人……その二人が気になりますな。ライザリどの。その二人の人間にも、何か謎がおありですか?」
「最後に教えてあげるわ……なんて嘘だけど」
「やはり、この一行は手厳しい。死にゆく者に情けもありませぬか」
「ここの結界を解いた時、それがあなたの最後よ、カジム。平行十二世界の神に滅ぼされるか、それともここの誰かに殺されるか、或いは自害するか、どれがいい?」
リザリィの容赦ない選択肢を聞いて、カジムは目を閉じて己の覚悟を述べていた。
「お気遣いせずとも、この炎は私を焼き尽くしますので、このまま闇に沈む事にいたしましょう」
カジンの左腕が焼け落ちて床上に落ち、次に左膝が折れてその場に片膝を着き、その後は皆が見守る中、たき火が燃えるようにその姿は灰になり、悪魔は滅んだ。
その姿を誰よりも嫌そうに見ていたのは縫香さんだった。そして厳しい表情で見据えていたのは真結だった。
この二人にとって、滅びというものは、何か特別な意味を持つらしかった。
「レヴィストはカジムの目を通して見ていた筈だ。来島さんと町田君は警戒されただろうな。弓塚君が魔法耐性を持った人間だという事、そしてもう二人の人間が居る事。彼の命を賭した収穫はそれだけだったかな」
一難が去った後に、縫香さんは後ろの棚の上に置いていたコップを再び手に取り、ゆっくり歩きながら、テーブルの上の酒瓶を手に取る。
「あら、私の本命の武器を見ずに終わっちゃったけど、かえって好都合だったかしら?」
襟亜さんが白い布で包まれた大きな何かを抱えていたが、その包みを解く事なく、壁際へと立てかけていた。
「……それがカニス家の名刀、『双秋』か?」
「今回は使う事になりそうだから、物置から出してきたの」
「随分と気合いが入ってるな」
里詩亜さんが珍しいものを見る様な目で襟亜さんを見ると、襟亜さんは小さく頷いた。
「野蛮なのは嫌いだけど、仕方無いわ」
言葉ではそう言っていたが、俺にはそうは思えなかった。
縫香さんや襟亜さんとは根本的に違い、襟亜さんは常に何かと戦っている。
家計だったり家事だったり、料理にしても文字通り『真剣』を心に構えて挑んでいる。
そういう性なのだろう。
対して里詩亜さんは、そこまで強い闘争心を持っている様には思えなかった。
「……レヴィスト男爵は、情報を集めるためだけに、部下を鉄砲玉扱いしたんですか?」
真結と共に、カジムという悪魔の最期を見届けた後、こうならずに済む事は出来なかったのか、と疑問に思った。
あの初老の男性は、最初から自分を捨て駒だと言っていた。
コイルさんも似た様な所があった。リザリィを守る時、コイルさんは自分がラビエルさんに斬られるのを覚悟して身を挺していた。
「いや、弓塚君に手を出さなければ、帰る事も出来ただろう。彼が死ぬ事になったのは、人間の君に危害を加えるという禁を犯したからだぞ」
縫香さんが俺の隣に寄ってきて首に手を回し、そのままの姿勢でコップに酒を注いで呑む。
「彼が死んだのは俺のせい、ですか……」




