女のカン
「私が降臨できたのは、クルーシブルの魔力を全て使って、運命の魔女が奇跡を起こしたからなのじゃ。本来なら信者の魂が必要なのじゃが、今時の人間に贄の風習は無い。私は降りて来るつもりでは無かったのじゃ」
「他の神社で奇跡を起こせば、別の天使が降臨した事じゃろう。じゃが、私を氏神に崇める鹿島神社が十年祭と称して大規模な儀式を行い、その儀式に運命の魔女が参加した結果、クルーシブルの魔力は全て吸われ、信者100人分の命に相当する奇跡を起こしたのじゃ」
「そして、贄となった運命の魔女は、そこにおる人間の青年の心からの願いによって、下級天使として現世に蘇った。つまり、このぽんこつ天使は正確には死んでおるんじゃ」
「ウサ子先輩、ぽんこつ天使じゃなくて、ほんのり天使です」
真結が両拳を握ってそう抗議すると、ラビエルさんはやれやれと言った顔で、やや首を傾けてため息をついていた。
「その奇跡がなければ……」
「そこにウサミミの天使は居ないし、仕事は依頼されていないし、お前の邪魔をする事もなかっただろうね」
「その代わり、このリザリィが相手をする事になったかもしれないわね。あなた程度じゃこのリザリィには勝てなくてよ」
軍人女はリザリィの言葉には抗わなかった。無視した訳ではなく、そうなった時の可能性を考えていたらしかった。
「何か……大変な事が起こっていて……この先……それはとんでもない事になるぞ」
軍人女の頭の中で様々な憶測が駆け巡り、そして絞り出す様に吐いた言葉は、いつか縫香さんが言った言葉と全く同じものだった。
「分かってる。お前の見込みは間違っていたわけ。テラヴィスをここで殺そうが、この先起こる事を止められるかどうかは分からない。むしろ私は、テラヴィスこそが止める力を持っていると思う」
「根拠はあるのか?」
「女のカンってやつ」
「馬鹿馬鹿しい。分かった。私は帰る。ボーダーガードはいずれ起こるだろう災厄に備える事にしよう」
「それがいいね。お前達が居なくても、もう私達は周り中敵だらけだよ」
「まずはレヴィスト男爵をなんとかする事だな。あのお坊ちゃまは難物だぞ」
軍人女は最後に刺さっていたクナイを抜き取ると、それを里詩亜さんに投げつけ、里詩亜さんはそれを器用に片手で受け取っていた。
「いい腕だった。さすがはフィアル家のアサシン。もう二度と敵にはしたくないな」
そう言い残して軍人女は姿を消した。
「今回は、私の方が何も出来なかったわね。褒めてもらってちょっとは嬉しかった?」
「べ、別に、嬉しいとか、そういう事では無いから」
と言いつつも、里詩亜さんは頬を赤らめて、視線を反らしていた。それを見て皆が、やっぱり嬉しかったんだ、と察していた。
「さて、我らがテラヴィスちゃんは、どうして逃げずに大人しくしてたの?」
「動けない」
テラヴィスはそう言って、少し身体を動かすと、地面から真っ黒な闇が伸びて、彼女の身体を貫こうとした。その槍は青白く光る防御壁が存在していない様に、真っ直ぐ伸びていて、その効果が全く無い事を現していた。
「私の闇の槍を防ぐ事は出来ないわよ」
「光には弱くて、溶けるだけじゃがな」
ラビエルさんがそう言いながらテラヴィスの近くまで歩み寄ると、伸びていた網の槍はぽろぽろと崩れ去り、光の中に溶け込んでいった。
リザリィは酷く不愉快な顔をして、ブツブツと愚痴を言いつつ、テラヴィスを狙っていた闇の槍を引っ込めていた。
「すまぬが、その身体、少しばかり縛めを施させて貰うぞ」
ラビエルさんが片手で剣を振ると、その剣はテラヴィスさんを斬らずに身体に巻き付いて光の縄となり、彼女の自由を奪っていた。
「ああ、弓塚君、触って戒めの魔法を無効化するでないぞ。すぐに君は誰かを助けようとするからな、先に言っておく」
「は、はい……」
もし言われなければ、俺はどこかで彼女の身体に触ったりして、その魔法を無効化させていたかもしれない。この魔法耐性という能力も、こういう時には不便で、ひどく気を使う物だった。
「さて、三階から追い出されたくなかったら、地獄からとっておきの美酒をもってくるんだぞ、楽しみにしてるから」
御自慢の闇の力も天使の光の前では無力な事に苛ついていたリザリィに、縫香さんがいつものニヤケ顔でそう言った。
「わかってるわよ。ちょっと兄上にも話して、いいのを貰って来てあげるわん」
「今夜は天界と地獄界の美酒が浴びるほど飲めそうだ! いやぁ、いい世の中だね」
命を賭けた戦いの報酬が酒である事に、縫香さんはともかく襟亜さんはどう思っていたのだろうか。
刀を鞘に収めた襟亜さんは代わりに買い物篭を片手に抱えて、地獄の笑顔に戻る。
「テラヴィスさん、どうせ逃げられないまま、酒宴に巻き込まれるんですから、観念して好きな食べ物を教えてくださらない?」
襟亜さんがそう尋ねたので、テラヴィスは不可解な顔をして答えた。
何故、今? そして何故、剣士が買い物篭? とうとう捕らえられてしまった自分にどうしてそんな事を尋ねるのか? と色々と不可解な事はあっただろう。
「食べ物?」
「そ、夕食の準備をしないといけないから。肉? 魚? お野菜?」
「に、肉を……もう何百年も美味しい肉を食べてないんじゃ」
再び、少女の声ではなく老人の声でテラヴィスはそう頼んだ。
普段は少女が話をするが、要所では老人の方が出てくるらしい。
テラヴィス=アイスクロウというのは、テラヴィスとアイスクロウという二人で一つの存在らしかった。
「あら、地獄に肉は無かったのかしら?」
「いや、人肉とか、怪物の肉とかじゃなくて、自然界の動物の肉が食べたいんじゃ。牛とか馬とか羊とか鳥とか豚とか」
「あらあら随分飢えてるみたいね。わかったわ、今夜は肉料理にしましょうか」
「肉……肉が食える……こんなに嬉しい事は無いのぅ……」
襟亜さんの答えを聞いて、明らかにテラヴィスさんは酒宴に参加する気満々になっていた。
もうその光の紐の縛めは必要無いんじゃないかと思いつつ、俺達は厳重に警護しながら、テラヴィスを連れて頬白家へと帰った。
自宅に着いた後、家で留守番していた硯ちゃんが魔法で結界を張り、ラビエルさんと真結が光の結界を張り、リザリィが闇の結界を張って、外に出る事も中に入る事も困難な要塞状態にしていた。その後、テラヴィスは戒めを解かれたが、リビングの中で用意された椅子の上にちょこんと座ると、お菓子を食べながら大人しくしていた。




