キッチンは女の戦場です
「肉! 肉の匂いがする!!」
もそもそとお菓子を食べていたテラヴィスが、台所から漂ってくるいい匂いに釣られてリビングを飛び出していた。
リビングには縫香さんが酒はまだかと言いながら、ソファの上でダラダラとしていて、硯ちゃんは今日はもう取引の時間は過ぎたからと、ネットゲームをして遊んでいた。
真結と俺はテレビを見てくつろぎ、ラビエルさんは瞑想状態に入っていて、端から見ると寝ている様に見えた。
結界もあるしエサもあるし、テラヴィスがここから逃げ出す事は無いだろう、という事で自由にさせていたが、彼女が台所に行ったのが気になって、俺はその後を追った。
頬白家が隣に来てから、それなりの月日が経っていたが、俺はまだ、リビングより奥に足を踏み入れた事が無かった。二階に襟亜さんの部屋があるのも知らなかったし、当然真結の部屋に入った事も無い。だいたい男子が一人で女子の部屋に勝手に入る機会そのものが無かった。
今回は台所、という事で、テラヴィスの後を追って、初めて廊下の突き当たりまで入ってみた。和風ののれんが入り口にかけられている台所の中に顔を出してみると、そこには八畳ほどの広い部屋に、銀色に光る職人が使う厨房機材が並び、もはや台所と呼べる場所では無かった。
(ほ、本格的すぎるだろ、これ……)
想像ではもっと家庭的なキッチンを想像していたのだが、そんな雰囲気は微塵も無い。ここは調理師達の戦場だった。
「ちょっとリシア、何してるのよ! さっさとそっちのスープ片付けて頂戴!」
「クロービスこそ、オーブンの中の肉をさっさと出してくれ、こっちの肉が焼けないだろうが」
「あー! もう! ここは私のキッチンなのよ! リシアは手伝わなくてもいいの!」
「そう言うわけにも行かないだろう? せっかくこれだけの器具があるのに、手伝わぬ訳にはいかん」
もはやここが人間界である事も忘れて、実名で叫びあう二人だった。
(二人とも、料理が出来るんだ……)
襟亜さんの料理が上手な事は知っていたが、里詩亜さんもきっと上手なのだろう。会話の内容からして、専門用語が飛び交っていた。
「クロービス! お前、そのスープ、火が強すぎないか? 焦がすつもりか」
「私がそんなヘマをするわけないでしょ! 一気に加熱して湧く直前に弱めなきゃ、美味しい出汁が取れないじゃない!」
「スープだろ? スープは中火で煮込んでなんぼだろう? そんな作り方でいいのか?」
「ちょっとリシアさん? 私の家は日本料理が中心なの。あなたの好みのエスニック料理と一緒にしないでくれます?」
「しかしだな、肉と言えばエスニックではないか? 勿論、日本料理を否定するつもりはないが、スパイシー&オーガニックな感じでガツンと味がついた物の方がテラヴィスは好きそうだぞ?」
「それはあなたの好みでしょう? いいから早く、そのじっくりコトコト煮込んでるスープは向こうの端のコンロでやって頂戴」
「むうう、仕方無い。これはそっちに持っていくから。私にそのオーブンを使わせろ」
「肉……」
「ゴラア! つまみ食いするなァァァ!!!」
「キャーッ!!!」
肉の匂いに釣られて厨房に入ったテラヴィスが、まだ作りかけの料理に手を出そうとした時、数本のクナイが宙を飛び、銀色の刀が彼女の手元を狙う。その双方とも、青白い光の防御壁に弾かれたものの、二人の女の剣幕に腰を抜かして、テラヴィスは慌てて厨房から逃げ出していた。
竜の心臓を食べた重罪人、300年の間、地獄の男爵に匿われていた者、軍人女に命を狙われていた標的とは思えない情けない有様だった。
「こっ、殺される……」
「テラヴィスさんは、もっと怖い人達から追われていたんじゃないんですか?」
リビングの自分の椅子に戻ったテラヴィスは、そこでふるふると首を横に振った。
「恐ろしい殺気だった……悪魔より恐ろしい」
悪魔と言えば本物の悪魔は、縫香さんに言われて、最高級のお酒を取りに地獄へと戻っていた。あの軍人女と縫香さんを戦わせる為、そのエサとしてテラヴィスを使い、なおかつそのテラヴィスには出口のない龍穴に誘導し、見事に闇の槍の罠に捕らえるという、かなりの策士ぶりを発揮したにも関わらず、縫香達に面倒をかけた詫びとしてパシリをさせられている状態だった。
怒っても良いのよ? やりたくなければ従う義務なんてないのよ? と笑顔で襟亜さんに言われては、素直に言う事を聞くしかないのだが。
「リザリィめ、どこまで酒をとりに行ってるんだか……もしかして逃げたかな? もう鹿島神社の焼酎だけではじめちゃう?」
「だめじゃ、我慢せい」
「あー……身体から魔力が抜けていく……もうね、なんかだるくてね。いつもの事なんだけどね。最近はお酒が飲めたから、魔力を止める事が出来たのよね。ああ、この感じ、生きてるって感じがするわけよ。分かるかしら?」
「プレーンウォーカーの事など分かるわけがなかろう。あのイェンという戦士は、魔力を体内に止める為にあの重装備の服を着ていたではないか、お前もヒラヒラしたチャイナドレスではなく、がっちりとした服を着れば、良いのでは無いか?」
「そう思った事もあったんだけどね。咄嗟にシフトできないんだよ。んっ、んんんっ、んんんんんって感じで、身体についている衣服を全部持っていかないといけないの。この格好なら三往復はできるのに」
「いっそ水着でも良いのでは無いか?」
「そうだね。でも水着で街中を歩く女なんて、人間界には居ないしな」
「下着を着けずにチャイナドレス一枚で歩く女もおらぬだろう」
「あっ、ひろくん、ひろくん、もうすぐ面白い所だよ、いっしょにこの映画みようよ」
この家は、時が経つに連れて客人が増え、そしてどんどん混沌さが増していっている様な気がした。
「おまたせぇ、ワインとブランデーとウォッカとリキュール、一通りの一級品は揃えてきたわよー」
「やったあ! 今、この瞬間だけ、リザリィの事、愛してあげる」
「もっと崇めて! もっとリザリィを愛して!」




