せめて一矢
町田なら、どう切り返しただろう? 俺には彼女の、全てを諦めた様な表情で囁かれた言葉を、どう受け入れればいいのかが全く解らなかった。
「おわっ!」
テラヴィスのすぐに横に、更に数本のクナイを身体に受け、額から血を流しているイェンの姿が現れ、白い少女に向けて間近で発砲した。
しかし、その魔弾はテラヴィスの青白く輝く防御壁に弾かれてその場で爆発し、彼女には届かない。
「もう一つ!!」
里詩亜さんがそう言い、軍人女の足下に滑り込むと、そこから立ち上がりつつ短刀で銃身を切りあげる。軍人女は今度は腕をひこうともせず、目の前で大きな銃身の先端がぽろりと地面へと落ちているのを見ていた。
「せめて一矢とか、今は流行らないよ、イェン。私はお前を殺す気は無いし、そういうのが嫌いだって事も知ってるだろ?」
縫香さんは襟亜さん、ラビエルさんと共に軍人女の後方に立っていた。そしてラビエルさんから掌サイズのお猪口に入ったお酒を貰うと、それを少し飲みつつ、マナ葉に火をつけて一服していた。彼女の体質を知らなければ、なんとも不作法な大人の女性だった。
「こいつを殺さなければ、この先、大変な事になるぞ。今こそが、最大のチャンスだというのに……お前さえ邪魔しなければ……」
「人のせいにするとか無様じゃなーい? この行き止まりの龍穴にテラヴィスを気付かせておびき寄せたのも、あなたにテラヴィスの居場所をチラチラと見せて追わせたのも、全てこのリザリィよ? 自分でうまくここに追い込んだ、とか思っちゃった?」
腰に両手をあてて、さも偉そうにそう言うリザリィを見て、軍人女は少しだけ目を見開き、そして苦々しい表情で言葉を吐いた。
「私は……悪魔の導きにのせられて、踊っていただけか……最初にテラヴィスを見つけた時は、自分に運が回ってきたと思った……そしてテラヴィスがこの怨念の石碑に吸い寄せられているのを知って勝利を確信した。全て、やらせだったわけか」
「そうね。私とお前を戦わせたのもリザリィだしね。その件については、今夜じっくり弁明を聞かせて貰うとして……これで終わりって事にしない?」
縫香さんがイェンさんの側まで歩み寄り、そして握手をしようと片手を差し出した。軍人女は壊れて使い物にならなくなった銃を捨てると、縫香さんの方を向き、片手を出して握手をした。
「っ!!」
同時に、パン! という乾いた音をたてて、縫香さんの頬が軍人女に平手打ちされていた。片手を握手で握られていた縫香さんは避けようもなく、まともに一発食らっていた。
「こういうのを一矢って言うんだよ。一度で良いからあんたの顔、ぶってみたかった」
「痛たた……もうちょっと手加減してくれない? 鼻血出ちゃったし、もー……」
「……この子を300年の間、匿っていたのは地獄界の男爵、レヴィストだ。レヴィストはアイスクロウの竜の角を折り、力を手に入れた。テラヴィスは力を無くし、レヴィストの元から逃げ出して人間界に逃げて来た」
「もしレヴィストがアイスクロウの心臓を手に入れたら、騒ぎはもっと大きくなる。ロード・グラーツがリシアを差し向けたのも、先を考えての事だ。勿論我々ボーダーガードが彼女を抹殺する理由も同じ」
軍人女は縫香さんとの手を離し、緩衝材に刺さったクナイを抜いて地面に捨てながら言葉を続けた。
「今なら、ここで終わりに出来るんだぞ? 角を折られたテラヴィスには逃げる力しか無い。どうして邪魔をするんだ?」
その問いに、縫香さんはティッシュで鼻血を拭き取りながら、鼻声で答える。
「天使様がね、シャンダウ・ローって神様の意向で、殺さずに話を聞きたいそうなんだ。私は今、このラビエルから依頼を受けていてね。既に十分な報酬も貰っちゃってるから、仕事してるわけ」
「報酬なら、我々ボーダーガードが倍出そう。それでテラヴィスを売る気は無いか?」
「いいね。じゃあ天界の美酒、三年分は持って来なよ」
意地悪な笑みを浮かべる縫香さんの顔を、軍人女ははぁ? と意表を突かれた顔で問い返す。
「は? 酒!? シドニー、お前は酒で仕事の依頼を受けたのか? 酒のために、この世界がとんでもない混乱に向かうのを止めないというのか?」
「どうして三年分なのじゃ。ふっかけるのも、大概にせい」
ラビエルさんが口を尖らせて愚痴を言うも、縫香さんは汚れたティッシュを掌の上から消し、代わりに煙管を呼び出すと、早速火をつけて一服していた。
「譲れないねぇ、その子の命は、天界の美酒三年分でも足りないぐらいだよ? 破格の交渉だと思うけどね」
「何が破格の交渉だ。はなから取引などする気は無いんだろう? お前は昔からそういう奴だった。何に不満があるんだ。プレーンウォーカーの中でも一、二を争うシフト能力を持ちながら、どうしてボーダーガードにならなかった?」
「だから、戦いは嫌いなんだって。お前と戦うのも、そこの真っ白なお嬢ちゃんと戦うのもね」
紫雲を宙へと吐きながらそう言う縫香さんに、軍人女は顔を真っ赤にして食いつこうとしたが、ため息を一つついて、がっくりと肩を落とした。
「もっと酷いことに……ああ、もういい……言って分かる女じゃない事ぐらいは知ってる。私は戻ってボーダーガードに今回の事を伝える。頬白姉妹、リザリィ、リシア、お前達は皆、敵だと見なされるぞ」
「そうか、ならばこのラビエルがボーダーガードの長に話をするとしよう。縫香に仕事を依頼したのは私じゃ。そして私にテラヴィスの一件をお任せになったのは、シャンダウ・ロー様じゃ。ボーダーガードは天界を敵に回すと言うのじゃな?」
「……シャンダウ・ローか……クルーシブルを失って、勢いが衰えたと思ったら、次はテラヴィスか。神々の覇権の争いまでは、我々も手は出せない……」
「天使が地上に降臨する為には100人の信者の魂が必要だと聞く、それだけの犠牲を払っても、シャンダウはテラヴィスを欲しがるか」
「犠牲になったのは一人でーす。でも、なんとか生き返らせて貰いました!」
真結がそう言うと、軍人女は不可解な顔をして、こちらを見ていた。
「話がよく分からないんだが……お前の妹はフェイトスピナーではないのか?」
「色々あったの。私の妹は今はシャンダウに使える下級天使で、その上役がラビエル」
「では、魔界最強の魔法使い、運命の魔女は……」
「すいません、もういません。ささやかな幸せならいつでもお分けいたします」
何が何だか分からない、と言った表情で、軍人女は縫香さんと真結とラビエルさんの顔を交互に見ていた。




