廃病院にて
御鑑駅を挟んで繁華街とは逆の市街地、潰れて久しい町医者の廃墟の前でラビエルさんが待っていた。
「なんだ騒々しい。そんなにいっぱい来たのか」
ラビエルさんは俺達の方を見て、呆れてそう言った。
「私は頬白殿と弓塚殿の護衛を命じられたが故、今後は行動を共にする事となった」
「ほう……あの悪魔と縫香と襟亜は、反対側で待機しておる。これだけの戦力ならば、テラヴィスと言えど、簡単には逃げられまい。では行こうか」
この診療所は50年以上前に建てられた古い建物で、主である医者が老いて亡くなった後、後を継ぐこともなく、そのまま放置されていた。
窓ガラスは割れ、壁も床も風化し、狭い入り口には管轄の警察が張った、立ち入り禁止のロープが風に揺れていた。そのロープを片手で切り落としてしまうと、ラビエルさんは躊躇なく中に入っていく。
「待って真結お姉ちゃん、盾と防御の魔法をかけるから。お兄ちゃんは後ろにいて、真結お姉ちゃんの魔法を無効化しちゃだめだよ」
「わ、わかった……」
硯ちゃんが手早く呪文を唱えると、真結の身体の輪郭がぼやけ、薄い紫色の膜が出来、小さな光点が明滅しながら身体の周りを周回し始めた。同じ呪文は真結だけでなく、硯ちゃんと里詩亜さんにもかかっていたが、俺には何も変化は無かった。
ラビエルさんに続いて硯ちゃん、その後に真結、少し離れて俺、しんがりを里詩亜さんの順番で病院の中に入っていく。
まだ日が暮れてないのに通りには人気が全く無く、俺達がこの廃墟に入る所を誰かが見る事は無かった。
人一人がやっと通れる程度の狭い廊下の壁には、所々穴が開き、虚ろな壁の内側をさらけ出していた。開いた壁の穴の横にはかなり古いポスターが貼られていて、風邪の予防を呼びかけるイラストが描かれていた。
通路を進んでいくと左側に診察室へ入る扉があった。その扉の前をラビエルさんが通った時、扉から銀色の何かが飛び出し、ラビエルさんの身体に突き刺さった。様に見えた。
銀色のそれは四本の錆びたメスだった。ラビエルさんは自分の身体を縫香さんの様に透過させて難を凌ぎ、メスは壁へと突き刺さるか、或いはチン、という軽い金属音をたてて床へと落ちていた。
「中に、何かが居る気配はしないよ」
硯ちゃんがそう言うと、ラビエルさんは何事も無かった様に廊下を奥へと進む。
「ただの罠のようじゃ。物騒じゃな」
「魔物の類が仕掛けたとは思えない。それなりの知力を持った者が敵にいる」
「……にしても稚拙な罠じゃ。同レベルの低級な相手なら、一本ぐらいは刺さったかもしれぬのう」
壁に刺さったメスの前を硯ちゃんと真結が通り過ぎ、俺も壁に刺さったメスを見て、嫌な気持ちになりながら奥へと進む。当然、照明など無い為、奥へ行けばいく程、薄暗くなり、廊下の奥に辿り着く頃には、扉も壁も殆ど闇に溶け込んでいた。
廊下の突き当たりにはトイレに入る扉があったが、ラビエルさんはそれを無視して左に曲がり、闇の中へと入っていく。
「明かりとか無いのかな……」
「ああ……暗視の魔法は、お兄ちゃんにはかからないよね……」
「俺、何も見えないんだけど……」
「ひろくん、真結と手をつなご」
「駄目だよ、魔法が消えちゃう」
「えー……駄目なの?」
「私が前を歩こう、弓塚殿は私の腰を掴んでついて来るといい。私は能力で闇を見通しているから問題無い」
そう言って里詩亜さんが俺の横を通り過ぎ、順番を変わる。既に殆ど何も見えないので手探りで里詩亜さんの身体を探すと、スカートの帯を掴む事が出来た。
「ああ、いや、それだとスカートがずり落ちてしまうから、ここを持ってくれ」
里詩亜さんは俺の手を掴むと、ぐいと引っ張って、俺の両手を腰に巻き付けるようにする。自転車等の二人乗りをしている様な状態だった。里詩亜さんの手が思ったよりもずっっと柔らかくて温かかったのが意外だった。そして今、こうして身体をほぼ密着させる様な状態になると、里詩亜さんの着ている服からか髪の毛からか、線香の匂いの様な和風の優しい香りが漂っている事に気付いた。
ラビエルさん達は闇の中へとどんどん歩いて行き、俺の視界はもう闇に閉ざされて、目を閉じても開いても同じ状態だった。
「弓塚殿。足下に穴がある。こちらへ」
里詩亜さんがそう言って、俺の身体をやさしく抱えて誘導してくれる。これでは完全なお荷物だった。果たして、ついて来るべきだったのだろうか、と今更後悔してしまった。
「んー……そっちも来たか、相手は下の様だ」
闇の中で縫香さんの声が聞こえた。一瞬、ポッとマナの葉に火をつける光が灯り、今、自分が老朽化して腐りかけた通路の途中に居るのが分かった。
俺達が居るのは下へと降りる狭い階段の手前で、そこで裏側から入って来た縫香さん達と合流したらしかった。
「なんだそれは?」
「彼はただの人間だ、闇は見えないからこうしている」
「どうしてあなたがここに居るのかしら? お嬢様にお守りなんて必要無いとか、言われたりして?」
「そんな所だ。私は今、頬白殿と弓塚殿の護衛を任されている」
「あら? という事は、リザリィは今、どこに?」
「さぁ? 悪魔のする事など理解できん」
リザリィが来ていないという事を聞いて、縫香さんが頭に手をやり、髪の毛を軽くくしゃくしゃとかき混ぜた。
「……ああ……まいったな、すまないみんな。どうやらここはハズレの様だ」
「もし当たりなら、リザリィも来てるでしょうね」
「ああ……ここに居るのは、ただの『敵』だ」




