冷たい記憶だったのに
──馬車はまもなくレーヴライン侯爵邸へ到着しようとしていた。
レーヴライン侯爵邸は、皇都最大規模のタウンハウスだ。
侯爵家はかつて帝国に併合された国の王族の血筋を引いていて、今の皇室にも繋がる由緒ある家門。
皇室への影響力は絶大で、その権力は皇室に匹敵するとも言われている。特に帝国の軍部に深く関わりを持っており、現にアルヴィスも爵位を継ぐ二年程前まで、『大佐』という士官の中でも上層部に所属していた。
シイラは馬車で一人、緊張している。
さすがに今日の男爵邸は大騒ぎになっており、両親が家を空けるわけにはいかなかった。
護衛としてエマルウェルもついてきてくれてはいるが、心細いことに間違いはない。
そして侯爵家の門が見えてくる──シイラは重厚なその門を前に緊張していた。
ああ、嫌な記憶が蘇る。
しかしそう思ったのは一瞬で、門をくぐった先の光景に圧倒された。
花壇には色とりどりの花が咲き乱れ、整然と並ぶ木々の隙間からは柔らかな光が漏れていた。──それはまるで陽だまりの中にいるかのようで、目を奪われる。
それは回帰前の“無機質”なイメージを覆すのは十分で、シイラ自身が戸惑っている。
そして本邸の入り口の前で、馬車は停められた。
「ようこそいらっしゃいませ、クニューベル男爵家御令嬢」
前侯爵夫人、ドロテアが直々に出迎える。
侍女の列は規則正しい線を描くように並び、お辞儀の角度も統一されて美しい。それは一見機械的のように思うが、きちんと客人をもてなそうという心がこちらにも伝わり、彼女達のプロ意識の高さを感じた。
(……こんな空気だったっけ?)
屋敷も、出迎える人々も、妙に暖かい。
シイラは違和感を抱えながら、ドロテアに案内されて玄関に足を踏み入れた。
(あぁ、なつかしいな)
玄関の大広間は、歴代の帝国から授けられた勲章の額が飾られている。旧王家──かつて存在した王家 を象徴する紋が刻まれているものは、ひときわ目立つように並べられていた。
ただ記憶と少し違うのは、白い大理石の床には、色とりどりの光が差し込んでいる。ステンドグラスの暖かな光が床を彩っていた。
(すごい……)
見上げるとそこには──天井のドームに、一面のステンドグラスが張り巡らされていた。
「どうですか?お気に召しましたか?」
現れたのは前侯爵のパルドリックだ。
挨拶しようと頭を下げると、「堅苦しいことはナシで」と笑い混じりに言われた。
「このステンドグラスは、かつて存在した王家、ドストラム王家のものが多く移植しています。真ん中の女性はドストラム王家の王女でありながら、この国の発展に尽くしたハンベルリ帝国の初代皇后の姿を倣っています。彼女は“聖女”と呼ばれる青い髪を持って産まれてきましたが、何と彼女の母親はここレーヴライン家の出身で、レーヴラインの家系には稀に青い髪を持つ“聖女”が産まれるとされています。だからこそ、私達はドストラム帝国に併合されても生き残ることができました』
──何故だろう。
青い髪を見ると、心が軋む。
ガラスに罅が入ったような、ピリッとした張り詰めた痛みが心の奥に走る。
「すいません、長話がすぎましたね。どうぞ中に」
パルドリックに視線を向けると、目を細めた暖かな笑みを浮かべていた。
そしてシイラは応接室に案内された。
応接室のソファーに腰掛けると、二人も前のソファーに腰掛けた。
そしてメイドが運んできたカップは三つ。
(あれ?)
なぜかこの問題を起こした張本人、アルヴィスが居ないのだ。
聞こうと言葉を探すより前に、ドロテアが口を開いた。
「アルヴィスは邪魔になりそうなので侯爵家の騎士団の演習へ行って貰いました。一応誤解のないように言っておきますと、普段はあんなば……いや、突拍子のないば……突拍子のないことはしない子なのですが……」
(馬鹿って二回言いかけた……)
実の息子に対して、ボロクソである。
さすがにパルドリックも「ちょっと」と言って止めた。
「とは言え奇行はあれど、レーヴライン侯爵家の近年の発展に尽くしたことには間違いないです。アルヴィスは遥か先まで見渡すような眼差しで、物事を見る力があります。奇行はあれど……」
さすがにパルドリックも言い過ぎだと思ったのか、ごほんと咳払いをして言葉を濁した。
(二人とも、息子を落としたいのだろうか……)
一応彼は、この侯爵家の当主であるはずなのだが。
「あの、一応確認ですが、代替わりして彼が侯爵位についているんですよね……?」
「ええそうです。私は家督を譲り、宮廷の執務官として勤務しております。シイラ嬢には最初に言っておこうと思ってましたが、『フィリー港』はご存知ですよね?」
「はい。ノクティースにほど近い、近年開かれた港、ですよね?」
フィリー港が開かれてから、ノクティースの文献が手に入るようになったのだ。
それだけでなく、近年はノクティース以外の国でも国交の拠点になっており、発展が目覚ましいというのを耳にしたことがある。
「私は今、あそこの管理者に就任しております。港は全て『帝都特別区域』に指定されることになったので、管理者には宮廷の執務官の職を与えられますが、不正のないよう他の全ての仕事と切り離さなければいけないことになりました。なので私が侯爵位を退いて、執務官に就任し、フィリー港の管理をしています」
「そうなんですか……」
とは言えなぜわざわざ侯爵位を退いてまで就任する必要があるのだろうか。
すると意外なことを、口にした。
「実はその『帝都特別区域』の制定前は、アルヴィスが管理者だったんです。海賊を一掃し、あの地に港を切り開いたのはアルヴィスが主導で行いました」
「そうなんですか?!」
「正確に言えば、アルヴィスが帝国騎士団を率いて海賊を一掃し、侯爵家が出資して港が開かれた訳です。まぁ皇室側にとっては面白くない話でしたから、あんな制定が作られてしまったんですよ」
ということは、フィリー港は本来“侯爵領”に編入されてもおかしくないはずだったのだろう。
皇室の策により横取りされた。そういう感じなのだろうか。
「アルヴィスは管理者として外された訳ですが、まだフィリー港で暮らす人々は侯爵家の助けが必要ですので……結果私が侯爵家を退きフィリー港の管理者となりました。『ご隠居暮らし』としては最適ですしね。まぁそのおかげで我々は余計に皇室から睨まれてますので、あなたも注意してください」
そしてにっこりと笑って、こう言った。
「これから長い付き合いになりそうですので」と。
「クニューベル男爵家のロイド薬は、もはや帝国全土で広がりつつある。しかもそれの原料は、“コクノキ”だと……それを利用したいと思う者も多いはずです。クニューベル男爵家は“どこの派閥にも属さない弱者”で、その今後を考えると、どうでしょうか?」
さっきとは違う、真剣な顔で問われる。
──痛いところを突かれた。
それはクニューベル男爵家が……ロイド薬が広まるにつれ、危惧していたことなのだ。
何も言い返せないシイラに、パルドリックはまたさっきのような柔らかな笑みを浮かべた。
「すいません、わざと強い言葉を使いました」
そして肩を竦めて「それだけあなた方は魅力的に見えるんですよ。無自覚でしょうけれど」と。
「ただ、それとは別に」
「?」
「何故かあなたには、何でもしてあげたくなる。何でも話したくなるんです」
彼のこぼれるような笑顔は、どこか懐かしい。
それはシイラの中の忘れている記憶がそうさせるのだろうか。
そして彼も、同じことを思っているのだろうか。
「私もレーヴライン侯爵家の矜持があり、人との会話には細心の注意を払っていますが……ごめんなさいね。あなたといると安心してしまうの。余計なお世話も焼きたくなるの。ごめんなさいね」
シイラは回帰前の二人のことを、よく覚えているわけではない。
でも“閉塞感”しか残らなかった結婚生活は──意外と悪いものではなかったのかも知れない。
「これも縁だと思って欲しいの」
握られた手は温かくて──やはりどこか懐かしさを感じさせる温もりだった。




