永久凍土が溶けた?
──これは、どうすればいいのか。
祝賀会の会場の視線を集め、完全に沈黙してしまった。
『永久凍土の騎士様』と呼ばれる冷徹無比の男が、頬を紅潮させ、たった一人の令嬢に、愛を囁いているのだから。
(は?)
(何?)
(これは幻?)
(あのレーヴライン元大佐が?)
群衆の心の声はただ漏れだ。
凍り付く人々が思うことは、ただ一つ。
『頼むから、夢であってくれ……!』
何よりも一番それを思うのは、その愛を囁かれている本人、シイラであった。
(……痛い!)
試しに自分の頬を抓ってみるが、当たり前に痛い。夢ではない。
それを見たアルヴィスは「か、可愛い顔に何をしている……!」と慌てている。
それを見て、やっぱり夢であって欲しいと強く思うのだった。
「ええっと……とりあえず、腰を上げてください……」
この跪く体制は、さすがに恥ずかしさが限界突破しそうだ。
アルヴィスは立ち上がると、何の躊躇もなくシイラの肩を抱いた。
(うわっ……)
プラチナブロンドの髪がビロードのように美しく揺れる。
そして紫の瞳は、吸い込まれそうなほどの輝きを放っていた。
顔を逸らさなければいけないのに──その美しさに釘付けになってしまう。
「お名前をお伺いしても?」
「シ、シイラ・クニューベルと申します……」
「クニューベル男爵家とは、あのロイド薬の工房を抱えている家で間違いないな?」
「はい、そうです……」
そう小声で返事すると、まるでまさに今、蕾が花開いたような輝く笑みを浮かべた。
「ロイド薬は男爵家の令嬢が発見したと聞いた。美しいだけでなく知性もあるなんて」
(やめて)
「改めて、あなたの聡明さにも心が奪われて仕方ない」
(やめてぇぇ)
「ああ、あなたのその美しい琥珀色の瞳に私が映ってることは奇跡と呼ぶべきか……」
(ただの茶色よー!!)
シイラはこっ恥ずかしく、ただ俯くしかない。
逃げようと辺りを見回すが、シイラを中心にぽっかりと開いた円ができあがっている。よって逃げ場がない。
「今夜のドレスもよくお似合いだ。あぁ、それに似合う宝石を贈りたい。いや、侯爵家の全てのものを、あなたに贈ってもいいだろうか」
周囲は完全に硬直している。
(それってプロポーズなのでは……?)
それに気付いた瞬間、シイラは顔から血の気が引く。
(い、いや、いやぁぁー!!)
とりあえず彼を振り切るように、踵を翻した。
「か、帰ります!」
そして足早に会場を後にした。
「永久凍土が、溶けた……?」という呆気にとられた台詞を耳にしながら。
翌朝、皇都のクニューベル男爵家はお通夜のごとく雰囲気が暗かった。
(昨日は、一体なんだったんだ……?)
逃げ帰ったのはシイラだけでなく、両親もであった。
社交に励むと意気込んでいた両親も、さすがにあの雰囲気に耐えられなかったようだ。
「えーー、『シイラの交際相手の一人も見つけてくる』という目標は達成か……?」
「あれのどこがなのよ!」
しどろもどろな父を一喝
だよな、と父も正気に戻ったところで、三人で頭を抱えた。
「れ、レーヴライン侯爵家とは、一応縁がなかったわけではない、が……」
「でもうち男爵家ですよ……しかもあなたでまだ三代目……」
母も大きくため息をつく。
クニューベル男爵家は新興貴族という位置付けで、しかも男爵家という低い身分だ。
レーヴライン侯爵家という歴史のある家門と、どう釣り合いが取れるのだろうか。
そんな『どうしろと言うんだ』という雰囲気の中に、バタバタと足音が近づいてきた。
そしてノックもせず、エマルウェルが部屋に飛び込んできた。
「ダリオ兄貴、大変だ……パルドリック・レーヴラインと名乗る御方と御婦人がお見えに……」
パルドリックとは、前侯爵──つまりアルヴィスの父だ。
──何かやばいことになってきたぞ。
三人は意識が遠のきそうになるのを必死にこらえ、重い足取りで応接室へと向かった。
応接室でソファーに座るのは、前侯爵パルドリック・レーヴラインと夫人のドロテアだ。
「久方ぶりに御尊顔を拝……」父が挨拶しようとしたところ、二人は床に擦り付けんばかりに頭を垂れる。
「昨夜のことを聞きました。本当にうちの息子が申し訳ありません……!」
「息子が、息子が……!」
「いえ、あの……」
さすがに二人はこの状況を申し訳無く思っているようだ。
でも引退したとは言え、侯爵家の人間にこんなに深々と頭を下げられては、どうすればいいのかわからない。
するとドアがノックせずに開いた。
しれっと登場したのは、何とこの問題の張本人、アルヴィスだった。
「何故謝るんだ?悪いことはしてないぞ?」
二人はアルヴィスを見ると、一瞬魂が抜けたような表情になる。そして部屋にブリザードのような冷たい嵐が駆け抜ける。
「あなたは黙っていなさい!」
ドロテアが強い口調で窘める、がアルヴィスは少しもぶれない。
「シイラが聡明で美しいのは事実でしょう」
全員が何を言っていいのかわからず、沈黙する。
パルドリックとドロテアは(息子が壊れた……)と口を半開きにしたまま永久凍土のごとく固まっている。
永久凍土の騎士様は、新たに周りを永久凍土に変える力をつけたようだ。
そしてアルヴィスは、“当たり前”といった感じでシイラの横に座る。
「昨夜の言葉に、偽りは無い。私は侯爵家の全てのものを、あなたに贈ってもいいと思っている」
(なんで、なんで……!)
赤く頬を染めて、甘く蕩けるような笑みを向けるアルヴィス。
その手がシイラの頬に触れようとした瞬間──パン、と乾いた音が響いた。
彼の手をはたき落としたのは、パルドリックだった。
「初対面で求婚するな!!」
首根っこを掴むように、シイラと引き離す。
「あ、いや、決してシイラ嬢が息子に相応しくないとかという話ではなくて」
「なら問題ないでしょう」
次に彼の頭をスパン、と叩いたのはドロテアだ。
「良くありません!アルヴィスの馬鹿!!」
そしてもう一発、彼にビンタをお見舞いする。
素直に喰らわされている様子から、さすがに彼も両親には逆らえないらしい。
「気持ちを確認せずに求婚するのは何事ですか!?少しは乙女心を学びなさい!」
「よく考えてください、母上。こんなにも情熱的に求婚しているのに心が動かないはずないでしょう?」
「だから少しは学びなさいって!!」
はぁーと侯爵夫人らしかぬ大きなため息をついて、頭を抱えて座った。
「現に、既にシイラ嬢は社交界でかなりの噂になっていますよ!彼女がこれから……いえ、男爵家がこれから社交会でどのように振る舞えと言うのですか?」
事業も色々あるでしょうに……と呟くドロテアからして、彼女は本当にこの危機をわかっているようだ。
そもそもレーヴライン侯爵家は、皇室に匹敵する権力も、財力も誇る名門だ。
その栄光に擦り寄る者も数多く、また逆に失脚を狙う者も同じだけ存在する。
──その踏み台として、クニューベル男爵家を足掛かりにしようと思う者も現れてくるだろう。
下手すれば、製薬工房も潰されかねない状況だ。
「ならば、レーヴライン侯爵家を盾にするしか方法はないのでは?」
「は?」
元侯爵夫妻は目を見開いた。
「母上、父上、クニューベル男爵ご夫妻……私とシイラ嬢の婚約を是非とも認めて貰えないだろうか?そうすればクニューベル男爵家を、レーヴライン侯爵家の名前で守る大義ができる」
そしてアルヴィスは、シイラの前で跪く。
「シイラ嬢、改めて……私に求婚する権利を与えてくれないだろうか。もう離したくないんだ。かわいくて仕方のない、私の天使……!」
日に透ける銀色の髪が、シイラの目の前で風に靡く。
それはまるで絵画のように美しく──手の甲に口付けされたところで、ようやく我に帰った。
「い、い……」
(嫌と言ったら抹殺されるー!!)
助けを求めるように周りを見ると、「少し落ち着かんか」とパルドリックが力一杯引き離す。
そして無理矢理、自分の隣に座らした。
「……正式に、侯爵家へお越しください」
パルドリックはそう言うと、無理矢理アルヴィスの頭を押さえつけるように下げさせた。
「一度、家としてお話をしましょう、ね?」
ようやくドロテアも落ち着いたようで、侯爵夫人らしく優雅に頭を下げた。
「では今から参りましょう」
アルヴィスはめげない。立ち上がりシイラに手を差し出すが……そこはドロテアがゴツン、とゲンコツを食らわせた。
「年頃の女性は準備があるんです」
そして彼は引っ張られて、退場させられて行った。
【後書き】
ここで明かす没タイトル:私を殺した『永久凍土の騎士様』が、恋愛ポンコツヒーローになってしまった
しばし恋愛ポンコツヒーローをお楽しみください




