侯爵家と決別したはず、なのに
もう1話アップしておきます
薬の効能が確認されたところで、最大の障壁があるのには間違い無い。
第二皇子派をどう説得するか、だ。
第一皇子派のうちでは、説得できる材料が足りないだろう。
方法は一つ、ある。
だがそれを口にするのは──まだ躊躇われた。
その数日後だった。
父が男爵家の者、全員を集めてこう言った。
「レーヴライン侯爵家の森の管理権を、譲ろうと思う」
シイラは息を呑んだ。
同じことを、考えていたからだ。
侯爵家傘下を脱却し、うちがせめて中立であれば、攻撃される理由にはならないだろうと思っていたのだ。
確かにうちはアケレアの流通により懐は潤った。
だけどまだ、森の管理権を譲るには経済損失が大きいはずだった。
「これから薬事産業を本格化させるなら、うちは中立でなければならない。どちらの派閥にも等しく、良い薬を届ける。それが多くの命を救うことになるだろう。そうではないか?」
その言葉に、シイラの胸が熱くなった。
(お父様……)
周りの者も静かに耳を傾け、深く頷いていた。
やがて正式な手続きを経て、森の管理権は他家へ譲渡された。そしてクニューベル男爵家は、派閥から距離を置く“中立貴族”となった。
──まさかの出来事は、その直後に起きた。
「旦那様、速報です!」
皇都から、慌てて使者が飛んできた。
彼が手にする号外を見て、思わず「嘘……」と声が漏れる。
それは──第二皇子ジェイコブの投獄と死刑の報せだ。
第一皇子オズヴァルトへの殺人未遂により、皇族殺人未遂罪が適用され、死刑が実行された。
そして執行に関わった名を見て、シイラの指先が震える。
それは──『永久凍土の騎士』の二つ名を持つ、アルヴィス・レーヴライン帝国騎士団大佐。
裏面は彼の冷酷さを物語る記事が、幾重にも紹介されていた。
(……これで、邪魔はなくなった?)
そう思った瞬間、背筋を冷たいものが走った。
前世でも彼は、冷酷な判断を下せる男だった。
だが第二皇子を処刑するほどの立場には、あの時はなかったはずだ。
(やっぱり、何かバグが起きている?)
自分が侯爵家に行かなかったことで、何か変化が起きているのだろうか。
けれど今は、考えている暇はない。
第二皇子派が事実上解体したことで、鎮痛薬承認への最大の障壁は消えた。
シイラはすぐに資料をまとめ始めた。
薬効比較、抽出工程、管理体制案、違法転用を防ぐ監督規定──父ダリオはそれを読み込み、必要な法的整備案をいくつも考え、帝国議会へ提出した。
その結果は、拍子抜けするほどあっさりと許可が降りた。
コクノキことネバの木は、新たに制定された『管理作物』として認定され、帝国の管理下に置かれた。皇室のみならず、過半数の貴族の承認を得なければ、収穫量を増やすことも、外部への持ち出しも禁止されることになった。
クニューベル男爵家は、帝国側から“委託”として、正式に栽培の許可と薬の製造を受けることになった。
そしてコクノキから抽出された鎮痛薬は「ロイド薬」と名付けられた。
最初に効能を試した騎士の名前から名付けられたのだ。
その効能はすぐに評判となった。
戦傷、外科処置、慢性的な神経痛に至るまで──従来の鎮痛薬では抑えきれなかった痛みを、確実に和らげる万能薬として、帝国全土へ急速に流通していった。
そしてクニューベル男爵家の製薬技術は広く知られることになり、帝国では一番とされるほどの知名度を上げた。
そして更なる発展の為、シイラはあることに目をつけていた。
それは家の為に働く、エマルウェルを見て思いついたことだった。
──エマルウェルの額には、賊との戦闘で負った傷がまだ残ってる。
前髪で隠せば目立たない。だけどふとした拍子に見える赤い痕は、どうしても目立ってしまうのだ。
「別に気にしちゃいねぇよ」
そう笑ってみせるが……エマルウェルはそのせいで、無意識に距離を取られている。なのでいい歳なのに、縁談が一つも決まらないのだ。
『あんなにも働きもので、優しくて……貴族籍は無いけど血筋もいいはずなのに……』
もはやエマルウェルよりも母シイラの方が頭を悩ませていた。『私達のせいで行き遅れてしまったらどうしよう!』といつも彼を心配しているのだ。
確かに彼は優しいが、元々野性味を帯びた見た目により、年頃の令嬢からは少々敬遠されてはいたが……その傷により、より生々しさを感じる見た目が距離を置かれる結果になっていたのだ。
そこでシイラは考えた。
ノクティースでは、医療と同時に美容薬も発達していた。
肌の調子を整える粉や、傷跡を目立たなくする軟膏など──それらはまだハンベルリ帝国では認知されていないものだ。
そこでロイド薬の利益を研究へ回し、試作を重ねた。
男爵領だけでなく、帝国各地から様々な薬草などを取り寄せたのだ。
そして数か月後──淡い肌色の軟膏が完成した。
肌の保湿によい薬草と、肌色に近い染料を混ぜて練り込んだものだ。試しにエマルウェルに使ってみると、傷跡はほとんど目立たなくなった。
「……シイラ、これすげぇな」
鏡を見つめる彼の表情はどこか明るくて、それがシイラに自信を与えた。
やがてそれは「傷を隠せる軟膏」として、騎士の中で静かな人気を得ることになった。
そしてシイラは、更にその先に進もうとしていた。
(これは、貴族女性にも受けるはず!)
現在貴族女性に流通している化粧品は“おしろい”で、ただの白い粉を顔に塗るだけの化粧が一般的だ。
なので貴族女性の支持を集めて、市場を拡大するチャンスを伺っていた。
だがクニューベル家は地方貴族で、影響力も何もない家門だ。社交界の流通網は薄い。
どう売り込むべきか──その事はシイラの悩みの種であった。
そんな折、皇都から召集がかかった。
皇太子オズヴァルトの即位式、および祝賀夜会への招待状。
“貴族は全員出席すること”という一文が入っていた。
「よし、これを期に社交界に売り込もうではないか!」
父のダリオはやる気になった。
それともう一つ──
「そろそろシイラの交際相手の一人も見つけてこなければな」
「お父様……」
その言葉にがくっと肩を落とした。
恋愛など、考えたくもない。
とりあえずあの“永久凍土の騎士様”から逃げることが第一だ。
その少し前、彼が退官し、レーヴライン侯爵家を引き継いだことは耳にしていた。
まぁイチ男爵家令嬢と、大貴族の侯爵とがどうにかなるとは考えづらい話ではあったので、彼に見つからぬように行けば大丈夫だろう。そう高を括っていたのだが……。
まさかこんな情熱的な愛を囁かれるとは、誰が予想しただろうか。




