帝国を揺るがすコクノキ
クニューベル男爵家が作るアケレアの止血剤は、またたく間に帝国騎士団にも導入された。
男爵家からは戦争に出征しない代わりに、アケレアの止血剤を提供することになったが……その効果が騎士を中心に絶賛を得た。
そしてその名は、じわじわと帝国全土に広まりつつあり、クニューベル男爵家の信用を得る事はできた。
──だからこそ、この問題に取り組むべきだろう。
その夜、シイラは数枚の資料を抱えて父の書斎を訪れた。
「お父様、お話があります」
「シイラ、何だい?」
「これを見て欲しいんです」
ダリオは羽根ペンを置き、穏やかに視線を向ける。
机の上に広げたのは、ノクティースから取り寄せた文献──ネバの木が、コクノキに類似している証拠。
コクノキの“禁止薬物”の生成方法。
勿論、獰猛な野生のヤルマの資料も添えて。
「ネバの木の正体は、コクノキなのかも知れません」
コクノキの名を出した瞬間、空気張り詰め、ダリオの表情が変わる。
「……それは、大問題だ」
「はい。でも隠し続けることは、もっと危険だと思います」
次にまた、シイラは資料を出す。
その“禁止薬物”とは違う方法で作られた鎮痛薬は、今帝国で使われてるものと比べ物にならないぐらいの効能が見込まれると記されているものだ。
「現在帝国内で使われている鎮痛薬と比べ、効果は三倍以上になり持続時間も長い。ノクティースでは国家管理のもと、高価ですが広く医療現場で使われています」
ダリオは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……これは、まずいことになるな」
「やはり、そう思いますか」
「コクノキが自生していると知れれば、大問題になる。過去の出来事を思い出す者も多いだろう」
隣国を崩壊へ導いた歴史は、まだこの国に暗い影を落としている。
「だからこそ、保護すべきなのです」
シイラはまっすぐ父を見た。
「ノクティースのように国家管理下の指定を受け、正しく使えば、人を救える薬です」
「……少し、考えさせてくれ」
父の声は重い。
ただクニューベル男爵家に注目が集まり始めた以上、何かしらの手を打たないと行けないのは明白だった。
部屋に戻ったところで、ドアをノックする音が聞こえた。
「悪いな、話が聞こえちまったんだ」
現れたのはエマルウェルだった。
「ダリオ兄貴が頭抱えるのも無理はないよなぁ」
腕を組むと、ため息をついて苦笑した。
「今、貴族連中は第一皇子派と第二皇子派で真っ二つなのは知ってるか?」
シイラは首を横に振る。
(そんな派閥あったっけ……?)
どうやら皇帝の後継者争いとして、第一皇子オズヴァルト、第二皇子ジェイコブの間で貴族間が真っ二つに分かれているらしい。
そしてクニューベル男爵家は、レーヴライン侯爵家の傘下扱いになるので……表向きは第一皇子派に所属しているのだと。
「帝国法の実質的な決定権は、第二皇子派が握ってるわけなんだな」
「第二皇子…………ジェイコブ殿下」
思わずごくり、と息を飲む。
またあの嫌な記憶が蘇る。
回帰前の、あの最期の記憶が──
「コクノキなんて代物、あっちの派閥が握ればどう使われるかわからねぇよな」
元々あのフィリー港も含め、黒い噂のある人物だ。
エマルウェルの言葉が、深く心に突き刺さる。
(……あれ、前はどうだったっけ?)
シイラがこの派閥争いを知らなかったのは、前回は“侯爵家の嫁”として、留学している最中の出来事も全て勉強して覚えていた。なので今世ではそれがそのまま適応されるだろうと思い、あまり貴族間の動きにアンテナを張っていなかったのだ。
──そういえば、そうだった。
第一皇子は事故で亡くなる予定だった。
そして派閥争いは曖昧なまま終息し、第二皇子が実権を握り、皇太子になった。
だが今世では、第一皇子は生きている。
思えば事故で亡くなる日もとっくに過ぎていた。
自分が回帰したことで、何かバグが起こっているのだろうか。
「とにかく」とエマルウェルが続ける。
「やるなら、騎士団はシイラに協力するからな!」
その言葉に、シイラは微笑み、静かに頷いた。
──そしてシイラ一人での研究が始まった。
刈り取ったネバの葉を冷暗所で乾燥させ、細かく砕いた。そして雪解けの純度の高い水で濾過し、乾燥させたものを計測する。
そしてノクティースの文献を参考にした、コクノキから抽出した鎮痛薬の試薬が完成した。
「シイラ、こっちだ」
完成した試薬は、負傷中の騎士に投与することになった。崖から滑り落ち、痛みで三日三晩寝れないと報告を受けている騎士だ。
「シイラ、お嬢…………」
苦しみ蠢く騎士は、シイラを見ると精一杯身体を起こそうとした。
それをシイラが支える。
「初めて試す薬です。計算上は人体に影響はないはずですが……」
一歩間違えれば──死へと繋がるだろう。
それをわかっていながら、騎士はコクリと頷いた。
「シイラお嬢様、の、ため、なら………」
その言葉に、目頭が熱くなる。
シイラは覚悟を決め──コクノキから抽出した薬を投与した。
しばらくすると、彼は目を見開いた。
「……痛みが、消えました」
歓喜の声が、静かな部屋に響いた。
シイラはほっと胸をなで下ろす。
(やはり薬の効果は、間違いない……!)




