アケレアの止血剤
父ダリオが生きている──ただそれだけは、疑いようもなく幸せな事実だった。
それでも、これから起こる問題が消え去ったわけではない。
母の病気に関しては、これから進行を遅らせれば良い。『健康にいいハーブティーを取り寄せた』と言って薬を飲ませていけばよいのだ。回帰前、自分がそうしようとしたように。
そもそも母の病気に関しては過敏症が原因で──特にレーヴライン侯爵家の飲み物に使われる水が、体質に合わなかったのが原因で起こったもの。緩和するハーブティーがあるのでそれを飲ませていけば、今後の発症も抑えられるはずだ。
だからこそ、余計にこうおもうのだ。
(どうすれば、レーヴライン侯爵家と縁を切れるのか……)
侯爵領の一部の森の管理は、クニューベル男爵家の大きな収入源だ。森の管理権を手放せば縁は切れるが──男爵家は没落の一途だろう。
今はまだ、アルヴィス・レーヴラインとの直接的な接触を避けられている。
だがこの関係が続く限り、いつか必ず顔を合わせることになる。なので早急に侯爵家に依存しない収入源を生み出さなければならない。
(……やっぱり、あれをどうにかすれば)
シイラが目をつけていたのは、ヤルマの餌であるネバの木こと『コクノキ』だ。
隣国ノクティースでは、コクノキは『国家管理作物』として指定されている。製薬工房直轄の畑でのみ栽培が許可され、そこから作られる鎮痛薬は効能が高い反面、流通量が限られている。
──もし、クニューベル男爵家がそこに参入できれば。
ヤルマの餌としてではなく、薬草として保護・管理する名目も立つ。
そして何より、レーヴライン侯爵家に依存しない収入源を得られる。
しかし、問題は簡単ではない。
ハンベルリ帝国では、そもそもコクノキ自体が栽培されていない。文献もほとんど存在せず、鎮痛剤としては他の薬が使われているようだが、コクノキほどの効き目は到底見込めないものだった。
ただコクノキの歴史を紐解けば、暗い過去があるのだ。
かつてコクノキから違法な薬物──現在では「禁止薬物」と呼ばれるもの を精製し、密かに隣国へ流し、大層私腹を肥やした貴族が居たのだ。
その結果、隣国は社会の均衡を失い、やがて崩壊。最終的にはハンベルリ帝国によって制圧され、帝国の一部として併合されるという結果になった。
この出来事の記憶があるため、ハンベルリ帝国では今もなおコクノキは忌避の対象とされている。
『いつか自分たちに報いとして返ってくるのではないか』という不安を、拭えずにいるのだ。
(どこから動くべきか……)
──そう思っていた矢先、思いもよらない機会が訪れた。
「旦那様! エマルウェルが負傷しました!」
「何だと!すぐに行く!」
エマルウェルは、シイラの従叔父──父のいとこにあたる人物だ。
彼は三男家系なので貴族名簿には載っていないが、男爵家の騎士団に所属しており、父を『兄貴』と言って慕っている。
シイラにとっては幼い頃から面倒を見てくれた、兄のような存在なのだ。
彼の班は巡回に出たばかりだったが、賊と小競り合いになり、負傷してしまったらしい。最近、領内では不審な賊の目撃情報が相次いでおり、警戒を強めていた矢先だった。
父の後を追って詰所へ向かうと、そこには手当てを受けるエマルウェルの姿があった。
顔には酷い傷を負い、腹部は包帯を巻かれているにもかかわらず、じわじわと血が滲んできている。圧迫止血の処置は取られているが、血は止まることを知らない。
「エマルウェル……?」
「シイラ……君は、戻れ……」
苦しげな呻き声とともに、掠れた声でそう言われる。
騎士たちに促され、数人の騎士と共にその場を離れた。
歩きながらも、さっきの光景が頭から離れない。
──何とかできない?
そう思ったとき、視界の端に小さな花が映った。
(あれ……アケレア?)
岩の隙間から、小さな白い花を咲かせる野草。
それは回帰前の人生で見た『アケレア』によく似ていた。ノクティースでは、止血剤として使われている薬草だ。
「ねぇ、あれ……アケレアじゃない?」
指差すと、騎士たちはきょとんとした表情を浮かべた。
「ノクティースの本に書いてあったんだけど……止血に使える薬草なの」
「その草が、ですか?」
騎士たちは驚いて目を丸くさせている。
その理由は、すぐにわかった。
「この領地で薬草が取れるとは聞いたことがなくて……」
ああ、そうか。それも無理はないなと。
クニューベル男爵領は寒冷な土地で、帝国内で一般的な薬草は育ちにくい。加えて田舎ゆえ、他国の文献もほとんど流通していないのだ。
「……ダメ元でも、やってみませんか?」
その一言で、みんなが動いた。
エマルウェルを救いたい──その思いが一つになり、みんなでアケレアを集めた。
集めたアケレアは、すぐに一人が彼の元へ届けに走った。その後ろ姿を見届けて、シイラは屋敷へと帰った。
屋敷へ戻ったシイラは、落ち着かずに歩き回りながら知らせを待った。
もし、これが本当に効くのなら──アケレアを止血剤として流通させる道が開ける。
そのためには、効率的な生成方法が必要だ。
留学時代の記憶と照らし合わせ、ノクティースの文献を集めた。
──全然足りない。
とりあえずできることとして、皇都の本屋や商会に向けて、ノクティースに関する本の取り寄せを頼む手紙を書いた。皇都のタウンハウス経由で届くようにお願いする予定だ。
(とりあえず……私は感心があるってことだけでも示しておかないと)
実はノクティースの留学に行けないかと考えたことはある。
でも前回留学できたのは、レーヴライン侯爵家が潤沢な資金を援助してくれていたことと、周辺諸国にも影響力のある家門から留学生を排出したということに意味があった。何も影響力のない男爵家から留学生を排出するメリットは、どちらの国も無いだろう。
でも感心があるってことを示しておくことで、何か今後に繋がるのではないかと思ったのだ。
「シイラお嬢様!」
手紙を書くシイラの元に、騎士が駆け込んできた。
「エマルウェルの出血が止まりました!」
「本当!?」
「あの草を当ててから、一気に止血が進んだそうです!」
胸を撫で下ろし、思わずほっと息が漏れた。
やはり、あれはアケレアだったのた。
確信を得たシイラは、すぐにノートにペンを走らせた。
そしてその夜、シイラは父の書斎を訪ねた。
「お父様」
ダリオは疲れた顔で微笑む。ダリオは一日中、警備体制の見直し等の業務に追われていたので、ようやく一息ついたところだった。
「ありがとう。エマルウェルは大丈夫そうだ」
「それなら……良かったです」
ほっと胸をなで下ろしたところで、シイラは切り出した。
「ノクティースの植物図鑑を見て、薬草になりそうなものに印をつけてみました」
シイラはノクティースの図鑑に、付箋で訳したものを貼り付けて渡した。
「帝国内では、ほとんど使われていない薬草ですが……」
ダリオは目を見開いて、それを眺めている。
──それはクニューベル男爵領に群生する『雑草』で間違い無いものだったからだ。
「これで……騎士たちを守る薬を作れないでしょうか」
まずは身内を守ること。それが最優先である。
そこから効能を認めてもらえば、もっと手広く薬の事業を始められると思ったのだ。
「私に、薬の研究をさせてください」
ダリオは少し考え、静かに頷いた。
「やってみなさい」と。
そこから、シイラの実験が始まった。
──ノクティースの製薬技術の要となるのは“低温管理”だ。
冬の雪室の余冷を利用し薬草を低温で乾燥させ、雪解け水という純度の高い水で抽出する技術によって高品質な薬を生み出し、薬学の発展する要因となっていた。
シイラはそれを真似て、小規模な冷暗所での低温乾燥を始めた。そして完成したアケレアの止血剤は目を見張るほどの効果を発揮した。
やがて男爵家の騎士団内で正式に使用されるようになり──その噂は他の領地にまで広がっていた。
「すっかりこの風景も見慣れてしまったなぁ」
目の前の畑には、アケレアの花が一面広がっている。
群生しているものだけでなく、アケレアの畑を作り増産に踏み切ろうとしたが……そこで壁にぶつかっていた。
(工房の設備までは……)
あの雪室のような、大規模な製薬工房を作らなければ、大量生産はできないだろう。
だけどその設備を作ることに、行き詰まっていた。
シイラは確かに研究はしていたが、その設備の作り方まで深く携わっていたわけではないのだ。
悩んでいたところへ、エマルウェルが現れた。
「シイラ、皇都におつかいに行ってきたんだが、これを『お嬢様に』って預かってきたぞ」
「……本?」
それは、ノクティースの製薬専門書だった。
回帰前の人生では、レーヴライン侯爵家の権力でも手に入らなかったはずの一冊なのだ。
「貴重な本よね。どうしてこんな本が手に入ったのかしら」
「実はな、最近ノクティースに近い『フィリー港』という新しい港が開かれたみたいなんだ」
「初めて聞く名前ね……」
回帰前には、そんな名前を耳にしたことは無い。
「実はそこ、とある貴族が管理していた漁港だったらしいけど、海賊を使ってノクティースからの物品を巻き上げていたことがわかったらしい」
その時はっとした。
──回帰前の関係悪化の原因は、これだったのではないかと。
「そこを帝国軍が制圧し、新たに港が開かれた、っていう訳らしい」
「へぇ……」
「そしてどうやらこんな噂があるってさ」
「噂?」
「噂では、第二皇子が関わっているとか……」
──なるほど。
だからこそ、回帰前はいち早くノクティースの動きがわかり、私がスパイとして疑われたのだな、と。
「帝国軍に、感謝だね」
そしてその本を参考にしながら、製薬工房に着手した。
大規模な雪室を作り、アケレアの大量生産に踏み切った結果──アケレアの止血剤は帝国全土で流通されることになったのだ。




