暴走馬の真相は
「お父様、お母様」
「おはよう、シイラ」
朝食の席に両親二人は座っていた。
シイラにとって、十年ぶりに見る父ダリオの生きている姿。
今すぐ泣いてすがりたかったけれど、涙をぐっとこらえて我慢した。
十年ぶりの家族揃って迎える朝食は、何の問題もなく進んでいるようだった。
時折父は、やってくる秘書に指示を出しながら食べている。この十年前までの、いつもの光景がここにある。
すぐに涙腺が緩みそうになるが、それを振り切るように、パンを口に詰め込んだ。
「あら、シイラ。大丈夫?」
喉が詰まりそうになったのを、母が心配そうに見つめている。その眼差しが懐かしくて、また泣きそうになるのを堪えた。
──でもこの懐かしさに浸っている場合ではない。
両親は食べ終わりシイラがまだ食べている最中、秘書がやってきた。
「侯爵家の早馬が到着しました。準備をお願いします」
そして両親は、シイラの頭を撫でながら「行ってくる」と言ってダイニングを後にした。
朝食の席にはシイラだけが残され、静かに窓の景色を眺めていた。
生い茂る木の葉が風に揺れている。更にネモフィラの青の花が視界の果てまで、幾重にも折り重なる山並みと共に続いていた。
この景色は決して忘れることはできなかった。
シイラがもう一度戻りたいと思っていたものが、今ここにある。
(あと、一時間)
あと一時間でやってくるのだ──父が亡くなった悪夢が。
(今度はきっと、止めてみせる!)
シイラは立ち上がり、強く拳を握りしめた。
絶対に今度は父を死なせない。そう固く決意をしてダイニングを後にした。
そして家を出ると、足早に牧場へと向かう。
懐かしいヤルマが数匹、シイラを迎えた。
(……これと、あのヤルマが同じだなんて)
シイラの前の人生で、ノクティースに留学した時のことを思い出す。
山岳の岩場に生息する、野生のヤルマを見たことがあったのだ。
──あれは本当にやばいよ。突進してくるから近づかないで。
フィールドワークで見たヤルマは、ここの家畜化に成功したヤルマとは全く違っていた。
見た目は同じだが、気性が荒く手がつけられるものではない。自分の『縄張り』に侵入者が現れると、容赦なく突進し追い払う。人間相手だと下手すれば命を失うほどの獰猛な動物だったのだ。
どうしてこんな動物が、ここでは家畜化されているのか。
その事について、シイラは思い当たる節があった。
「シイラ、お客様がいらしたのでご挨拶を」
はっと気付くと、そこに父ダリオと、レーヴライン侯爵ことバルドリックもいた。
最後に見た姿より、随分若い姿で──やはりアルヴィスの面影が見える。プラチナブロンドの髪がより一層、アルヴィスの姿を思い出させた。
「はじめまして、シイラ・クニューベルです」
「おや可愛いお嬢さんだね」
微笑む姿が懐かしく、胸に何かがこみ上げる。
侯爵家での生活は決して良いものではないはずなのだけれど……何故か温かな気持ちになったのだ。
「お嬢さん、馬もこちらでいいですか?」
後ろから従者が、何頭も馬を連れてやってきた。
──あの運命を分けた馬も、やってくる。
シイラはあの馬をゆっくりと撫でる。
従順そうに初対面の自分でも、嫌がらずに、気持ち良さそうに撫でられている。こんな馬が突然暴走するのは、にわかに信じられないだろう。
「お父様ー!」
「何だいシイラ?」
「この馬たちを、向こう側の放牧場に案内したいのですが」
「おお、気を利かせられず申し訳ない!」
ダリオは慌ててシイラに鍵を渡した。
これは少し離れた放牧場──若い牧草が生えている放牧場 の鍵だ。
少し収穫時期には早いので、まだ使っていない。でも侯爵家の馬という待遇を考えれば十分使う理由になる。
そしてシイラは従者達を連れて、向こうの放牧場に向かう。柵内に馬を入れると、芽吹いたばかりの若葉をムシャムシャと食べ始めた。
「お気に召したようですね」
従者がニコニコと笑顔で馬を撫でている。
その様子を見て、ほっと胸をなで下ろした。
(ここに居れば、心配はない……!)
このままここで、馬たちに休んでもらえば心配はないだろう。それでも心臓はバクバクと鳴りやまない。
「あの、こちらはヤルマの放牧場として使っているのですか?」
従者に話しかけられて、ドキリと心音が跳ねた。
「はい、そうです」
「すいませんね。美味しい若草を横取りで」
「いえいえ、そんな気にするほどのものでもないですよ」
前回、彼は暴走する馬を果敢に止めに入った。
そして生涯歩けないほどの大怪我を負うことになってしまった。
だけど今は、こうして和やかに談笑ができる。
それがたまらなく、嬉しいのだ。
「ヤルマは馬とほぼ一緒の食事なのですね」
「はいそうですが……一点だけ、違うんです」
──これは回帰前の人生で、決定的に手に入れた証拠だった。
それはあの侯爵家で、閉じこもって研究をしていた最中に、見つけたものだった。
「ヤルマに『ネバの葉』という葉を与えてるんです。森の入り口にその木が生えているんですけど」
「へぇ、初めて聞きます」
それはそうだろう、と今になって思う。
──あの『木の正体』は、私しかわからなかったのだから。
「実はあれ、他の動物には毒になりうる葉なんです。気を付けてくださいね」
あの木に似た木は、ノクティースでは『コクノキ』と呼ばれていて、葉は鎮痛剤の基になる薬草だが──過剰摂取すると興奮作用や幻聴を引き起こす、危険なものでもあるのだ。
コクノキ自体はもう少し温暖な地域に生息するのと、素人目には違いはわからないので、あそこに群生するものは『コクノキの亜種』なのだろう。
実際葉の形状などは全く違っていて、同じ葉脈・同じ樹皮を見分ける力がなければ、到底同じ植物には見えないだろう。
あれが本当にそうなのであれば、全てに納得がいく。
あれだけ獰猛なヤルマが、従順になる理由は『コクノキによって興奮が抑えられているから』
馬が暴走したのも『コクノキの興奮作用』だとしたら──あの葉を摂取させなければ、馬の暴走は抑えられるはずだ。
回帰前の人生で、『ノクティースのスパイ容疑』がかかったのも、ノクティースから『コクノキ』を取り寄せようとしていたからだ。
ノクティースと結託しコクノキから違法薬物を作ろうとしていたのではないかというのが、第二皇子ジェイコブの見立てだったようだ。
(とは言えこのコクノキを、どうにかしないと)
どこかにバレてしまっては、政治の道具になりかねない。どうにかしてこの木を処分しなければならないだろう。
そうなるとヤルマを家畜にできない。ここでの移動手段が無くなってしまうのだ。
(うーん……)
しばらく考えていたが、答えは出ないままだ。
「では男爵家の皆さんありがとう。旅路を急ぎます」
まだ領地を視察途中のレーヴライン侯爵は、数時間の視察を終えると行ってしまった。
あぁそうか。これが本来の侯爵家との距離感なのだな、と妙な切なさがこみ上げてくる。
(とは言え、終わった……)
隣に居る父、ダリオの顔を見上げると──自然に涙が溢れて止まらない。
「し、シイラ?どうしたんだい??」
隣で急に泣きはじめた娘に、ダリオは慌てた。
「夢を、見たんです」
「夢?」
「すごく悲しい、夢でした」
シイラはダリオに抱きつくと、彼も優しく抱きしめ返した。
その温もりがまた、シイラを更に泣かせる。シイラの目からは絶え間なく、大粒の涙が次々と零れ落ちていた。




