そして別々の道へ──回想10
ひとしきり泣いた後は、朝食の席に連れて行かされる。右足の感覚が久しぶりで、歩き方が妙にぎこちない。
それでも地面を踏みしめる一歩一歩に、感動を隠せなかった。
「アルヴィス、遅いですね」
ぷりぷりと怒る母ドロテアは、随分と若い。
その時あぁ、そうかと思ったのだ。
──子供の心配をし過ぎて、余計にやつれていたのかも知れない、と。
「お母様、悪い夢を見たんです」
「夢?」
「ええ、夢です……」
──今までのことは夢なのか。
それとも現実なのか。
手足の感覚が戻るにつれ、記憶が塗り替えられていくようで……あの一連の出来事は、本当に現実に起きた出来事だったのか──それとも長い夢を見ていたのか。境目がわからなくなってきていた。
そしてあの日と全く同じ時間を過ごし、同じ報せが届いた。
「旦那様が大怪我を負い、旦那様を庇ったクニューベル男爵は、そのまま……」
──やはりシイラの父は、この日事故に遭った。
そして母は行ってしまい、アルヴィスは一人で屋敷で待つことになった。
(これからシイラとお義母さんが来る……)
自分がすべきことは、ただ一つ。
シイラと安心して暮らせる家を作る。
そうすれば、いずれ産まれるラフィリアと、幸せな家庭を作ることができる。
その為に──
(まずは婚約解消を、しなければ)
まだ正式な婚約ではなかったが、ペレザンス伯爵家との婚約を解消しなければ。
どっちみち足が不自由になっただけで切り捨てられてしまうほど、脆い絆だったのだ。それが判明した今、これから頼ることはできない。
それにこれからは、オズヴァルト皇太子ではなく……今は第二皇子のジェイコブの支持に回らなければ。せめて戦争の最前線に行かぬように、うまく立ち回らなければ。
そうすれば……きっと侯爵家は潰されることはなく、新しい道が拓けるはずだ。
アルヴィスは決意を新たにし、シイラを迎えることにした。
今度こそ、三人で幸せな家庭を作ろう──だがその思いは、脆く崩れ去ってしまった。
「アルヴィス、クニューベル男爵の御息女、シイラよ。うちの侍女候補として引き取ります」
前と同じように、ドロテアと現れたシイラ。
アルヴィスは思わず「会いたかったよ」と声をかけると……明らかに動揺し、目が泳いでいた。
(ひょっとして……?)
「ちょっとアルヴィス!」
ドロテアの制止を無視して、アルヴィスはそのままシイラの手を引いて歩いていく。
そして辿り着いたのは、子供の頃の遊び場。
いつも二人で過ごしていた、秘密の場所だ。
「シイラ、ひょっとして君は記憶が」
「……やっぱりあれは、夢じゃないのね」
アルヴィスが全てを言い終わる前に、シイラは答えた。無表情の顔で。
しかし、シイラも覚えている──そんな嬉しさが勝るアルヴィスは、彼女がどんな顔をしているのか、全く見えていなかった。
「シイラ、次こそ三人で幸せに……」
「私はできない!」
彼女はそう叫ぶと、アルヴィスを刺すような目を向けた。
初めて見る表情に戸惑うが、憎しみの目を向けながらも、その瞳には涙が滲んでいる。
「これから起こる出来事がわかるなら、あなたは脚を失わなくて済む。だから私みたいな元貴族と結婚しなくても、ちゃんとした家同士の結び付きを作る結婚ができるでしょ?」
「シイラ?」
思わず触れようとしたアルヴィスの手を、パンっとはたき落とした。
「あれをもう一度見ろと?私の子供が邪神だと侮笑されるのを見ろと?
それにあなたは知らないでしょう。あの後私は、邪神を産んだ罪として、何人もの人に侮辱された……」
シイラの目からは、とめどなく涙が溢れ、頬を伝う。
「あの記憶だけなら耐えられるわ。でもあの子が助けを呼ぶ姿が、ずっと頭から離れないの、ずっと……」
アルヴィスはかける言葉が見つからず──静かに涙を流すシイラを、ただ見つめることしかできない。
「私達、別々の道を歩みましょう。全て無かったことにして、新しい人生を始めましょう」
シイラはそう吐き捨てるように言うと、足早にその場を去っていった。
──その後、アルヴィスは何度も弁明しようとした。
あの後起きたことも説明しようとした。
しかしそんな余地もないまま……彼女は完全に狂ってしまった。
「ぎあぁぁー!」
「シイラ!!」
「だめ、だめよシイラ!!」
シイラはあの一連の出来事が夢ではないとわかった途端、正常な精神を失った。
毎日フラッシュバックに苦しめられ、精神的な発作を毎日起こし、奇声を上げ、走り回っては自傷を繰り返した。
毎日発狂しては、母エミリーや屋敷の者がなだめているのを、アルヴィスは遠目から見守ることしかできなかった──自分も元凶の一人なのだから、当然だ。
侯爵家の権力でその筋の医師に治療に当たらせたところ、医師は『父親が死ぬ瞬間を目の当たりにしたのだから、仕方ないだろう』という診断を下していた。
その“父親が死ぬ”原因はレーヴライン侯爵家であるので、みんな治療には協力的ではあったが……彼女が狂った本当の理由は、アルヴィスしか知らない。
誰にも言うわけにはいかず、ただただ彼女を見守る日々を過ごしていた。
(どうにか、してやりたい)
アルヴィスが直接できることはない。
でも何か、彼女の気が紛れるものを──そんな思いで取り寄せたのは、植物図鑑やノクティースの薬学書であった。
ノクティースとは国交が始まったばかりだが、まだ開戦前。あの戦時中の当時よりもまだ、比較的手に入れることができたのだ。
以前のシイラが好きなことは、ハーブティーを淹れたり、薬草の効能を研究したりすることだった。
しかし、前の人生に関係のあるこのことが吉と出るか凶と出るか──それは正直、わからない。しかしアルヴィスは、これしか知らなかった。
(他に慰めるようなことが、思い浮かばない)
シイラとは比較的仲良くやっていたとは思っていたが、何も彼女のことを知らなかったことに、今更ながら不甲斐なさを感じていた。
どうにか侍女経由で、シイラに本を渡し続けた結果、シイラは正気の時間に、庭で図鑑を片手に植物を見ているのを目にするようになった。
そして色んな人と話す姿を見るようになり、徐々に回復して行った。
そしてそんなある日──こう言っているのを耳にしたのだ。
「レーヴライン侯爵、私、隣国のノクティースに留学したいです」
その言葉を聞いて、どこかほっとしている自分がいた。
ようやく彼女が、生きる希望を見出せたのだから。
──それはここから彼女が離れることよりも、ずっと嬉しいことだった。
そしてシイラはノクティースへ行き──アルヴィスは帝国騎士団へ従軍し、戦地へと旅立って行った。




